竜の略奪婚と彼は言ったけど
それは古い伝承の中に残っているモノらしい。
曰く、竜は番を見つけたら相手が誰であろうと奪い去り婚姻を結ぶ。それを妨げたものは、災いとなった竜と争うこととなるだろう。と言われている。
それが竜の略奪婚。
その当事者になることになってしまった。
王太子の婚約者であった私だが、浮気相手を王太子妃にしたいからと国王陛下の不在時に任された王家主催の宴で婚約破棄された。呆然としていた私を拾った田舎の男爵とともに彼の故郷へいくことに。彼の結婚相手としてだ。ほぼ初対面ということから生まれるぎこちなさを感じながらも一週間とちょっとの旅を経て彼の領地についた。
そして、彼の住む洞窟という名の岩窟要塞についたと思えば、実は祖先にドラゴンがいた、君が番みたいとあっさりと言ってのけた。
これが、私の身の上だ。自分でもどうかという激変ぶりである。
なお、婚約破棄をした王太子は戻ってきた王に激怒され、再教育中だった。陛下にはほかに実子がいないので廃嫡はできない事情がある。温情がありそうでない、というのは、国王陛下の気質による。優秀な方ではあるが、優秀過ぎて、できない、ということがいまいちわからない。教育に一番向かない。対象者の心を折り切ってしまうほうが先のように思えた。私が当事者ならば廃嫡してほしいとお願いするだろう。
さて、竜の末裔といっても、それほど強い性質として残っているものではないらしい。
番について今も継いでいる性質は、二つ。
1,番に危害を加えるものを許せない
2,番がいることによって能力が強化される
本来はこれに加えて番に対する狂おしいまでの欲望や執着があるそうだ。そこまで狂わせるなにかというのはいったい何なのかというのはよくわかっていないらしい。
あらかじめ失われていた破片みたいなもの。そう言い残した祖先もいるそうだ。自分の一部であったものであるから、取り戻そうとするのではないかと。
それならやっぱり番というのは愛とか恋とかではなさそうである。ある種の強制力。
もしくは、竜というものにつけられた首輪や枷。
竜は番が言えば何でも聞くと言うのだから。
それは対等とは言い難い。
私は、この急に出来た夫とは、対等に付き合っていきたい。
それから、普通に好かれたいとも思うのだ。番というものではなく、私自身を。無茶なお願いではあることは承知しているが、それでも、番だからなんて言ってほしくない。
彼は面食らったようではあるが概ね、私の主張を受け入れてはくれたようだ。ただ、その結果、困ったこともあるのだが。
そういう結婚生活も早二か月。国の一部としてあるはずなのに、勝手が違いすぎて翻弄されているうちに二か月たってしまった、という感じではある。
日々、衝撃を受けることがあるのだから。都会育ちだからとかそういう話ではないのだろうと思う。
なかなかなじめない私にゆっくりでいいよと心配そうな顔をする彼は、やさしすぎる。一緒に居ると少しばかり居心地が悪い。動悸はするし、熱が出てくることも度々で自分の変化に項垂れるばかりだ。
なんだか恥ずかしくて逃げ出すようなことも度々で、そのたびに見逃されている気がしていた。
それはさておき。
今日、王都からの使者がやってきたと聞いて、この領地の領主である夫のところへ顔を出したのだが、使者は帰った後だった。
なんの話かと思えば、この結婚についての件だったらしい。
逃げ腰の彼をソファに座らせ、その隣に私が座る。服の裾も掴んだのは、彼の逃亡防止のためである。あっと思ってから掴んでも私の反応速度では彼を捕まえることはできない。
