第30話:損耗限界
帰還標は、壊れかけていた。
鑑定眼を最大にしても、表示は不完全だ。
・構造安定度:低
・空間補正効率:不均一
・次回使用時、破損確率――
数値が、表示されない。
それが、何よりの警告だった。
久遠 恒一は、工房で一人、装備を広げていた。
刻まれた名前。
亀裂。
歪み。
帰還標は、“戻ってきた回数”ではなく、引き戻した回数だけ、壊れている。
「……限界か」
呟きは、独り言にもならなかった。
修復は、できる。
だが――
鑑定結果は、冷酷だ。
完全修復=記録の消失
名前。
存在痕跡。
境界で拾い上げた「現在」。
すべて、消える。
それは、装備としては正解だ。
だが、久遠にとっては、敗北だった。
通知が、入る。
非公式回線。
差出人は、佐倉だった。
《また、行くんですか》
短い文。
久遠は、すぐには返さなかった。
代わりに、帰還標を装着する。
金属が、軋む。
まだ、使える。
――使ってしまう。
ダンジョン。
今回は、完全な単独行動。
侵食境界、さらに奥。
ここは、「帰還率0%区域」と内部で呼ばれている。
公式には、存在しない場所だ。
空間が、呼吸している。
伸びて、縮んで。
足を出すたび、現在が、遅れる。
前方。
人影。
二人。
倒れている。
まだ、存在はある。
久遠は、剣を突き立てる。
自分を、固定。
帰還標を、一人目に当てる。
――反応。
弱いが、ある。
光が、滲む。
引き上げ。
一人、成功。
次。
二人目。
帰還標が、悲鳴を上げた。
内部構造が、軋み、魔力が漏れる。
「……来い」
久遠は、無理やり魔力を流す。
帰還標が、割れた。
光が、乱反射する。
だが――
人影が、引き戻される。
成功。
同時に、帰還標が、沈黙した。
表示、消失。
鑑定不能。
久遠は、立っていられなくなり、膝をつく。
剣を支えに、なんとか帰還。
医療室。
管理課の職員が、息を呑む。
「……装備が」
帰還標は、ひび割れ、名前が、ほとんど読めない。
機能停止。
使い捨て。
久遠は、それを見つめた。
――終わった。
少なくとも、この一つは。
夜。
工房。
久遠は、帰還標の残骸を並べる。
完全修復は、しない。
代わりに、分解する。
刻まれていた名前を、一つずつ、新しい金属片に移す。
装備には、しない。
道具にも、しない。
ただの、記録板。
「……戻った」
それだけを、証明するための。
久遠は、最後の破片を置いた。
帰還標は、壊れた。
だが、思想は、壊れていない。
境界に立つ者は、装備がなくても、立ち続ける。
次は――
新しい形で。
第30話では、
「道具が限界を迎える瞬間」を描きました。
帰還標は万能ではありません。
むしろ、使えば使うほど壊れる装備です。
それでも久遠は、壊れると分かって使いました。
なぜなら、壊れる前に戻れた命が、確かにあったからです。




