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最終章 Two shadows

最終章 Two shadows

視界は一面の白だった。

真っ白な白だった。

どこまでも続く白だった。

どこまでも、どこまでも穢れのない白だけが広がっていた。

僕はただ一人でそこに浮いていて、目を開けているのか閉じているのか、起きているのか眠っているのか、生きているのか死んでいるのか、それすらもわからない白の中をただ、どこかに向かって泳いでいた。

『君はよく台本を演じきったね』

どこからか声が聞こえてくる。その、褒めるような口調の声は僕の耳に快く響く。

『君はよくやった。実によくやった。“僕”が言うんだ、間違いないよ』

「君は……誰?」

僕は彼に問い掛ける。彼は残念そうに肩をすくめると、寂しげな口調で言った。

『僕は“僕”さ。それ以外の何者でもないよ。もう忘れちゃったのかい?』

「“僕”……?」

その声の主はゆっくりと首を縦に振った。

『ま、こんな世界にいるんだもの。普段から不安定な世界に住んでいる“僕”ならまだしも、君みたいに安定な世界に住んでいる人には辛いかもしれないね』

「安定した……世界?」

『でも安心していいよ。こんな旅はすぐに終わる。現実世界で言えば1秒にも満たないかな。まあ、君にはいくらか長く感じられるけど、それも直に終わる』

彼は僕の向かう先をまぶしそうに見据える。

『ほら、君が帰るべき世界が見えてきた』

彼が言う先には、どこか見覚えのある懐かしい世界。恋しくて、恋しくて仕方がない懐かしい世界。

『さあ、行くんだ。君には帰るべき世界がある。そこはとても居心地が良くて、でもとても生き辛い場所。けれども君はそこで生きていかなきゃいけない。“僕”に“視える”台本がそうだからね』

始めは握りしめたこぶし程の大きさの窓が徐々に広がっていく。

それは徐々に広がっていき、やがては視界すべてを覆いつくし、白を塗りつぶしていく。

『頑張ってね、僕。まだまだ辛いことは山ほどあるけど、とりあえずは君は幸福を掴んだんだ。おめでとう』



レンは固い地面に叩きつけられる。

目を開くと、一面の砂と瓦礫が飛び込んでくる。

彼が起き上がった瞬間、胸をえぐり出したくなるような吐き気に襲われた。

「う、おええッ!」

口からは大量の胃液とわずかな夕食のかけらが吐き出される。

東の空にはちょうど太陽が顔を出した。つまり、朝である。

一通り胃液をまき散らし、やや気分がよくなったレンはふらふらと歩く。

……そこは、まさしく滅んでしまった都市だった。

斜めに傾いたビルの窓にガラスはなく、看板も砂埃で覆われて読むことができない。

あちこちに倒壊した建物や乗り捨てられた車が転がっている。レンは初めて自動車というものを目にした。

風が砂を巻き上げ、一瞬視界が覆われる。

再び視界が晴れたとき、彼はいつの間にか街路樹の下に立っていた。

街は死しても植物だけは力強く生き残っていた。もともとタイル張りだったであろう歩道から何本かの背の高い木が生えていて、少しずつ、廃都を森へと変えようとしていた。

砂漠と森という正反対のものが同居しているこの奇妙な世界は、死と生という正反対のものをその中に混ぜこぜにして存在していた。

歩いた距離はわずかだったが、レンは酷い疲れを感じて木によりかかる。

そのとき、彼には何かが物足りないということに気付いた。

手から伝わってきていたはずの温もりはいつの間にか砂にまみれ、冷たく乾いたものになっていた。

レンは立ち上がったが、同時に既視感を感じて再び座り込む。

「僕は……この世界を知っている」

何日前のことだろうか。時間感覚もめちゃくちゃになってしまった彼には、それがいつのことだったか思い出すことができなかった。

だが、これは確実にどこかで見たことのある風景。デジャビュなんてものではない。これは、確実に彼の中に刻み込まれた世界。

「……リサ?」

自然に彼の口が一人の少女の名を紡ぐ。それは彼がとても大事にしていた存在。いついかなるときも共に過ごし、片時も離れることのなかった大事な人。辺りを見回すも、この乾いた大地の上にその姿を見つけることは叶わなかった。

