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第3章 Truth

第3章 Truth

体はどんよりと重く、僕は冷たい何かに横たわっていた。

両腕はしっかりとベルトのようなもので固定され、わずかたりとも動かすことはできなかった。いや、それどころか動かそうという気力すら起こりもしない。まるで深い眠りに陥っているかのように体は言うことを聞かず、どんな抵抗を試みようとも無駄であることがわかった。

徐々にどこかへと運ばれていく。固定された視線は常に上だけを見続け、何が起こっているのか、それを判断する材料となりえるものは何もなかった。

やがて、どこかで見覚えがある何かの下に到着する。それは大きな傘の中に小さなライトが六つセットされた大きな照明。それは漫画か何か……そう、手術室のシーンで見たことがある大きな照明のように思えた。

「ドナー、脳波安定、脈拍正常、主要な臓器の働きに異常はありません」

「“クランケ”が到着しました」

がらがらとキャスターか何かが転がるような音が響き、やがてその“クランケ”とやらが到着したようだ。

「脳波安定していますが、培養液中の神経興奮物質の濃度が時折危険値を示します。早急に手術を開始しなければ危険な状態に陥る可能性があります」

「予定通り手術を行う。まずはドナーのズガイをセッカイし、ノウをトリダス。この際にシンケイを可能な限り傷付けないように注意してサギョウを行うように。そして、“クランケ”のノウを傷付けないようにズガイ内にオサメ、シンケイを一本ずつ合わせていく。一本でも間違えれば惨事となってしまう。各自慎重にサギョウを行うように」

金属音が響き、徐々にそのサギョウは進められていく。やがて準備が整ったのか、一同は一つの言葉を待って静かにたたずむ。

「では……“手術”を開始する」

そう誰かが言い、それは始まった。

嫌な音が室内に響く髪を刈る音バリカンで一気に刈り取りそして流れ落ちていく次に鋭利な金属が徐々に沈みこんでいく金属は僕の頭を切り開いていた不思議と痛みを感じることはないもののイワ違和感とフフ不快感ガガ全身をツツミ包み込む口を動かしヒッシ必死にやめるようにサケ叫ぼうとするがまるでガクガクガク顎間接ヲヲを打ち付けられてしまったかのように口がヒラカナイそうして無駄な抵抗をココ試みている間にも“手術”はシンコ進行していく「デンドウノコを用意しろ。これよりズガイコツのセッカイを開始する。ここからはより慎重に“手術”を進めるように」何かが頭にあてガワがわれるそれは不快な振動とハサ破砕音を響かせながらジョジョ徐々にその部分をセッカイしていくそれを止める術は僕には何もなかった僕はただ身もココオ凍るようなジョウキョウにおいて何かをすることもできず黙ってカン感じているしかできなかったやがてカタイ音ともにエキタイガ飛び散るオトガ聞こえてクルソシテチョクゴニナイブヘトナニカガシンニュウシテキタヤメテヤメテイタイコワイキモチワルイクルシイツライイヤダアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA



「うわああぁッ!?」

「うおわッ!? ど、どうしたレン!?」

車内全員の視線がレンへと集中する。

ここは島内をぐるりと一回りするリニアモーターカーの客席である。5分に一本ほどの間隔で運航されるその列車は島内を移動する唯一にして、最速の方法であるのだ。

人々が住む居住区。買い物をしたり娯楽を楽しむための商業区。オキシデリボ本社が入り、研究員以外は立ち入り禁止の研究区。ゴミ処理場や発電所、浄水場や下水場などがある施設区の四つに分割された島のエリア内を移動するためのリニアモーターカーは、島民であれば無料で利用することが可能で、院がある商業区と寮がある居住区間を移動する他に、商業区へと買い物に出かけたり、また研究区へと仕事に出かける人々が利用したりと、島民の生活には欠かせないものである。

そんなリニアモーターカーの中で突然叫ぶ者がいれば誰もが驚く。ましてや休日の昼間ともなれば、たとえ微妙な時間であっても乗客の数はそこそこのものとなる。

「あ……いや……ごめん、変な夢を見てた……」

「驚かせないでよね。はぁ、びっくりした……」

乗客達もそれがなんでもないことだと知ると、皆がそれぞれの興味の対象へと戻っていく。

レンの隣にはリサ、そして向かいにウィルが座っていた。二人は話に夢中になっていたようでレンが眠っていたことに気付いていなかったが、レンが眠っていたのならばもう少し静かにすればよかったと反省する。

「ごめんね。えっと、アリスへのプレゼントだよね」

「そうなんだよ……一週間前からずっと考えていたんだけど思いつかなくてね……」

「それで当日になって、私達に泣きついたってわけね」

今日はアリスの誕生日会である。院内でもその話で持ちきりで、皆が皆彼女にどのようなプレゼントを渡そうかと画策し、朝から誕生日会に使われるケーキや料理の準備やらで、院内も大忙しだった。

そんな中、ウィルは一週間前から誕生日に渡すプレゼントをどうしようかと考えていたのだが、今日の今日まで思いつかなかったという。

それもそのはず、普段から何かにつけて様々なものをプレゼントしているのだから、既に渡したものを渡すわけにはいかないということを考えると、プレゼントできるものは自然に限られてくる。

「それにしても、セントラルモールに来るのは久しぶりだね」

「必要なものは大体は院で渡されるからね」

レンは列車の窓から外を眺める。

居住区とは比較にならないほど高いビルが何本も何本も林立している。全面に鏡でも張り付けられたかのように滑らかな姿を持つビル。かと思えば不思議な形をしたビル、それから古めかしいレンガ造りのビルからその形は千差万別である。

「これが全部オキシデリボの子会社だってことを考えると、オキシデリボはとんでもない会社だってことがよくわかるね」

「それに、ボク達が普通に不自由なく暮らせるほどのいろいろな種類の品数……。いや、それどころか街一つ立派に成り立つほどのいろいろの種類の事業。本当にこの会社はびっくりだよ」

やがて列車は一つの大きな建物の中に滑りこんでいく。高さおよそ三百メートル、敷地面積三百メートル平方のほぼ立方体の形をした建物……それこそがこの島内最大にして唯一のショッピングモール、セントラルモールである。全55階建て、収納店舗数500を超えるその巨大なショッピングモールはそれこそ一日で回り切れぬほど広大で、ある種の観光施設としての役割も果たしている。施設内は数十の高速エレベーターで行き来することができ、またエスカレーターも配置されているので広大な店舗もスムーズに回ることができる。そして似た品物を扱う店は一カ所に集中しているため、目的の品物を探しやすい作りとなっている。

レン達は列車から降りると改札へと歩いていく。駅が店内にあるので、アクセスもばっちりである。

カードを改札に通し、駅を抜けると一階に広がる広大なロビーへとたどり着く。ここは各階のインフォメーション、直行エレベーターなどが設置され、ショッピングモール内の案内施設となっている。

「贈るとしたらやっぱり服飾系かな?」

「今年の夏物の服とかどうかしら? 新作の服なら今までと被らないでしょうし、いいんじゃない?」

レンもそれを聞いてうんうんと頷く。だが、ウィルはどんよりとした表情を浮かべたまま答える。

「それがなぁ……俺にはアリスがどんな服を着ようとも可愛く見えてしまうんだよ。だからどんな服を買えばいいかわからないんだ」

「あばたもえくぼ、ってやつね」

リサがうんうんと頷く。レンはリサがそんな言葉を知っていることにやや驚きながらも後に続く。

「僕達ならウィルみたいに色眼鏡を通さなくても見えるから、きっと今日こそ決まるよ」

ウィルはそれを聞いてぱあっっと明るい笑顔を浮かべる。

「本当に君達……頼りにしているぞ……?」

「任せなさい!」

「任せてよ!」

レンとリサは笑顔でウィルにそう答えたのだった。



「この水色のワンピースなんて可愛いんじゃない?」

「ねえねえ、このオレンジ色のブラウスはどう?」

「ちょっと派手ね……でも可愛いと思うわ」

ここはセントラルモールの中でも比較的高級品を扱う店舗である。

一流のデザイナーがデザインを担当しており、それらはどれも素晴らしいデザインで、海外でもとても人気が高い。中には1000ドルを超えるような品もあり、ちょっと服装にうるさい人でも十分に満足のいく品揃えである。

二人はたくさん並ぶ服の中からよさそうな逸品を選び出す。それは薄い水色のブラウスだった。

「アリスのイメージにはぴったりなカラーリングね」

「なるほど……」

縁はレースで彩られ、胸には白い薔薇の刺繍が施されている。生地も軽やかな布地が使われており、見るだけで涼しげな気分になること間違いなしである。

「これからの季節にはぴったりの涼しげな感じだもんね」

「さ、レジに持っていきましょう」

リサはブラウスをウィルに手渡した。滑らかな肌触りの生地にウィルはやや驚く。自分ではこんなものを選び出すことができないだろうと彼は思い、二人に感謝した。

「ありがとう……ボクにはとてもじゃにけど選び出せないな」

ウィルはブラウスを持ってレジへと向かう。レジの店員はにこにことした笑みを浮かべながらウィルからブラウスを受け取ると、レジスターでバーコードを読み取る。

「498ドルになります」

ここでウィルは愕然としながら硬直した。

「ぶ!?」

あまりの価格にレンは思わず噴き出した。相変わらず店員はにこにことした表情を崩さない。

リサはレンの隣でニヤニヤ笑いを浮かべる。どうやら彼女はそのブラウスがかなりの高値であることを知っているようであった。レンはそんなリサに尋ねた。

「リサ……もしかして、ここの服って……」

「高級ブランド品をメインに扱うお店よ。いや、今までウィルがプレゼントしてきたものの中にここまで高ランクのものはないだろうと思ってね。それに……ウィルが愛のためにどこまで頑張れるから見てみたいじゃない」

リサは意地の悪そうな表情を浮かべると、そのままウィルを見つめる。レンはそんなウィルを気の毒に思いつつも、やはりちょっとドキドキしながらウィルの背中を見つめた。

当のウィルはというと、ブラウスを手にぶるぶると震えていた。おそらく、必死に心の中で葛藤しているのだろう。しばらくの間心の中で戦いを繰り広げていたようだったが、やがて戦いに決着がついたのか、絞り出すような声で彼は言った。

「すみません、やっぱり結構です……」

「あら、諦めちゃった」

ついに諦めたウィルにリサは意外そうな表情を浮かべる。アリスを溺愛しているウィルならば、この程度の金額ぱっと出せるだろうと思っていただけあって、その対応に驚いていたのだった。

