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第2章 Discovery Story

第2章 Discovery Story

無機質な一室。

壁に羅列されたボタンを見る限り、それは部屋というよりもエレベーターであることがわかる。

そこには、僕と二人の少女。僕達三人は黙ったまま何かを待つようにエレベーターの表示を見つめる。

表示階を見る限り、少しずつエレベーターは降下していることがわかる。

わずかな振動、ゆるやかな動き。ゆっくりと揺れ続けるエレベーターは確実に、それでいて緩慢に降り続ける。

「……?」

一人の少女がふと、不思議そうな表情でエレベーターの表示を見上げる。

少しずつ降りていたエレベーターは、気付くと13という表示を残してその動きを止めていた。

「故障かしら……?」

少女の一人はがんがんとパネルを叩き始める。だが、そんなことでエレベーターの故障が直れば苦労しない。

止まってしまったのならば、動き出すまで待つしかない。

僕はそう決めると、エレベーターの壁に寄りかかる。

ほんの少しの違和感。そして、どこかで鳴り響く警鐘。

けれども、そんなものはただの思い過ごしに違いない。僕はそう決めつけると、エレベーターの表示が変化するのを待ち続ける。

そうして何分が経過しただろうか。いい加減エレベーターが動き出さないことに嫌気が差してきた頃、その異変は起こった。

閉じられた扉がぎしぎしと軋みながら開き、そして何か丸いものが投げ込まれる。

突如、白煙に満たされる密室。それは吸うだけで喉に激痛が走り、目から涙が溢れ出す。

そして鳴り響く火薬の爆ぜる音。金属がぶつかりあって反射するような鋭い音が耳を刺激する。

あっという間に倒れ伏す二人。額に口を開き、その命は一瞬で奪われたように見えた。

それを見て、僕は覚悟する。

もう、これで全てが終わりなのだと。

次の瞬間、熱い何かが体中を通り抜けるのを感じ、僕の意識はそこで途絶えた。



「起きなさいッ!」

激痛が彼の頭を襲う。まぶたの裏には幾百幾千の星が散り、頭の中をぐわんぐわんという音が駆けめぐる。最初は視界を覆いつくすほどの星の海だったが、やがて時間が経つにつれて星の数も減り、反響するような音も聞こえなくなってくる。

「いつまで寝てるのよ。人が働いてるっていうのに……。アンタもしっかり働きなさいよ」

「おいおい、起こしちまったのか? もう少し寝かせといてやれよ。昨日は俺とダベってたから、3時間も寝てないハズだぜ?」

「いいのよ別に。そんな夜遅くまで起きてたコイツが悪いんだから」

ボヤけていた視界が徐々に鮮明になっていく。目の前には、空の大鍋を持って仁王立ちしているリサと、半ば呆れているような表情をしたアランの姿があった。

「え? ……え?」

「ようやくお目覚めか。リサにブン殴られて頭壊れてないか? もしもーし」

「え、あ、まあ、うん。大丈夫……だけど……?」

頭を襲う酷い頭痛。頭頂の辺りに触れてみると、熱を持って腫れているようだった。

アランはその腫れた辺りをさすりながら、やれやれとため息をつく。

「あーあ、タンコブになっちまったな。ちょっと待ってろ。氷嚢……つっても氷がないから水嚢か? とにかく用意してやるよ」

しばらくレンの傷をみていたアランはぽんとレンの肩を叩いて立ち上がると、何か代用品になりそうなものはないかと探し始める。

そんなアランの様子を見て、リサは冷ややかに言う。

「まったくおアツいことで」

「ばーか、男の友情だよ。献身的な方が男には好かれるんだぜ?」

そう言ったアランの顔は真剣そのものである。だが、リサは汚いものでも見るかのような表情を浮かべ、数歩後ろに下がる。

「キモっ! まったく同性愛とか信じられないわ!」

「んなわけねーだろ。友人を大事にしとけば、将来見返りが大きいんだぜ?」

見返り、という言葉を聞いて考えが変わったのか、リサはうんうんという風に頷いた。

「なるほど……そういう考え方もあるのね」

「納得しないでよ!」

目の前のとんでもないやりとりを聞いて、レンは思わず立ち上がる。だが、その途端にふらふらと体が傾いた。危なげな様子のレンをアランは抱き止めると、ゆっくりと椅子に座らせる。

「おいおい、無理するなよ」

「うー……なんだかぼーっとする」

レンは目頭を押さえながら座り込む。アランはタオルを川の清水に浸して作った冷却材を彼の患部に当ててやる。

「さっきのはジョークだが、友人を大切にしたいってのはマジだぜ?」

「あのやりとりを聞いていたら、それすらも信じられないよ……」

なかなか立ち上がれないレンがさすがに心配になってきたのか、リサも空鍋を置いてレンのそばに座り込む。そして、やや申し訳なさそうな表情を浮かべて謝った。

「あー、なんていうか、やり過ぎたわね。ごめん」

「あんなデカイ鍋で殴ることないだろ?」

何人分のカレーが作れるかわからないほどの巨大な両手鍋を指さしながら、アランは呆れ果てた様子で言った。

「そうね……。せめて片手鍋にしておくべきだったわ」

「そうそう、せめてそれくらいの優しさを……」

「なんでそうなるのっ!? というか鍋は人を殴る道具じゃないからね!? 食べ物を煮たり炒めたりする調理器具だからね!? 二人とも使い方間違ってるよ!」

茫然としたような表情でレンを見つめる二人。え、お前何言ってんの、とその表情が語っている。

「鍋蓋が防具で鍋が武器だろ?」

「ほら、よくあるじゃない。じゃんけんをして、勝った方が金槌で殴り、負けた方が鍋蓋で防御するっていう……。あれって金槌がなかったら鍋で代用するんじゃなかったっけ? 取っ手があって、先っぽは金属製って感じで形状似てるし……」

「金槌でやったら死ぬよ! てか全然似てないし! 二人ともこの空気はなんなの!? この面白くもないボケツッコミは!?」

リサとアランは黙って顔を見合わせると、大きなため息をつく。そして、炊事場のすぐそばをを流れる河川の方へと視線を向ける。

「あはははは、待て~!」

「うふふふふ、ここまでおいで~!」

まるでどこぞの恋愛小説やら、恋愛映画の一部分を切り取ったかのような風景がそこでは繰り広げられていた。レンはそれを見て全てを理解し、そして二人同様ため息をつく。

水をかけ合って楽しそうに遊ぶ二人。夕焼けをバックに走る二人の姿はまさにそれである。


淡い茶髪の少年はウィリアム。ウィルと皆からは呼ばれ、親しまれている。

恋人であるアリスのためならば、太陽を東に沈める程度のことならば平気でやってのける少年であり、その目的のためならば、どんな障害すらも乗り越えて突破できるほどのタフガイである。

しかし、それほどの実力を持っていながら、アリスが絡まなくなると途端にしなびたワカメのようになってしまう。


そして、栗毛を可愛らしくポニーテールにしている少女はアリシア。愛称はアリスである。

ウィルのことを月すらも恥ずかしくなって姿を隠してしまうほど愛しており、そしてその恋愛のせいで性格が90度くらいは変わっただろうといわれている。

以前はおしとやかで可憐、という言葉が似合うほど物静かな少女だったが、今ではまさに大輪咲きの向日葵という表現が正しいといえる。以前の彼女しか知らない者ならば、思わず他人の空似と思ってしまうだろう。


もはや枠がハートマークで囲まれ、微妙に桃色のエフェクト修正がかかっているのではないかと思ってしまうようなその光景を見てレンは納得する。あの二人がああなってしまうと、神の力をもってしても止めることはできないだろう。