彼は知っていた。彼女がどうしたのか。彼の記憶がそれを証明していた。

乾いた世界に一滴の滴が降り落ちる。砂まみれの葉が跡を隠し、再び元の姿を取り戻す。

それでも、乾燥した大地に温かな水滴が降り注ぎ、やがて吸い込み切れなくなったそれは小さな水たまりを作り出す。

「そんな……う、嘘だ……」

声を震わせながら、這うようにして彼女の姿を探す。だが、全身の酷い疲れが彼を一歩の距離も動くことを許さなかった。

口からは疑問の声が漏れる。なぜ、どうして。そんな言葉が波紋のように広がっていき、答える者もないまま消えていく。

「ずっと……握っていたのに……?」

レンは自らの手のひらを見る。確かにしっかりと彼女の手を握っていたはずだった。だが、そこに彼女の手はなく、砂にまみれた汚い手しかなかった。

レンは再び木に寄りかかると、そこで初めて涙を拭う。

「なんで……どうして……」

拭っても拭っても溢れてくる涙。後悔とも怒りとも違う感情。言うなれば、無力感。

自分一人の力ではどうすることもできない。無力な自分に対する憤り。そして、運命に対する憤り。

どうすることもできないという事実に対する……強い憤り。

「そんなの……嫌だ……」

いなくなってから初めて気付く感情。レンは……彼女のことをどう思っていたのか。

恋愛? それとも友情? まさかの損得勘定?

「違う……」

そんな簡単な言葉では言い表せない、そういう感情。

両手を大地へと投げ出し、彼は崩れるように倒れ伏す。手の平を中心に、真っ赤な軌跡が描かれ、先ほどのものとは打って変わって大きな染みを作り出す。

「痛……」

手の平は真っ赤に濡れていた。どうやら、落ちていたガラスの破片で手を切ってしまったようだった。だが、それがどうしたというのだろうか。彼は自身の体がどれだけ傷付こうと、もはやそんなことに興味はなかった。

ようやく血塗れのガラスの破片を見つけ出し、摘み上げてみる。乾いた光を受けて輝くそれは、鋭く尖っていて、肌に押し当てるだけでよく切れそうだった。

「どうせもう、一人じゃどうすることもできない。それに……僕は……」

しばらくの間、破片を指先で弄んでいたが、それももう飽きてしまった。

彼は首筋にそれを優しく押し当てる。体の内側では、力強く命の鼓動が鳴り響き、体中を生命のエネルギーが流れて巡っていた。

だが、いくら体が強く生きていても、もはや心が壊れてしまったのだ。壊れた心に体は必要ない。だから、そんな鼓動に意味はない。

彼はゆっくりと目を閉じる。偽りの思い出もたくさんあるかもしれない。だが、少なくとも、“あの”思い出だけは正真正銘の思い出であることは間違いない。

「楽しかったなぁ……あの頃は皆で馬鹿やって、ふざけあって、彼女ともたくさん笑い合って……」

駆け巡る思い出。一つ一つの映像が目の前で繰り広げられているように思い出され、そして流れるように消えていく。

最後に思い浮かんだのは彼女の顔。生まれたときから一緒に過ごしてきた彼女との関係は一言で言い表すことなどできるはずがない。

だが……一つだけ確実に言えることがあった。

「僕はリサのことが……大好きだった……」

それだけは、地獄の閻魔様の前でも堂々と胸を張って言えるだろう。嘘を言うなら舌を引き抜くぞと脅されても、一字一句違わずに何度でも言ってみせられる言葉。レンにとってのリサはこの一言で言い表すことができる。