ウィルが戻ってくる。その表情にはわずかばかりの怒りと、壮絶なまでの失意がはっきりと刻み込まれていた。

「き、君達……あの値段だって知ってて買わせたのかい?」

「いや、僕はまさかあんな高いものだなんて……」

「そうよ。高級ブランド品だって知ってたわよ」

ウィルの表情にうっすらと青筋が浮かび上がる。それを見てリサはニヤニヤとした表情を浮かべたまま言ってのける。

「だって、アンタが恋する女性のためにどこまでできるか見てみたいじゃない」

ウィルは呆れるような表情を浮かべてため息をつく。

「ぼ、ボクの口座には……今380ドルしか入っていないんだよ……」

「あら、思ったより入ってないのね」

「う、うるさいな……どうせボクはデートばっかりしてバイトをクビになった愚か者だよ」

ウィルはすねたような表情を浮かべて答える。リサはそれを聞いてくすくすと笑う。レンは苦笑いを浮かべた。

「一応はバイトしてたのね。でもデートのし過ぎでクビって……」

相当ツボにハマったのか、腹を抱えてうずくまる彼女の口から時折笑い声が漏れる。

「う、うるさい! とにかく次に行こう、次に!」

ウィルは大きな声でそう言うと、一人で店を出ていってしまった。



三人は次に宝飾店へとやってきた。といっても今度は比較的値段の安い、いわば中級品を扱う店である。

一応宝石も扱ってはいるもののその質は下の下であり、まともな者ならばそれをプレゼントしようなどという気にはならないだろう。

「どんなものがいいかな」

「ペアリングを作ってそれをプレゼントするとかはどうかしら?」

リサは指輪が並ぶショーケースを見る。そこには様々な宝石に飾られた指輪が並んでいた。

「7月の誕生石はなんだい?」

「7月は……ルビーね。情熱や深い愛情に恵まれる宝石だったわね」

「それならウィルにはぴったりだね」

リサはしばらくの間ショーケースを眺めていたが、やがてその中からルビーらしきもので飾られた指輪を見つけ出す。

「あったわ。でも、この値段じゃペアリングは無理ね。それに宝石の質も粗悪だし……」

320ドルという値札が付けられたその指輪には、本当に欠片のように小さなルビーが飾られていた。ショーケースを照らす蛍光灯の光が反射して申し訳程度に光ってはいるものの、とても“ルビーの”指輪とは言いがたい品物だった。

「小さいね……」

「普通のルビーの指輪なら数千ドルとかするわ。まあ仕方ないといえば仕方ないわね……」

ウィルは壁に掛けられたネックレスの方を物色する。

「この辺は安いな」

「その代わり宝石はないわね。アイアンか、いいとこシルバーじゃないかしら」

十字架、ハート、クローバーなど、チェーンも普通の鎖型からボールが多数繋げられたもの、他にも様々な形のネックレスが多数ぶら下げられていた。ウィルは時折壁に掛けられたチェーンを手に取ながら小さな声で呟く。

「アンタたちなんだから、ハートマークでいいんじゃない?」

顎の辺りに手を当ててしばらく考えていたウィルだったが、やがて唸るような声を出しながら答える。

「ハートマークは以前に送ったんだよ……」

「じゃあもうネックレスはいいんじゃないかしら」

そんなウィルの様子に呆れたようにリサは言った。ウィルは意気消沈したのか、情けない表情を浮かべる。

「だよなぁ……」

リサはさっさとネックレス売り場から離れていく。

そのとき、ずっとブレスレット売り場を見ていたレンが声をあげる。

「ねえウィル、これとかどう?」

ウィルとリサがブレスレットのショー消すへと近づいていく。レンが指差すブレスレットは何の変哲もない、至って普通のブレスレットだった。

「これじゃあちょっとつまらなくない?」

「これだよ、これ」

レンは近くに掲げられていた看板を指差す。

「あなたの名前、ブレスレットに刻みます、か……」

「これでアリスとウィルの名前を刻んでもらってペアリングってのはダメかな……?」

名前を刻まれた二つの腕輪。一緒に何か刻印でも入れてもらえば、世界に二組とないカップルリングの出来上がりである。

「でも、どれもこれも地味ねぇ……」

純度の低い金や銀で作られたブレスレットが並べられているが、どれもこれも派手やかな装飾はない。レンらしい選択といえばレンらしいといえる。

「名前を彫り込む関係上、あんまり派手なのはダメなんじゃない?」

「そうなんでしょうね……」

三人はしばらくの間、ショーケースとショーケースの間を行ったり来たりしていたが、ついに何も買わずに店を出た。リサは残念そうな表情を浮かべながらとぼとぼ歩く。

「あんまりいいものはなかったわね」

「やっぱり中級品だからだろう。愛するアリスにそんなものは贈れないよ」

レンはセントラルモールのパンフレットを取り出す。全ての店の位置がわかる詳細な地図と、各店の一言メモが記載された便利な一冊である。

「あとは……ぬいぐるみとか、さっきのお店よりも安い服とか……?」

「なんだかなぁ……ぬいぐるみって随分と子供っぽいと思わないかい?」

ウィルは唸りながらレンの言葉に反論する。リサも一緒に頷き、やがて苦渋の表情で呟いた。

「じゃあ……服を見に行きましょうか」



「いらっしゃいませ」

店内に入ると、元気な声で女性店員が挨拶をする。

ここは比較的中級品が揃えられた店である。値段は50ドル以上くらいといったところだろうか。

ちょっと大人になりたい年頃の子がおしゃれ着を揃えるにはちょうどいい店である。

「どんなものをお探しでしょうか」

「えーっと……女性の誕生日に贈るプレゼントを探していて……その、どんなものをプレゼントすればいいかボクにもわからなくて……」

「かしこまりました。ではこちらへ」

女性店員は三人を店の奥へと案内する。そこはたくさんの女物の服が並べられたゾーンだった。

「今の季節ですと、涼しげなイメージの水色、青がオススメでございます」

店員はたくさんの服の中から青いワンピースを選び出すとウィルの前に掲げる。

「これなどいかがでしょうか?」

それは比較的飾り気のない濃い青の生地が使われたワンピースだった。簡素で素朴、そして清楚なイメージを見る者に与える品ではあったが、やや子供っぽいデザインであった。

「ワンピースよりもブラウスの方が……」

「はい、では……」

女性店員は次に青のブラウスを選び出す。たくさんのフリルとレースで飾られ、それでいて派手さを感じさせないデザインだった。先ほどのワンピースと比べても、いくらか大人っぽい印象を与える。

「ねえウィル、これはちょっとやめた方がいいわ」

「え……?」

リサがウィルの耳元で囁く。

「可愛らしいといえば可愛らしいんだけど、フリルとレースが多い服は扱いが大変なのよ。洗濯すると痛むし……それに地が薄い青だから、色移りが怖いわ」

「なるほど……」

店員は次から次へと服を見せていくが、どれも何かしら欠点があったり、いまいちぱっとしないものばかりでなかなかこれという商品が決まらなかった。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」

三人はついに誕生日プレゼントが決まることもなく店を出る。レンは残念そうな表情を浮かべ、リサはため息をつき、ウィルは苦しげな表情を浮かべる。

一度昼食を食べようということになり、三人は手近な蕎麦屋に入った。

「はぁ……なかなかいいものが決まらないな……」

ウィルは頬杖をつきながら蕎麦をすする。リサも何ともやるせない表情を浮かべながら蕎麦を飲み込む。レンもいまいちしゃっきりとしないまま箸で蕎麦をつつく。

「アリスって、可愛いけどあんまり飾りっ気が多いのは似合わないからね。言い方はあれだけど……地味って言うか……あ、清楚って言えばいいかしら。ともかくそんな感じのものがいいと思うのよねぇ」

元から胸元を強調したり、丈の短いスカートを好まないアリスは普段からゆったりとしたデザインの服を好んで着ていた。そういうこともあってか、派手なデザインの服やアクセサリーを彼女が身に付けるということを三人はなかなか想像できなかった。

「そう言われてみると、確かに派手な感じっていうより静かな感じの方が似合うような気がしてくるね」

木陰で読書でも嗜みながら静かに時を過ごすイメージとでもいえばよいのだろうか。三人はそんなアリスに服飾系の品物を贈ることすら間違っているのではないかと思ってきてしまう。

一同は大きなため息をつきながら蕎麦を食べる。

マップを大きく広げ、蕎麦を噛み砕きながら三人はいい店がないかと探す。

「僕達もプレゼントを贈らないといけないし……今日は大変だね」

「ウィルと被っちゃダメよね……。一人分のプレゼントを選ぶのでさえ大変なのに、私達は三人分のプレゼントを選ばないといけないのよねぇ……」

三人はマップを眺めながら、もう一度大きなため息をついた。



昼食を終えた三人は当てもなくぶらぶらと店内を歩き回る。

様々な店がどこまでも並んでいるその様子はもはや、ショッピングモールというより商店街とさえ言えそうである。

「あれ、ユイさん?」

そんなとき、レンは無数の雑踏の中から白衣を見つけ出す。桃色の金髪、そしてくたびれた白衣は先日会った人物に酷似していた。

「れ、レンさんですか?」

その女性は手になにやら見覚えのあるファーストフードのマークが刻印された袋を両手に、雑踏の中を苦しそうに歩いていた。

「こんにちは」

「あ、はい。こんにちは」

二人は律義に頭を下げる。二人は以前に出会った後も何度となく公園で会ってはちょこちょこと話をしたりしていた。

「ユイさんは買い物?」

「お昼ご飯を買いに来たんですよ。私の部署の全員分だから大変ですよ」

そう言って重そうな袋を掲げる。確かに一人で食べるには多すぎる量だった。

「ねえレン。どちらさま?」

「あ、紹介が忘れていたね。この人はサクラギユイさん。研究所で働いてる人で、たまに公園で散歩しているときに話したりするんだよ」

「えと、その、レンさんとよくお話をさせてもらっています! あの、その! よろしくお願いします!」

「ふーん……“お話”ねぇ……」

やや怪訝そうな表情でリサは彼女を見つめる。ユイは慌ててメガネをかけ直しながらレンの方へと向き直る。

「れ、レンさん達は一体どういったご用件で?」

「友達の誕生日プレゼントを探しに来たんだよ」

「誕生日……プレゼントですか?」

「いろんな店に行ってみたんだけど、なかなかいい店が見つからなくてね……」

しばらくの間彼女は考え込んでいたが、やがて何かを思いついたのかレンに言葉をかける。

「あの、お役に立てるかはわかりませんが、ちょっと付いてきてもらってもいいですか?」

「どこかいい店を知ってるの?」

「アンティークショップって看板出してるんですけど、いわゆる古物商なんですね。いろいろな人が使っていた古い品物を取り扱っているんですけど、まだまだ使えるものばかりでいいお店ですよ」

