第21話:切り捨てた名前
名前は、簡単に消える。
久遠 恒一は、それを知っていた。
書類の中で。
統計の中で。
「想定内」の文字の裏側で。
だが、あの夜から、頭の中に残り続けている。
――行方不明者、登録番号***。
数字ではなく、声と、動きと、癖。
会議室で読み上げられた名前は、あまりにも整っていて、現場の人間ではなかった。
久遠は、管理棟の一角にある閲覧制限付き端末の前に立っていた。
技術協力枠としての権限。
ギリギリ、
「個人記録」に触れられる範囲。
画面を開く。
行方不明者個人ファイル。
写真。
登録時の簡易プロフィール。
真面目そうな顔。
少し緊張した笑み。
久遠は、視線を逸らさなかった。
逃げないと、決めた。
戦闘履歴。
参加ダンジョン。
報告書の端に、手書きの補足。
――「久遠さんの判断、勉強になります」
胸の奥が、ひりついた。
次のページ。
個人メモ。
提出義務はない、私的記録。
・空白区画、気配が薄い
・音が遅れて聞こえる
・嫌な感じがする
最後の一文で、久遠の指が止まる。
・もし戻れなかったら、装備は処分していい
静かすぎる言葉だった。
覚悟とも、諦めとも違う。
久遠は、画面を閉じた。
これ以上、管理課の中では見つからない。
夜。
久遠は、自宅で剣を手入れしていた。
布で刃を拭く。
無駄な動きはない。
だが、心は別だった。
――自分は、正しいことをした。
何度も、そう言い聞かせた。
それでも、切り捨てた名前が、戻ってくることはない。
久遠は、ノートを開いた。
戦闘ログではない。
設計図でもない。
個人の記録帳。
彼の名前を書く。
行方不明者の名前を、自分の字で。
そこに、あの日の状況を書き足す。
・空間不安定
・救出不能
・判断者:久遠
逃げ道は作らない。
その時、端末が震えた。
非公式回線。
管理課ではない。
表示された名前に、久遠は目を細める。
――後衛の女性だ。
『久遠さん、少し話せますか』
『今?』
『はい。
……個人的なことです』
久遠は、短く返した。
『場所は?』
指定されたのは、管理棟近くの小さな喫茶店。
夜遅く、人はいない。
彼女は、先に来ていた。
「……ありがとうございました」
席に着くなり、彼女は言った。
「私、生きてます。
あれ、座標錨がなかったら――」
言葉が、途切れる。
久遠は、首を振った。
「生き残ったのは、あなたが後退判断を守ったからです」
「それでも」
彼女は、視線を落とした。
「助けられなかった人がいる」
久遠は、肯定も否定もしなかった。
代わりに、言う。
「名前を、忘れないでください」
彼女は、顔を上げた。
「管理課は、次に進みます」
「ええ」
「でも、私たちは」
久遠は、静かに続ける。
「次に行く前に、切り捨てた名前を、覚えていないといけない」
彼女は、しばらく黙っていたが、やがて、頷いた。
「……私も、記録を取ります」
別れ際。
久遠は、初めて言った。
「次に行く時、“帰れる装備”を、必ず作ります」
約束ではない。
誓いだ。
剣で斬る前に、判断で人を殺さないための。
切り捨てた名前は、戻らない。
だが、無かったことにはしない。
それが、久遠が選んだ、次の戦い方だった。
第21話は
「制度の外で、個人が何を背負うか」の話です。
久遠はもう、ただ強くなるだけの主人公ではありません。
判断の責任を、私的にも引き受け始めた段階です。
次話では、
・装備設計の方向性が変わる
・“帰還率”を最優先にする思想
・管理課との微妙なズレ




