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慶事の裏で蠢めく者ども

 マニュート伯爵領はその小国に匹敵する広大な領地を有し、ハルーシュ王国に帰属する一領地である。

この地に人々が入植して以来、そこに住み着いた住人の手によって北へ北へと成立以来二百年という歴史の中で領主一族が全面的に後援し続けられた植林事業が試みられ続けている。それでもなお領地全体の半分以上は未だに赤焦げた荒涼とした大地が延々と山脈の麓まで続いているのだからその広大さが窺い知れるだろう。


 『煤煙』が晴れ二百年。

大陸北部かつ山脈に挟まれた幅約三百Km(キロメルテ)という広大な渓谷の間は広々とした平野が広がり、かつての死地を緑で染め直しつつある。そんな領地の最南端の水源地にほど近い場所にあり元刑務所として建築された建物を基準にして扇形に街並みが広がっている。

 北部かつ、山間の高山気候ゆえに寒さも厳しく雪も深く。そういった地である為に家々は断熱の為にしっかりとした構造をしており、幅広く車両が往来する道路の両側には落下防止の柵が装着された融雪水路が走っている。

 本格的な雪解け前のこの時期は上流の道路から捨てられた雪が水の浮かびながら下流に向けて塊となって流されていくのが見て取れた。


「今朝は冷えるなぁ」

「予報だと今日は晴れるらしいからありがてぇ。暫く雪はごめんだ」


 厚着に身を包んだ住民が白い息を吐きながらスレッジハンマーを振り下ろし、路面に張り付く忌々しい圧雪されガチガチに凍っていたぶ厚い氷を割り砕き水路へ投げ捨てていく。マニュートは大陸でも北部に位置し、その上両脇を山脈に囲まれており日照時間が短く建物により日陰が多い場所には春が近づいてきても頑固にこびり付く氷がまだまだ残っているのだ。そんな厄介者に対し近隣の住民はようやく春の兆しが見えても、溶ける事を拒否し蓄積した氷に対してうんざりした表情を隠しもせず持ち回りの当番の役目を果たしながら息を整えるついでにボヤく。

 降雪が落ち着き、草原の白が青々とした新緑の芽に置き換わっていくとはいえ風は冷たく指先の悴みは手袋を二重三重に保温してもどうにもならないのだ。ただ、路地裏から轟いてくる元気一杯の子供の声が無い為に作業自体は非常に順調に進んでいる。


「そうだ、随分と静かだと思えば昨日で冬季休みが終わっていたな」


 一般的に他国でも、勿論ハルーシュ王国でも珍しい事にマニュートでは原則六歳から八年間の教育義務が住民全てに課されている。そのため領都において校舎は領都北部、元刑務所である領主館にも近い場所に建築されており昨日までは目一杯外の寒さに負けない元気いっぱいの子供たちが車の通行が無く、危険な水路からも離れた路地で騒がしくしていた。

 だが、その声も本日より再開された学業の為学園の中に閉じ込められており、そちらの方で長期の冬季休みの中で会えなかった遠方住みの級友との親交を温めている事だろう。もっとも、冬季の間に出されていた課題の提出で四苦八苦している事は同じ学園に通った事のある彼らにとっては極めて身近で、酒の席でよく話題にされる事であった。


「他の場所じゃ俺達みたいな庶民は勉学に励む事は出来ないんだから、有難い事だよな」

「ああ、マニュート様様だ」


 ははは、と笑う彼らに強制されたり、揶揄する色はない。領法で強制されているとはいえ、学んだことによって農民の子ならば農民という生まれついての宿命と言っても良い、貴重な才を埋もれさせてしまいかねない硬直しきった人生設計を大きく変える事が出来るようになったのだ。

 彼らにとって同国民同士である筈のハルーシュ国の別の領地では、未だに自分の名前を公用文字で書き記す事も出来ない者も多いという事実を知った時は、大いに衝撃を受けたのは記憶にしっかりと刻み込まれている程である。それ故に、今では無く先を見据えて場合によっては支配する貴族に対して時に反抗的――合理的、理知的に貴族制度を否定しうる意見を持つ統治するには不都合な意見――な意見を持つ知識層を育てる。そんな王によって与えられた権威により人々の上に立ち支配する側にとっては極めて危険かつ厄介な事を許容し、むしろ積極的に推奨するのは驚くべきことと言えた。


