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英雄の末裔


 英雄マニュートーー


 その名はハルーシュ国内は勿論、周辺国のみならず大陸の反対側にまで半ばおとぎ話として伝わるほどである。

 彼は二百年前の実在の人物でありイリアは勿論、その父親であるダンゲルのマニュート伯爵家の祖である人物である。その英雄譚の中でもっとも重く、そして有名なのは彼を大陸の覇者として名高い大国であるワーレック帝国との戦争だろう。なにせ、帝国内でその存在は『帝国の怨敵』と公文書に記載される程である。


 その戦いぶりはそれまでの戦場の常識に一切従わぬ変幻自在の戦術を用い総兵力百万を謳うワーレック帝国軍相手に押しつぶされ、一方的に蹂躙されるしかなかったハルーシュ軍の一軍を率いて手玉に取り幾多の勝利を収め、最終的に帝国に手痛い損害を与えてハルーシュ国の独立を守り切った稀代の英雄としてしられる人物である。


 元々ハルーシュ王国というのは国境を接している西隣の大国、ワーレック帝国の版図に組み込まれていた地域であった。

 そこは版図に組み込まれる前には別の国家があったとされている、しかし大陸統一戦争と銘打った周辺国への侵略真っただ中の帝国軍の大軍に蹂躙され滅亡。その国家に対するあらゆる記録は徹底的に破棄され、英雄が生きた時代においてはもはや名前すら残っていない半ば伝説かつ、架空の国家として扱われる存在にまで貶められていた。


 そんな歴史があり、当時のハルーシュ国内の民はワーレック帝国内では二級帝国人として一段も二段も下に見下され弾圧されるのを甘受せざる得ない状況に追いやられてしまっているのだった。

 そんな状況を打破すべく、少しでも反発の兆候を見せれば圧倒的な軍事力で踏みつぶす事も躊躇せず徹底的に弾圧される始末である。当然、そんな軍事的優位を背景に高圧的な支配をしてくる帝国に対し『滅亡した国の王族の生き残り』という旗の元に反帝国勢力が結成されるのもある意味当然の話であった。

 精神的な支柱を得、更に帝国が他国へ侵略の手を伸ばせばハルーシュ国内に配備される駐屯部隊の質も数も低下するのが必定である。そこを反帝国勢力である『生き残り』を旗印にした反乱軍が一斉蜂起、結果国内の帝国軍の部隊を叩き出す事に成功した。


 これにより、ハルーシュ国が誕生したのだが帝国としては『友好国』との関係上――主に被征服国の反帝国分子が息を吹き返す可能性を危惧した事に由来する――無視するわけにもいかずこれ以降ハルーシュとワーレックは戦争という歴史を重ねる事となる。


 そんな数多ある帝国との戦いの中で最大級にして、ハルーシュ滅亡の一歩手前まで追い詰められた戦争こそ初代マニュートが英雄として己の存在を歴史に刻み込んだ戦いである。

 あらゆる角度からハルーシュ側に対して浸透してくる帝国の攻撃を退け、現在では劇的な盛り上がりの為に盛られていると解釈されている火薬樽を使用、湖上を移動する帝国軍一万という軍勢を撃退したとの逸話など二百年の時を経ても根強い人気のある逸話を産み出す。

 今日においても文化的、またハルーシュ国の独立を確立したという意義深い戦争において極めて重要な活躍をした彼の存在はまさしく『英雄』そのものであった。


 戦後、彼が担ぎ上げ兄二人を押しのけて王位を継いだ第三王子の極めて強い後押しもあり現在の大陸の最北東部にある地の領主として伯爵位を与えられた。

 戦場の機転と度胸、そして抜群の運の良さを持って当時『煤煙の地』と呼ばれた死地を今日では国内有数の裕福な領地へと育てた基礎を作り上げた偉大な人物として|内情を知っている者を除けば《・・・・・・・・・・・・・》ハルーシュ国の歴史に刻まれている。




ーーー


「それで、お父様。件の『娘』は実際の所どうなのです?誰が見ても明らかな血の繋がりを感じさせなければ頭のおかしい人間の寝言として終わってしまうでしょうけど…」

「あぁ、そこは安心していい。おおよそ私達の色だった。髪も、瞳もな」

「ならば一安心ですわね」


 そんな偉大な人物である英雄の子孫、ダンゲルとイリアージュは雄大な山脈を背景に、春の青さを水面に浮かべる湖畔と傾斜した草原に囲まれたマニュート家の保養地の別荘の中で顔を向き合わせ対策を練っている。

 真面目な顔をして会話をしているのだが、どうしても滲み出てくる底意地の悪さから人相が悪くなってしまうのだがそんな物に慣れ切った使用人は彼らの表情にも会話の中身にも反応しない。会話と会話の隙間、そんな刹那の間の絶妙なタイミングで用意され湯気の立つお茶が注がれた茶器を置き一切邪魔せず仕事をこなす。