「アイツらは遊んで、私達は仕事して、アイツらは遊んで、私達は会議して、アイツらは遊んで、私達は料理して……もううんざりよっ!」

ついにリサは鍋を放り投げる。

「課外授業でのキャンプなんだから、せめていつもの授業中みたいにアイコンタクトだけでストップさせてほしいぜ……」

普段鍋など持つことのないリサがなぜ鍋を持っているのか、それは今が課外授業のキャンプの真っ最中だからである。

ヘヴンは大部分が都市として開発されたが、中央にそびえる山間部は未だ人の手が入っていない自然が残されている。そうした部分にキャンプ場が造られ、院ではそこで時折キャンプが催されるのだ。住まいはテント、材料こそ手渡されるものの、食事は全て自分達で用意しなければならない。そして、その間どのように過ごすかもメンバーに委ねられる。有意義に過ごすことができるか、それとも無駄に過ごすこととなるか、全ては彼ら次第なのである。

ここはそんなキャンプ場内にある炊事場である。半屋外の炊事場は周囲が緑の自然で囲まれており、少し視線をずらせば山の木々や、さえずる鳥たちの姿を窺うことができる。

そんなキャンプ中、レンはすっかり居眠りをしてしまったのである。原因はもちろん、前夜興奮のあまり、アランとやや騒ぎ過ぎてしまったことにあった。

まな板の上には皮も剥かれていない野菜が転がっていた。それを調理する気になれる者は一人もいない。

「呼んでみようよ。やることがある、っていうことをきちんとアピールすれば、仕事をしてくれるかもしれないじゃない」

「ああ、やるだろうさ。アリスは根が真面目だし、ウィルはアリスのためならなんでもやる男だ。アリスが料理を始めれば、一緒になってやり始めるに違いない。だが、あの桃色ラブラブフィールドをここで展開されると、そこで同時に作業する人間がどうなるか……」

「私はパス。遠くでぼんやり見ているわ。あんな毒気に晒されたら、それこそ気が触れてしまいそうよ」

「かといって何もしない、ってわけにもいかないよね。お腹も減ってこない?」

ぐー、という音を奏でる誰かのお腹。それが誰か、ということを追及しようとする者は誰もいなかった。つまりはそんなことを気にする気にもならないほど空腹であり、かつ苛ついているわけである。

「おーい! ウィル、アリス! ご飯の支度するから手伝ってー!」

ついに我慢できなくなったレンは、二人に向かって手を振りながら大きな声で呼び掛ける。それが聞こえたのか、ばしゃばしゃと水を跳ね上げながら二人はこちらへと向かってくる。

「ごめんなさい、ついウィルと遊ぶのに夢中になってしまいまして……」

「でも、サボってたぶんはしっかりと仕事させてもらうよ。さてアリス、今日の献立は?」

「えーと……肉じゃがとサラダ、それにご飯ですね。肉じゃがはそんなに難しい料理ではありませんし、サラダも野菜を切るだけです。ご飯を炊くのはコツがいりますが、私がやっちゃいます。だから、ここは私に任せて皆さんは休んでいてください」

「アリス、ボクも手伝うよ。君一人だけに働かせるわけにはいかないじゃないか」

「まあウィル、手伝ってくれるんですか? ありがとうございます! えっとですね……」

さっそくフィールドを展開し始める二人。毒気に当てられる前に避難することに決め込む三人。どうにか避難が間に合ったが、桃色のフィールドによって、炊事場は異様な空気に包まれる。それをぼんやりと見つめるレン達。

「それをそうして……さすがです、ウィル! 私が思った通り……いえ、思った以上です!」

「当然さ。君の思ったことすらわかるのに、言ったことをボクが理解できないわけないだろう?」

「ああ、ウィル……あなたって本当に素敵です……」

「そんな君も……素晴らしいよ……」

三人は背中を向けて目を背ける。ここまでおおっぴらにやられると、もはや文句を言う気にさえなれなかった。二人から視線を外すと、まったく関係のない話を始める。

「あー、ホント夏だよなぁ……」

「夏ねぇ……」

「夏だねぇ……」

すでに18時だというにもかかわらず、未だ西の空に輝く太陽を見上げて夏をひしひしと感じつつ、黄昏に染まりつつある森でぼんやりと時を過ごした三人だった。



「はい、あーん……」

「あーん……もぐもぐ……口の中に入れた途端に広がるアリスの優しさ……、それにほのかに感じるアリスの慈しみ……、そして飲み込んだときに感じるアリスの愛……。さすがアリス、料理も完璧だよ」

「何の味がする?」

「フツーの醤油とみりん、あと少し酒も入っているんじゃないかしら? たまねぎはもっと細かくして、もっと長い時間煮込んだ方がとろけて美味しいわよ」

「個人的にはあと白滝が欲しいところだね。というか、なんで肉じゃがなのに白滝がないんだろう?」

「アリスが入れ忘れたからだろ?」

「ホントね、よく見たらまだカゴの中に入っているわ」

食事中もフィールドを形成し続ける二人。ウィルとアリスの愛の結束の前には、白滝の入れ忘れという致命的なミスでも無力である。

黙々と食事を続ける三人。さすがに食事場所を変えるわけにはいかないので、仕方なくこのバカップルとともに食事をすることとなった。

二人の眼中にないようで、毒気に直接当てられることもなく食事を過ごすことができたのは幸いだといえるが、聞いているだけでもむず痒くなってくるようなセリフの往来に、そろそろ限界を迎えつつあるリサだった。

「あーもう頭来るわ。私達がいるっていうのにイチャイチャイチャイチャ……」

「そうカッカするなよ。向こうが何かしてくるってわけじゃないんだ、少し大人になろうぜ?」

「そうだよ。僕達は僕達で盛り上がればいいんだしさ」

だが、リサは頬を膨らませて口を尖らせながら、不機嫌そうな表情を浮かべて文句を垂らす。

「でも、こんな背筋に来るセリフ、たとえば……」

「ああアリス……。君の盛り付けはまさに芸術品だ。たとえるならば……ミロのヴィーナスのよう。食べてしまうのがもったいないよ」

「そんな……私はウィルのためにきれいに盛り付けをしたんですよ? 食べてくれないのでしたら、たとえどんなに美しくとも、意味がないですよ?」

「……とかよ。我慢できるかしら?」

レンとアランは少しの間考え込む。二人としてもあまり恥ずかしすぎるセリフを聞き続けるのはやはり苦痛であった。かといって、この状況の二人に割り込めるだけの勇気をレンは持っていない。アランに至っては、状況を変えようとする努力すらも、どうせ無駄だと諦めきってしまっていた。

「ったく、使えない男どもね」

リサは皿を一度テーブルに置くと、ずいと身を乗り出して二人の間に割って入る。

「ちょっとウィル、アリス! アンタたちがいちゃいちゃしたいのはわかるけど、せめて時と場所ってものを考えなさい! 今は課外授業のキャンプ中であって、このキャンプの目的は“参加者達の絆を深めること”よ! アンタらの絆を深めるのもいいかもしれないけど、少しは私達のことも考えなさいよ! はっきり言ってうんざりだわ。ウィルのキザなセリフを聞き続けるのも、アリスのくねくね踊りを見ているのもね」

しばらくの間、呆けた表情を浮かべていたウィルとアリスだったが、やがて顔を見合わせると笑い始める。

「あはははは、見てご覧アリス。隣に誰もいないものだからボクらの間に割って入ってきたよ」

「うふふふふ、でもウィル。本人の前でそういうことを言うのはよくないですよ。もちろん、本人から隠れて陰口というのもあまり賛同できませんけどね……。でも、嫉妬は……」