 勿論、産まれ問わずにマニュート領では能力と意思があれば上位の官僚への道も開かれている。時に、不正を行い私腹を肥やそうとする悪徳官僚も現れるのだが、最上位であるマニュート一族はそういった者達を即座に見つけ、気が付けばそういった不正を行う者達は孤立し追い詰められ、気が付けばあらゆる権利を封じられて牢に居を移す末路を辿るのが常であった。

 その為、不正を許さぬ公平で庶民に対しても寛大かつ税の負担も極めて低く、その癖不思議と景気のいいマニュートでは立身出世を目指す有能な者も多く輩出している。それ故に、優秀な基礎学習を終え官僚に相応しい能力を持っていても領内で当人が希望しても毎年合格できる人数の少なさ故に、どうしてもあぶれる者達も出てしまうのはやむ負えない事であった。


 そういった者達にも領側はきちんとその後の事の面倒を見る事を積極的に行っており、他領で類似の人員を求めている職務への有力な推薦状を持たせ送り出すなどして最後までフォローしている。有能な彼らはマニュート出身であっても、忠誠心を向けるのはその職務を与えている場所へ向ける様にと教育されている為に仮にマニュート側との利益調整が必要になるとしても、一切忖度なくきっちりと交渉の席について職責を全うするとして、年々彼らを求める声は大きくなっており卒業前から『是非、こちらへ』と生徒相手に接待交渉を持ちかける事まで発生していた。


 それもこれも、発足以来まだ自給自足も出来ていない内から教育の重要性を認識していた初代マニュート伯爵、英雄の悲願が果たされ花開いた結果であると住民の彼らは認識していた。


「ここに産まれたのが人生の中で最初の幸運だな」

「大雪は勘弁してほしいが、それを望むのは――うわっ!」


 白い息を吐きながらも談笑する彼らの喜びの時間は彼らのすぐ脇、車道を走り抜けた車が跳ね上げた水と氷、排気ガスで黒くなった汚れ混じりのそれが跳ねた事によってとん挫する。

 それは大型の馬車の客車のようなデザインであった。ドアが四つあり、座席が四つある背の高いダークグリーンカラーに幌の屋根が付いており、もうもうとした黒い排気ガスを吐き出す様子を見れば石炭を燃焼させて動力を動かす蒸気自動車の一種であった。

 マニュート領では軍がガソリン駆動の車両を運用するに合わせて、利便性の高いガソリン車が一気に増えておりその姿を一気に消しており、ダークグリーンの車体に華美で緻密な紋様が金色で彩られているのを見ればそれは庶民向けでは無く、貴族向けである事が理解できるだろう。


「全く、濡れちまったぞ。どこのどいつだ?」

「無駄に豪勢だったし、どこぞの貴族だろうな。もう直ぐ祝賀会だろ?」


 汚い氷水を浴びて不満顔の男に対し、一歩後ろに下がり免れた男が走り去っていく蒸気自動車が見栄っ張りの貴族向けだった事を告げれば不満顔の男は大きくため息を吐いて、頭を振ってヤメだヤメ。と言い捨てる。


マニュートの伯爵様(ウチの領主)ならまだしも、他の貴族の相手は時間の無駄だ」

「警邏隊も今は忙しいだろうしな」


 警邏隊とは領軍という、貴族の私兵とは別の独立した捜査権を持つ法務執行官である。一般の領民にとってもっとも身近な彼らは日々発生する犯罪行為の解決の為に奔走している為に、こういった事に対しても普段ならば相談する事によって落しどころを見つける事が出来るのだが、様々な場所から賓客を招き大々的に行われる祝賀会の為に様々な場所に動員されており、こういった些細な事に対処する余裕はないのはここにすむ住民ならば子供でも知っている常識であった。