 会話の中身はペテンであるとしっかり認識している『ワイングラスの貴婦人』と『娘』がダンゲルが意図的に放置した悪評を利用した騒動の対策であるが、二人の思考はそれを利用して己の評判を何とか落とすべく必死に頭を回転させる。


「武力による排除は……悪手ですわね。間違いなく善行(・・)として評価されますわ」


 視線を黒皮のウェストバッグに収まるその書籍(・・・・)に送るイリアは眉間にしわをよせ、不快な気分を隠そうともせず一般人が考える『悪手』という物とは真逆の結論を述べる。だが、それを聞いたダンゲルも否定せずに頭を縦に動かして賛同の意思を示した。先ほどと同じ様に。


「とすれば…譲るのは論外としてもどうする?」

「そうですわね………なるべく大きな規模の喜ばしい場で……あぁ、そう言えばそろそろ時期でしたわね?お父様」


 必死に回した結果、脳内で幾つかの要素が絡み合い良い発想が浮かんだイリアが机の上に置いてある書類の山の中からその発想を示す一枚の書類を引っ張り出す。

 それは堅苦しい書式で分かりにくい言い回しで記載された文章と、一般庶民ならず貴族とて早々お目に掛かれない桁の大金が多岐にわたって使用される旨が記載された代物であり、それを検めれば今月中に盛大な祭典が行われる事を読み取る事ができた。


「あぁ、新年の祝賀会があったな。…なるほどな、そこで仕掛けるのか?」

「えぇ。本来祝賀の席での醜聞はマニュートの名を落とす事でしょう。…あれ(・・)とこれまでの経験からしてもそれが精一杯とおもいますわ」


 大陸北東部、山脈に挟まれた地であるマニュートの冬は長く厳しい物である。十一月から翌年の三月まで吐く息は白く、眠りにつく床に滑り込んでくる寒さと大人の背丈を超す降雪量を誇るハルーシュ国内で最も厳しく長い冬が訪れる時期なのである。


 そんな厳しい冬の間、マニュートに住まう住民は大人も子供も関係なく例外はある物の日がな一日を除雪か暖房の前で過ごすのが恒例となっている。

 冬の終わりを指折り数え、備蓄した薪と食料の残量を計算し足りなければ集落の中で融通し合うか、週一回各地を行商する商人から買い付けたりして歯を食いしばりながら懸命に雪解けを待つ。そんな季節が終わるのはこの地で生きる者達にとって極めて喜ばしい事である。

 そんな喜ばしい事であるからこそ、マニュートでは毎年雪解けの季節になると領内の村では盛大に祝賀会が開かれるのが通例である。当然、イリア達が住まうマニュートの領都でも同様の祝賀の祭典が開かれる、ただしこれは他の祭りの様相を呈する物とは違い他の貴族などとの社交の場としての顔も持っていた。


「更に付け加えるのなら、今年は極めて不本意ではありますが私の出立式も兼ねていますわ。となれば、普段よりも祝賀の色は濃くなるのが当然ですわね」


 毎年、盛大な式典を楽しみイリアであるが今年に関して言えば、とある事情から当人は思い起こしたくもないとばかりにその整った顔に険を滲ませて眉を顰めた。

 これでもれっきとした伯爵令嬢たる地位をハルーシュ国に保証されている彼女は今年で王都にある学院に入学する事が義務付けられている。普通ならば辺鄙なマニュートから煌びやかな王都に出られるというのは喜ぶべき事なのだが、とある事情と変えようない性分からそんな反応をしてしまうのだった。

 向かい合うダンゲルもそれを特に咎める事も無く、イリアが言わんとする事を言語化する。


「身内の可能性の高い不遇な少女を冷淡に切り捨てる。なるほど、実際は事実無根なのだから非難されるいわれはない。だが、事情を知らずに話だけを聞いた者達からすれば我がマニュートの悪評へと持っていくのは自然な流れだ。」


 ハルーシュ内のみならず、一般的に祝賀の席での身内同士の揉め事は醜聞である。

そういった揉め事は事前に内々に処理しておくか、回避するにしてもその場は一旦穏便に済ませて後日場を改めて解決の方策を探るというのが常識であり問題を避ける当然の発想である。

 無論、今回のように事実無根の難癖の場合もあるが往々にしてこの様な状況で騒がれた場合に対処する為にはそもそも危険因子になりうる人間の入場を拒むか、騒がれる前に相応の金を払って黙らせるかが常である。


 そう言った事もあり真っ当な判断が出来るのならば、祝賀の席で冷淡に切り捨てて自らの醜聞を望むというのは異常な判断である。

 しかし、その悪評を得られるという事に二人は楽し気に頷きながら口の滑りをよくするべくに使用人が淹れたやや冷えた液体を流し込み、今回の悪事(・・)に必要になりそうな要素や物品を想定する。