顔を真っ赤にして口を開きかけたリサだったが、強制的にアランに押さえつけられ、鎮圧される。

「もが! もがもがもがが!」

「落ち着けって! アイツらがああなってる限り、何を言っても意味ねえよ! 言うだけ無駄だって」

「むぐぐ! むがむがが! ……もがッ!」

「ふごぉッ!?」

突然腹を押さえたまま撃沈するアラン。どうやらリサが思い切りみぞおちへ肘鉄を食らわせたようだ。

「はぁ……はぁ……鼻と口を同時に押さえられたら死ぬわよッ! まったく何考えているのかしら!」

「でも、だいたいはアランが正しいよ。僕達じゃあどうしようもできないもん。仕方ないさ、僕達は僕達で楽しもうよ」

「納得できないけど、仕方がないわね」

轟沈したアランを放置したまま二人は食器や鍋の片付けを始める。食器を流し台へと運び、スポンジへ洗剤を染み込ませて、ごしごしと食器をこすって洗う。食器は泡に包まれ、みるみるうちに綺麗になっていく。

「アンタはさ、ああいうの憧れたりしない?」

「ああいうのって……?」

レンは鍋の外側にこびりついたススを落としながらリサに聞き返す。リサは食器をこする手を止めて、真剣な表情で尋ねた。

「好きな人と思う存分戯れて、甘えて、そして語り合うこと」

突然の予想外の問い掛けにレンも思わず手を止める。

「蕩けてしまいそうなほど甘くて、切なくて、でもとても楽しい時間。私はちょっと憧れちゃうな。さっきはあんな風に言ったけど、ウィルの言ってたことも半分は当たってる。羨しいくらいに楽しそうにしてて、ちょっと嫉妬してる」

「リサ……」

「私にはあんなになっちゃうくらい好きな人はまだいないけど、いつか私もあんな風に……楽しそうに人と語り合えるのかな……?」

レンはリサの思っていることを想像する。

気付くと心の中をぶちまけてしまうリサ。それは長い間一緒に過ごしてきてよく知っていることだった。思っていることを正直に言ってしまう彼女とともに過ごしていると、傷付けられることがある。時々レンも傷付いた。けれども、彼には我慢することができた。だから、一緒に過ごしてきた。最初は我慢できた者もいた。だが、回数が重なっていくとやがて彼女の傍に寄ることはなくなった。

レンは理解している。リサがそのことを自分の短所だと認識していながら、それをどうすることもできないことを。

「私さ……すぐに人に暴言吐いて、すぐに殴って……乱暴な女だよね。こんな女のことを愛してくれる人なんて……」

「僕は知ってるよ」

「え……?」

リサが驚いたような表情でレンの方へ視線を向ける。

「リサが本当はすごく優しくて、とても頼りがいがある女の子だって知ってる。自分のダメなところがわかってるから、自分のいいところを伸ばそうと努力してるのも知ってる。確かにリサはちょっと短絡的で、乱暴かもしれないけど……それ以上に人のことを思って行動してるもん。それに、僕みたいに弱気なのを引っ張ってくれる。……大事だと思うよ。そうやって自分のことを見つめ直せるのはね」

「レン……」

「きっと見つかるよ。リサの優しいところを知って、そんな優しいリサを守ってくれる……強いリサを愛してくれる人が……ね」

そこでレンは言葉を切って、再び鍋洗いに熱中する。取っ手の部分は洗いにくいため、かなりの努力が必要なのである。

「ありがと……レン。ちょっとだけ嬉しい」

「礼を言われるようなことじゃないよ」

レンは水道から一気に水を出して大量の泡を洗い流す。みるみるうちに泡は膨れ上がり、流し台は泡だらけになってしまった。

「おいおい、そんな泡風呂作ってどうするんだ? 誰もそんな小さいとこに入れるヤツはいないぜ?」

ようやく肘鉄から復帰したのかアランがやってきた。彼も自分が使った食器や空になったボウルなどを手にしていた。

「ウィル達は?」

「相変わらずラブラブしてるよ。ま、料理はほとんどあいつらがやってくれたから、片付けは俺たちがやろうぜ。……って、リサはまだ怒ってんのか? 顔どころか耳まで真っ赤だぞ?」

ぱっと両耳を押さえるリサ。そんなリサの行動の意味を理解できず、首を傾げるアラン。

「あ、アンタみたいな馬鹿がいるから真っ赤になってるんのよ! あーもう、口動かす暇があったら手を動かしなさい!」

「へいへい」

アランも水道の蛇口をひねって水を出すと、スポンジと洗剤を使って順々に皿を洗っていく。

リサはしばらくの間耳を押さえたまま立っていたが、やがてトイレに行くと言い残してどこかへ行ってしまった。

「あれ、リサは?」

長いこと泡だらけの流し台と格闘していたレンだったが、ようやく一段落ついて顔を上げた。

「トイレだとよ」

「ふーん、そっか」

特に気にした風もなく、レンは次の鍋に手を伸ばした。

おそらく彼は気付いていなかったのだろう。彼女が怒りではなく恥じらいと喜びで真っ赤になっていて、恥ずかしさのあまりここにいることができなくなったということを。だが、そんなことは愚鈍な彼が気付くことはなかったのだった。



翌日、早朝六時。既に朝日は高く、木々の間には鳥達の歌声が流れ出ていた。

小高い丘には大小色とりどりのテントが張られ、朝が遅い院生達は清々しい空気に包まれながら、気持ちよく熟睡していた。

そんな中、元気な足音が森に響く。

現れたのは一人の少女。大きなあくびをしながら、水道の方へと歩いていく。

「ふわぁ……なんだか寝にくかったわ。背中は固いし、地面はでこぼこしているし……他の皆はよく平気ね……」

リサはばしゃばしゃと冷たい水で顔を洗い、ごしごしとタオルで拭いた。ようやく眠気が飛んだのか、すっきりとした笑顔で大きく伸びをする。

「んー! いい気分ね。普段は早起きなんて滅多にしなかったからなぁ。ま、たまにはこういうのもいいわね!」

歯磨きを済ませ、リサは洗面道具を持って一度テントの方へと戻っていく。そして着替えを済ませると、テントから飛び出して軽くストレッチ運動をする。

ショートパンツに半袖のシャツという洒落っ気もないアクティブな服装だが、元気そうなその姿はむしろキャンプらしいともいえる。

「アリスもまだ寝てるし……レンも寝てるのかなぁ」

レン達が眠るテントの方へと視線を向けるが、どうやら動きらしい動きはなかった。つまらなそうに口を尖らせると、リサは森の方へと駆け出していく。

「えへへ、ミシェル先生、確か森には美味しい夏ミカンがあるって言ってたっけ!」

基本的に人の手が入っていない森ではあるが、院生がキャンプのときに楽しく過ごせるように手入れされた部分もある。その一つが果物の木である。人が丁寧に世話しなくとも、美味しい果実を作るように品種改良された果物達は季節に見合った甘い果実を実らせて、院生達をもてなしてくれる。

夏ミカン、びわ、桃、ブドウ、それから本来地面に身を結ぶメロンやスイカまでもが木に実っている。これは遠縁の植物同士からでも雑種を作り出す細胞融合という技術によって作られた果実で、正確にはほかの果物との間の子である。

「凄い……これ、スイカだよね……」

リサは恐る恐る木からぶら下がる小さなスイカを手にとる。普段市場で見かけるものと比べると、その大きさはかなり小さいものであるが、夏らしい果物といえば夏らしい果物だといえる。