四人はしばらくの間ショッピングモール内を歩き続ける。しばらく歩くと、やがてそれらしい看板が掲げられた店が見えてくる。

「なんていうか……ボロッちいわね」

「でも! 便利な品物ばっかりなんですよ!」

ウィルはは埃の積もった何かが並んだショーウィンドウを食い入るように見つめる。

「何となく惹かれるな……」

見るからに骨董品と思えるような書物や道具が並べられたウィンドウ。そして、あなたの欲しいものがきっと見つかります、と掲げられた看板。

「ちょっと見てきてもいいかな?」

そう言ってウィルは扉に手をかけると、ゆっくりと引いた。途端に埃っぽい、けれども温かな空気が流れ出てくる。そんな店の雰囲気にしばらく静止していた三人だったが、やがてユイの声ではっとする。

「じゃあ、私はこれで。レンさん、またお話しましょうね」

「あ、うん。じゃあまたね」

ユイはやや急ぎ足で駆けていく。転ばないかとしばらく不安だったが、どうやらそんなことはないようでレンは安心する。

「なんだか怪しげだけど……でもまあ入ってみましょ」

三人は店の中に入っていく。

「これは……」

まず店に入って感じたのは、とてつもなく長い時間だった。

ヘヴンが完成したのがおよそ30年前。その頃からずっと存在しているとすればそのまま30年。だが、レンたちが感じたのは人間にとっての長い時間でなく、本当に人類史の観点からの長い時であった。

言うなれば歴史であろうか。並べられた品々は確かに人の温もりを残しながら、けれどもとてつもなく長い年月がしっかりと刻み込まれている。それはレン達にとっては長すぎる時間。人の一生では測りきれない長い歴史。

「いらっしゃい」

何の言語で書かれているかわからないような書物を積み上げて作られた通路の先に、体の小さな老人が見え隠れする。三人は書物の山を崩さないようにゆっくりと老人の元へと進む。

「私一人ではなにぶん整理ができないからねぇ……。口が裂けても居心地がいいとは言えないけど、ゆっくりしていきなさい」

レン達は天井付近まで物が積み上げられた店内を見上げる。そこには得体の知れない書物や道具だけでなく、ちらほらと身近な物も並んでいた。

「これ……私達の院で使ってる教科書じゃない?」

厚い埃を手で払い除けると、そこには普段見慣れている数学の教科書が発掘される。ページを開くと新品同様で、汚いのは表紙だけであった。

「ほほ、ここには本当にいろんなものがあるんじゃよ。服だって見つかるし、家具だってたくさんある。宝飾、書物、それから様々な用途の道具……どれもこれももとは持ち主がいて、不幸にも離別することとなってしまったモノ達がここには眠っているのじゃ」

老人は一言一言区切ってはっきりと言葉を発する。そこにはただの言葉とは思えぬほどに深い、そして重い思いが込められていた。

「持ち主と離別したモノ達……?」

「今こそ持ち主はいないが、今もずっと新しい持ち主を待っている。私にはそう思えるのじゃよ」

レンは手近な本を手に取り、ページをめくってみる。そこに書かれている言語こそ理解することができなかったが、手垢の染みついた書物からは、確かに温かさを感じ取ることができる。

「ここにあるモノは……呪われたりしませんか?」

唐突にウィルが尋ねる。老人はやや意外そうな表情を浮かべたが、やがてにっこりと笑いを浮かべて頷く。

「ここにあるモノ達はいずれも持ち主にとても可愛がられたモノじゃ。そういったモノには穏やかな魂が宿っておる。そんなモノが誰かを守ることはあっても、誰かを傷付けたりするわけがないじゃろう」

その言葉を聞いてウィルは安心したような表情を浮かべる。

「そうですか……。じゃあ、ここでなら安心して探せます」

ほほ、と笑いながら老人は歩み寄る。

「何をお求めかな?」

老人は傍に置いてあったメガネをかけると、優しげな表情でウィルを見つめる。

「恋人に贈る誕生日プレゼントです。彼女のことを守ってくれる、そんなモノがあれば……」

「ほう、そのお嬢さんは7月生まれかね?」

「あ、はい、そうです」

老人は少しの間待つように促すと、店の奥へと姿を消した。

リサはウィルの背後に回り、耳元でこっそり囁いた。

「アンタ、お化けとか呪いとか信じてるの?」

「アリスが信じているんだよ。アリスはすごく怖がりだから……。ボクも少しはそういうの信じてるね。モノを乱雑に扱えば、必ず持ち主に何か返ってくると思ってる」

「ふふ、それは大変ね。じゃあ私は流し雛でもしないといけないわ」

リサは笑いながら何かを払うような仕草をする。

「僕はあんまり信じてないけど……でもさ、愛着があるモノって乱雑に扱えないよね。そういうものが壊れたら、僕は一応は感謝の気持ちを示してからゴミに出してるよ」

レンは目を閉じて自分が壊してしまったモノ達を想いながら感慨深げに呟いた。

「リサはモノを壊しまくってるからな。ありがとうより、ごめんなさいを連呼することになりそうだよ。ふふ、ごめんなさい、ごめんなさいって何かの怪談みたいだ」

「うるさいわね! 私だって大切にしてるモノくらいあるんだから!」

リサは口を尖らせて反論する。レンとウィルはそんなリサを見て笑い合う。

「一度見てみたいものだね。リサが大切にしてるモノとやらを」

「僕も気になるなぁ……。だって週に一度は皿かコップを割るリサだよ? とてもじゃないけど信じられないよ」

「はは、ボクもレンと同じ意見だね。キャンプの時、鉄の鍋に穴を開けたときは本当に驚いたね」

「あれは……鍋底が薄すぎるのよっ!」

「仲がよろしいことで」

老人が笑いながら戻ってくる。その手には小さな宝石箱があった。何の装飾もない不格好な箱は他の品々同様深い重みを感じさせる。

「これは遥か昔、とある村の祭祀長が身に付けていたといわれているルビーのネックレスじゃ。確か7月の誕生石はルビーじゃったな」

老人はゆっくりと小箱を開ける。その中には足の指ほどの大きさの不格好な赤い石が飾られたネックレスが入っていた。

「といっても、遥か昔の技術で作られたネックレスじゃから、石は原石のまま加工されてはおらん。それを純度の低い銀で飾ったものじゃ」

老人は赤く輝くネックレスを持ち上げる。

「チェーンは後にきちんとしたものに交換されておる。純度100%の銀じゃな」

ルビーの原石は薄暗い光を受けて鈍く輝く。それは室の悪いものではあったが、だからといって見劣りするようなものではなかった。

「こんな粗悪な石をカッティングしたら0.1カラットも残らん。だから、そのままネックレスとして使われておる。じゃが、かといってそんなに悪い見た目ではないじゃろう」

老人の言う通りそれは形こそ不揃いなものではあったが、きらきらと赤い光を放つその様子はとても美しかった。

「本当は120ドルの品じゃが……おぬしら、孤児院の子供じゃろう?」

「え、まあ、はい、そうです」

老人はそう尋ねると、何か意味のある視線を送ってくる。だが、その意味がなんなのか、三人はわからなかった。

「なら、50ドルにまけてやろう。いつも院には世話になっているんじゃよ」

70ドル以上の値引きに目を開くウィル。半額以上の値引きにさすがの三人も驚いてしまう。

「い、いいんですか!?」

「もちろんじゃとも。実質タダで手に入れたようなものじゃしな」

ウィルは財布からカードを出し、老人に手渡した。どうやらこんな古風な店でもきちんとしたレジスターはあるようだった。

「また来なさい。いろいろといい品もあるからの。ここで宝探しというのもまた一興じゃろう」

ウィルはカードとネックレスを受け取り、レン達の方へと振り返る。

「もう少し見ていってもいいかな」

「私達も誕生日プレゼント、手に入れないといけないしね」

ウィルは笑顔のまま頷いた。

「わかった。じゃあボクは先に帰らせてもらうよ。今日は君達、付き合ってくれてありがとう」

そのまま見るからに嬉しそうな足取りで店から出ていくウィル。そんなウィルの様子を見てリサが呟く。

「本当に幸せそうね」

「一週間悩み続けていたからね……」

「ううん、そういうことじゃなくて恋人にプレゼントを贈ること、そのものがとても嬉しそうだった」

リサは目を瞑ってウィルの姿を思い起こす。

「私、あんな風に誰かのために何かをすることが喜びとなる毎日がとても羨しい。それって、やっぱり生きてるって実感できると思うわ。毎日になにかしら意味があって、毎日に何かしらの楽しみがある。今の私には……そんな風に輝くものはないわ」

「そんなことないんじゃないかな」

レンは下を向いたまま呟く。その言葉にリサは振り向いた。

「だって、僕達がいるじゃないか」

「……え?」

「僕達じゃ不満かなぁ。僕は今日、ウィルのためにプレゼント選びに同行して楽しかったもん。ウィルが頼りにしてるって言ってくれたとき、凄く嬉しかった。結局大したことはできなかったけど……でも、最後にありがとうって言ってもらえてとても気分がよかったよ」

リサは沈んだ表情を浮かべてうつむく。

「結局私は何もできなかったわ。それに、私はウィルとそこまで親しいわけじゃないし……。私はレンみたいに誰とでも仲良く、ってのはやっぱり難しいわよ……」

「じゃあさ、僕だったらどう?」

「レン……だったら?」

リサは疑問の表情を浮かべながらレンに尋ねる。

「リサは僕とも親しくない、なんて言うの? そうだったら僕、悲しいよ」

レンは近くにあった小さなオルゴールを手に取り、ゼンマイを巻いてみる。

「リサは一番の友達だと思っているんだよ? 僕が行くところにはいつもリサがいて、いつもリサが遊んでくれるもん。それはやっぱり嬉しいことだし、とっても毎日が充実してるように感じさせてくれる」

「私はただ……皆、私を避けるから……私が皆を傷付けてしまうから……私を避けないレンと一緒にいるだけで……」

「僕といて楽しくない? あ、僕はそんなにいつも話題を持っているわけじゃないから楽しくないよね……」

「そ、そんなことないわ! アンタと一緒にいると退屈しなくていいし、アイスだっておごってくれるし……それに……」

レンはほどよくゼンマイを巻くと、ゆっくりと箱の蓋に手をかける。

「僕、もっと頑張るよ。リサをもっと楽しませて、毎日を充実したものにさせるよ。そうすれば、リサは何かに憧れる必要なんてなくなるでしょ?」

「レン……」

レンがオルゴールの蓋を開くと、店内に澄んだ音色が満ちていく。

「ありがとう……」

レンは小箱に入っていたカードを取り出す。それはオルゴールが奏でるメロディーの歌詞が書かれたカードだった。


あなたは毎日が楽しいかと、共に過ごす人がいるかと、歌は尋ねる。

縦に首を振れるあなたはすでに宝物を見つけている。それを大事にしなさいと、歌は云う。

横に首を振るあなたは少し寂しい。貴重な宝物を見逃しているのだからと、歌は嘆く。

だから宝物を見つけなさい。それは必ずどこかで眠っているだけで、まだ見つけていないだけだと歌は励ます。


レンは歌を歌い終わり、リサの目を見つめた。

「リサも宝物、見つけようよ」

「うん……」

リサは少しだけ頬を染めて頷く。

彼女は思う。すでにリサは宝物を見つけている。ただ、それをまだ手にとっていないだけだった。なぜなら、その宝物は砂の城のように脆くて、今にも崩れてしまいそうなほど危ういものだった。リサはそれを自らの手で壊してしまうことをとても恐れていた。できることならその宝物を抱きしめてしまいたいと思う。だが、壊れてしまうのを恐れ、手を伸ばすことができないでいた。

