第二王子の恋
アルヴィンは、ラント王国の第二王子である。
兄王子は生まれたときから王太子となることが決まっており、皆の期待を受けて育った。次に生まれたアルヴィンはいわゆる「スペア」で、兄が健康に育ち立派な王になれば特に用事はないという、微妙な立ち位置だった。
だが彼は優しい兄のことが大好きだったため、いずれ国王となる兄の役に立とうと少年期に騎士団に入り、心身を鍛えることにした。
残念ながら体質の問題らしくて筋肉ムキムキにはなれなかったが、ほどよく引き締まった体躯はなかなか女性ウケがよかったようだ。兄が早くに隣国の王女を婚約者にしたこともあり、娘をアルヴィンの妃に、と願う貴族もそこそこいた。
とはいえ彼は元来ストイックで真面目な性格なので、妃選びも慎重にしたい……と思いつつも、兄たちからは「自分と気が合いそうな女性と添い遂げればいい」と言われていた。よって彼自身そこまで結婚に焦ることなく、まずは騎士として、第二王子としての職務を果たせたら……と考えていた。
ある日、前々から国境を侵そうとしていた隣国の軍がついに国境の砦を攻撃してきた、という知らせが入った。
ラント王国軍は敵国の襲撃に善戦しているが、そこに新たな指揮官――ひいては皆の士気を上げる者を送り込むべきだという話になり、アルヴィンが指名された。
危険な戦場への派遣ということだが、アルヴィンは喜んで拝命した。宙ぶらりんな立場の第二王子ではあるが、自分にも王族としてできることがある。その役目を果たせるのなら望むところだと、真面目で実直で――少々脳筋の節もあるアルヴィンは思った。
彼の出立の際には、多くの令嬢たちが涙をこぼしていた。特に目立っていたのは公爵令嬢・サブリナだった。よよと泣き崩れる彼女の周りには取り巻――友人の令嬢たちがおり、皆大げさなほど嘆きながらアルヴィンを見送った。
さて、部下たちを引き連れたアルヴィンは戦地である国境付近に到着し、陣を張った。王子殿下の参戦ということで味方は歓声を上げたが、危険因子がやってきたということで敵国側も緊張の色を見せた。
(……自軍には魔女もいるが、皆戦慣れしていない。大丈夫だろうか……)
ちらっと横を見ると、連れてきた魔女たちは皆青い顔で震えていた。一応王宮仕えの魔女たちではあるが皆生まれは平民で、しっかりとした教育を受けたわけでもない。
それに彼女らはこれまで魔力で夜会の余興を演出したりきらきら輝く光を出したり軽い負傷者を治療したりということしかしてこなかったので、いきなり人間や魔物と戦え、と言われておびえているのだろう。
(……皆、一応自ら志願はしてきたのだが……彼女らには後方支援を任せ、俺たちで切り込む必要がありそうだな)
だが、戦況は思わしくなかった。
敵国も魔女を動員しており、しかも彼女らは魔力はともかく闘志にあふれているようで、派手な魔法を駆使して砦を襲撃してきた。兵士たちも砦を壊そうとしたり塀をよじ登ろうとしたりと積極的に攻め込んでおり、アルヴィンたちは苦戦を覚悟した。
……だがそこに、思いがけぬ助っ人が現れた。
「殿下、魔女が現れました!」
部下の報告に、出陣の準備をしていたアルヴィンは眉根を寄せる。
「魔女……どこにいる。空を飛ぶのなら、弓矢で射落とさなければならないが……」
「いえ、その……どうやらその魔女は、我々に味方しているようです!」
「……なんだと?」
アルヴィンが急ぎテントから出ると、夜空を滑空する一つの星が見えた。
それは、黒衣を纏った若い女性だった。彼女が手にした杖を振るうと目に見えない壁が現れ、砦を襲撃していた敵国の魔女たちが吹っ飛んでいく。彼女らが放った炎は魔女の杖の一振りによりかき消され、むしろ敵国側に延焼して黒煙が立ち上る。
さらに魔女はラント王国軍の負傷兵たちに向かって回復魔法を放った。空中から地上に掛けて放っているので威力は弱めだがその代わりに広範囲で、傷を癒された騎士たちはぽかんとして魔女を見上げていた。
(彼女は一体……? いや、ともかく話をせねば)
すぐにアルヴィンは魔女と意思疎通を図るよう側近に指示を出し、彼が「会話希望」を意味するたいまつの振り方をすると、魔女はゆっくり降りてきた。
「……なんと、妖艶で美しい」
「だが、あれほどの魔力だ。美しい見目に惑わされては呪われるかもしれない」
「……うわぁ、すげぇな、あの胸」
降りてきた魔女を目にして、騎士たちがざわめいている……が。
(……ん? 妖艶……か?)