「こっちは桃かな」

身軽なリサは次々木に上り、いくつかの果物を口にしてみる。それは予想以上に甘く、すぐさま彼女を幸せな気持ちにしてくれた。

「ふわぁ……とろけるように柔らかくて甘い……。普段食べてるのとそんなに変わらないわ!」

しばらく美味な果物を楽しんでいたリサだったが、何かを思いついたのかするすると木から降り、キャンプ場の方へと駆け出していった。



僕は夢を見ていた。

それは、いつもとさして変わらぬ日常。仲間たちが笑いながら楽しそうに過ごし、僕はそれを眺めながらのんびりと過ごす。

夢の中の僕もまた、やはりいつもと同じように仲間達がはしゃぎ回る様を見て笑っていた。

『でも、これもいつか終わる泡沫の夢なんだよね』

心の中の自分自身が問い掛けてくる。僕はその声に耳を傾け、そして答える。

「仕方ないさ。だって夢だもの。いつかは覚めちゃうものだよ」

『そういうことを言っているんじゃない。僕、つまり君がいつも体験している日常のことさ。ここの世界と何ら変わりはないじゃないか』

「やがては島を出て、戦争のある恐ろしい世界に行かなければならないってこと……?」

僕は眉をひそめる。わかってはいたが、考えたくない未来。いつまでも仲間と遊び暮らすわけにはいかない。それはやはり、この夢と同じようにいつかは終わってしまうモノだ。

『今ある日常はやがて過去となり、消えていってしまう。君にそれが耐えられるのかい?』

「耐えられないよ。でも……」

僕の心の中に一つの言葉が浮かんでくる。それは今の僕にとって大切なもので、そして未来の僕にとっても大切なものとなるであろう宝物だった。

「過去は消えない。心の中で思い出になるんだよ。それはいつでも取り出せて、光に透かしてみれば過去を思い出すこともできる」

『思い出さえあれば辛い日常から逃避できるってこと?』

「逃避するんじゃないよ。思い出には辛いものだってたくさんある。そういうのを乗り越えてきたっていうのは確かな自信になるでしょ? それがあれば、辛い日常でも乗り越えることができるよ!」

それはとても確証に満ちた言葉。光り輝く宝石のような思い出はいつまでも輝きを失うことはない。ましてや、苦労して乗り越えたような思い出が未来の自分自身の助けにならないなんてことがあるだろうか、いやない。

……それを聞いてしばらくの間黙っていた“僕”だったが、やがて彼の口から笑い声が漏れる。

『思い出が自信に繋がる? 思い出を元にした自信が辛い日常すら凌駕する?』

何かよくわからない焦燥感。そして、聞くんじゃないという警鐘を鳴らす第六感。

「それが……間違っているとでも?」

僕は“僕”の言葉を促すような言葉をかける。聞いてはいけない、という声がどこかからか聞こえてくる。だが、それを無視して僕は彼に問い掛ける。

『クックック……あっはっはっは! 面白いことを言うじゃないか!』

“僕”の顔一面に背筋が寒くなるような笑みが張り付いた。それは僕が予想もしなかったような表情。見ているだけで悪寒が背を走り、そして恐ろしくなってくる。

“僕”はゆっくりと口を開き、恐ろしい語調で僕に尋ねた。

『キミニオモイデナンテモノガアルノカイ?』



「うわぁっ!?」

「あいたっ! いったぁーい……」

飛び上がるように起き上がったレンは“何か”に激しく衝突し、そのまま深い眠りへ落ちようとする。

「レーンー? 朝からいきなり頭突きっておかしくない? ねぇ、おかしくないっ!?」

目に涙を溜めながら尋ねるリサ。痛そうに押さえる額は赤く腫れ上がり、小さなタンコブとなっていた。

もちろんレンもただでは済んでいない。あまりの衝撃に起床と同時に失神、そして昏睡へと移行しようとしていた。

だが、それをリサは許さない。肩をつかんでがっくんがっくんと揺さぶるって脳をシェイクすると、頬を思いっきり摘まんで限界まで両端に引き延ばす。これには昏睡しかけていたレンも意識が引き戻された。

「いひゃ、いひゃいひゃいひゃいってひゃ!?」

「おはようの代わりに頭突きぃ? ねえ、それってずいぶんと変わった挨拶ねぇ? どこの地方の挨拶か、この口で答えてもらおうじゃないッ! え、ほら言ってみなさいよ! ほら、ほらぁッ!」

「やふぇ、いひゃいってふぁ! りひゃ、ひょ、ひゃへへ!」

ぐにぐにと頬を伸ばすリサ。目に涙を浮かべつつも、その凶悪そうに歪んだ表情にはやがて残虐な笑みが浮かんでくる。

「え、何言ってんのか聞こえないわよ? ちゃんと答えてごらんなさい!」

「ひゃはははひはほうはっへんははははははひひょっ!」

ついに手を出すレン。リサの脇の下に手を伸ばすと、そこを思い切りくすぐる。

「きゃはははっ! ちょ、レン! やめなさいって!」

「ひゃはほっひほふへふほほひゃへへ!」

……ようやく長い戦いに終止符が打たれ、レンは頬の痛みから、リサはくすぐったさから解放される。

「はぁ……はぁ……私がくすぐりに弱いの知っててやったのかしら?」

「痛い……そっちだって僕が口内炎に苦しんでるの知ってるでしょ? それになんだか頭も痛い……。なんかしたの、リサ?」

「それはアンタのせいよ……。アンタがいきなり飛び起きるから、思い切り私のおでこに激突したのよ……」

「あぁ……それでリサは怒ってたのね……」

こくこくと涙を浮かべながら頷くリサ。額はぷくっと膨れ上がり、本当に痛そうだとレンは思った。

「ごめん……」

「わかればいいのよ……」

一騒動があったにもかかわらず、隣では相変わらずアランとウィルがいびきをかき続ける。それを見て、レンは重要なことを思い出す。

「リサ……ここは僕達のテントだよね。なんでいつの間に入ってるのさ」

「それは……わざわざこれを持って来てあげたからよ」

リサは端に置いておいたカゴを取り出す。そこには色とりどりの果物が入っていた。

「これを……?」

「朝散歩に出かけたら、たまたま見つけたから取ってきてあげたのよ。私一人だけが楽しむのもなんだか気が引けるからね。別に、アンタのために持ってきたわけじゃないのよ? 私の気分が悪くなるから取ってきてあげたんだから、そこのところ勘違いしないでよね!」

レンは桃を一つ手に取ってみる。ほどよく熟したその桃は、適度な弾力と重さを彼の手に感じさせてくれた。リサが差し出したナイフを受け取り、器用に皮を剥いていく。ある程度皮を剥いたレンは、その柔らかな果実にかぶりつく。

「……うん。凄く美味しい! ありがとう、リサ!」

「お礼なんて……」

リサも桃を一つ手に取ると、同じように皮を剥いてかぶりついた。

「別にお礼なんていらないわ!」

ぷいとそっぽを向いてしまうリサ。だが、そんなリサの様子を見て、それが彼女なりの照れ隠しであることはレンにも理解することができた。レンは笑いを浮かべて、もう一度お礼を言う。

