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第5話:辞める理由、残る理由

 久遠 恒一の生活は、正確に二分されていた。


 平日はスーツを着てオフィスに立ち、

 週末は防具を整えてダンジョンに潜る。


 どちらも「仕事」だったが、性質はまるで違う。


 ダンジョンでの成果は、明確だった。

 数値として、金額として、身体能力として返ってくる。


 ある月、久遠は気づいてしまった。


 ――ダンジョンでの収入が、年収換算で会社を超えている。


 数字を見た瞬間、心がざわついた。

 驚きよりも、冷たい現実感が勝った。


 会社を辞める理由は、すでに揃っている。


 危険はあるが、管理課の制度は整っている。

 装備は更新でき、鑑定眼のおかげで無駄な戦闘も避けられる。

 何より、剣を振るうことに迷いがない。


 それでも、久遠は辞表を書かなかった。


 理由は、感情ではなかった。


 ――ダンジョンは、不確実だ。


 モンスターの変異。

 新階層の発見。

 制度変更の可能性。


 国家が関与している以上、ルールは変わる。

 会社という組織は、少なくとも「予測」ができる。


 久遠は、その夜もノートを開いた。


 収支、リスク、将来性。

 剣の型をなぞるように、思考を整理する。


 鑑定眼は、物だけでなく、人を見る目も研ぎ澄ませていた。


 ダンジョン内で出会う冒険者たちは、少しずつ変わってきている。

 力を得て、調子に乗る者。

 金に目が眩む者。

 逆に、力を恐れて足を引く者。


 久遠は、どちらにもならなかった。


 ある週末、管理課から呼び止められた。


「久遠さん、安定して成果を出されていますね」


 担当官は、端末を操作しながら言った。


「低階層の制圧率も高い。

 正直、専業を考えませんか?」


 久遠は一瞬、言葉に詰まった。


「今は、会社を辞めるつもりはありません」


「そうですか」


 担当官は、深追いしなかった。

 それが、この世界のやり方だった。


 ダンジョンを出た帰り道、久遠は立ち止まった。


 身体は、完全に若返っている。

 鏡に映る自分は、二十歳前後に見えた。


 ――この身体で、デスクワークを続けるのか。


 ふと、剣を教えてくれた祖父の言葉を思い出す。


「剣は、人を守るために使え」


 会社での仕事も、誰かを守っている。

 直接ではないが、確実に。


 一方で、ダンジョンでは命を救える。

 だが、奪う可能性もある。


 久遠は、どちらかを切り捨てる決断ができなかった。


 ある平日の夜、部下が相談に来た。


「久遠さん……正直、辞めようか迷ってます」


 久遠は、黙って話を聞いた。

 無理に引き止めることはしない。


「選択肢を、全部書き出してみてください」


 それだけ伝えた。


 その言葉は、自分自身にも向けられていた。


 剣を持つ理由。

 会社に残る理由。


 どちらも、まだ失われていない。


 だから久遠は、今日も鞘を外さない。


 決断は、もう少し先でいい。

第5話では、「辞められるのに辞めない」葛藤を中心に描きました。

久遠は慎重で、だからこそ長く生き残るタイプです。

次話では、周囲との関係や環境の変化により、選択を迫られる圧力が強まっていきます。

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