アルヴィンの目に映るのは、ごくごく普通の若い娘だった。黒のドレスはなかなか露出が多くて扇情的だが、それを着る魔女本人は優しそうな穏やかそうな若い女性だった。しかも不安そうにちらちらとあたりを見回したり、恥じらうように頬を赤らめてアルヴィンをじっと見たりしている。
(……待てよ。この女性は確か、サブリナ嬢の友人の――)
だがいきなり彼女の名を呼ぶのははばかられ、進み出たアルヴィンは礼儀正しくお辞儀をした。
「あなたは……魔女か? だが見たところ、我が国の正規所属ではないようだが……」
「ええ。あたくしは、ベアトリス。フリーの魔女よ。あんたたちが望むなら、この戦いに協力してやってもいいけど?」
高慢で軽そうな発言。だがそれを言う彼女は不安そうに目を伏せており、言葉と見た目が一致していない。
(……ああ、なるほど。さては彼女は幻影の魔法で自分の見た目を変えているのだな)
アルヴィンは、だいたいのことを察した。
彼女――公爵令嬢の友人である子爵令嬢・ルーシャは、魔女だった。彼女は魔法で自分の見た目を妖艶な女性に変え、ベアトリスという仮の名で魔女として活動しているのだろう。
だがアルヴィンは生まれつき、視力に優れていた。ただ単に遠くのものが見えるというだけでなくて、彼の目は魔女たちが使う視覚系の魔法に惑わされず真実を見ることができるのだ。
だから彼女の言動に怒った部下が魔法に掛けられても、アルヴィンには何が起きたのかよく分からなかった。周りの者たちが騒ぐから、部下が全身ピンク色になり――しかも猫耳が生える魔法を掛けられたのだろうと分かったくらいだ。
(確か、子爵令嬢は俺より少し年下だったか。……そんな若い貴族女性が魔女であることを隠し、なおかつ危険な戦地に来て戦おうとするなんて……)
今すぐここで彼女の正体を指摘することもできる。そうすれば深窓の令嬢を戦地に送り込まずに済むが……果たしてそれが、彼女の望むことなのだろうか。
(俺はひとまず何も知らないふりをして彼女と接するのがいいだろう。彼女が軍にいれば助かるのも、事実だし……)
軍に協力したいと言うルーシャ――ベアトリスの申し出を受けると、彼女は安心したように微笑んだ。
「それじゃ……どうぞよろしくね、王子様」
「……ああ、了解した」
アルヴィンがそう言って、仲間の証しとして手を差し出した――瞬間、ルーシャの顔がぽんっと赤く染まった。
(……あ、かわいい)
思わずそんなことを思ったが、ルーシャは自分の動揺がばれているとは分かっていないため、まごまごしつつも声だけははっきりと拒絶した。
「悪いけど、そういうのは遠慮するわ。ま、あんたを裏切ることはないから、安心なさいな」
「……分かった」
なるほど、彼女も苦労しているのだな……とアルヴィンは思った。
それからアルヴィンは、積極的にルーシャと関わるようにした。
彼女は夕方になると現れて、夜が更けると去って行く。部下は「魔法陣でどこかに飛んでいるようです」と言っていたので……おそらく夜になると子爵邸に帰り、休んでいるのだろう。一応彼女用のテントもあるが、自宅に戻って食事や睡眠がとれているのならそれでいい。
……そうして分かってきたのだが。
(ルーシャ嬢、俺と話をするときはすごくかわいらしく照れているな……)
彼女は魔女ベアトリスになりきっているからか、口では「お尻の青いボウヤ」とか「あんた」とぞんざいにアルヴィンを呼ぶ。
そんな姿は周りの者からすると、お色気魔女が大人の余裕でアルヴィンをあしらっているように見えるのだろうが――アルヴィンの目に映る彼女はその言動一つ一つで真っ赤になり恥じらっており、実に初々しかった。
それでいて、戦闘中は凜々しく敵国軍に立ち向かっている。彼女は殺しは嫌いなようで魔法で人間を殺めることはないが、はぐれの魔物に対しては容赦なく魔法をたたき込んで倒すし、敵国兵に風魔法をぶつけて遠くに吹っ飛ばしたりする。
かと思えば、未熟な魔女たちを厳しく指導している。魔女ベアトリスはきりりと顔を引き締めて魔女たちを叱咤しているのだろうが……アルヴィンが見る彼女は唇を噛みしめ、辛そうな顔で皆を励ましているようだった。
(本当の彼女はきっととても繊細で……それでも国のために戦ってくれているのだな)
そんな彼女に恋をするな、と言う方が無理だった。
これまでアルヴィンは自分の結婚について明確な像を描くことができなかったが……黒衣をはためかせるルーシャが自分の隣に立つ姿が、容易に想像できるようになった。もちろん、彼女の見た目は茶色の髪に灰色の目のおとなしそうな令嬢の姿だ。
騎士たちの中には魔女ベアトリスの色香に心酔し、「全身緑になってもいいから、触りたい」「魔法で豚にされてもいいから、ベッドに呼びたい」と言う連中もいたので、厳しく指導しておいた。
そういうことを言われてもベアトリスは涼しく騎士たちをいなすだろうが、きっとルーシャは真っ赤になって戸惑ってしまうだろうから。
(……好きだな)
アルヴィンは、ルーシャの背中を見ながら思う。
ベアトリスの顔だと悠然と笑っているのだろうが、素顔のルーシャは実に豊かな表情をアルヴィンに見せてくれる。それでいて魔法に優れた魔女だなんて、最高としか言いようがない。
だから。
「私と、結婚してくれないか」
ずっと一緒にいてほしい、と思った。