「ありがとう、リサ」

「だからお礼なんて……一応すこーしだけありがたくいただいておくわ。言っとくけど、ほんとに少しだけだからね!」

「はいはい、わかってるよ」

楽しそうな声が静かな森の合間に響く。

こうして二人は、朝の談話を楽しみながら甘い果実を思う存分味わっていた。



果物を食べ過ぎたため、朝食を辞退することにしたレンとリサは皆が朝食を取っている間、二人で河原の方へとやってきた。今日の予定は川で水遊びをするというものである。それなりの深さがあるので、泳いだりすることもできる。流れはさして早くはない。

さっそくビキニの水着に着替えたリサは、レンが河原で待っていようと言っているにもかかわらず、一人だけ川に飛び込み気持ちよさそうに泳いでいた。レンも水着に着替えてはいたが、かたくなに水の中に入ろうとはしなかった。

「レーンー! 一緒に泳ごうよぉ!」

ばしゃばしゃと水を跳ね上げながら、気持ちよさそうに泳ぎ回るリサ。その様子はまるで人魚のように華やかで、それでいて仔イルカのように無邪気だった。

レンはそんな様子を見つめながらも、河原に座ったまま一歩も動かなかった。

「僕はいいよ。その……だから……」

リサは一度川から上がるとレンの正面に腰を下す。

「泳ぎましょうよ? とても気持ちがいいわよ?」

「いや……だから……その……」

レンはバツが悪そうに言葉を濁す。レンのその様子を見てニヤリとした笑みを浮かべるリサ。背中からはにょきにょきっと悪魔の羽が生えてくる。

「なーにー? 大きな声で言わないとわからないわよ?」

「かな……だから」

にやにや笑いをさらに加速させながらレンに詰め寄るリサ。そして、もう一度尋ねる。

「泳がないの?」

「うー……かな……づち……」

それを聞いた途端、リサは河原をごろごろと転がりながら文字通り笑い転げる。

「あははは! か、金槌なんだ! レンって金槌なのね!」

「い、いちいち繰り返すことないじゃないか……。その、少しは努力したんだよ? 少しは……」

やや語尾が弱まっていたが、ともかくクロールの形に腕を動かす。しかし、それを見てリサはやはり腹を抱えて笑い出す。

「れ、レン、それじゃあ沈んじゃうわよ! ホント愉快ねぇ……あはは……」

「そんなに笑うことないでしょ……教えてくれる人なんて……いなかったし……」

「なら私が教えてあげる。ついてらっしゃい」

リサはレンの手を取ると、水の中へと引きずり込む。

「わ、ちょ! リサ!?」

「いいからいいから。そんな泳げないままだと皆に笑われちゃうわよ?」

リサはレンの手をやさしく握ると、まずは腰の深さまでの場所で体を沈める。

「まずは水に浮いてみましょ。それくらいはできるわよね?」

「わからない……」

リサは小さくため息をつくが、諦めたような表情を浮かべてレンの足を払う。

「うわっ!?」

ばっしゃーんという音を立てて頭から水に突っ込むレン。だが、その手はしっかりとリサが握っていたため、沈んでいくようなことはなかった。

「ほら、浮かべたわよ。あ、体に力を込めると沈むから、可能限り楽な姿勢でね」

「ぶくぶくぶくぶくぶく……」

「え、何? ぶくぶく言ってるだけじゃ聞こえないわよ?」

レンはなんとか足をつけようとするが、そのたびにリサが足を払うので、いつまで経っても顔を上げることができなかった。やがてぶくぶくも止まり、レンの抵抗もストップする。

「やっと諦めたのね。じゃあまずはバタ足からしてみましょ」

リサはそう言うが反応が返ってこない。確かに上手に力は抜けているが、いくらなんでも抜きすぎているようにリサは感じた。試しに手を離してみると川の流れに従って流されていく。

「まさか……!」

リサは急いでレンを抱き起こす。彼女の予想通り、レンは酸欠を起こして意識が吹き飛ぶ直前だった。がっくんがっくんと肩を掴んで揺らしながらリサは叫ぶ。

「レン! 起きなさい! 寝たら死ぬわよ! あ、これは雪山ね。ともかく起きてーっ!」



しばらく河原に体を横たえていたレンだったが、ようやく意識が戻ってきたのか、目をゆっくりと開いた。

「あれ……リサ?」

レンはゆっくりと体を起こそうとするが、それをリサに止められる。

「もう少しゆっくりしてなさい」

「え、でも……」

「いいからいいから」

リサはレンの額に手を置く。そこはちょうど今朝、思い切り頭をぶつけた場所でもあった。

「こんなに腫れちゃってるわね。まあ、お互い様だったけどね」

「その……リサ?」

「私のは大丈夫。もうあんまり痛くないから」

「そうじゃなくて……その、恥ずかしいんだけど」

レンの頭は硬い河原の石の上ではなく、柔らかな太ももの上にあった。その太ももは細い肢体に繋がり、程よく発育した胸を通り抜け、そしてその上にリサのやや赤く染めた頬があった。

「……何が?」

「……ひざ……まくら……」

リサは悪戯っぽい笑みを浮かべながら耳元で囁くように尋ねた。

「何よ、嬉しいの? 嬉しいのかしら?」

「いや……そうじゃなくて……アランとか、すっごいニヤニヤしながら見てるよ……?」

瞬間、硬い河原の石へと落下するレンの頭。リサは突然立ち上がり、川の中で二人の様子を見ながらニヤニヤ笑いを浮かべるアランの方へと歩み寄る。

「ふごぁッ!」

そのままみぞおちへと掌底を叩き込んで撃墜する。可愛らしい笑みを浮かべながら戻ってきて、レンの頭を膝の上に乗せる。

「嬉しい?」

「怖い」

再び河原の石へと頭をぶつけるレン。リサは口を尖らせて頬を膨らませる。

「ふん! せっかく人がサービスしてあげてるのに嬉しくない、なんて何様よ」

「いや……そんなサービスいらないから」

「気分が悪いから一泳ぎしてくるわ」

そう言い残すとリサは川の方へと向かっていく。すでに川には数人の院生達が楽しそうにしていたが、その輪には入らずまっすぐに深い方へと泳いでいく。

「いたた……あー……あんな深いところまで行っちゃって……怖くないのかなぁ」

「ま、あいつは泳ぎが上手いから大丈夫だろ?」

いつの間にか復活したのか、アランはレンの隣に腰を下す。

「俺でよければ膝枕するぞ?」

「いや……遠慮しておくよ……」

レンは河原に座り込むと、優雅に泳ぐリサを見つめる。

「あーあ、僕もあんな風に楽しく泳げたらいいんだけどねぇ……」

「あんなんきっかけだよ。俺だって最初は泳げなかったけど、リサに海に叩き込まれて死に物狂いで何とかしたらいつの間にか泳げるようになってた」

「それは……災難だったね……」

レンはその様子を想像して身震いする。運動神経のいいアランならまだしも、運動音痴で金槌なレンならばどうなっていただろうか。レンはその先を想像するのが怖くなってやめた。

「しかもいきなり着衣泳だぜ? かなりレベル高いよなぁ……」

「……また何かしたの?」

「……昔、あいつがまだAカップだった頃、貧乳って言ったらジャイアントスイングで公園から柵超えて海まで投げ飛ばされた」

「それは……当然といえば当然かもね」

ちなみに今ではBカップとなり、本人もそこまで気にしているわけではないようだった。

「昔は異常なまでに気にしてたからな……」

「懐かしいよね。アリスが結構大きくて、リサは比較しちゃって……」

「今じゃどっちもいい感じだよな」

ニヤニヤ笑いを浮かべながら、女子陣が見たら即引くような表情で妄想を続ける二人。

「それは聞き捨てならないなッ!」

そのとき、どこからか一人の少年が颯爽と現れる! 