それに最初から握っておけば、彼は立ち上がることすらしなかった。私が困るだろうとそう考えているらしい。
「書状も置いていかなかったの?」
「少なくとも、俺の前には出してなかった」
通常、王都からの使者というのは書類運搬である。書類を届けて中身の説明をして、場合により返答を回収する。
口頭だけの話というのは、ほとんどない。後に燃やすように指示しているとしてもだ。
本当になかったか、私がいなかったから出さなかったか、どちらかであるとは思うが今はわからない。後で確認をしておくことにしよう。
婚姻の件。これはいまさら何を?というところだ。
書類上は婚姻は成立している。これは私の父と彼が既に書類を作成し、提出、承認もおりている。
それとは別の婚姻したことを周囲に知らせるお披露目の会については、半年後に向けて準備中だった。お披露目の会は普通は婚約の時期から準備しているもので、書類上の婚姻と同時かそれほど間を置かずに行うものだ。
今回のようにいきなり結婚してしまった場合にはお披露目は先送りになることがある。婚約もなく結婚、しかもお披露目の会は先送り。そうとなると、すぐに結婚せねばならない事情があるのではないかと勘繰られるがそこは仕方がない。
なお、領民向けのお披露目は来月くらいに視察という名の旅行を行いそこで顔合わせをする予定である。
というわけで、書類上は私は彼の妻である。周囲に認知されていなかろうが、妻は妻である。
法の下に確定されている事項なのだ。
「本当に、書類に不備があり、婚姻は成立していないと言ってきたの?」
「ああ。書類に不備があるから、訂正しに来いって。訂正すれば、提出された日にさかのぼって効果を発揮するそうだ。
ただ、訂正するのは俺じゃなくてリリアを指名している。
俺が行くのでも君の父がやるのでもダメだそうだ」
「暴論ね。どうせ、私が縁切りされているから父では駄目だとかいいだしたのでしょう。
確かにあなたが私の代行することも厳密にはできない。でも、そこまで厳密にすることは稀なのだけど。普通は書いてきた書類の内容に問題があったら、その場にいたものが訂正すれば通る」
「やっぱりきな臭いやつだったじゃないか」
「それはそうだけどね。
で、なんて返答したら私に会うことなく帰ることになるの?」
「竜の略奪婚だから、本来なら書類など必要ないだろと追い返してやった」
そう言う彼の眼はやや赤みを帯びていた。本能が優勢になると彼は目の色が赤く染まるのだ。特定の色に変わるのは竜の血縁の特徴らしいが、本人は自覚がないらしい。だが、周囲からはわかりやすくて重宝する特色だ。
目の赤い今は番を奪われるのではないかと危惧した本能のままに追い出したということだろう。
それも竜の略奪婚という言葉を出して。
「私は略奪された花嫁、ではないはずだけど?」
本能が私を見つけたから、彼は私を助けたわけではない。そう聞いていた。
最初に私の前に現れた彼は青い目をしていた。
視線が合ったほんの一瞬赤く染まったと思ったのは見間違いではなかったようだ。あの時点で番と判定されたのだろう。それでも本人が明確に番だと意識はしなかったらしい。
無意識のそれを自覚したのは旅の中のことらしいので、やはり略奪というニュアンスはない。
今までの彼の説明ではそのはずなのだが。
彼は少し気まずそうに視線をそらした。
「違うけど、方便も必要」
それほどまでして追い出したかったらしい。彼の持っている一番強いカードを提示してまで。
婚姻の不備だけではなく、別に何か言われたんだなと察しが付く。おそらく、私のことで。