「誰が誰を好きだって?」

「……え?」

突如、樹上より落下してくる一人の少女。当然のごとく、レンは下敷きとなる。

「あいたたたた……」

「り……リサ……?」

彼を文字通り尻の下に敷いている少女。それは間違いなくリサだった。

「まったく、なんで木の上なんかに飛ばすのよ。髪が乱れちゃったじゃないの」

レンの上から降りると、髪の毛にまとわりついている木の葉を払いのけながら文句を言うリサ。それはまさしく、普段から見慣れている、レンが大好きな少女の姿だった。

「アンタも何ぼーっとしちゃってるのよ。ちょっと髪についてる葉っぱを取ってくれな……」

「リサッ!」

レンはリサの体を力いっぱい抱きしめる。リサは突然の抱擁に戸惑いと恥ずかしさを覚える。

「ちょ、ちょっとレン!?」

「無事で……よかった……」

「……ん、アンタもね……」

短いようで長い抱擁からようやくリサは解放されると、レンの目許の涙を拭ってやる。

「うふふ、私が居なくて泣いちゃった? 寂しくなって泣いちゃった?」

「な、泣いてなんか……」

「僕はリサのことが……大好きだった……」

レンの真似をして恥ずかしげなセリフを言うリサ。それを聞いてレンは頭から湯気が出るほど真っ赤になる。

「ぷぷ、アンタってホント可愛いヤツね。からがいがいがあって面白いわ」

「うう~……だって、リサが転移に失敗しちゃったのかと思って……」

「私がそんな簡単に死ぬと思う? アンタが生きてる限り、地の果てまで追いかけて行って……」

そこでリサはレンの頭を抱いて口付けを交わす。突然の接吻にさらに頬を赤く染めるレン。

「こうしてやるわよ」

リサもそう言いながら、頬を真っ赤に染める。その表情は恥ずかしさと嬉しさが入り混じったような笑顔。

レンも始めは慌てるような戸惑いの表情を浮かべていたが、やがてにっこりと笑顔を作る。

「おや……?」

「あれ……?」

「ん?」

「ここは?」

「あら?」

瞬間、レンの頭上から何かが降ってくる。その何かによって泥の像のように崩れていく。

「いたたた……」

「痛いです……」

「もう少し出る場所選んでほしいな……」

突如降ってきた三人はよろよろとしながら立ち上がる。

「あ、やべぇ……吐き気が」

「私も……です……」

「こっちも……」

そのままどこかへと歩いて行ってしまう三人。後には圧殺されたレンだけが残った。

「う……勝手に……殺さないで……よ」

そのままばたりと倒れるレン。リサは突然の事態に戸惑いつつも、慌ててレンの元へと駆け寄る。

「れ、レン!? アンタ、大丈夫!?」

「だい……じょう……ガク……」

「レーンー! あーん、死なないでー!」

ゆさゆさとレンの骸を揺らすリサ。そんな大騒ぎに再び集まってくる三人。

「どうした?」

「どうしました?」

「何かあったの?」

「あ、アンタらがいきなり降ってくるから……レンが死んじゃっ……」

「だから勝手に殺さないでっていってるでしょー!」

突如復活するレン。黄泉の国にまで顔を出しに行っていたようだが、再び三途の川の渡し守に諭されて戻ってきたようだった。

「お、レン。よう」

「ようじゃないでしょ!? いきなり上から降ってきて……」

レンはうつむいて、体を縮こませる。そして、がばっと身を乗り出した。

「馬鹿! すごく心配したんだよ!」

「はは、悪いな。でも、約束は果たしたぞ」

レンの目からは涙がぼろぼろとこぼれ落ち、思わずアランをドキッとさせる。

「お、おい、泣くなよ」

「だって……嬉しいから……もう二度と会えないと思ってたのに……会えたから……」

不覚にもそんなレンを見てドキドキしているアランは、ドキドキしているのをレンに悟られないようにしながらなだめる。

「お、男なら涙じゃなくて笑顔で拳をぶつけあうもんだろ?」

アランは目許から流れるレンの涙を指で拭ってやる。

レンはぼろぼろと涙をこぼしながらも恥ずかしそうに笑顔を作り、アランと拳を合わせた。