素敵な笑顔をその顔にたたえ、淡い茶髪を揺らしながら現れたその少年は名をウィリアムといった!

ウィルは二人の前に陣取ると、至極真剣な表情で語り始める。

「ああ、聞き捨てならない。ダメだダメだ全ッ然ダメだ!」

「何がダメなんだよ」

アランがそう尋ねると、ウィルはびしりとアランの鼻先へ指を突き付ける。

「アリスと他を比較しようってこと自体が間違っているッ!」

キラーン、という効果音が鳴りそうなほど眩しい笑顔を浮かべるウィル。無駄に歯の白さが輝かしい。それを呆れながら見つめるレンとアラン。

「じゃあ……アリスがリサよりも優れてる点を挙げてみろよ。言っとくが、胸の話だからな」

「そんなことはわかっているッ!」

ウィルは指をぴっと一本立てる。

「その1、まずは大きさだ。アリスの胸のサイズはCカップ。正確な数値の方は控えるとして……この時点でリサよりも勝っている」

「アリスってCだったのか!? いつの間にバストアップしてたんだ……」

アランは感心したように頷き、ウィルの話を身を乗り出して聞く。レンも顔こそ背けているものの、耳はしっかり意識を集中させて話を聞いていた。

流れを掴んだウィルはもう一本指を立て、びしっと二本の指を立てる。

「その2、形だ。リサの胸はやや垂れ気味で形も美しくない。つまり、少々崩れ気味というわけだ。その理由はいくつかあるが、その一つにブラの選択がある。ブラジャーは胸を保護すると同時に胸の形を正しく矯正するという役割も担う大変重要な下着なのだ。リサはブラを新調するのを面倒くさがって古いやや小さめのモノを使用している。それゆえに無理な力がかかって形が崩れてしまうのだ! それに対し、アリスはブラジャーの着用を怠ることはない。しかも、使用しているブラジャーはきちんと体のサイズに合ったものだ。だからその形は綺麗に保たれ、崩れにくくなっているわけだ」

「なるほどな……いや、ブラにそんな機能があるとは知らなかったな……」

そして、トドメだと言わんばかりにウィルはもう一本指を立てる。

「その3、これはずばり一番大切な部分、乳首とにゅうりぶっ!」

がつ、という鈍い音ともにウィルが轟沈する。その後ろから、ひょっこりとアリスが現れる。

「ウィル、何をしてるんですか?」

花柄のワンピースタイプの水着に身を包んだアリスは、両手を後ろに組んで沈みゆくウィルを不思議そうに見下ろす。そんな可愛らしい水着に一瞬目を奪われたレンとアランだが、ささっと隠されたアリスの手に大きめの石が握られていたのを二人は見逃さなかった。

「レンさん、アランさん、何かウィルが申していましたか?」

明らかにエフェクトがかかっているその声に、二人は生唾を飲み込む。

「う、ううん、何も言ってないよ」

「お、俺らはぼーっとしていただけだぜ?」

「ふーん……」

しばらくの間、彼女は冷ややかな目で二人を見つめていたが、やがて小さなため息をついて頷いた。

「そうですか……。それにしても、ウィルはどうしてまた突然寝ちゃったのでしょうか……。ちょっと起こしてきますね」

白目を剥いたウィルをずるずると川の方へと引きずっていくアリス。そのまま去っていく後ろ姿を見送りながら、二人は一気に冷や汗が噴き出すのを感じる。それと同時に、鼻血がつつーと流れ落ちる。

「女って怖いな……」

「うん、アリスもリサもすっごく怖いよ……。僕はその、もし女の子と付き合うことになっても、静かでおしとやかな子を選ぶようにするよ」

「そうは言ってもな、アリスももともとは静かでおしとやかなヤツだったろ? やっぱり女って生き物は何かしら恐ろしいもんなんだよ」

アランが悟ったように言う。レンもその言葉に思わず頷く。

「もしかすると、男の方がまだマシかもな」

「僕はそういう趣味はないけどね。でも、今だけは肯定しておくよ」

レンはため息をつきながら頷く。女の友達よりも、男の友達の方が思考を理解することができる分、行動や考えを読むことができて、仲良くできるのではないかと思ったレンだった。

「はぁ……女はこえぇなぁ……レン?」

「……」

その時、レンはただならぬ何かを感じた。

たとえるならば焦燥感のようなもの。虫の知らせとでもいうのだろうか。冷たい汗がじわりと体を湿らせる。

「いやっ! た、助け……!」

耳をつんざくような悲鳴。それを聞いた途端、レンは弾かれたように立ち上がる。

「リサ!? なんで……!?」

「あ、足が……足が吊って……ごぼごぼ」

リサが川の中でもがきながら流されていた。それはどう見てもふざけているようには見えない。まさに彼女は溺れていたのだった。

「リサーッ!」

「おいレン! お前待ッ!?」

アランが止めるよりも早く、レンは駆け出していた。

恐らくリサは足を吊ってしまったのだろう。そして、背が届かない深みへと流されてしまっていた。

レンは無我夢中で川へと飛び込む。そしてむちゃくちゃに水をかき分け、リサの元へと向かう。

頭の中を何かがガンガンと響く。それはリサが失われるかもしれないという恐れか、それとも泳げないことに対する悔悟の念か。

大好きな日常。それを作り出す大事な要素が目の前で失われようとしている。それが、レンにはどうしようもなく我慢できなかった。

「リサ! リサ!」

「あ、アンタ……泳げなかったんじゃ……」

リサはなんとかレンに掴まる。むちゃくちゃに手足を動かしていたレンだったが、なんとか体を安定させるとリサの体をしっかり支える。

「泳げないけど……リサがいなくなるかもって一瞬考えたら我慢できなくて……」

彼は自身が泳げないことを忘れて川に飛び込んでいた。

だが、リサを無事に支え冷静になるにつれて、彼は大事なことを思い出していく。

そう、彼は“泳げない”。夢中でその事実を忘れていたとしても、それは不変の事実。むちゃくちゃな泳ぎ方では一時を凌ぐことができても、長続きすることはない。

「あ……」

徐々に痺れ始める手足。むちゃくちゃに動かしていたため、すぐに限界がやってきたのだった。

「やばい……疲れてきた」

「え、ちょっと! レン!」

リサはレンの体をぎゅっと抱きしめる。それはさらに悪い結果を招いた。リサによって制限されたレンの体は疲労が加速度的に蓄積していき、ついに限界を迎えた。

「もう……泳げない……」

「レン! レン!」

やがて沈み始めるレンの体。リサは手だけでも動かして必死に泳ぐが、レンを助けることはできなかった。

「やだ、ちょっとレン! ダメ、諦めないでよ! ねえ、ねえったら!」

必死に手を伸ばす。もはや吊ってしまった足も無理やり動かす。だが、それでも伸ばす手がレンに届くことはなかった。

「レン! なんでよ! ちょっと待ってよ! 誰か、誰かレンを助けてよーッ!」

レンは目を開いて手を伸ばす。だが、彼の体は徐々に沈んでいく。なんとか体を動かして泳いでいるリサを見て、レンは安心した。

(なんだ、泳げてるじゃないか。心配し損だなぁ……)