(私の宝物……。壊してしまうのが……怖い)

リサはちらりとレンの表情を伺う。レンは小さな声でその歌を口ずさんでいた。

(でも、放っておいたらいつかは壊れてしまう。私が一歩踏み出さないと……)

だが、リサは首を横に振る。

(今である必要はないわ。だって、まだ私達の生活は終わらない。少なくともあと数カ月は……今年が終わるまではレンと一緒にいられるんだから……)

しかし、リサはこのときまだ気付いてなかった。いや、気付いていないのはリサだけではない。レンもウィルもアリスもアランも、未だ誰一人として気付いている者はいなかった。

平和な日常というものは突然終わりを告げてることを……。ちょっとしたことで、砂の城は波にさらわれ崩れてしまうということを……。



レンとリサが孤児院前の駅のホームから出ると、外は酷い雨に包まれていた。

「うわ……傘持ってきてないよ」

轟々と音を立てながら雨粒は降り落ちる。天気予報では雨が降るなどということはいっていなかったので、当然ながら二人は傘を持っていない。

時刻は18時。あと30分でアリスの誕生パーティが始まってしまう。のんびりと雨宿りをしている余裕はないようだった。

「でも、早く帰らないと間に合わないわ。走りましょう」

二人は鞄を頭の上に乗せると一気に駆け抜ける。幸い長い距離ではなかったので二人はほとんど濡れることなく孤児院に到着した。

「この雨じゃあ花火はできないね……」

レンは憎らしげに暗い空を見上げる。帰る直前にレン達はおもちゃ屋に寄って花火を購入した。しかし、これではせっかく用意した花火も打ち上げることはできないだろう。

「残念だけど、またの機会にしましょう。きっと明日には晴れるわ」

「そうだね。じゃあ、とりあえず中に入ろうか」

レンとリサは孤児院の扉に手をかけ、押し開いた。

「レン! リサ! 早く早く!」

院の教師のミシェルが手を振る。どうやら飾りつけに相当てこずっているようである。

「アランが帰ってこないから、今ウィルしかいないのよ! アリスに手伝わせるわけにはいかないし……」

「あ、はい! 今行きます!」

レンとリサは邪魔にならない場所に鞄を置くと、大きく手を振っているミシェルの元へと走り寄る。

「これを壁に貼ってちょうだい。それからテーブルの位置をこうして……あと椅子はこうね。それが全部終わったら料理を運ぶのを手伝いなさい」

「わかりました」

二人はミシェルの指示に従って仕事をこなしていく。こうなると時間というものは矢のように過ぎていく。テーブルと椅子の配置が終わった頃、時刻は18時30分となっていた。

「早くしないと時間になっちゃうわよ! アリスにあと15分遅く来るように言っておいたから、45分までに料理を並べなさい!」

レンとリサは飾りつけが終わった部屋へと料理の大皿を運び込んでいく。どれもこれも院生やミシェル達が丹精込めて作った料理である。間違っても床にぶちまけるような失敗は許されない。

「ウィル! ローストビーフの皿をもう少し横にどけて!」

「リサ、ジュースの用意はできた?」

「はい、あとはクラッカーを皆に配って……」

料理のセットが無事終わり、院生たちはそれぞれクラッカーを手に持つ。そして、玄関へと集合した。

「42分……ギリギリってとこね」

「さ、あとはあアリスを祝ってあげようね」

院生たちは黙ったまま長いようで短い時間を過ごす。全員の視線はドアの一点へと向けられていた。

……やがてドアのノブがゆっくりと動き、ポニーテールの少女がやや緊張した面持ちで入ってきた。

「さ、皆!」

「「お誕生日おめでとう!!」」

一斉に弾けるクラッカー。玄関のあちこちから紙テープが飛び出し、紙吹雪が宙を舞う。

最初は緊張した表情を浮かべていたアリスも、少しずつ笑顔を浮かべるようになる。

「ありがとう、皆さん!」

そして食事会が始まる。

立食形式のバイキングである。食べられる分量だけ皿に取り、好きな順番で食べることができる。

レンはバランスよく、リサは肉多め、ウィルは野菜山盛り、そしてアリスはデザートフルコースだった。

四人は集まると、楽しそうに会話をしながら夕食を味わう。

「皆さん、ありがとうございます」

「僕達だって盛大に祝ってもらったんだもん。アリスもしっかり祝わないとね」

ちなみにアランを含めた五人の中で最も誕生日が遅いのがアリスである。

ウィルは笑いながらアリスの頬をつつく。

「アリス、本当におめでとう!」

「ありがとう、ウィル。夏の日差しよりも熱いあなたの言葉は本当に私の心を溶かしてしまいそうだわ」

うっとりとした表情を浮かべるアリス。そんなおアツい様子に思わずレンとリサは顔を背ける。

「ま、多少は許すけどさ……」

「見てるこっちが恥ずかしくなってきちゃうわ……」

二人は一時食事に熱中する。メニューの種類が豊富で何から食べるか迷ってしまいそうだった。

「ねぇリサ……。アランはどうしたのかな?」

しばらくは気にしていなかったが、時計の針が進むにつれて、レンはアランのことが心配になってきたのだった。

「アイツには放浪癖があるからね……。またどこかうろついてるんじゃないかしら?」

「アランは仲間のことを大事に思うヤツだよ? まさかこんな日に限って……」

リサはスパゲッティミートソースを口の端につけたまま答える。

「いいんじゃない? アランってしょっちゅういなくなるじゃない。で、いつの間にか戻ってるって感じ? とにかく、アイツのことだから心配いらないわよ」

「そうだといいんだけど……」

レンは窓から雨が降りしきる外を眺める。月の見えない空は不気味で、どんよりとした空気を渦巻きながら横たわっていた。時折空の一端がきらめく。どうやら雷まで降っているようだった。

その様子を見て、より不安になるレン。そんなレンの隣にアリスがやってくる。

「アランさん……ですか?」

「うん。やっぱり心配だよ。こんな日のこんな時間まで帰ってこないなんて……」

再び空が輝く。数秒後に空を震わす低い音が聞こえてきた。

「外は雷まで降っていますし……できれば早く戻ってきて欲しいと思っています」

アリスも窓から空を見上げる。星の見えない暗い空は何か不吉な予感を暗示しているように思えた。

「アリス、ケーキが出てくるよ!」

「あ、はい、今行きますね! ではレンさん、プレゼント楽しみにしていますね」

そう笑顔で言うとアリスは輪の方へと飛び込んでいく。レンはしばらくの間空を眺めていたが、やがてレンもケーキに集まる皆の元へと歩いていった。



部屋は照明を落とされ、その巨大な部屋には見合わないような小さい十八の火の明かりだけがお互いの顔を明るく照らす。そして、ポニーテールの少女はそのかがり火を本当に嬉しそうな表情で見つめる。

「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」

歌の第一節が始まる。誕生日に定番のバースデーソングだった。

一節一節に祝福を込めた歌。それは彼女が生まれてきたことを本当に嬉しく思い、そして喜ばしく思う歌だ。

アリスの中で今年一年のことが思い起こされる。

ウィルと一緒に行った海、花見、それから二人で過ごしたクリスマス、そして初めて他の人と力を合わせたキャンプ。

どれもこれも楽しいイベントであった……はずである。

……アリスはそこで微妙な違和感を感じる。海、という単語だけは頭に浮かぶも、その情景は浮かんでこない。

(海……? 私は海で何をしていたのでしたっけ……?)

海といえば泳いだり、散歩を楽しんだり、釣りをしたりするのが普通である。けれども、アリスっは海へ行って何をしたのか、それどころか海がどんな姿をしていたのかすら思い出すことができなかった。

(花見も……桜の木なんてどこにあったでしょう……? それにクリスマス……寮は離れていて男女別室だから二人で過ごすことなんてできません。門限を超えようものなら……ううん、でもそんなはずは……)

アリスが思い出そうとすればするほど記憶はぼやけ、にじみ、霞んで消えていく。本当に海に行ったのか、花見に出かけたのか、クリスマスを二人で過ごしたのか、それらが本当に起こった事実だと思い込むことができなかった。

考えれば考えるほどにアリスの胸中で不安が渦巻く。幸せな気持ちは散り逝く桜のように消えていき、後には不安という幹だけが姿を残す。アリスはわずかに残る桜の花を必死に掴もうとするも、それは手の中からこぼれ落ち、そして見えぬ闇へと消えていく。

「はっぴばーすでーでぃあアリスー♪ はっぴばーすでーとぅーゆー♪」

気付くと歌は終わりを迎えていた。

しかし、アリスは十八のロウソクを吹き消すことができなかった。いや、正確には自身が祝福されているということを忘れてしまっている、といった方がよいのだろうか。ともかくアリスは呼吸をすることも忘れて不安に囚われる。波紋のように広がりゆくその感覚は、今や彼女を捕えて離さなかった。

「アリス……?」

ウィルがアリスにそっと声をかける。しかし、アリスはぼーっとしたまま焦点の合わない瞳で何かを見つめていた。

「アリス?」

そっとアリスの肩に触れるウィル。その瞬間、アリスは驚いたような表情を浮かべ、ウィルの目を見つめる。

「歌……終わったよ?」

しばらくの間、呆けた表情を浮かべていたアリスだったが、すぐに普段の表情に戻って謝る。

「あ……えっと……ごめんなさい。少し考え事をしていて……」

アリスはふーっと息を吹きかけ、巨大なケーキに立てられたロウソクを吹き消した。ぱらぱらと部屋の中から響く拍手の音。それに歓声を合わせる者は一人もいない。

アリスは申し訳のないような表情を浮かべながらゆっくりと椅子に座った。

やがてミシェルが部屋の明かりを付ける。すると、心配そうな表情を浮かべた院生達の表情が映し出された。

「アリス、体調悪いのかしら?」

ミシェルが一番にアリスへ尋ねた。アリスは首を横に振って答える。

「いえ……ちょっと考え事をしていて……」

「そう……ちゃんと歌が終わったらすぐに吹き消さないと、皆不安になるでしょう? こうやって祝ってもらっているのだから、変に何かを考えたりせず、喜びで心をいっぱいにしないとね?」

