第19話:撤退戦、選別される命
走っているはずなのに、距離が縮まらない。
久遠 恒一は、背後を振り返らずに剣を構え続けていた。
視線を外した瞬間、誰かが“消える”と分かっていたからだ。
「負傷者、遅れてます!」
中衛の声が、歪んで届く。
被弾した隊員は、左脚を引きずっていた。
血は止血されているが、
空間ズレによる損傷は回復が遅い。
――このままじゃ、追いつかれる。
久遠は、即座に判断する。
「隊列、変更!
負傷者を中央に!」
「それだと、前が薄くなる!」
「今は“守る”より、“消されない”方が優先です!」
声を荒げた自覚はあった。
だが、間違っていない。
背後。
空間が、音もなく歪む。
黒い影が、いくつも生まれる。
人型。
だが、関節の位置が、どこかおかしい。
――模倣だ。
久遠は、歯を食いしばる。
剣を振るう。
斬撃が、影の一体を裂く。
だが、すぐに形を取り戻す。
「……再生してる!?」
「違う!」
久遠は叫ぶ。
「再生じゃない!
“作り直してる”!」
空白区画が、
情報を学習している。
攻撃パターン。
動き。
人の形。
前衛の一人が、舌打ちする。
「キリがねぇぞ、これ!」
その時。
後方で、鈍い音がした。
振り返ると、
負傷していた隊員が、転倒している。
瞬間、空間が――
その場所を中心に沈み込んだ。
「引き上げろ!」
指揮官が叫ぶ。
だが、久遠は、
その場の“違和感”を感じ取っていた。
沈み込みが、
速すぎる。
久遠は、叫んだ。
「手を伸ばすな!
近づくと、引きずられる!」
遅かった。
前衛の一人が、
反射的に手を掴もうとした。
空間が、二人分――
同時に歪む。
「っ――!」
久遠は、即座に動いた。
アイテムボックスから、
試作の座標錨を取り出す。
最後の一つ。
――使うなら、今しかない。
久遠は、迷わなかった。
錨を、
立っている地面ではなく、剣に装着する。
そして、その剣を――
前衛の足元へ、叩き込んだ。
空間が、悲鳴を上げる。
座標が、強制的に固定される。
だが、その代償として。
錨が、
砕け散った。
固定されたのは、一人分だけだった。
前衛は、引き戻された。
だが、負傷者は――
沈み込む空間の中へ、消えた。
声も、叫びも、
途中で途切れる。
ダンジョンカードの反応が、
完全に消失する。
誰も、動けなかった。
久遠は、歯を噛みしめる。
――選んだ。
助けられる人数を。
指揮官が、低く言った。
「……撤退を継続する」
異論は、出なかった。
出せなかった。
再び走り出す。
背後で、
影が追ってくる。
だが、その動きが、
明らかに変わっていた。
速い。
効率的。
まるで、
さっき消えた人間の動きを、使っているように。
久遠は、振り返らずに言った。
「もう、追ってきません」
「何?」
「“素材”は、十分得た。
これ以上、深追いする必要がない」
出口が、見えた。
ゲートの光。
全員が、なだれ込むように飛び込む。
最後に久遠が、
境界を越えた瞬間。
背後で、
誰かの声が聞こえた。
――助けて。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
ゲートが、閉じる。
静寂。
生還者は、五名。
犠牲者は、一名。
数字で書けば、
それだけの結果だった。
だが、久遠の中では、
はっきりと刻まれていた。
自分が、選別した命。
剣を持つということは、
斬ることではない。
――誰を、切り捨てるかを
決めることだ。
第19話は、物語の中でも最も重い決断の一つです。
久遠は正しい判断をしました。
それでも、救えなかった命がある。
この経験は、彼の戦い方・作り方・考え方を不可逆に変えていきます。
次話では、
・帰還後の処理
・管理課の判断
・久遠が“もう前と同じではない”と自覚する瞬間




