第2話:社会という戦場
高校を卒業した久遠 恒一は、そのまま社会に放り込まれた。
選んだのは地元の中小企業だった。
理由は単純で、求人票に「未経験歓迎」「人柄重視」と書かれていたからだ。
今振り返れば、それは危険な言葉だった。
入社初日から違和感はあった。
研修はなく、席に座ると分厚い資料を渡される。
「読んどいて。今日中に把握して」
業務内容は曖昧で、指示はその場その場。
質問をすれば「自分で考えろ」と言われ、
考えて動けば「勝手なことをするな」と叱責された。
残業は当たり前。
終電で帰り、翌朝は始発で出社する。
それでも久遠は、黙って耐えた。
――迷惑をかけたくない。
――役に立たなければならない。
それは、子供の頃から染みついた思考だった。
身体は悲鳴を上げていたが、剣道で鍛えた基礎体力が支えた。
精神もまた、剣の型のように整えて押し込めた。
だが二年が過ぎた頃、限界は唐突に訪れた。
ある日、資料を修正しただけで激昂され、
机を叩かれ、人格を否定される言葉を浴びせられた。
その瞬間、久遠の中で何かが切れた。
――ここにいる理由はない。
感情的にはならなかった。
ただ、事実として理解した。
退職届を出し、次を探した。
職歴は短いが、成果は数字で示せた。
剣と同じだった。
感情ではなく、結果で語る。
二社目、三社目。
規模は少しずつ大きくなり、待遇も改善していった。
人の言葉の裏を読む力、空気の変化に敏感であること、
規則を正確に守り、逸脱しないこと。
それらは「扱いづらい」とも「信頼できる」とも評価された。
転機は、誰もが知る大企業の中途採用だった。
東京本社勤務。
書類審査、面接、適性検査。
久遠は淡々と答え、淡々と通過した。
都会のオフィスは静かで、整然としていた。
役割分担が明確で、ルールが言語化されている。
――ここなら、剣を振る必要はない。
仕事は忙しかったが、理不尽ではなかった。
成果を出せば評価され、出せなければ理由を分析する。
久遠は着実に数字を積み上げ、信頼を得ていった。
入社から数年後、彼は若くして役職に就いた。
部下を持つことには戸惑いもあった。
だが感情で叱らず、基準を示し、約束を守る。
それは、剣の教えと同じだった。
そんな折、社内の健康相談をきっかけに、
久遠は専門医を受診することになる。
診断結果は、自閉症スペクトラム傾向。
衝撃はなかった。
むしろ、静かな納得があった。
――だから、分からなかったのか。
――だから、剣が楽だったのか。
それは欠陥ではなく、特性だった。
だが同時に、組織で生き続けることへの疑問も芽生えた。
このまま、会社員として生きるのか。
それとも、自分の力で立つのか。
答えは出ないまま、時間だけが過ぎていった。
そして、その日は突然やって来た。
昼休み、スマートフォンが一斉に鳴った。
緊急速報。
地震ではない。
『全世界各地で正体不明の巨大構造物が出現』
映像には、街中に口を開けたような黒い穴――ダンジョンが映っていた。
混乱、デマ、暴動。
警察が封鎖し、自衛隊が出動した。
久遠は、オフィスの窓から街を見下ろし、静かに思った。
――また、戦場が変わった。
剣を持つ理由が、再び訪れようとしていた。
第2話では、久遠の「社会での戦い」を描きました。
理不尽に耐える話ではなく、判断して離れ、積み上げていく過程を重視しています。
次話はいよいよ教習と初ダンジョン、週末冒険者としての第一歩です。