ミシェルはアリスを慰めるように優しく言う。だが、憂鬱な表情を浮かべるアリスは小さく頷くだけだった。

「早めに寮に戻って休む?」

「いえ……大丈夫です! こんな暗い顔してたら申し訳ないですね!」

自分で頬を何度かぴしゃりと叩き、やがてしゃっきりしたような表情を浮かべるアリス。それを見て何人かの院生が安堵する。

「無理しなくていいのよ?」

「大丈夫です。もう自分の中で解決しましたから」

そう言うと、近くに置いてあったナイフを取り上げて、ケーキをさっそくカットし始める。

「早くしないと大きいの、私が食べちゃいますよ?」

「アリスさんずるーい!」

「僕が一番大きいの!」

「ダメぇー! 私が一番大きいのを食べるんだからぁー!」

あっという間に小さな院生達に囲まれるアリス。それを見て、ようやくアリスは笑顔を浮かべる。

「はい、一列に並んで!」

アリスはそう言うと、子供達を並ばせてケーキを配り始めた。

しかし、アリスのことをよく知るウィルやレン、リサにはその表情が無理やり仮面のように張り付けたものにしか見えなかった。



巨大なケーキもあらかた片付き、プレゼント贈呈も済ませた院生やアリス達は、それぞれ方々に散って仲のいい友達とゆっくりのんびり話をしていた。レン達もアリスを中心に集まり、のんびりと残ったケーキを食べながら談話を弾ませていた。

しかし、未だアランの姿は院内のどこにもなかった。

「アラン、どうしちゃったんだろう……」

「いつの間にかいなくなって、いつの間にか現れるヤツだったけど……こんな日に約束をすっぽかすヤツじゃないな」

すでに時刻は8時を回っている。門限は10時までなのでありえないということはないものの、不思議であることには変わりがない。

「ところでアリス、プレゼントの包装は開け終わったかい?」

「いえ……数が尋常じゃないので……」

単純にプレゼントを用意できるほどの財力がある者が12歳以上の者に限られたとしても、30人近い院生がいる。もちろん、12歳未満の院生も折り紙で何かを作ったり、クッキーを焼いたりと実に様々なことができる。結果としてプレゼントの箱が山積みとなり、もはやどうしようもないという状態になっていたのだった。

それでも几帳面なアリスはそれらを放ったりはしない。一つ一つ包装を丁寧に開き、中のプレゼントを見て、感謝の気持ちを表してから次の包装を開く。現時点で20個以上は開けているが、その大半が菓子や折り紙、絵、手紙などだった。

「これは……」

アリスは小さな包みを手にとる。やや乱暴ではあったが、きっちりと美しい包装紙で包まれたそれは、細長いペンケースほどの大きさであった。

「あ、それ私のだ!」

リサが小さな細長い箱を指差して言う。アリスはゆっくりと包み紙を解いていく。

「綺麗……」

それは茶と金色に輝く琥珀に飾られた小さな髪飾りだった。

アリスはそれを光にかざしてみる。それは電灯の光を受けて、辺りにまばゆい光を放っていた。

「ありがとうございます、リサさん」

「えへへ、どういたしまして」

彼女はさっそく髪飾りで髪をまとめる。今まで髪を留めていたゴムを腕に留め、同じように髪を留める。流れるような栗色の髪によく似合っていた。

「綺麗だよ、アリス。似合ってる」

「ウィル……ありがとうございます」

アリスは頬を赤く染めてうつむいた。ウィルはそんな彼女を笑いながら見つめる。

「それ、あのお店で買ったんだよ」

「あの店って……ボクがアリスのプレゼントを買ったアンティークショップ?」

ウィルが尋ねるとリサはこくこくと頷く。レンも同じようにリサと一緒に買ったのだと言う。

「レン、君はまさか……」

「あはは、大丈夫だよ。ウィルが買ったモノに被るようなモノは買ってないし、それどころかウィルのプレゼントがより輝くと思うよ」

「もしかして……これですか?」

アリスはやや大きい箱を取り上げる。10センチ四方ほどの大きさのその箱は、ちょっとした重量感を感じさせる。

一枚ずつ紙を取り払っていくうちに、徐々にその姿が現れる。それは古めかしい作りではあるが、丈夫さと温かさを感じさせてくれる木製の宝石箱だった。

「これは……」

「開けてみて」

レンの言葉を聞いてアリスは箱の蓋に手をかける。蓋が開くと同時に流れ出すメロディー。

「……心の宝箱?」

「大正解!」

びしっと親指を立ててレンが笑う。それは比較的有名な童謡である心の宝箱という曲だった。

「……懐かしいです」

「小さい頃によく聞いたよね」

懐かしい調べが徐々に部屋の中を満たしていく。それはとても心地がよく、穏やかな気分にさせてくれる音色だった。


――あなたは毎日が楽しいですか

――どんな人と触れ合っていますか

――一緒にいて楽しい人がいますか

――首を縦に振れるあなたはとっても立派

――幸せな毎日を送れるでしょう

――首を横に振るあなたはちょっと寂しい

――だって、貴重な宝物を逃しているのだから

――見つけましょう、あなたの宝物

――きっとどこかに眠っているわ

――あなたの傍に眠っているわ

――さあさあ見つけてちょうだい

――私もあなたの宝物を見てみたいのだから


アリスの口から自然に歌の歌詞が流れ出る。

宝物、それはまさに今のような時間だと、アリスは思った。

アリスだけではない。レンやリサ、ウィルもアリスと同じ気持ちだった。仲間とゆっくり過ごせる時間ほど尊いものはない。

アリスはゆっくりと箱を閉じる。

「レンさん……ありがとうございます。とても心が温まりました」

「あはは、そんなに凄いものじゃないよ」

レンも照れるような表情を浮かべて答える。

「じゃあ……最後に……」

今か今かと待ちわびていたウィルの表情に緊張が走る。最後に残った包み……すなわちそれはウィルがアリスへプレゼントした包みだった。

アリスは仲間達からの祝福という幸せを噛みしめながら、一枚一枚包装紙を剥がしていく。

やがて、古ぼけたような箱が現れる。見た目は実に貧相ではあるが、それとは対象的に重く、そしてこすれるような金属音が聞こえてくる。

レン達が見守る中、アリスはゆっくりと箱を開いていく。そして、その美しい贈り物に思わず息を飲む。

「これは……」

アリスの手の中で見事なルビーのネックレスが輝く。その美しさに、アリスの表情がみるみる恍惚としたものへと変化していく。

「ウィルからの……プレゼント……」

ルビーに込められた言葉は『情熱・愛情』である。二人の仲をさらに深い絆で結ぶであろうその宝石は、アリスへのプレゼントとしてこれ以上に相応しいものがあるだろうか。

「気に入ってくれたかい?」

「はい……。こんな……こんな素敵なプレゼントを頂いて……私は本当に幸せ……で……ひっく……ぐすっ」

アリスの目から一筋の水滴がこぼれ落ちる。それは徐々に溢れていき、やがて止まることを知らない洪水となる。その様子を見てウィルは驚いたような表情を浮かべる。

「ウィル……アリス泣かしたぁー」

レンとリサがニヤニヤしながらウィルを見つめる。

「な、なんで泣いてるんだい!?」

アリスは涙を流しながらにっこりと笑いを浮かべる。

「だって……嬉しくて……凄く嬉しくて……」

そして、アリスはそのままウィルを抱きしめる。そして、そっと顔を上げて小さな声で呟いた。

「私……本当に幸せです」

「アリス……」

温かな抱擁。思わず見ている者すらも気恥ずかしくなってしまう。レンとリサはこっそり背中を向けてぽりぽりと頬を掻く。

だが、そんな幸せな時間も唐突に終わってしまうものである。

「アランさん戻ったよー!」

その声を聞いて、思わず二人は抱擁を解く。そしてやや恥ずかしそうに頬や頭を掻いた。

レン達は苦笑いを浮かべながら玄関の方へと駆け寄る。

「アラン!」

「悪いな、遅くなっちまって……」

アランは上から下までぐっしょりと濡れ、服の端からぽたぽたと滴をこぼしていた。ミシェルは急いでタオルを用意する。アランはそのタオルを受け取ると、小さな声で礼を言って頭を拭いた。

「こんな遅くまでどうしてたの?」

「ちょっとプレゼントの用意に手間取ってな」

アランは懐から小箱を取り出し、アリスに放り投げた。

「誕生日おめでとう」

「あ、ありがとうございます……」

がしがしとタオルで頭を拭いたアランはそのまま院の奥へと進んでいく。

「ミシェル先生、風呂借りますね」

「え、ええ……」

通常風呂は寮の地下にある大浴場を使用するのが原則となっているが、事情によっては孤児院の中にある風呂を使用することも許される。服も予備のものをいくつか院に預けてあるので、万が一のときでも入浴することは可能となっているのだった。

アランが風呂へと向かうとやや騒然としていた玄関は徐々に閑散としていく。

レン達も一時元の部屋に戻った。そして、アランが帰ってきたことに安心しつつも、こんな遅くまで何をしていたのだろうかということが気になってくる。

「アラン……こんな時間までどうしてたんだろう……」

「誕生日プレゼント選びに時間がかかったんじゃないかしら?」

「アランは準備がいいから……前日までには揃えるんじゃないかな……」

レンがよく知るアランならばそんなヘマはしない。こういうことは要領よくこなすアランである。アランの性格を考えれば、何か事情があると考えるのが至極もっともであった。

「ところでアランは何を君にプレゼントしたんだい?」

ウィルはふとアリスに尋ねる。ウィルとしてはアランが遅くなった理由よりも、そちらの方が気になるようだった。

「じゃあ開けますね」

アリスは丁寧に包装を剥がしていく。その小さな箱にどんなプレゼントが入ってるのか四人は興味津々だった。

「これは……ディスクですよね?」

円盤状の物体……何らかのデータが記録されているであろうメモリーだった。どんなデータが詰め込まれてあるかはコンピュータに入れてみなければわからない。

アリスは何も書かれていないディスクを電灯にかざしてみたり、しげしげと見つめてみたりするが、どこにもラベルのようなものはなく、何が中に入っているのかはまったくわからなかった。