「下手に弁士をいれると間違いなく正統性を証明されてしまいますわ。今回の祝賀の招待客から外し、詫びにガナン大湖国での事務所開設を後押し、定期的に支援するのが落としどころかしら?」


 ガナン大湖国(だいここく)。ハルーシュが大陸東端にあるならばその真逆の西の果てにある国家である。

 その名が示す様に国土の大半が湖であり、おおよそ楕円形の国土の七割が外海に通じている湖であり、また南北にも広く、赤道直下の温暖な環境も北部の寒冷な環境も、海水も汽水域も淡水域もガナンと大陸部を分かつようにそそり立つ一万m級の大陸を貫く、長大な山脈から異様なまでに湧き出る大量の水によって維持されている特異な環境であった。

 そんな湖が国家の基盤であるのだから、豊富な水産資源や観光業に力を入れている。だが一番の売れ筋は造船業である。各国の水上船の歴史を紐解いてみればまず間違いなく過去ガナンが技術支援をした事に行きつくほどである。


 そんな国家であり交易が盛んになる一方の情勢もあって経済的に極めて潤っている。

 ガナンで成り上がったのならばすなわち世界で成り上がるも同然と商人の世界では謳われる程であるのだ。そんな国に大陸の反対側に弁士事務所開設の後押し、つまりは戦える基盤を与えるという極めて太っ腹な提案をイリアは行う。


「…流石に詫びが過大ではないか?私としては領法内での前例作りやら、判決への便宜を図るので十分だと思う」

「領法は国法や貴族法より下ですけど、それが判例として使えるか悩みどころだと思いますわ」


 しかし、その詫びを実際に手配するダンゲルは娘からの提案に対し僅かに考慮するも顔をしかめて否定の言葉を述べる。

確かに付き合いのある相手を呼ばないのだから補償は必要である事は納得できる。しかし、他国へ進出する手伝いをするのは流石に過大であると判断したのだった。

 提案を否定されたイリアは特に気分を害する事無くあっさりとした態度で受け入れて頭を切り替えて、対案として示された代物を考慮のテーブルに乗せて吟味する。

 確かに言われてみれば随分と気前のいい発案であった事を反省し、同時に領法の立ち位置を記憶の中から引っ張り出して天秤に乗せる。


「国法よりも下、しかしその領内では絶大。時に国法に反しない程度であるならば国法に勝る場合がある。そのあたりは実際に法務議院の判断に任せて見なければわからないが…無いよりはマシだろう」


 法務議院、それはハルーシュ王国における平民と貴族の垣根を問わずこの国が定める『法』による統治を保証する組織の最高機関の事である。

 ここで出される判決はハルーシュ王国に属する者であるならば、大貴族とて退ける事が出来ない物である。

 何せ、その後ろ盾にハルーシュ王家と平議会と貴議会――平民出身の議員によって運営される国務議会と貴族出身の議員によって運営される国務議会――によってその独立性と正統性を委任されているためである。


 これが運営するいわゆる法務所――所謂、裁判所――は王都は勿論の事、ここマニュートにも一つ設置されている。


 そこで下される判決には過去の判例が参考にされるのが常である。その為、この先の裁判で弁士が意見を述べる上でマニュート領法務所で下された判決が役に立つ可能性がある、その程度であるならば前例作りで領主の立場でかなり影響力を持つことが出来るのだからそれ程苦も無く出来るだろう。

 それに思い至り納得したイリアは晴れやかな表情と、


「確かに。それならば特定の誰かの為に作為的に作るのではないですから咎められる事はなさそうですわね…流石ですわね、お父様」

これ(伯爵の地位)とはお前より長い付き合いだからな」

「ふふ、確かにそうでしたわ。ですが、ガナンにそういった事務所を立てるのは面白そうですわね。別の形で支援するのも一興ですわよ?」

「…ふむ、そうだな。そっちの方はこちらで機会を見てやってみるとするか」


 心の底からの称賛の言葉を父親に投げる。

自分自身が未だに経験不足の事を若干恥じつつ、誇らしげな父親を愉快に思いながら双方は悪だくみをより詳細に詰めていく。

 外は曇天の重々しい雲が去り、抜けるような初春の青空に白い雲、それが映り込む湖面は青々とした草原を揺らした風に吹かれ僅かに波立つ。そんな爽やかな景色の中に建つ建物で行われているとは思えない程に禍々しく、聞く者が聞けが大いに喧伝したくなる様な仄暗いやりとりを含めながら二人の口上が止まる事は無い。

 そんな親子のやり取りを壁際に控える無表情の下で話を聞く使用人達は、そのやり取りを聞きながらこの悪だくみがどんな風に転がるのか、その脳内に各々別々の想像を膨らませつつ視線を交わす事も無く花咲かせて楽しんでいた。

お久しぶりです、お読みいただきありがとうございました!

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