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第13話:撤退と代償

 病室の天井は、やけに白かった。


 久遠 恒一は、視界に入る蛍光灯をぼんやりと眺めながら、自分が「戻ってきた」のだと理解した。

 ダンジョンから。

 そして、戦場から。


 左脇腹には、厚く巻かれた包帯。

 背中と肋に鈍い痛みが残っている。


「三日、安静です」


 管理課医療班の女医は、感情を交えずに告げた。


「中層での連戦、被弾二回。

 判断は……ぎりぎり合格ですね」


 合格。

 その言葉に、久遠は小さく息を吐いた。


「撤退が、少し遅かった」


 女医はそう付け加えた。


 久遠は否定しなかった。

 否定できなかった。


 ――引き返せた。

 だが、引き返さなかった。


 病室を出ると、管理課の担当官が待っていた。

 端末を操作しながら、淡々と報告する。


「中層活動、当面停止です」


「……妥当ですね」


「ええ。強制ではありませんが、

 現状、あなたの身体での継続は推奨されません」


 久遠は頷いた。


 撤退。

 それは敗北ではない。


 だが、代償は確かにあった。


 会社に戻ったのは、その翌週だった。


 デスクに座った瞬間、体が訴える。

 長時間の静止が、こんなにも辛いとは思わなかった。


「久遠さん、顔色悪いですよ」


 同僚の声。

 心配半分、探り半分。


「少し、無理をしました」


 それ以上は言わない。


 だが、会議では違った。


「中層活動を制限された?」


 上司が、書類を見ながら言った。


「リスクが高すぎる。

 ダンジョン関連業務から、あなたを一時外したい」


 久遠は、言葉を選んだ。


「それは……」


「会社としての判断だ」


 反論の余地は、ない。


 結果として、久遠は“安全な仕事”に回された。

 表向きは、配慮。

 実際は、信用低下。


 ――怪我をした者は、計画に入れづらい。


 それは、ダンジョンでも、会社でも同じだった。


 夜、自室で剣を手に取る。


 鞘から抜き、刃を見る。


 わずかな欠け。

 中層でついた傷だ。


 研げば、消える。

 だが、記憶は消えない。


 あの時、もう一歩下がっていれば。

 もう一体、深追いしなければ。


 考え始めると、止まらなかった。


 ――自分は、強いと思っていたのか?


 違う。

 ただ、「折れない」と信じていただけだ。


 だが、中層はそれを許さない。

 折れなくても、削る。


 週末。

 久遠はダンジョンに向かわなかった。


 代わりに、訓練場で一人、剣を振る。


 踏み込みは浅く。

 体重移動を最小限に。


 怪我を前提にしない動きから、

 怪我を抱えたまま生き残る動きへ。


 剣は、応えてくれない。

 だが、嘘もつかない。


 数時間後、久遠は汗だくで座り込んだ。


 中層に戻れるのは、いつか。

 分からない。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 ――あのまま進んでいたら、死んでいた。


 撤退は、敗北ではない。

 だが、誇れる選択でもない。


 それでも、選んだ。


 生きるために。


 久遠は、剣を鞘に収めた。


 今は、振るう時ではない。


 中層は、逃げない。

 だが、自分が壊れれば、二度と戻れない。


 その現実を、

 血と痛みで理解したことこそが――


 この撤退の、最大の代償だった。

第13話では「撤退=正解だが、失うものがある」現実を描きました。

久遠は生き残りましたが、

・会社での立場

・中層への即時復帰

・自己評価

を同時に失っています。

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