ため息が出た。もう少し待ってくれれば言い返すこともできたが遅い。そもそも使者が来たことも知らせたくなかったということだろう。
彼の眼はまだ赤い。人の目ではなく竜眼になりつつもあって、よほどのことであったのだろうとは推測できる。
いったい何を言われたのか。本人は口を割らないと思うので、使者を後で探して歓待して口の滑りをよくしてもらわねば。
竜の略奪婚。
その話は、彼本人ではなく側近のものから聞いた。そういう事情ですか? と尋ねられたのだ。
それ自体は私自身も昔話で聞いたことがある伝説級の話ではある。番を見つけたら見境なく攫って妻、あるいは夫にするという。奪おうとするものは容赦なく滅ぼしつくすほどだそうだ。
この話、実は百年くらい前までにはまだあった風習なのだそうだ。それを野蛮だからやめろと言いだした伝説のお嫁様がいらっしゃるそうだ。
そういう本能を押さえる訓練をしろと教育した偉大な先達がいてくれてよかった。
私が黙って彼を観察していた間に先ほどまで赤みを帯びていた目の色は青に戻っている。
そして、やっちゃいましたか? 怒られますか? という雰囲気で表情を窺われていた。
「やりすぎというか、そこまでの態度は敵対とは思われないか心配」
「割に合わないとあの王様なら言うよ。たぶんね」
「でもただの書類の訂正なのよ? 結婚自体を無効としようとしたわけでもないし、警告にしても強すぎる」
私だけが王都に呼ばれたということはきな臭くはある。
ただ、そこまで警戒すべきことだろうか。もちろん、機密情報も知っているからと暗殺を狙われることもあるかもしれないが、それを心配してのことではないような気がした。
私自身を王都から、もしかしたら陛下から遠ざけたがっているように思えた。
「ほかに何か理由が?」
「悪い予感がする。王都に行ったら帰ってこない。そんな気がする」
「一緒に行けばよいのでは?」
「そうだけど……。
この国のためと懇願されてリリアは断れる?」
「そこまでのことって、ないと思うのだけど」
「たとえば、王太子妃候補が使い物にならないから戻ってくれとか」
「今の王太子妃候補がダメならほかのご令嬢に頑張ってもらうわ。
婚約破棄したあとで都合の良いことを言われても無理よ」
「そうじゃなきゃ後妻にならないかと言われるかもしれない」
「……後妻?」
かなり怪訝な声になってしまった。後妻とは、死別や離婚後の再婚でできる妻。
いったい誰の?
「王様、離婚したんでしょ?」
「聞こえてくる実情が先にもらった手紙と違うようだけど、離婚はしたわね」
再教育中の王太子殿下が病に倒れ、生死をさまよったらしい。そのあとに王妃が、狂乱し幽閉され、そのまま実家に戻された。
王太子殿下は今は療養中らしいが、記憶がないようだ。
陛下にとって都合の良い話ではある。何も覚えてないほうが、知識は入れやすいだろうし、面倒を言う王妃がいない。
その王妃も陛下に望まれ、嫁いだというのに。
愛情の儚さを思う。
その点、番というのは永劫らしいので安心安全かもしれない。しかし、私自身が好かれている気もしないのでやはり複雑である。
ちらりと彼を見れば渋い顔をしていた。良くも悪くも素直に言う彼にしては珍しく何か言葉を選びすぎて何も言えないと言う感じに思えた。
先に自分の意見を言っておこう。
「陛下は離縁したからと新しい王妃を求めるとはあまり思えないわ」
むしろ面倒だからいないほうがいいと思ってさえいそうだ。後継者がいないなら別だが、問題はあっても王太子は廃嫡されずにいる。
彼は小さく唸ってから口を開く。
「ええとね、社交やらなんやらをする新しい王妃が必要だろう?