「うお、お前なんで手が血だらけなんだよ!?」

「ちょっと切っちゃって……でもそんなこと関係ないよ!」

レンはズボンで手を拭う。傷が浅かったのか、血でぐっしょりと濡れていた手はいつの間にか傷が塞がりつつあった。

「それにしても、アンタらよく平気だったわね」

「レンが買った花火のおかげさ」

そう言って、ウィルは燃えかけの花火を取り出す。

「ねずみ花火と連発式の打ち上げ花火をありったけぶっ放したってわけさ。あれは銃より効果あるぜ? それに、火ぃ付けて置いとくだけで自動的にぶっ放してくれるしな」

「ユイさんが転移装置を起動してる間はアランさんとウィルが応戦して、私は花火の準備。ユイさんの準備が終わり次第、火をつけて大急ぎでカプセルに駆け込みました」

「あとは自動的に花火がどうにかしてくれたわけさ。僕たちが転移される間際に見たあの顔。ホント見物だったよ」

三人はにこにこしながらレンとリサに説明する。その面々を見ていて、突然思い出したようにリサは大声をあげる。

「あーッ! そういえばアリス! アンタ撃たれたわよね!」

「それは……ウィルのおかげで助かりました」

アリスは服の内側に手を入れてそれを取り出す。

アリスがウィルからもらった誕生日プレゼントは、弾丸が直撃したのか、ネックレスは完全に変形してしまっていた。歪んでしまった銀のフレームには、わずかな赤い石がこびりついているのみだった。けれども、このネックレスがアリスの命を助けたのだった。

「ちょっと怪我しちゃいましたけど、でもほとんどこれが私を助けてくれました。ユイさんが手当てしたら痛みもすぐに引きましたしね」

「まったく……心配させないでよね」

アリスはすみませんといいながらにっこり笑う。リサはしょうがないわねというような呆れた表情を浮かべる。

「そうだ。ユイは? 彼女はどうなったの?」

「彼女は大丈夫。奴らには俺達に無理やり従わさせられていたっていう情報が与えられていたみたいで、俺たちが飛ぶ直前に保護されてたよ」

「そっか……よかっ……いてててて!」

リサがレンの耳を引っ張り上げる。レンは悲鳴をあげながら引きずられていった。

「ちょっと、リサ!?」

「アンタが馬鹿なことを口走るからよ!」

アランとアリス、ウィルの三人は笑いながらその様子を見守る。

ひとまず、彼ら五人に平和が訪れたようだった。徐々に高く上っていく太陽がそのことを祝福しているかのように輝く。

「お、そうだ忘れるとこだった」

アランが何かを思い出したのか、懐から一枚の紙を取り出した。

「ここからまっずぐ東に向かって数日歩いたところに小さな町があるってユイが言ってたんだ。そこにユイの別荘があるらしいぜ」

「ユイって……別荘なんか持ってたの?」

「実はいいとこのご令嬢なんだとさ。桜木家っつったら名門のお家柄らしいぜ」

アランが広げた紙にはその街までのおおまかな道案内、そしてその別荘の位置、別荘に仕える使用人への言葉が書き記されていた。

「ひとまずはそこをめざそうぜ。っと……」

アランのお腹が愉快な音を立てる。照れ隠しにぽりぽりと頭を掻くアラン。

「ひとまず飯にしようぜ? 丸一晩動いてたら腹減っちまったよ」

爆笑の渦がまき起こる。事実、アランは夕食も取っていないのだ。お腹が空いていて当然だといえる。

「じゃあ、何か食べるものでも探しに行こっか」

「私も賛成ー!」

五人は街の中を歩いていく。


今日もレンたちは生きている。消耗されるだけの部品としての彼ではなく、彼という一人の人間として……。


――END――

ひとまずは勝利を掴んだレン達。太陽が彼らを祝福する。

そして、繋がるはもう一つのお話。

物語はリンクする。

一人の男の小さな少女を守るための物語。

次章、後日談 AfterStory.



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