「そういや銀行強盗もあったし、忙しいだろうな」

「ウチの子供は将来警邏隊志望だ。説得するべきか悩んでる」

「よぉし、パァーっと俺達も祝賀会と洒落こもう。いつもの店に行くぞ」


 落ちた気持ちを戻すならば何でも良いから酒と上手い食い物とばかりに、気分を切り替えて踵を返して近所の酒のみ連中や都合の合う友人連中と連れ立って出かける。寒さの厳しい地域であるため大酒飲みが多い街なのだ、そんな者達が憂さ晴らしの酒のみを行うとなれば不快な出来事はあっという間に頭の中から消え失せて上機嫌の内に必要な作業を終わらせ、日も高いうちから連れ立って待ちの喧騒の中に消えるのだった。


ーーーー


「痛っ!もう良いわ、速度を落としなさい」


 除雪をされているとはいえ、こびり付いた氷の全てを除去できるわけでは無くそれに車輪が乗り上げる度にエンジン音と走行音が五月蠅く響き、風防ガラスの向こうで吐き出される黒煙の煤の残り香が漂う車内に揺れと言う不快な物が加わり、何度目かの衝撃に皺枯れた老婆がついにしかめっ面と共に苦痛のを出して運転手している男に速度を落とす様に命じる。


「まったく、領都でこんな有様だからこの地は好かないわ」


 それと共に外を流れていく景色がゆったりになり、振動が収まり座席にしがみ付いていた腕から力を抜く事が出来た老婆が温かみ皆無の態度で視線を外に向け、フンと鼻息荒く言い捨てる様にそんな事を言う。

 小柄な体に厚ぼったい生地の防寒着を重ね着し北部の寒さに抵抗しているが、加齢と寒さについつい丸まりつつある背中、品の良い貴婦人の様にきちんとまとめてある髪は若いころの茶色の艶を失いすっかり白ばかりになっており、骨ばった顔には疲労が浮かぶが瞳にだけは力がみなぎりギラギラと欲望に満ちた不気味な活力が満ちている。

 彼女こそ『ワイングラスの貴婦人』とマニュート家で揶揄されている老婆、ボリーナ・オーシャである。綺麗に着飾り、貴婦人に相応しい出で立ちをしている。しかし、焦燥に駆られ苛立つ態度とは不釣り合いな違和感を撒き散らしながら窓の外で寒さに負けず、生き生きと日常を生きる遥か北のマニュート領に住まう住民を忌々しそうに見やる。


「だが、この地が生み出す金は欲しい」

「子爵閣下」


 そんな老婆の瞳の代弁をした男の声が速度を落とし、僅かに収まった騒音に満ちた車内の中に放たれた。即座に老婆はその声の主を咎める様に、形ばかりの敬意を肩書に乗せて同乗している男に顔を向ける。

 小柄な老婆のヒステリックな甲高い声と真逆の落ち着きある、重さのあるしゃがれ声をしている膝下まで丈のある黒いトレンチコートとその下に仕立ての良い立派な礼服を纏い、短く刈り揃えられ体つきに相応しい巌の様な顔に老婆を小馬鹿にする瞳を埋め込んだ大柄の中年男性が座席に偉そうに踏ん反り返り、咎めるように睨みつけてくる老婆を体格上自然と見下ろして見返す。


「私は不義理を正す為にこの地に来たのです、例の娘の境遇はお伝えいたしました通りです」

「マニュート伯爵の隠し子だったか?…にしては、ずいぶんと出向いて金銭を強請っている」

「不遇な『娘』に対しての慈悲を示すべきと説得しに行っただけでございます」

「そうだったな」


 鼻で笑う男にボリーナは青筋を立てながらも、しっかりと生え揃っている歯を噛みしめて一つ、二つと深呼吸をし鼻息を収めながらこれまで何度かした説明を改めて重ねる。


「閣下は立ち会うだけでこの地の生み出す恩恵を得られるようになるのです。『娘』を…『妹』を見つけた私に払われてしかるべき金額と、これまで『彼女』が得られるはずだった金額を…そして、『この土地』に相応しい配当を支払うのは当然の事と言えます」

