借金の清算
貧乏長屋に暮らす善吉は、借金に借金を重ね、もはやどうにもならない状況に陥っていた。
外を歩けば、どこかしらの貸主と鉢合わせし、やれ金返せ、いつ金返すんだ、今返せと詰め寄られる日々。これまで女や老人、挙句の果ては子供にまで能天気に金を借りてきた善吉も、さすがに頭を抱えるしかなかった。
「善吉さん、善吉さん。いるんでしょ? 善吉さん……」
「い、いませんよお……」
戸を叩く音がして、善吉は身を縮めながら答えた。
「いやいや、騙されませんよ。私です、葬儀屋の健三です」
「ひっ、葬儀屋さんが何のご用で……?」
「ご用も何もない。貸した金を返しにもらいに来たに決まってるじゃありませんか。ほら、開けてくださいよ。ここで話しているのを見られたら、他の貸主まで寄ってきちまいますよ」
善吉はしぶしぶ戸を開けた。健三は薄い笑みを浮かべながら、すっと上がり込み、畳に座った。
「あ、あの、金と言ってもこのとおり、もうどうにも首が回らねえ状態でして……」
善吉は自分の首を叩き、口からカチッと硬そうな音を出した。
「ははは、本当だ。硬そうだねえ。そんな首じゃ寝かせる以外に使い道はなさそうだ」
「へえ、へへへ……」
「しかし、善吉さん、あんた、『善』の字がついてるくせに、ずいぶん不義理な生き方をしてきたもんだねえ」
「へえ、お恥ずかしいかぎりで。博打に酒、女に飯、いやあ、俗世の誘惑ってやつが多くて……あっ」
「どうしたんだい?」
「い、いや、つい『俗世』なんて言っちまいましたけど、ははは、あ、あの、おれ、まだ死にたくねえんですよ……」
「なんだい、人を死神みたいに言ってさ。……でも、このまま金を返せないなら、死んでもらうしかないね」
「ひ、ひい!」
善吉が飛び上がり、ガタガタと震え始めた。葬儀屋は喉を鳴らして笑った。
「まあ、待ちなよ。別に殺しに来たわけじゃないんだ。まあ、ある意味ではそうとも言えるがね」
「へえ……?」
「お前さん、一度死んで生まれ変わるってのはどうだい?」
健三が提案したのは、善吉を死んだことにして、大々的に葬儀を挙げたあと、どこか遠くの町で人生をやり直すという計画だった。
健三から借りた金は、また別の誰から借りて帳尻を合わせる。どうせ死ぬのだから、返す心配はない。集まった香典の中から、必要経費を差し引いた残りを、善吉の新たな門出の資金にすればいい。
話を聞くうちに、善吉はだんだん乗り気になり、とても死ぬ人間とは思えない元気な声で「やる!」と叫んだのだった。
そして――。
「ナ~ムアミダ~ブツ~、ナ~ムアミ~」
数日後、善吉の葬儀が長屋で執り行われた。白く塗った顔で棺に横たわる善吉は、練習の甲斐あって、見事な死人っぷりだった。
さすがに触られればバレてしまうだろうが、そこは健三がうまく立ち回る。友人知人、参列者のほとんどが善吉に金を貸していたが、皆、悲しげな顔で鼻をすすり、目元をぬぐった。
「まったくよお、金を貸したままおっちんじまいやがって……」
「ほんとねえ」
「ぼくも返してもらってない……」
「三途の川の渡し賃も、向こうでまた誰かに借りてんじゃねえの?」
「ははは、違いねえ」
「まあ、しょうがねえ。金は来世で返してもらうかな」
金の話は出たものの、怒りの声はなかった。皆、「死んじまったもんはしょうがねえ」と笑った。
棺の中の善吉も、腹の中で笑っていた。よかった、これで人生をやり直せる……!
葬儀が終わり、人々が帰ったあと、健三が棺にそっと近づき、善吉の耳元で囁いた。
「善吉さん、善吉さん、うまくいきましたよ。香典もけっこうな額だ。へへへ、意外と人望あるんですね。まあ、人望がなきゃ借金もできねえか。さて、あんたの取り分もしっかり確保できたんで、これを持って夜中に町を出りゃ完璧ですよ。へへへ、死装束のままでもいいかもしれませんねえ。誰かに見つかっても幽霊と思うでしょうし……おや? 善吉さん? ……ひっ!」
健三は思わず仰け反った。善吉の体は氷のように冷たく、どう見ても息をしていなかったのだ。
「こ、これは、どういうことで……」
首をかしげる健三。そのとき、背後で声がした。
「やっぱり生きていたんだね」
「お、お坊さん!」
戸口からひょっこり顔を出した坊主が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「お坊さん、あんた、気づいてたんですか……?」
「まあね。死人は見慣れてるからねえ、見分けくらいつくさ」
「でも、善吉さん、本当に死んじまったんですよ……。ま、まさか、あんたも善吉さんに金を? それで、毒でも盛って……」
健三は震え上がった。しかし、坊主を首を横に振った。
「いやいや、私は頼まれただけだよ。善吉に金を貸したまま死んじまった人たちに、『引き合わせてくれ』ってね」
「引き合わせ……じゃ、じゃあ、善吉さんは向こうに連れて行かれちまったってわけですか……?」
「そういうこと。きっと今頃、あちらでひーひー言ってるだろうなあ。まあ、仕方ないな。私もその人たちから借金してた口でね。ああ、ようやく肩の荷が下りて、首も回るようになったよ。はっはっはっはっは!」