表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/50

第29話:記録されない救出

 佐倉が目を覚ましたのは、翌朝だった。


 医療室の天井を見つめ、しばらく瞬きを繰り返したあと、彼は小さく息を吸った。


「……生きてる」


 それは確認ではなく、驚愕に近い声だった。

 久遠 恒一は、壁際の椅子に座っていた。


 報告義務はない。

 聞き取りも、まだ来ていない。


 管理課は、この件を“処理しあぐねて”いる。


「……あんたが?」


 佐倉が、視線を向ける。

 久遠は、頷いた。


「覚えているか」

「……途中までは」


 佐倉は、喉を鳴らした。


「音が……消えた。仲間の声も、自分の足音も」


 指が、わずかに震える。


「体が、軽くなって……

 名前を、忘れた」


 久遠は、何も言わなかった。

 それが、境界に落ちる前兆だからだ。


「……もう、終わりだと思った」


 佐倉は、天井を見つめたまま続ける。


「死ぬんじゃない。消えるんだって、ああ、こういうことかって」


 沈黙。


「そこに、あんたの声があった」


 久遠は、少しだけ姿勢を正した。


「名前を言えって」

「……不思議だった。あの状況で、“名前”を求められるなんて」


 佐倉は、微かに笑った。


「名前を言った瞬間、体が、重くなった」

「戻った、って分かった」


 久遠は、帰還標に触れる。

 亀裂が、指に引っかかる。


「記録は、残らない」


 久遠は、静かに言った。


「正式な出動じゃない。管理課の判断でもない」


「……それでも」


 佐倉は、久遠を見た。


「俺は、生きてる」


 その言葉に、重みがあった。

 そこへ、管理課の職員が入ってくる。

 事務的な顔。


「佐倉さん。事情聴取を行います」

「出動履歴が、確認できていません」


 佐倉は、一瞬、久遠を見る。

 久遠は、何も言わない。

 それが、暗黙の合図だった。


「……覚えていません」


 佐倉は、そう答えた。


「境界に入ってから、ほとんど」


 職員は、眉をひそめる。


「救出者については?」

「……わからない」


 それで、終わりだった。


 後日。


 久遠は、呼び出しを受ける。

 小さな会議室。

 課長代理と、分析官が一人。


「記録にない帰還があった」


 課長代理が言う。


「だが、証言も残らなかった」

「偶然だ」


 分析官が、淡々と結論づける。


「境界が、一時的に緩んだ」


 久遠は、黙って聞いていた。


「君は、何もしていない」


 課長代理が、はっきり言った。


「……それでいい」


 それが、警告であり、許可でもあった。


 夜。

 久遠は、帰還標を手に取る。

 刻まれた名前。

 佐倉の名。

 そして、裏側にある自分の名。


 管理されない救出。

 記録されない生存。


 数字に、意味を持たない命。


 ――だが。


 久遠は、帰還標を胸に当てた。

 条件外でも、ゼロでなければ。


 境界の外から、手を伸ばす。

 それが、誰にも評価されなくても。

 次に呼ぶのは、名前だ。


 常に。

第29話では、

「救われた命が記録に残らない」

という現実を描きました。


管理とは、

把握できるものだけを扱います。

把握できない善意は、存在しないことにされる。


久遠の行動は、ここから先、

・制度にとって不都合

・数字にとってノイズ

になっていきます。


それでも、彼は境界に立つ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