第12話:血の代価
痛みは、遅れてやってきた。
久遠 恒一は、壁に背を預けた瞬間、ようやくそれを自覚した。
左脇腹。
浅くはない。
剣を抜いた覚えは、ない。
それでも、血は確実に流れていた。
中層では、気づいたときにはもう遅い。
鑑定眼を自分に向ける。
《状態異常:出血(軽度→進行中)》
《疲労:蓄積》
歯を食いしばり、包帯を巻く。
止血はできる。
だが、治癒ではない。
――引き返すべきか。
判断は一瞬だった。
まだ動ける。
久遠は歩き出した。
中層は、怪我人に容赦しない。
足音が、やけに響く。
その違和感が、次の戦闘の合図だった。
床が、動く。
石畳の継ぎ目から、黒い影が滲み出る。
《シャドウスティンガー》
集団・奇襲型。
五。
いや、七。
数えた瞬間、最初の一体が跳んだ。
久遠は剣を抜いた。
今度は、躊躇しない。
斬る。
だが、影は裂けない。
――実体が、薄い。
反射的に距離を取るが、遅れた。
背中に、鋭い衝撃。
息が止まる。
被弾。
壁に叩きつけられ、視界が揺れる。
口の中に、鉄の味。
「……っ」
声にならない。
影が、囲む。
逃げ場はない。
久遠は、アイテムボックスを開いた。
時間経過のある空間。
移動をイメージ。
――前方、一直線。
次の瞬間、収納していた短槍が、弾丸のように飛び出した。
一体を貫く。
影が、悲鳴を上げて消える。
だが、残りは止まらない。
久遠は剣を両手で握り直した。
力任せでは、斬れない。
流れを断つ。
踏み込み、回転。
剣の軌道を、最小に。
一体、二体。
だが、三体目の尾が、脇腹を抉った。
痛みが、爆発する。
膝が、崩れた。
――終わるか?
そんな考えが、よぎる。
その瞬間、久遠は悟った。
ここでは、助けは来ない。
誰も悪くない。
ただ、そういう場所だ。
久遠は、剣を地面に突き立て、体を支えた。
呼吸を整える。
視界を狭める。
――一体ずつ。
時間を、奪え。
アイテムボックスから、粉末を取り出す。
閃光。
影が、一瞬、揺らぐ。
その隙を逃さず、首元――否、核を突く。
残り二体。
一体が逃げる。
追わない。
最後の一体が、背後から跳ぶ。
久遠は、振り向かない。
剣を、後ろへ流す。
重い感触。
影が、霧散した。
静寂。
久遠は、その場に倒れ込んだ。
全身が、熱い。
いや、冷たい。
鑑定眼。
《状態:出血(中度)》
《骨挫傷:疑い》
――歩けるか。
答えは、否に近い。
久遠は、管理課の緊急信号を起動した。
敗北ではない。
だが、勝利でもない。
回収を待つ間、久遠は天井を見つめた。
ダンジョンは、何も語らない。
評価も、称賛もない。
あるのは、
生き残った事実だけ。
担架に乗せられながら、久遠は思う。
強さとは、何だ。
剣か。
判断か。
運か。
――違う。
諦めなかった回数だ。
それだけが、ここでは通用する。
だが、それを誇る気には、なれなかった。
中層は、血を払っても、何も返してはくれない。
第12話は「明確な被弾」と「勝ったのに報われない戦闘」を描きました。
久遠は強くなっていますが、ダンジョンはそれを評価しません。
次話では、この負傷が 会社・管理課・本人の判断 に影響を与えます。