徐々に遠くなる意識。苦しいを超えて何も感じなくなる体。

最後の最後までレンはリサの姿を見つめた。やがて目を閉じて、そこで彼の意識は途切れた。


『だから言っただろう? いつか終わる泡沫の夢だとね』



真っ白な部屋。二つの椅子と一つのテーブルだけが置かれた小さな部屋。

どこか心の温まるようで殺風景な情景。僕はこの部屋を見て、何か落ち着くものを感じた。

一つの椅子には僕が座り、もう一つの椅子には“僕”が座っていた。

『君は僕がせっかく注意してあげたのに聞かなかったね』

「君が……僕にあの鐘の音を聞かせてくれたの?」

警鐘の音。どこからともなく響いてくる音は、“僕”が鳴らした音なのだろう。“僕”はにやりという笑いを浮かべて話し始める。

『まあ、君のことだから無駄だとは思ったけどね』

「まあ、君は僕だからその辺り、よくわかってると思うけどね」

僕も“僕”に合わせて笑みを浮かべる。

『これからも君を助けてあげよう。できれば次回からはきちんと従ってほしいなぁ。これでも君のためを思ってやっているんだからね』

「ありがとう」

“僕”は椅子から立ち上がると、窓の外の風景を眺める。

その窓からは何が見えるのだろうか。少し気になったが、僕は立ち上がることができなかった。

『君は毎日が楽しい?』

“僕”は突然僕に尋ねた。少しの間僕は考えた後、その問い掛けに答えた。

「楽しいよ。リサもアランもたくさん遊んでくれるし、それを見ているだけで僕までわくわくしてくるよ」

『そう、それはいいことだ』

“僕”はくるりとこちらに向き直ると、再び椅子に座った。

『でも、油断していてはいけない。近い将来、必ず君は厳しい現実に直面することになる』

「うん……それはわかってる」

僕は近い将来のことを思い浮かべる。いつまでも遊んでばかりいるわけにはいかない。

『きっと君が思っているよりも早くそれはやってくる。今のうちに覚悟しておくことをおすすめするよ』

「わかった。肝に命じておくよ」

『さて……そろそろ戻った方がいい。君のことを待っている友達がいるだろう』

“僕”は再び立ち上がると、僕の手を取って誘う。

『さあ、そこの扉を開くといい。君の世界に戻ることができる。早く戻って安心させてあげなよ』

僕はゆっくりと彼の導くままに扉の前まで歩みを進める。

「これを開ければいいんだね」

“僕は”こくこくと頷く。僕は扉に手をかけた。温かな感覚が手を通じて伝わってくる。

僕は手に力を込めると扉を押した。開いた扉の隙間から光が漏れ出してきた。

『また会うときまで。See you later』

「あはは。Thank you for your kindness」

僕は徐々に光に包まれていく。視界が全て光に覆われたとき、僕の意識は失われた。



彼は目を開く。

そこは見覚えのない白い部屋だった。

時計が時を刻む音だけが響いている。レンは体を起こそうともせず、そのままぼんやりと天井を見上げていた。

ふと、膝の辺りに優しい重みを感じる。レンは少し体を起き上がらせて、そして安心する。

終わってしまうと思った夢は未だ終わりを告げることはなかったのだった。

レンが眠るベッドに体を半分預けて、椅子に座ったまま眠りこけるリサ。二つ並べた椅子に体を寄せ合わせるようにして眠るウィルとアリス。そして、真剣な表情でレンを見つめていたアラン。

「起きたか……」

「アラン? 何が起こって……」

瞬間、頬に熱が走る。ひりひりと痛む頬。振りぬかれた手のひら。

レンは痛む頬を押さえると、涙を目に溜めながらも真一文字に口を結ぶアランを見上げた。

「ばかやろう……待てって言っただろ……? 泳げもしないのに無茶するんじゃねえよ……。めちゃくちゃ心配したじゃねえかよぉ……」

ぐしぐしと目をこすりながらレンの肩をがっしりと掴むアラン。レンは目を白黒させながらも、自分が無茶をしてしまったということだけはわかった。

「ごめん……心配かけて……」

「いいんだよぉ……お前が無事なら……無事ならいいんだよぉ……」

アランはひしとレンの体を抱きしめた。レンもアランの体をぎゅっと抱きしめる。

「ごめんね……アラン、心配かけて……」

「いや、俺も殴って悪かった……とにかくお前が無事なら……」

「ふわぁ……」

そのとき、ベッドに体を預けるようにして眠っていたリサが目を覚ます。そして、目の前で繰り広げられている惨状を見て思わず叫ぶ。

「きゃぁッ!? き、キモっ! アンタらキモ過ぎ! 男同士で抱き合うとか最悪だわッ!」

「り、リサ!? 別にこれは無事を確かめあう男の友情って言うか……」

なんとか弁解しようとするレンだったが、アランが身を乗り出して堂々と宣言する。

「男同士抱き合って何が悪い! 俺はレンさえよければ(自主規制)だってするぞ!」

「ギャアァーッ!? 信じられないッ! 不潔よ不潔ッ! 死ね! アンタらなんて死ね! 死んでしまえッ! そんでもって同じ墓に入って(自主規制)でも(自主規制)でも(自主規制)でもしてればいいわ!」

「ちょ、や、僕には男と(自主規制)なんてことする趣味は……」

「まったく……ボクには同性愛というものが理解できないね」

「私もです……。もちろん男同士も女同士も……」

いつの間にか目を覚ましていたウィルとアリスまでもが全力で引く。揚げ句の果てにリサは椅子を振り上げ、そしてアランはそれに立ち向かう。レンはすでにベッドの下へと避難しており、血みどろの戦いを見ないように、聞かないように目と耳を塞いでいた。



あとからレンが聞いた話だったが、レンとリサを助けたのはウィルとアリスだった。

川で誰かが溺れたからといって、そこに飛び込んでいってはいけないのは救助において基本ともいえるルールである。可能な限り陸から助ける方法を試み、それでも駄目ならば命綱を身に結んで助けに行くくらいでなければいけないのだ。

ウィルとアリスは絶妙なコンビネーションでレンを引き上げ、リサを陸に連れ戻した。そして迅速に救命措置を施し、レンはようやく息を吹き返したのだった。その間慌てに慌てて何もできなかったアランにミシェルを呼びに走らせ、そして他の院生を動員して担架まで作らせたというのだから、レンは二人の行動力に舌を巻くと同時に、感謝をしたのだった。

二人は笑ってこう答えたという。いくら愛する人ができたからといって、大事な友人を放っておく者がどこにいるだろうか。当然のことをしたまでである。レンは大事な仲間であり、もちろん愛する人が一番大事だが、だからといってレンを疎かにするわけがない。助けて当然のことであり、礼には及ばない、と。

レンはそれを聞いて、自分自身も彼らにとっての日常の一部だということを自覚した。それはレンにとってのリサと同じ、貴重でかけがえのない存在なのである。

レンは改めて二人に感謝をすると同時に、心配をかけてしまったリサやアラン達に謝ったのだった。



「まぁ……アクシデントがあったが、ともかく無事にキャンプ最終日を迎えることができたわけだ」

体の至る所に包帯を巻いたアランが両腕を組みながら頷く。

「そうね。でも、私もレンも無事だからいいってことでね!」

一方、リサの方は頭に包帯を巻いている。結局あの後、リサは椅子による『脳天搗割殺し』によってアランを撲殺し、そしてアランは同時に繰り出した拳による『超弩級鉄拳制裁』によってリサを撃墜した。つまるところ、相打ちなわけである。お互い仲良く同時に沈み、仲良くレンの手当てを受けた二人を含む全員は何事もなかったかのようにプログラムを消化し、ついに最終日の最後の昼食を迎えることとなった。

例の事件の後、ウィルとアリスのチームワークのよさがレンの命を救ったということもあって、レン達は二人のことも少し認めることにした。ウィルとアリスも三人が認めてくれたこともあって、少しは自重しようということになったようで、五人で楽しみ、絆を深めるという本来達成すべき目的を完遂しようとしていた。