「彼が作ったゲームかなにかかい?」

「どうだろう……。アランはそういうの、あんまり得意じゃないから違うと思うけどな……」

メモリーである以上、コンピュータで開いてみなければその正体はわからない。

しばらくの間、無記名のディスクと格闘していた四人だったが、やがて諦めてディスクを小箱へ戻す。

「僕の部屋にノートパソコンがあるけど……それを談話室で使う?」

談話室とは男女が両方とも入ることができる寮内唯一の部屋だった。もっとも、談話室にはコンピュータがないので持ち込まなければならない。

「僕、一旦取りに帰るよ。皆はアランが戻ってきたら談話室に集合ね」

「私も行く!」

リサが手を挙げて身を乗り出してきた。レンはやれやれというような表情を浮かべる。

「リサ、君は男子寮に……」

「大丈夫よ。中は繋がっているんだし、見回りがあるわけでもないもの。バレやしないわ」

レンはしばらく考え込んでいたが、やがて頷く。

「わかったよ。じゃあそういうことで僕はリサと一緒にパソコンを取りに戻ってるね」

「わかりました。それでは気を付けてくださいね。相変わらず雨が酷いようです……」

レンとリサは院で傘を借り、駅へと向かう。雨は更に激しさを増し、相変わらず雷の音も響いていた。

「急ぎましょ。冠水でもしたら困るわ」

二人はリニアに飛び乗ると、ようやく一息ついて座席に座る。休日とはいえ、時間が遅いのと雨の酷さゆえか乗客はほとんどいなかった。

「ふぅ……本当に酷い天気だね」

レンはぐっしょりと濡れた傘をたたみ、座席に体重を預ける。列車は音もなく動き始めた。

雨は相変わらず窓を叩き続ける。傘から垂れ落ちる水滴は小さな水たまりを車内の床に作り出した。

「ほんと嫌ね。私、雨って大嫌いよ」

リサは雨の滴をまき散らしながら不快そうに文句を言う。

レンは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。



「これがアンタの部屋なのね」

「ま、散らかってるけど上がってよ」

リサは物珍しそうにレンの部屋を見回す。彼女にとって男子の部屋というものは珍しいのだろう。

部屋の中にはほとんど私物はなかったが、それでもリサは少ない私物をさっそく漁り始める。

「思ったよりも綺麗ね」

「物も少ないからね」

リサは筆記用具や本などを摘まみ上げてははその辺に放り投げる。彼女にとってそれほど珍しい物は見つからなかったようだ。

「あんまり散らかさないでね」

レンは机の引き出しを引っ張り、中にあるノートパソコンを取り出した。

リサはレンの元へと歩いていくと、ひょっこりと首を出して覗きこむ。

「この写真は……?」

リサの目に止まったのは一枚の写真が収められた木のフォトスタンドだった。彼女はそれを手に取ると、しげしげと見つめる。

「懐かしいよね。去年のキャンプのときの写真だよ」

リサは両手でフォトスタンドを抱え上げると、それをじっくりと見つめる。

それはレンにとって数少ない宝物とも言えるものである。

一年前に仲間達と……レン、リサ、アラン、ウィル、そしてアリスの五人と撮った一枚の写真。騒ぎ、はしゃぎ、時々喧嘩して、また仲直りして……そんな例年通りのキャンプを過ごした証だった。

リサの表情は無表情だったが、レンはその表情の裏で懐かしんでいるに違いないと想像する。

今でもレンが見る度に懐かしさが込み上げてくる写真だ。リサだって感慨深いに違いないだろう。

……だが、彼女の答えはレンの思いもよらないものだった。


「知らない」


「……え?」

はじめは無表情だったリサの顔へ徐々に困惑や疑問が浮かんでくる。

リサはゆっくりとフォトスタンドを机の上に戻すと、声音を震わせながら背を向ける。

「リサ……?」

レンの頭の中はクエスチョンマークに満たされる。彼にはリサの言葉の意味を理解することができなかった。

彼女は背を向けたまま、小さな声でレンに言った。

「レン……私、去年のキャンプには参加してないよ?」

「……嘘でしょ?」

「覚えてない? 私は風邪をひいて熱を出してしまったの。それでキャンプには行けなかったんだよ?」

「だって……この写真にはリサが……!」

レンはフォトスタンドを乱暴に掴むと、その写真を穴が空くほど見つめる。

「だって、ここにリサがいるじゃない!」

レンが指差す先には一人の少女がにっこりと笑って写っていた。……が、撮る直前にカメラを動かしてしまったのか、ぼんやりとぼけて薄れてしまっている。

「それ……私じゃない。私はそんなネックレス持ってないもの……」

レンはもう一度写真の少女を見つめる。確かに彼女の胸元には赤い大きな宝石がはまったネックレスが輝いていた。

「赤い……宝石の……ネックレス……?」

彼の頭の中で今日見た風景の一部が蘇る。

ウィルが今日、アリスにプレゼントしたものはなんだっただろうか。

「赤い……宝石のネックレス……」

彼はそう自答する。

「そんな……なんで……?」

レンはぼそりと呟いた。そして、その写真立とノートパソコンを持って自室から飛び出した。

「レン!?」

リサは慌てて部屋の施錠もせずにレンの後を追った。

彼の姿はエレベーターの前にはなかった。おそらく階段を駆け降りたのだろう。リサは急いで彼の後を追う。

「レン、待って!」

やっとのことでリサはレンの後へと追いつく。そして、その肩をつかんで無理矢理引きとめる。

「レン! 待ちなさい!」

リサの大きな声が階段室にこだまする。その音でようやく正気に戻ったのか、レンは真っ青な表情で振り向き、リサのことを見つめた。

「リサ……僕、なんだか悪い予感がするんだ」

「そんなの私だって同じよ! 気持ち悪いったらありゃしないわ!」

「アランだ。アランに尋ねよう!」

リサは頷くと、レンと一緒に階段を駆け降りる。一気に地下一階まで降りると、まっすぐに談話室へと向かう。

「遅かったね」

ウィルが手を挙げて二人を迎える。談話室にはウィルとアリス、そしてアランの他には誰もいなかった。

レンはしばらくの間息を整えていたが、写真を突き出して三人を見つめる。

ウィルとアリスは不思議そうな表情を浮かべたが、アランだけはレンが言わんとしていることを理解できたのか、目を瞑って頷いた。

「レンも……気付いたのか」

「アラン! 君は一体何を知っているの!」

アランは黙ってレンからノートパソコンを受け取ると、アリスに預けていたデータディスクを挿入し、中のデータをロードする。

やがて、モニターには次々と文字や数字、グラフなどが映し出され、画面を満たしていく。

「これは……僕?」

アランの真後ろに張り付いて食い入るようにモニターを見つめていたレンが呟いた。

彼の視線の先には……レンと同じ顔をした老人の写真と、その人物に関するデータが事細かに記載されていた。

「なんでこんなに老けてるのよ! というか、このデータはなんなのよ!」

アランは大きく息を吐くと、ゆっくりと深呼吸してから話し始める。

「これは……俺達のオリジナルとなった人間のデータだ。いいか、落ち着いてよく聞けよ? 俺達院の子供は全員! どこの誰とも知らない誰かをベースにコピーされた人間なんだよ!」

四人はぽかんとした表情をしながらアランを見つめていた。アランはやや早口で吐き出すように話し続ける。

「クローン。人間のコピー。禁じられた、人の手による人を“生産”する技術を用いて創られた人造人間。それが俺達だ」

レンは彼の言葉に茫然とする。彼の言葉が正しいとすると……レンという人間は確立した存在ではなく、誰かの射影に過ぎないということである。

アランは次々とデータを開いていく。そこには見知った人物によく似た別人の顔が何十枚も映し出されていた。

「ちょっと……冗談でしょ? あはは……これが私のオリジナル? 馬鹿言わないで。私は私よ。私はリサイア! リサなのよ!」

「アラン! これは冗談にしてはつまらないぞ! もっと面白いことを言いたまえ!」

「私だってアリシアです! いきなりよく似た誰かを見せられたって、はいそうですかって納得できるわけないじゃないですか! こ、根拠はどうなんですか! 何か根拠になるものはないんですか!?」

そのとき、レンの脳裏に一つの言葉が甦ってきた。

『私達の研究には禁じられていることが三つあります。それはお金を創ること、不幸を創ること、それから人を創ることです。けれども……最近はどうも雲行きが怪しいんです。噂にすぎないのですが……この禁忌の一つが冒されているとか……まあ噂にすぎませんけどね』

ほんの数日前、レンがユイに会ったときの会話である。お金持ちになるならドル札を作ればいいじゃないか、という話しになったときに彼女がまじめな表情で言った言葉だった。

「僕……ユイさんに聞いたことがある。最近、お金を創ったり、または不幸を創ったり、もしくは人を創ったりされてるっていう噂があるって……。そのときは信じられなかったけど……これは僕達のことを言ってたんじゃないのかな?」

「そんなのは噂に過ぎない! 第一、ボク達みたいな人間を作ったって、どんな利益があるっていうんだ! ただの無駄な浪費じゃないか! こんな戦争の真っ只中、こんな無駄なことをする企業がどこにある!」

ウィルは大きな声で吠え猛る。だが、小さな声でアランが呟いた。

「……あるんだな。利益が……」

「なんだい! 言ってみろよ!」

「部品交換技術……移植手術って知ってるか? 人の細胞、組織、臓器などの体の壊れた一部を他人の正常な部分と交換し、治す技術。これは本来、免疫とか遺伝だとかで色々他人だと面倒な手術なんだが……実はある方法を用いれば、少ないリスクで手術をすることができる。しかも成功率は他の方法に比べればとてつもなく高い。この方法、なんだかわかるか?」

背中を駆け上がる悪寒。四人は顔を青ざめて、まさか、そんなと否定する言葉を口に出す。

だが、そんなわずかな抵抗すらも、アランの言葉によって圧殺される。

「同じ遺伝配列を持つ人間……クローンから体の部品をもらえばいいんだ。原料はその人の体の一部。それで新しく部品を作れば他の人間がドナーとなって体の一部を提供する必要がない。しかも免疫的な問題、遺伝的な問題共にクリアできてしまうんだ」

「う、嘘だろ……? だ、第一、ボク達は18歳だ。こうやって、一人前の人間に成長するまでにどれだけの時間がかかると思ってるんだ? 18年も待っていたら、先に本人の方が死んでしまう可能性だってあるじゃないか!」

「……時々、人と会話が噛み合わないことがなかったか? たとえば、俺は昔リサに投げ飛ばされたはずなんだが、リサ、覚えてるか?」

「な、投げ飛ばしたって何よ!? 馬ッ鹿じゃないの!? 私の細腕のどこにそんな力があるっていうのよ!?」

「こういうことだ。俺の記憶には、確かに3年前、リサに公園から海に投げ飛ばされて死にかけたって記憶がある。だが、リサの方はそんな記憶はないと言い張る。こんなことがお前らの身の回りでなかったか?」

