第18話:空白区画、侵食開始
止まったはずの空気が、動いた。
久遠 恒一は、はっきりとそれを感じ取った。
――来る。
だが、敵影は見えない。
空白区画の内部は、音が歪んでいた。
足音が遅れて届き、呼吸音が自分のものか分からなくなる。
「全員、密集を維持!」
指揮官の声が、かろうじて届く。
前衛が盾を構え、半歩ずつ進む。
だが、その動きにズレが生じた。
半歩のはずが、一歩分ずれている。
誰も動いていないのに、
位置関係だけが変わる。
「……距離感が狂ってる」
中衛の一人が呟く。
その瞬間だった。
空間が、裂けた。
正確には、裂けたように見えただけだ。
黒い線が走り、
そこから――何かが滑り出る。
鑑定眼が、警告を叩きつける。
《未登録存在》
《空間依存型個体》
《名称:不明》
「来るぞ!」
久遠が叫ぶ。
前衛が踏み込む。
剣と盾が、当たったはずだった。
だが、手応えがない。
刃は、何かを斬った。
だが、それは“そこ”にはいなかった。
次の瞬間。
前衛の背後で、空間が歪む。
「後ろ――!」
久遠が叫ぶより早く、
黒い影が、前衛の肩口を削った。
血が舞う。
だが致命傷ではない。
久遠は、即座にアイテムボックスから
剣を引き抜く。
時間経過ありの空間から、
移動を意識して取り出す。
剣は、思考通りの速度で飛び出し、
久遠の手に収まった。
踏み込む。
剣術スキルが、身体を導く。
斬る場所ではない。
斬る“瞬間”を狙え。
久遠は、歪みが収束する瞬間に合わせて振るった。
――手応え。
空間が、悲鳴のような音を立てる。
黒い影が、形を失って散った。
「効いた……?」
「分からん、警戒を続けろ!」
だが、安心する暇はなかった。
周囲の空間が、同時に揺らぎ始める。
裂け目が、一つではない。
二つ、三つ、四つ。
久遠は、即座に判断する。
「このままじゃ、包囲されます!」
「対処案は!?」
「座標錨を起動してください!」
指揮官と後衛が、同時に装置を起動する。
淡い光が、二人の足元から広がる。
次の瞬間、
空間の揺らぎが、二人を避けるように歪んだ。
「……弾いてる?」
「完全じゃないけど、
“ここにいる”って主張できてます!」
だが、その代償は即座に現れた。
座標錨が、
軋む音を立て始める。
耐久性が低い。
長くはもたない。
「久遠!」
「分かってます!」
久遠は、前に出た。
剣を、逆手に持つ。
狙うのは、敵ではない。
歪みそのもの。
鑑定眼で、
空間の“薄い部分”を見る。
そこに、剣を叩き込む。
斬撃が、空間を震わせる。
黒い影が、悲鳴を上げて後退する。
だが――
「っ、被弾!」
中衛の一人が、膝をついた。
空間のズレで、
防御が間に合わなかった。
血が流れる。
久遠は、歯を食いしばる。
――守り切れない。
全員を救う前提が、
そもそも成立していない。
「撤退準備!」
指揮官が叫ぶ。
だが、その声が、
途中で歪んだ。
音が、引き延ばされる。
空白区画が、
本格的に侵食を始めている。
久遠は、最後に一度だけ振り返る。
視界の端で、
黒い影が――
人の形を、真似ていた。
行方不明者の、装備。
歪んだ輪郭。
確信する。
これは、
ただのモンスターじゃない。
空白区画は、
人を素材に、
“次”を作っている。
「全員、走れ!」
久遠の叫びと同時に、
再調査班は、撤退に入った。
背後で、
空間が、音もなく閉じる。
――侵食は、始まったばかりだった。
第18話で、空白区画の正体が
「強敵」ではなく
**“人を取り込む環境”**であることが明確になりました。
次話では、
・負傷者の悪化
・撤退中の追撃
・久遠の選択が“誰かを切り捨てる”瞬間




