王子夫妻と黒いドレス
ルーシャがアルヴィンと結婚して、しばらく経った。
穏やかで公明正大な貴公子だと言われていたアルヴィンは婚約してからも優しかったし、結婚してからはそれはもうルーシャの方が戸惑うほどの愛情を捧げてくれた。
ルーシャは魔女として彼と添い遂げることを決めたので、結婚してからは夫の遠征などに付き従っていた。
アルヴィンは「嬉しいけれど、無茶はしなくていいからな」と言うが、二人の新居である離宮にいくつもの魔法陣を描いているため、ルーシャは疲れたらすぐに転移してベッドで寝て、翌日に夫がいる場所に瞬間移動することができるので問題ない。なおこの魔法陣は発動者のみ転移できるので、残念ながらアルヴィンを連れて移動することはできなかった。
「そういえば……ルーシャはあの服はもう、着ないのか」
「あの服……ですか?」
夫と並んでソファに腰掛けていたルーシャは、なんのことだろうかと首を傾げる。
今日はアルヴィンの仕事が休みなので、夫婦でまったりと過ごしているところだった。
アルヴィンはうなずき、ルーシャのつややかな茶色の髪を愛おしげにくしけずりながら言う。
「ほら、あなたがベアトリスとして活動していたときに着ていた、黒いドレスだよ」
「……あ、ああ……あれですか」
「ああ。あれを着て夜空を飛ぶあなたは、とても美しかったな」
そう言ってアルヴィンはほうっと夢見心地の顔になり、ルーシャを抱き込んできた。
あの黒いドレスは、ベアトリスの戦闘服と言ってもよかった。体のラインにフィットしているためなんともなまめかしく、ベアトリスの蠱惑的な体型をより魅せている一品だ。
なお、ルーシャは視覚認知魔法を使えばそれだけでいいので実のところあのドレスに着替える必要はないのが、なんとなくそれっぽい気持ちになれるため毎日ドレスに着替えてから魔法で変身していた。
「ええと……ドレス自体は実家にあります」
「そうか!」
「でも、着るのはちょっと……」
「だめなのか?」
ぎゅっと横から抱きしめられて、ルーシャは言葉に迷う。
(だめ……というわけではないけれど……)
なんといってもあのドレスは、胸と尻が大きくてウエストがくびれたベアトリスが着るからこそ映えるのだ。そしてあのときのルーシャは、自分の素の姿がアルヴィンにばれていると知らなかったから平気で着られた。
(今の姿で着ると、胸がすかすかになるのよね……)
「……その、私が着てもベアトリスのような色香は出せませんので……」
「いや、俺はあなたがあのドレスを着ている姿を最初から見ていたが、うっとりするほど魅力的だった」
「うっ……! そ、そうですか……?」
「ああ。だからもしよかったら、もう一度着てみてくれ」
夫が青色の目を真剣に輝かせて言うので、ルーシャは迷った。
だが、普段から多忙で国のために自分の欲求を後回しにしがちなアルヴィンからのお願いとあらば、断るのは逆にかわいそうな気もしてきたし……妻として、夫のわがままを叶えてあげたいという気持ちもあった。
「……分かりました。持ってきてもらいます」
「ああ、楽しみにしている!」
アルヴィンは無邪気に笑い、「俺の奥さんは本当にかわいいな」とルーシャのつむじにキスを落としたのだった。
翌日、実家の子爵邸から荷物が届いた。添えられていた母のメッセージカードには「きちんと保管しておいてよかったわね」とのんきな言葉が書かれていた。
(……なんだかんだ言って、懐かしいわね)
箱から出したドレスを胸の高さに掲げ、ルーシャは感慨深い気持ちになる。
ルーシャは十九歳までこれを着て活動していたが、自分の正体を皆に明かすことにしてからは普通のドレス姿で魔女の仕事をしている。
第二王子の妃が魔女ということで婚約してからしばらくの間はかなりの批判も来たが、アルヴィンは毅然としてそれらに対応したし国王夫妻や王太子夫妻もルーシャに味方してくれた。そのため大聖堂で結婚式を挙げる頃にはそういった声も聞こえなくなり、むしろ今では「王子妃の魔女殿」とわりと親しまれるようになっていた。
(……着るのはちょっと勇気が要るけれど、アルヴィン様のお願いだし……やるしかないわね)
そうしてルーシャは服を脱ぎ、離宮付きのメイドの手を借りながらドレスを着た。
メイドたちは「魅力的でとても素敵です」と褒めてくれたが、鏡に映る自分はどうにも不釣り合いな姿をしていた。やはり、この体型だと寂しい胸元がぱっくり開いていて少々悲しい。
(ううう……ベアトリスの姿――だとだめよね……)
ベアトリスの姿だと恥ずかしいとすら思わないのに、素の自分が着てアルヴィンの前に立つのだと思うと無性に緊張してくる。
だがメイドたちが「殿下がお待ちですよ」と急かすので渋々衣装部屋を出て、アルヴィンが待つリビングに向かった。
「お、お待たせしました……」
「着てくれたのか、ルー――」
ソファに座っていたアルヴィンが振り返り、そのまま言葉を変なところで止めて固まった。
彼の青色の目が見開かれ、ルーシャの姿をじっくり見つめてきている。
(……や、やっぱり恥ずかしい!)
「あ、あの……あんまりじっくり見ないでほしいのですが……」
「無理だ」
「えっ?」
立ち上がったアルヴィンは素早くルーシャの前まで来ると、そっと肩を掴んできた。心なしかその目元や頬が赤くて、鼻息も荒い気がする。
「ああ……かつて見たとおりの魔女だ。かわいらしく恥じらって、顔を真っ赤にして……俺が心を奪われた魔女の姿そのものだ」
「え、ええと……お褒めいただけて光栄ですが……ベアトリスの姿になったらだめですか?」
「なってもいいが、俺には意味がないからな」
「あ、そうだった……」
アルヴィンには視覚認知魔法が通じないのだから、たとえベアトリスの姿になったとしても彼の目に映る自分はルーシャなのだ。
すうすうする胸元を隠そうとそっとそこに両手を重ねると、ごくっとアルヴィンの喉が動いたのが見えた。なんだか危険な予感がして、ルーシャは慌ててアルヴィンの胸を押した。
「あ、あの、もういいですよね? 脱いでいいですよね?」
「……。……すまない、ルーシャ」
「え」
「少し……我慢ができなくなった」
「えっ……え?」
ルーシャの肩を掴んでいたアルヴィンの手が腰に移動し、そっと抱き寄せられる。魔女のドレスは薄手なので、密着するとアルヴィンの熱い体温が伝わってきてぎょっとした。
「ア、アルヴィン様!?」
「そのドレス、脱ぎたいのか?」
「え、ええ、今すぐに脱ぎたいですが……」
「分かった。では俺が脱がそう」
「え、ま、ちょっ……そういう意味なんですか!?」
アルヴィンの意図がはっきり分かったルーシャは真っ赤になって抵抗したが、そんな妻を見てアルヴィンはとろけるような笑みを浮かべ、「ああ、本当にあなたはかわいいな……」とでろでろに甘い声で囁いてきた。
その日は午後からサブリナたちを呼んでおり、いつものように取り巻きを連れたサブリナが訪問してきた。
だが彼女はルーシャの顔を見るなり開口一番、「あなた、幸せそうねぇ。殿下に愛されているのね」とからかうように言い、ルーシャをよりいっそう真っ赤にさせたのだった。
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