リリアは都合がいい。王妃教育もしなくていいし、若いから新しい子を産める」
「……生々しい話をしないで」
「ごめん。そうならないように言葉をさがしたけど、無理だった。
ただ、そういう考えもありえなくもないじゃない?」
「陛下とは年が親子ほど違うし、ほかにも優秀なご令嬢はいるわ」
「でも、陛下に意見を言えるほど豪胆な娘はいない」
「……そうね。確かに」
王太子の婚約者という後ろ盾があるにしても随分と生意気な口をきいたものだ。そして、許された。
私が思うよりも気に入られていたということかもしれない。
「でも、やっぱり、あの陛下が実子が使い物にならないからと新しく子を欲しがるとは思えないんだけど……。
それくらいなら遠縁の子を養子にするのではないかしら」
「だといいんだけどね……」
そういう彼の青い目は青いままだった。その表情は不安そうではある。
陛下の妻になるというのは私にとってはありえない話ではある。しかし、なにかそう思わせる示唆があったのだろう。番の本能に引っかかるような何かが。そして、その何かが素の彼には見えてないのかもしれない。
「もし、そうだとしても、私は、あなたの妻よ。
王妃にはならないわ。王に求められても、お断りします」
ただの書類の訂正で竜の略奪婚と言いだすのは過剰反応だろうが、万が一、ありえないが王からの求婚となれば話は別だ。
そういう意味では竜の番というのはとても都合の良い断り文句だ。
それを蔑ろにすればこの地域全体が牙をむく。彼はこの領地の主だ。この領地のものは王への忠誠など持ち合わせてはいない。国の一部であるという認識さえ薄い。田舎のどうとでもできる男爵の土地と放置されていたからこそだ。
それに彼自身もきっちりと竜の末裔である資質を持ち合わせていた。下級の竜種は、彼の威圧を受ければ静かになる。つまりは王家にある飛竜も地走りも他の獰猛な生き物も役に立たなくなる。
辺境の男爵をしているような人ではない。
ただ、まあ、事務処理というものにも統治にも向いてないからその立場が気楽でいいと言っている。
やけに静かだなと思って彼へ視線を向けたら驚いたように目を見開いていた。
「なにか問題でも? もしかして嫌なの?」
「それって俺のことすごく好きってこと?」
「違います。契約上の話よ」
思った以上に早く否定してしまった。
しょんぼりしたような彼を見れば多少の、いや、かなりの罪悪感はある。
「す、少しは、好きになってるわよ。大丈夫」
「よかった」
素直にそういう彼の眼は青と赤の混じった紫色で。
とても綺麗だった。
愛しげに見られているようで、もういいかなと……。
「ちょっとまった」
「なに?」
「その手、なに」
さりげなく、彼の手が私の頬に触れていた。上をむかされるのがあまりにも自然でうっかり流されそうになった。
「え、キスでもねだられてるのかなと」
「違います。ほんと油断も隙もない」
「ちっ」
舌打ちされた。
「俺のお嫁さんガードが硬すぎるんですけどぉ」
「なし崩しに進めようとするからよ」
「今、いい感じだった」
「……そう?」
「うっとり見上げられてた」
「幻想では?」
「くっ。リリアの理想の恋人への道は遠い」
「理想って……。今のままでも構いませんけど。
その、ロディは、かっこいいですし、やさしいですし、でも、心の準備というのが」
「いつになったらいいの?」
「ええと、一か月後くらいなら」
おそらくたぶんきっと。
別に、私もしたくないわけでもないのだが、踏ん切りというものが全くつかない。それなのに流されたくもないというのは、めんどくさい女だろう。
でも、初めてのキスが、ソファでついうっかりというのは少し、いや、かなり、嫌なのだ。
「わかった」
彼が私の手を取る。
そっと手の甲にキスをされた。
「この感触、覚えておいて」
そう言って笑う彼の眼は青いままだった。
一気に赤くなった私のことに気がついているはずなのに。
「もう、忘れました!」
私は立ち上がって、部屋をでていく。
そして、息を吐いた。
……あの人、なんで、時々、ものすごく、色気があふれてくるんだろう。あてられるだけで済まない。
そっと私は手の甲に触れた。
少し温度が低かったなと思い出して、なにか叫び出したいような気分になった。苦労してなんでもない顔で自分の部屋に戻ることができたのは良いことだろう。
「仕事、仕事して、追い出さないと」
それでもこの手の感触も柔らかく甘い声はしばらく耳を離れそうにない。
王都からの使者は宿屋で困っていたところを保護し、正式に竜の簒奪婚であると説明し、今は相互に愛し合っているなどと吹き込んで送り返しておいた。
その結果が、竜の花嫁として名を残すことになるとは思ってもいなかったのである。
色気:番限定のバフ。番を動悸息切れさせる効果がある。
番:竜を筆頭に人外種の最後の良心としてのこされたもの。本能が強いものほど、番を求めるのは己をとめてくれるものを求めているためとされている。