「なるほどそいつが『土地』か」


 ボリーナが恭しい手つきで胸元に仕舞っていたガラスの小瓶を取り出す、厳重にコルク栓で封じられた手のひらに収まる大きさの小瓶の中には乾燥している土が収められている。子爵がそれに手を伸ばそうとすればボリーナはそれを急いで胸元へ仕舞い込む。


「先代マニュート伯爵より与えられた『我が領地』です。これと『娘への不義理』で対価を支払わせる事が出来ます」

「金貨三百枚相当の価値、だったか?…ふむ、私はそれの見届け人になればよいのだな。」

「はい。公的の場で爵位をお持ちの子爵閣下が見届け人ともなれば、口約束だから無効である、という言い訳は通用しません。先代にはそれで逃げられましたが、今度はそうはいきません」


 ボリーナの脳裏に過るのはこの『土地』を与えられたときの事である。かつて、伯爵の親類として得られるはずの権利と金銭を求めて妹が嫁いだ地であるマニュートの地に乗り込んだ際、妹の夫であり先代マニュート伯爵に『この土地はこのマニュート伯爵領の中で最も価値のある領主館の土である、それ故にこの土の価値は金貨三百枚に匹敵する!我が妻の親族には相応しいだろう!』と告げられて渡された物である。

 その場はその金額の大きさに流されたものの、実際に金銭に換えようとするも『確かにそのワイングラスの土地の大きさに金貨三百枚の価値はあるが、買い取ってやる義理は無いな』とすげなく追い返されたのはボリーナにとって忘れられない屈辱の記憶であった。

 もっとも、『土地』で金貨三百枚を得る事は出来なかったが、イリアにとって祖母にあたるボリーナの妹の親族への支援金や見舞金と言う名目で累計すればそれ以上の金額を得ていたのだが、その事はすっかり忘れているボリーナは怒りに身を焦がしながら怨敵への報復戦へ気炎を上げる。


「そして、次期伯爵の…イリアージュ・マニュートにもそれを継承する様に説得しろと?」

「勿論でございます。あの血族(マニュート一族)は善良で慈悲深いと思われておりますが、実の所は虚言を吐く事を厭わず、悪徳を愛する悪しき一族である故にこちらを騙す事に戸惑いはないのであります。だからこそ、次代の女伯爵たるイリアージュ・マニュートにはそれを正し人道に相応しい道へと導いてやる必要があるのです!」

「面白い事を言う、私がやるのはあくまでも約束の範囲内だけだ。それ以上が欲しければ自分でやるのだな」


 その気炎のまま吐き出される一方的な宣言、彼にしてみれば爵位持ちですらない貴族気取りが貴族として人として正しい道に導いてやる。そんな大上段上からの恩情を差し伸べてやっているのだ、という傲慢に等しい言葉を吐いてその身に刻まれた『被害の記憶』そのままに復讐の怨嗟を滲ませる。

 そんなボリーナの様子に鼻を鳴らし、皮肉たっぷりな態度を隠す事もなく視線を隣から正面に向けなおし、乗り気ではない態度に対して苛立ちをそのまま顔の皮に刻み込み、血走った瞳を向けてくる老婆からの抗議を黙殺する。間も無く車両は本日の宿にして、間近に迫った祝賀会というマニュート領最大の慶事に対する挑戦をする悪だくみをするためのアジトとして使っている宿に到着する。


「では『娘』と会わせて貰おうか」

「『娘』は気弱です、けっして無理強いせぬようにお願いいたします」

「フン、事を成す前に壊すような事をするわけがないだろう」


 彼は安くない金をボリーナと『娘』に支払っている。大柄で中年に差し掛かったばかりで健康な男はボリーナから見れば如何にも好色にみえる、それ故に万が一(・・・)を危惧して釘をさす言葉を投げかける。それに対して彼は不機嫌さを前面に出し、否定の言葉を返して黙りこくる。

 影に蠢く者達の企みは、それを成す者達にすら不穏の影を落としており上空に渦巻く霙交じりの風が曇天の空の下、善も悪も分け隔てなく行き交う者達の上で轟音を立てていた。

あけましておめでとうございます。

低頻度ですが完結目指して頑張りたいと思いますのでお願いします!

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