「さて……今回もまた自炊だ。だが、今回は今まで以上に強力で、強固で、それでいて密なチームワークが求められる。まるでウィルとアリスのように呼吸のあった行動が五人全員に求められるのだッ!」

「これはうまく連携をとって調理に当たらないと最悪の結末を迎える可能性すらあるわ。全員が協力して、素早く確実に仕事をこなさなければならないのよッ!」

アランとリサは息のあった任務発表を行う。今回五人に課せられた任務は、最後の食事ということもあってとても盛り上がり、そして楽しいものにしたいという共通の意識があった。それを達成するためには、二人の言う通り息のあった一致団結の行動が求められるのである。

「これは……乗っておかないと損だね」

「それには同意します」

ウィルとアリスも立ち上がり、同じように大きな声でその後に続く。

「わ、私たちはこの二人だけでなく、皆とも結束して一つの完璧な最終課題を成し遂げなければならないのです!」

「ボクらが作るべき、最後にして最高の料理はこれだっ!」

四人の視線がレンに集中する。これが意味することは、すなわち彼こそがトリをするべきであろうという四人共通の意思である。

「今回くらいはツッコミもなしで……」

いつもならば思わずツッコミを入れてしまうような状況にも、レンは頭をぽりぽりと掻いて照れ隠しをしながら宣言する。

「ぼ、僕達の最終課題は……そう、キャンプのメインディッシュともいえるカレーライスだよ!」

まさに決まった瞬間だった。五人全員の表情がもはや全てが終わった後のように清々しい。だが、真の戦いはこれからなのである。

「いよっしゃ、俺が火を起こす!」

「具材の仕込みは私達に任せてくださいね!」

「じゃあアリス、始めようか!」

「じゃ、残った私とレンは……!」

「ご飯の準備だね!」

五人はあらかじめ決められていたかのように自らの仕事に就く。アランの手には薪の束、ウィルとアリスは包丁、レンとリサはザルと米の入れられた袋が握られる。

大振りな動きで薪を窯へと投げ入れていくが、その配置はまるで慎重に組まれたかのように正確かつ迅速だった。

ウィルが野菜を洗い、皮を剥いていく。それを受け取ったアリスが最も食べやすい大きさに切り、ボウルへと分けられていく。

レンとリサも水道の蛇口を捻り、米を威勢よく研いでいく。真っ白な研ぎ汁が幾度も流され、そのたびに米が研がれていく。

「ねえ、最初はあんなにギスギスしてたのに……今じゃこんなに楽しくて……」

「僕もびっくりだよ。皆最後には団結して、こんなにも息があった行動が取れるんだもんね」

「びっくりよね。私達とアラン、ウィルとアリスの五人全員で一緒に何かをするなんて、“初めて”のことのハズなのにね! この先頑張れば、私でも人と仲良くやっていけるかもしれないわね!」

「……え?」

レンの手が一瞬止まる。リサの言葉に感じた微妙な違和感。何気ない至って普通の言葉のはずなのにもかかわらず、レンはどこかに不可思議な何かを感じた。

「……リサ、もう一回言ってくれる?」

「……?」

リサも一旦手を止めて、先ほど自分が言った言葉を思い出すように喋り始める。

「えーと……この先頑張れば、私でも人と……」

「そ、その前! その前だよ!」

「その前……私達とアラン、ウィルとアリスの五人全員で一緒に何かをするなんて、“初めて”のことだよね、ってところ?」

「初め……て?」

レンの記憶がテーブルのうえに置かれた写真立てを思い起こす。

その写真は確かに五人が仲良く写った写真だったはずだ。もちろんその五人とは、レンとリサ、アラン、そしてウィルとアリスの五人である。

レンは写真を撮った出来事を思い出す。それは去年のキャンプのことだった。そのときも課外授業で五人は確かに同じ班で行動し……。

(え……?)

彼にはそこで具体的に何をするためにどのように力を合わせたのか、それを思い出すことができなかった。レンの記憶には確かに五人で何かをして、その達成記念に写真を撮ったという記憶が刻まれている。だが、どんなに思い出そうとしても、肝心のその中身がなんだったのか、彼には思い出すことができなかった。

「……レン? どうしたの?」

「……え、あ……ごめん、ちょっと考え事してた」

リサは一年前のキャンプのことを覚えてはいないのだろうか。五人で“何か”をして団結し、そして仲良く過ごした一年前のキャンプのことを……。

レンはそのことをリサに尋ねようかとも思った。だが、それで彼女が気分を悪くしないだろうか、とレンは思った。だから、彼は言い出すことができなかった。心の中を正直に話してしまうリサである。彼女の言うことをむやみに否定しては、せっかくの団結に綻びが生じてしまうのではないかと思ったからである。

「体調悪いとか……?」

「ううん、大丈夫。なんでもないよ」

レンはにっこりと笑い、再び米を研ぐ手を動かし始める。

それを見て、リサはしばらく心配そうにしていたが、やがて彼女も米研ぎを再開した。



「「おつかれさまぁー! 乾杯!」」

水をなみなみと満たしたコップを持ち上げて乾杯をした五人は、あつあつのカレーライスを口に頬張る。

「あふっ! へもふまひ!」

水を慌てて飲むアラン。そんな様子を見てリサ達は笑う。

「慌てて食べるからよ」

「だって美味そうだったからついな……。でも、マジで美味い!」

「そりゃあ僕とアリスが調理したカレーで」

「私とレンが炊いたご飯だもんね! ね、レン!」

リサはレンの背中を思い切りどつく。その突然のことにびっくりしたのか、レンはごほごほとむせる。

「ごほっごほっ! り、リサ、びっくりするじゃないか!」

「あ、ごめん……。ちょっと盛り上がり過ぎちゃった……」

「だ、大丈夫だよ。ただちょっとびっくりしちゃっただけだから……。次からはもっと優しくしてね」

リサはこくこくと頷く。それを見てレンはとりあえず安心してカレーを口に運んだ。

レンはあの後もリサの言葉のことが気になってしまっていた。

もしかするとレンの記憶違いで、実は違うメンバーと去年のキャンプを過ごしたかもしれない。あるいはリサが忘れているだけかもしれない。そう思い込もうとしても、一度生じた違和感を簡単には取り去ることはできなかった。

写真を確認すれば、そのどちらかであることはわかるはずである。写真にウィルとアリスが写っていればリサが忘れているだけで、写真に別の人物が写っていればレンの記憶違いということになる。

全ては自室に戻れば解決する話である。そう考えると、さして大きな問題でもないように彼は思えてきた。

それによくよく考えれば、ウィル達と一緒に行動したことがあるか、それともないかなど考えてみれば些細なことである。なぜそんなことにこんなにも長い時間考え込んでしまっていたのか、レンはそのことの方が疑問に思えてきた。

(きっと杞憂に終わる。こんなことは小さな問題で、明日にもなれば忘れてしまうに違いない)

レンはスプーンでカレーをすくい上げ、口に運んだ。口の中に程よい辛味と甘味が広がり、カレー特有の香りが鼻孔を満たした。

だが、そんな美味しいカレーライスをもってしても、彼の心配事はわずかたりとも失せはせず、ますます頭を悩ませることとなったのだった。



夢は真?

それともただの泡沫?

不思議な夢を見た彼はまだ日常が続いていることに安堵する。

今日はアリスの誕生日会。誕生日プレゼントをどうしようかと彼らは奔走する。

けれども空には暗雲が渦巻いていて・・・。

次章、第3章 Truth


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