幸福な魔女
「……そう、ですね。私がいた方が戦局は有利だったでしょうし――」
「いや、それだけではない。……あの場であなたの正体を指摘するのは、あなたの『やりたいこと』を否定してしまうと思ったからなんだ」
ルーシャは、いつの間にか伏せていた顔を上げた。
アルヴィンは朝日を横から浴び、まっすぐルーシャを見ていた。
「子爵令嬢が、どれほどの覚悟で戦地に来たのか。……それを考えると、あの場で正体を指摘するのはあなたの決意に対して不誠実なことだと思った。そして俺は、魔女たちを厳しく指導し励まし、先陣を切って戦いに望むあなたの――ルーシャ嬢の姿に、恋をしたんだ」
「……で、殿下……」
「俺は第二王子で、王位を継ぐ可能性はほとんどない。きっとこれからも、王族の出陣を必要とする場があれば真っ先に俺が指名されるだろう。そのことに一切の不満はないが……もし叶うことなら、あなたと共に戦いたいと思った」
そう言い、アルヴィンは眉根を寄せた。
「……もちろん、あなたが魔力を捨てるというのならそれも受け入れた上で、伴侶となってほしかった。あなたがいてくれれば、俺は戦える。あなたと共にありたいと、そう願っていたんだ」
「……」
「だが、いくら俺なりの主張があったとしても、俺の判断によりこうしてあなたを傷つけたのは事実だ。……本当に、すまなかった」
「……待ってください、殿下」
きっちり謝罪をしたアルヴィンの顔を上げさせ、ルーシャは言った。
「私……さっきは、正体が見えることをなんで指摘しなかったのか、みたいなことを言いました。でも今は、殿下がずっと黙っていてくださったことに感謝しています」
「ルーシャ嬢……」
「私だって、皆を騙していたのですから。偉そうなことを言っても強がっても、本当の私はたいしたことのない人間なのに。……そんな私があなたを糾弾できるはずもありませんし、もしあなたがもっと早く言っていれば私はすぐに国境戦から逃げて……自分で決めたことをやり遂げなかったのだと、ずっと後悔したでしょうから」
「自分で決めたこと?」
アルヴィンに問われて、ルーシャはこっくりとうなずく。
(……うん、言おう。言ってしまおう)
そして、顔を上げた。
「……私、あなたのことがずっと好きでした。あなたから見た私はサブリナ様のおまけ程度の認識だったでしょうが……それでも、お慕いするあなたの役に立ちたかった」
「……」
「だから、国境戦であなたを勝利に導いたら魔力を捨てて普通の人間になって……結婚について考えようと思っていたのです。ほら、その……貴族の娘が魔女というのは、あまりウケがよろしくないので……」
「……そうか。……そうだったのか」
アルヴィンは噛みしめるようにつぶやくと、そっとルーシャの手を取った。
国境戦で出会った際には、ルーシャの方が握ることを避けた手。それが今、ルーシャの手を優しく包み込んでいる。
「……ルーシャ嬢。俺は、あなたが好きだ。俺は魔女であるあなたに惚れたが、たとえあなたが魔女でなくなったとしても……あなたが『ベアトリス』と同じ強い心を持っている以上、俺はあなたを求める」
「殿下……」
「俺と、結婚してくれませんか」
ぎゅっと優しく握られ、ルーシャの胸もまた苦しくなる。だが、それは決して不快な苦しさではない。
「……ありがとうございます、殿下」
「ルーシャ嬢……!」
「あの。魔力のことですが……私、もうちょっと考えてみたいのです」
ルーシャが魔力を捨てようと考えていたのは、結婚の妨げになるから。
だが、アルヴィンはルーシャに魔力があってもなくてもいいと言ってくれている。そして、もしよかったらこれからも一緒に戦いたいと言ってくれた。
「私、魔女として生きるのが……やっぱり、好きなんです。それに、貪欲ですが……国境戦は終わったけれどまだ他に、やりたいことができてしまったので」
「それは何だ?」
「……これからもあなたを支えること、です。魔女として……そして叶うことなら、あなたの伴侶として」
――それは、十五歳の頃から密かに夢見ていたこと。
王子と子爵令嬢が結ばれることなんてまずないと、分かっていた。だがそれでも……叶うことなら、アルヴィンの側にいたい。彼のためにできることをして、憧れの人の笑顔を近くで見ていたい。
(私は、その夢を叶えたい)
ルーシャの手を握っていたアルヴィンの手が離れ、代わりに大きな腕の中に抱きしめられた。
優しい、爽やかな匂い。ルーシャが憧れる人の匂い。
「……ルーシャ」
「はい、殿下」
「……あなたが、好きだ」
「……はい。私もです……」
たとえ自分がベアトリスでなくても愛してくれるアルヴィンのことが、好きだった。
国境戦で活躍したことで皆からの支持を一気に集めた第二王子アルヴィンはある日突然、婚約を発表した。
その相手は、子爵令嬢であるルーシャ。しかも彼は同時に、彼女が魔女であり国境戦における功労者であることも公表した。
魔力を捨てるかどうか悩んだルーシャだが、アルヴィンや両親と何度も相談した結果、捨てないことを決めた。そうして国境戦でのやり取りなどもほぼ全て国民に知らせたため、最初は王子の妃に魔女が選ばれたことに不満を示した者たちも、「実直な王子は、勇敢な魔女に恋をしたのだ」と捉えるようになった。
なおルーシャが取り巻いていた公爵令嬢サブリナだが、彼女は案外あっさりと王子と自分の取り巻きの婚約の話を受け入れた。
どうやら彼女は熱しやすく冷めやすいたちでまた魔女への偏見がなかったのでむしろ、「わたくしの友人が王弟妃なんて、いいことだわ」とあっけらかんとしていた。そしてルーシャには、「せっかくだから、いい人を紹介してね」とちゃっかりお願いしていたのだった。
しばらくして二人は結婚し、間もなくアルヴィンの兄である王太子が即位したため、アルヴィンは公爵位を持つ王弟となった。だが彼は屋敷に籠もって仕事をするようなたちではなくて、兄王のために国中を忙しく飛び回っていた。そんな彼の隣にはいつも妻ルーシャの姿があり、魔女としての才覚を遺憾なく発揮して夫を助けていた。
結婚してしばらくは夫婦で国中を回ることが多かったが、ルーシャの妊娠が分かってからの二人は前線を退き、王弟用の離宮で過ごすようになった。子どもが生まれてからもしばしばアルヴィンは戦地に行くこともあったがその全てで圧勝を収めたし、ルーシャは王宮仕え魔女団の指導を行い国のために貢献した。
戦場では騎士公爵と最強の魔女として恐れられたアルヴィンとルーシャだったが、離宮で家族と過ごすときの二人はいつも満面の笑みで、どこにでもいる普通の夫婦の顔をしていたという。