しばらくの間一人黙っていたアリスだったが、突然はっとしたような表情を浮かべて呟いた。

「そういえば……私、ウィルと少し喧嘩したことがありました。この前のキャンプのときのことなんですけど、私は今年水着を新調したんです。でも、ウィルは去年と同じものを着てると言い張って……」

「そ、それがなんだって言うんだ! そういう記憶違いくらい、誰だってあるだろう!」

ウィルの問いにアランは首を横に振る。そして、ゆっくりと口を開いた。

「俺らの生年月日は去年の数日前、つまり一年とちょっと前だ。つまり、俺達の本当の年齢はほぼ満一歳。生まれてから一年しか経過していない赤ん坊と同じだ。生きてた日数はな」

「はぁ!? 君は頭湧いてるんじゃないか!? 一歳の赤ん坊がボクら? どうしてこんなに体が大きく、言葉を喋り、物事を考えるんだ!」

「元々ある程度成長した細胞……もっとも、依頼人にとっては子供時代の細胞だろうが……それをベースに人間を創ると、体細胞はその時の年齢の時の細胞と同じ物になる。もっとも、俺達ほどまで成長するには時間はかかるだろうが……そこでオキシデリボ製薬の出番だ。成長促進剤っつう薬で俺達はさらに数倍の速度で成長する。もし、6歳の時の細胞を使っているとしたら、十二倍の成長速度で成長させれば一年間で18歳になる。3歳なら十五倍だ。記憶の方は研究所の奴らが時々調整しているみたいだ。なんせ20日に1歳くらいの計算になるはずだからな。そんな風に何度も何度も記憶を改竄していればおかしくもなるさ。だから、人によって一つの事実に対する記憶が異なるわけだ」

今まで静かに聞いていたレンがふと口を開く。それはとてもか細い声だったが、なんとか言葉となって紡ぎ出される。

「なんで……なんでアランはこんなこと知ってるの……?」

アランは両腕を組んで大きなため息をついた。しばらくの間、そうしてうつむいたまま黙っていたが、やがて心を決めたのか、静かに語り始めた。

「最初はちょっとした好奇心……それとアリスへのプレゼントのつもりだったんだ。研究所の方なら俺らが拾われた場所がわかると思ってな。そうすれば親にだって会えるかもしれないし、同じ人種の人の中で暮らすことができる。来年から戦争で荒れた世界に放り出されるなら、せめて異民族の中ではなく、同じ仲間の中で生活するほうが安心できると思ったんだ」

「つまり……アランさんは私の故郷を探しに行ってくれたんですね」

アリスの問いかけにアランは頷く。その表情は苦渋に満ちていて、こんなにも恐ろしい真実を知ってしまったことに対する後悔の念がありありと浮かんでいた。

「故郷を知ることはできた。親もわかった。だが、こんなのってアリかよ……。いっそのこと、知らなければどれだけ幸せな気持ちで最期を迎えることができただろうかとすら思った」

「それがわかっているなら、どうしてボク達に知らせたんだい?」

ウィルがアランの胸倉を掴んで迫る。それは脅しや見かけ倒しではない。彼の表情には強い怒りと憎しみがしっかりと刻み込まれていた。

「そんな知らない方がよかったと思ったことを、どうしてボク達に知らせたんだ! 自分一人がそんな恐怖の中に置き去りにされるのが不公平だと思ったのかい!? 君って奴はなんて自己中心的な奴なんだ」

右手が振り上げられる。それはまっすぐにアランを殴り飛ばすかと思われたが、その拳にレンが飛びついた。

「やめてよッ!」

レンは大きな声で叫ぶ。ウィルの腕にがっしりと腕を絡めながら、大きな涙の粒をぼろぼろとこぼしなが、彼はもう一度言った。

「やめてよ……。そんな風に争わないでよ……」

「そうですよ、ウィル。こんな意味のないことで争っても仕方がありません。それよりもこの事実を知ることができたのを幸運に思いましょう」

「そうよ! そうとわかれば殺される前に逃げればいいのよ!」

ウィルは一度腕を下すと、淡泊な表情でリサに尋ねた。

「リサ、君はどうやって逃げるつもりだい? 数日に一度しか来ない物資運搬船に乗るためには多額のお金が必要だ。これはおそらく、俺達がこの島を出られないようにするためだろう。となると、奴らはボク達を逃がす気がないというわけだ。つまり、この島から逃げ出す方法は限りなく少ないということを意味する。仮に船にうまく隠れて乗ることができたとしても、数日かかる航路だったはずだ。その間五人もの人間が見つからずに大陸まで出ることができると思うかい? それに、こっちの島でボク達がいないとわかれば大騒ぎになるはずだ。一番怪しい船はまっすぐこの島へと戻ってくるだろう」

「じゃあ、私達が船を見つけてそれに乗れば……」

だが、それをアランが遮るように言った。

「この島から半径数百キロには島がないと聞く。そんな距離、何の技能も持たないただの子供の俺達が遭難もせずに航行することができると思うのか?」

「じゃあどうしろっていうのよ! この島にはヘリコプターとか、飛行機みたいなものは一切ないのよ!? 海路以外の方法でどうやって島の外に出るのよ!」

「だから知らなければいいと言ったんだよ……。俺達は生きてこの島を出ることはできない。それどころか、もう数年、いや数カ月や数日、もしかすると今夜にも殺されるかもしれないんだ……」

アランの言葉に全員は絶句する。

免れることが出来ない悲惨な未来。限られたわずかな余命。いつ死ぬかわからない恐怖。

それらはぐるぐると渦を巻きながら、五人の心を闇の中へと引きずり込む。

部品としての命。それ以外に五人の未来は……ない。


『諦めるのかい?』

“僕”が僕に尋ねてくる。気付くと、僕はいつの間にかいつかの白い部屋の椅子に座っていた。

あの時は明るく見えた白い壁も、今日はなんだか薄汚れているように見える。これはおそらく僕の心をそのまま映し出した部屋なのだろう。

僕は立ち上がることもせず、静かな声で“僕”に尋ねる。

「何か方法があるの? 海はダメ、空もダメ。まさか穴でも掘って行けって言うんじゃないだろうね?」

“僕”はククク、とおかしそうに笑うと、指を数度横に振った。

『チッチッチ、さすがの僕でもそんなことは言わないさ。ある意味一番現実を見ているのが僕なんだからね』

「じゃあ、現実を見てる僕に尋ねるよ。僕らが実行可能な方法で、安全に島の外に出る方法はあるの?」

“僕”は複雑な表情を浮かべながら窓のそばを歩く。何かを喋ろうとするが、まるで喋ってしまうのが惜しいかのように数度口をつぐむ。僕はそんな“僕”のじれったい様子に声を荒げた。

「なんにも意見を出せないなら黙っててよ。僕だって諦めたくないんだ。今もこうして必死に考えているというのに……君はそんな風によくわからないことばかり言ってはぐらかす。現実を見ているなら、きちんと口に出して無理だって言ってくれないかな。そうすれば、少しは諦める気にもなるからさ」

“僕”は惜しむように笑う。そんな様子に僕の神経はさらに苛立つ。

「口で言ってわからないなら、力でわからせようか?」

僕は熱り立って勢いよく立ち上がる。椅子が吹き飛び、がたがたと部屋が揺れ始めた。

『ごめんごめん、怒らないでよ。君がそんな風に怒るとこの部屋だってムチャクチャになってしまうんだ。整理する僕のことも考えてよ』

僕は一歩一歩足を踏みしめながら“僕”の方へと歩み寄る。謝っているにもかかわらず、彼は依然として茶目っ気を顔に浮かべたままへらへらと笑っていた。

……窓ガラスが砕け散る。“僕”の元へと粉々になった窓ガラスが降り注ぐが、僕はもうそんなことは気にしない。いつの間にか手の中にあった短剣を構え、彼の方へと振りかざす。

「これが最後の忠告。不愉快だ。笑うな」

だが、彼は最後まで嘲笑を顔に張り付けたまま動じることはなかった。

僕は駆けた。まっすぐに短剣を突き出し、その胸に深々と突き立てようと思い切り振りかぶる。

『まあ待て兄弟。僕と君の仲じゃあないかァ?』

途端に“僕”の周りを見えない力が覆う。僕はその力に気圧されて、ぺたんと尻餅をついた。

『教えてやってもいいんだがァ、ただ教えるだけではつまらないだろゥ? デッド・オア・アライヴのボーダー、クリフのギリギリのトコまで押し出されて、そこでリバーサルを叩き込むっていうのがドラマってヤツだろゥ? もう少し人生楽しく生きようぜェ、レウォン?』

僕には“僕”が一体何を言っているのかわからなかった。

人が生きるか死ぬか、崖っぷちの状態で逆転の一手? そんなのはドラマと小説の中だけだ。少なくとも、普通に生きていくのにそんなことは必要ない。もっとも確実にして、確然、確固たる方法で確定させることが最上である。だが、目の前の“僕”はまるで劇でも楽しむかのように狂喜している。僕と“僕”は一心同体で、その運命の先に待ち構えるものはまったく同じだというのに。

『人生、必ずどこかでバクチってヤツが必要だァ。言ってる意味がわかるかァ? そのミニマム脳みそで考えてみろォ! テメェの頭ん中には本当にもう、脱出手段が思いつかないのかァ? そこまで僕は腐っちゃいないはずだぜェ?』

だが、彼の言い分も理解できないことはなかった。

僕に代わることが出来ない“僕”はさぞかし退屈だろう。たまには香辛料も欲しくなる。彼にとって絶好の機会なのだ。そんなとき、手を出して問題を易しくしてしまっては面白みも欠けてしまう。

要は物事に対する受け方だ。一つの事実に対する認識が人によって異なるように、一つの事実が人に与える影響は人によって異なる。僕と“僕”が違うのは当たり前だ。

彼のように前衛的にして斬新、そして多少の遊びを交えた考え方で思考する。そうすれば、自ずと答えは見えてくる。

「……わかった。わかったよ」

僕は短剣を放り投げた。それはどこへともなく消えていく。あれだけ震えていた部屋は静かなたたずまいを取り戻し、吹き飛んだはずの椅子は戻り、窓ガラスは元のようにはまっていた。

「ありがとう、“僕”。君のおかげでわかったよ」

『……それでいいんだよ。そんな風に君が怯えると、“僕”の心まで脅かされるんだ。こう見えてもガラスのハートの持ち主でね。もらい泣きをしやすいんだよ』

「ははっ、さっきのを見たら嘘にしか思えないけどね」

さっきまであんなにまで狂うように笑っていた“僕”はいつの間にか静かな姿に戻っていた。顔に嘲笑の仮面はなく、それどころか清々しいまでの表情だった。

『どうせ“僕”は薬が生み出した第二人格に過ぎない。ちょっと不思議な力を持ってはいるけど、君であることは確かなんだ。だからそんなに疑わないでもらいたいね』

「ごめんごめん。さっきまでの僕は恐ろしい事実に心を震わせ、悲哀の情に支配されていた。だけど、もう迷わない。ちょっとおかしな“僕”のおかげで僕は僕を取り戻すことができた。ありがとう」

僕は目の前に立つ“僕”へと手を差し出す。“僕”は何の抵抗もなく僕の手を握ってくれた。

『“僕”も君も未来は一緒。でも、“僕”は気まぐれだから、必ず君を助けるとは限らないよ?』

「少しでも助けてくれれば十分。君だって死にたくないんでしょ?」

“僕”は無邪気な笑顔を浮かべた。そして、ぽりぽりと恥ずかしそうに頭を掻く。

『バレてたか』

まるで小さな悪戯でも見つかってしまったときのように僕は笑った。僕も“僕”につられるように笑う。

「決められた未来なんてものはない。君がどんなに恐ろしい未来を視たとしても、僕はそれに真っ向から立ち向かい、粉砕する。だから安心して僕という劇を見ていてよ。君がちょろっと視た『部品としての僕』だなんて台本は舞台上で引きちぎってあげるからさ」

“僕”はしばらくの間僕の言葉を聞いていたが、うんうんと頷き、信頼をたたえた笑顔で僕のことを見つめる。

『それを聞いて安心したよ。“僕”は安心してポップコーンを片手に観劇できるというわけだ』

「す、少しは手伝ってほしいかな……」

『キーポイントのヒントは与えたでしょ? 大体は流れに身を任せれば問題ないよ。注意すべき点は“僕”がヒントを与えた一カ所。それから、心を強く持つこと。この二つを頭に入れておくといいよ』

「わかったよ」

僕は諦めと、けれども少しの希望を交えた表情で笑う。

「Fortune knocks at least once at every man's gate.もちろん僕にもね」

『I wish you good luck.頑張ってね』

僕の姿は徐々に光に包まれていく。

もう、僕は決めた。皆と一緒にこの島を脱出する、と。

残念なことに確率は100%ではないが、けれども唯一とも言える方法である。

だが、僕はためらわない。限られた可能性を手に突き進むだけだ。

ミシェル先生も言っていたではないか。夢に向かってまっすぐ邁進しなさい、と。夢とはちょっと違うな、とは思ったが気にしないことにする。

僕は消えゆく意識をその流れに任せ、ゆっくりと意識を閉ざしていった。


「ねえ、アラン……」

ふと、レンは小さな声で友の名を呼ぶ。相変わらず落ち込んでいるアランは答えることもせず、ただ耳だけを傾ける。

「僕に考えがあるんだ」

耳元でそっと囁く。皆の前で言うのははばかられたが、彼になら言ってもいい気がした。

「……お前……まさか……アレを使うつもりか?」

「100%の確率じゃないことは確かだよ。でも、僕はこれが一番確率が高いと思うんだ」

「いや、待て……でも……」

しばらくの間、彼は考え込んでいた。レンは推すように続けて言う。

「やらない後悔より、やる後悔だよ。死ぬ直前になってあのとき試していればよかった、なんて思うより遥かにマシだよ」

その言葉を聞いてしばらくの間黙っていたアランだったが、やがて小さな声でレンに尋ねる。

「研究区画最下層は警備が厳重だと聞いている。俺が今日忍び込んだときも上の上層は大したことがなかったが、下層への階段の扉の前にはぎっしりと人がいたぞ? ましてや最下層だ。どうやって降りるんだ?」

「夜が遅くなれば少しは警備も緩くなるんじゃないかな? それにこの島の人で研究区画に忍び込もうなんて人はほとんどいないでしょ? だから警備してる人達も油断してると思うよ」

彼がしゃべっている間、アランは黙ってレンの言葉を聞いていたが、やがて観念したかのように懐から紙の束を取り出す。

「ったく、さすが俺が見込んだ男だよ。お前がそこまで言うなら……俺は協力してやるよ」

アランは紙の束を開いて机の上に広げる。それは研究区画内の詳細な地図と、警備員の配置、それから監視カメラの位置、警備員の交代時間とその名簿だった。

「アラン……これは……」

「今日忍び込んだときにちょーっと借りたまま返すの忘れた。まあそれはさておき、いくら警備が薄いといっても少しは監視カメラとかもあるからな」

レンとアランはその地図をじっと見つめていたが、やがて顔を上げて振り向いた。その視線の先には三人の仲間の姿があった。

「何よ。なんか方法でも思いついたの?」

「さすがレン、俺の男だ。グレート脳みそがワンダフルでデンジャラスなプランを考えついちまった。それはな……」

アランは三人の前でその方法を公表する。三人は開いた口が塞がらない、といった様子でその計画を聞いていたが、やがて我慢できないというような様子でウィルが文句を言う。

「そ、そんな危険な方法取れるわけないじゃないか!? ボクは断固反対だ!」

「じゃあ何よ。アンタはいつ死ぬかわからない生活にビクビクしながら怯えて暮らすっていうの?」

リサは立ち上がるとレンの隣に並び、その腕を取った。

「ここで今生の別れってのでも私はいいわよ。命賭けのミッションじゃん。ぶっちゃけ、臆病者は来んなって感じだけどね」

「お、臆病なんかじゃない。それにそんな急ぐことないじゃないか。まだ考える時間はある。そんな計画を実行するのは……」

「残念ながら、今日じゃないとキツそうだぜ?」

ウィルが不思議そうな表情を浮かべる。アランはそのまま説明を続けた。

「今日は大雨が降っている。紛れ込むにはぴったりの天気だ。それに、しばらくは晴れが続く。一週間ほどな。今日ほどの大雨ってのはなかなか降らねえぞ?」

「だが……だからといって……」

ウィルは最後までぐだぐだと何かを述べながら三人を止めようとする。だが、ついに言葉が考えつかなくなったのか、そっぽを向いた。

「き、君達は君達で勝手にするがいい! ボク達は別の手段を考える。そんな危険なバクチに乗るくらいだったら、まだ運搬船に忍び込んだ方がマシだ!」

「そうか、それは残念だな……」

アランは本当に残念そうな表情を浮かべてうつむく。だが、すぐに表情を切り替えると、さっと手を差し出した。

「いままでありがとな。短い間だったが……偽りの記憶だとしても、楽しかったぜ」

「フン! 偽りの記憶で悪かったな」

ウィルも一応手を差し出し、一瞬だけ握手した。だが、すぐに振り返ると、アリスを連れてどこかへと歩いていく。

「やるからには成功しろよ? 無駄死にだったらただじゃおかないからな!」

「わかってるよ」

「皆さん……お気をつけて……」

二人はさっさと談話室を出てどこかへと向かう。後には三人だけが残された。

「アイツらチクったりしないわよね……」

「俺の記憶にあるアイツらはそんなヤツじゃない。静かに見守っているくらいはできる奴らだと認識している。さて、準備しないとな」

アランは紙の束をカバンに突っ込むと、レンにノートパソコンを返却してどこかへと走っていく。

「どこ行くの?」

「準備だ準備。今日は歩くぞ? 俺はほとんど飯食ってないからな。集合は十時、談話室だ。トイレの窓から外に出る。真正面には寮母のおばちゃんがいるからな」

「わかった。じゃあまた後で」

アランはさっさとエレベーターに乗って上へと上がっていく。後にはレンとリサの二人だけが残された。

リサは固い表情を浮かべながら、ひしりとレンの腕に抱きついた。

「レンは……レンは怖くないの?」

「……怖いよ」

「じゃあなんで……なんでレンは行けるの? 私はレンがいるから行けるけど、怖くて怖くてたまらないのよ……!」

レンはリサの体を思い切り抱きしめる。突然の抱擁にリサは目を白黒させながらなされるがままにしていた。

「リサは……明日が消えるとか考えたら怖くならないの?」

「……え?」

「今まで幾度となく繰り返されてきた日常が突然なくなる。今までいたはずの人がいなくなる。そんなことにリサは我慢できるの? 怖くならないの?」

レンはリサを抱擁する腕により一層力を込める。

「僕は怖いよ。それは今感じている怖さなんかよりも全然怖い。もしリサがいなくなったら、アランがいなくなったら……僕は耐えられない」

「レン……」

「僕はそんな日常を守るために戦うんだよ。ウィル達は付いて来てくれないみたいだけど、少なくともリサとアランは付いて来てくれる。僕達三人が一緒に脱出することができれば、また新しい日常が始まる。そこにウィルとアリスの姿はないかもしれない。でも、僕はリサとアランがいてくれるだけで十分だよ」

「私も……レンだけがいてくれれば……それだけで……」

二人は顔を見合わせる。先ほどまで厳しい表情を浮かべていたリサが、今は朗らかな表情でレンを見つめていた。

「だから戦おう。日常を守るため……新しい日常を創造するためにね」

「……うん」

リサはぽーっとした表情を浮かべながら頬を赤らめていた。視線の定まらない顔でレンのことをじーっと見つめる。

「ねえレン……」

「なに?」

「き、き、きすしても……いい?」

「え、ええ!?」

レンは驚いたような表情を浮かべる。そんなレンにリサは大笑いする。

「あはははは! さっきまですっごくレンがカッコよかったのに、いきなり元に戻っちゃったぁ! あはは、おっかしい!」

しばらくの間そうして笑っていたリサだったが、やがてレンの正面に立つと、背筋を伸ばして背伸びする。

「目ぇ瞑って!」

その言葉が言い終わるか終わらないか、そのような刹那的瞬間、彼女は届かない背を必死に伸ばして唇を重ねた。

「!?!?」

突然のことに目を白黒させていたレンだったが、彼が状況を理解する前にリサはレンから離れた。

「あははは! もらわれちゃったぁもらわれちゃったぁ! わたしのファーストもらわれちゃったぁ!」

「ちょっとリサ!?」

「あははは! また後でね! ばいび~!」

そう言ってリサは女子寮の方へと駆けて行く。あまりにも突然のことのためにうまく対応できなかったレンだったが、もう一人の自分の言葉を思い出してうんうんと頷く。

「こ、心を強く持たなきゃね!」

やや意味が外れているように彼は一瞬思ったが、首をぶるぶると振ってその考えに修正を叩き込む。

「ふー……いくぞ!」

ぺしぺしと頬を叩いて活を入れると、まっすぐ前を向いて歩き始める。

レンはノートパソコンを手にとると、元気な足取りでエレベーターホールの方へと歩いていった。


ついに真実を知ったレン達。

大雨降りしきる中、ウィルやアリスと選択を違えたレン達は研究区に忍び込む。

そこで待っているのは未知との遭遇か、それとも……。

彼らは明日への扉を開くことができるのか。

次章、第四章 The door bound to Tomorrow

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