王子の告白
ルーシャが向かったのは、王都郊外にある丘陵地帯。
このあたりは昔の偉人の名を借りてポムラの丘と呼ばれており、魔物もほとんど出ないため貴族が馬に乗って散策するのに向いていた。
まだ朝靄が漂う中、ルーシャは立派な黒馬と共に丘に立つ人物を見つけてゆっくり地上に降りていった。
腕を組んで立っていた彼は衣擦れの音が聞こえたのか振り返り、地面に降りたルーシャを見ると顔をほころばせた。
「……よかった。来てくれた」
「……こんな朝早くからご苦労なことね。あたくしが来なくても本当に、一日中いるつもりだったの?」
「ああ、そのために今日一日公務を休めるようにしたんだ」
「……物好きね」
素っ気なく言いつつ――夜ではなくて朝早くに来ておいて本当によかった、とルーシャは思った。
アルヴィンが近づいてこようとしたので、ルーシャは愛用の杖をぴっと構えた。
「そこまで。……王子様、あんたは本当にあたくしを伴侶にしたいの?」
「ああ、一ヶ月経ったがその気持ちは一切変わらない」
「……もしあたくしが魔力を捨てても?」
「もちろ――」
「お待ち。……もう一つ、あんたにいいことを教えてあげる」
杖の先でとんっと地面を叩き、ルーシャは思い切って言った。
「……その前に聞くけれど。あんた、あたくしの見た目についてどう思う?」
「どう……とは?」
「ぶっちゃけてしまうと、あんたはあたくしのこの顔や体が好きなのかってことだよ」
自分でも恥ずかしいことを言っている自覚があるが、赤面するのはルーシャだけでベアトリスの顔は照れたりしない。
アルヴィンはしげしげとルーシャを見てから、「そうだな」とうなずいた。
「わりと好きだな、と最初から思っていた」
「……そうかい」
(……そう。やっぱり、そうよね)
ルーシャは、笑った。
「……あのさ。あたくしのこの顔も体も、全部偽物なんだよ」
「偽物?」
「あたくしの本当の名前は、ベアトリスじゃない。あたくしの本当の姿も、これじゃない。……あたくしがベアトリスとしてやっていくために作った、幻なんだよ」
ほら、とルーシャは自分の紅薔薇色の髪を一房すくい、アルヴィンに手招きした。
「これ、触ってみな。……他の場所に触ったらあんたの全身を虹色にするよ」
「分かった」
アルヴィンは真面目にうなずき、そっと手を伸ばした。……そのとき漂うのは、清潔感のある香水の香り。
彼の指先が癖の強い赤毛に触れ、指先でそっとすりあわせた。
「……柔らかい髪だな。美しくて、見惚れるような色だ」
「だろう? ……でもね、これも全て幻なんだ。あたくしの本当の髪の色は全然違うし、髪質も違うんだ。『触っているような気がする』『見えているような気がする』だけで……幻なんだよ」
たとえばこの豊かに張った胸も、触れば――触らせる気は毛頭ないが――柔らかいはず。だがそれもルーシャの魔法によって相手の脳にそのような錯覚を起こさせているだけだし、ルーシャには触られた感覚も伝わらないのだ。
ルーシャが一歩下がると、アルヴィンの手の中から鮮やかな色の髪が逃げていく。
「あたくしの顔も……本当はもっと、地味なんだ。でも、強くて気高い魔女になりたくて、ベアトリスという仮面を被っている。もしあたくしが魔力を捨ててすっぴんであんたの前に立てば……あんたはきっと、『詐欺だ!』って叫んで逃げていくよ」
「そうなのか?」
「そ、そうだと思うけど」
あまりにも当たり前のように尋ねられたので、ついルーシャの声が裏返ってしまった。
だがアルヴィンは不思議そうに首を傾げた。
「それはないと思うな。なぜなら……たとえあなたが魔力を失い本当の姿で俺の前に立ったとしても、俺はそのあなたの姿を見て再び恋に落ちるに決まっているからだ」
「……はっ! 分かりもしないことを言うんじゃないよ!」
「いや、俺は……」
「……もういいよ」
ルーシャは、アルヴィンに背を向けた。
「……王子様、あんたは自分と釣り合う身分の令嬢と結婚するべきだ。その……あたくしは社交とかよく分からないけど、きっと城にはあんたに熱を上げるお嬢様とかがいるだろう? そういうのと結ばれる方が、あんたのためになるよ」
サブリナ、という名を出すことは当然不可能だが、それとなく誘導させた。これくらいでサブリナへの償いになるとは思えないが、せめて提案だけはしておきたかった。
「さよなら、王子様。……会えてよかったよ。これであたくしは心置きなく、魔力を捨てられる」
「ベアトリス殿!」
背を向けたルーシャの腕が、掴まれた。そんなことをする人は、一人しかいない。
「っ……! 何をするんだ!」
「……聞いてくれ!」
「いきなり淑女の腕を掴むような男と話すことなんて、何もない!」
「……あなたと話がしたいんだ。……ルーシャ嬢」
そう言うアルヴィンの青色の目は、まっすぐルーシャを見ていた。
(……え? どう、いうこと……?)
穏やかな朝の風が吹く中、ルーシャは呼吸も忘れてアルヴィンの顔を見ていた。
今彼は、ルーシャのことを名で呼んだ。
ベアトリス、という偽りの名ではなく、ルーシャ、と。
「……。……なん、で……?」
「……ずっと黙っていて、すまない。あなたの正体は……最初から、分かっていたんだ」
アルヴィンに切なそうに訴えられて、ルーシャは間違いなく一瞬だけ心臓が止まった。
(わ、分かっていた!? 最初から!?)
「ど、どうして!? 私の魔法は完璧で……あなたは、魔力を持たなくて……」
「……前にも言ったかもしれないが、俺、目がとてもいいんだ」
彼はルーシャの腕を放すと自分の目尻に指先で触れ、とんとんと軽く叩いた。
「視力の面だけではない。……俺は当然魔女ではないし魔力への抵抗もほとんどないが、なぜか子どもの頃から目だけには魔法が効かなかったんだ」
「……な、なんですか、それ……?」
「俺も理由はよく分からない。……だがとにかく俺には、目に関する魔法だけは効かないんだ。だから最初に国境であなたと会ったときから、あなたがよく王城の庭園でお茶会をしている子爵令嬢だとすぐに分かった」
ルーシャは、何も言えなかった。
(……殿下は、最初から分かっていたの……?)
つまり。
皆の目には妖艶な魔女として映っていたルーシャだが、アルヴィンの目には地味な子爵令嬢の姿として映っていた。
皆からすると色気に満ちた魔女が大人の女性らしい魅力を醸しながら発言していたのに、アルヴィンからすると地味な令嬢がらしくもない高慢ちきな台詞を吐いていたということで……。
「……いっ、いやああああ! も、申し訳ございません、殿下!」
「待ってくれ、ルーシャ嬢。俺は、あなたに謝罪させたいわけではない」
「でもっ! 私、殿下に酷いことを言って、騎士にも変な魔法を掛けたりして……!」
「いや、それは役作りとして必要なことだったのだろうから、気にしなくていい。それに俺の部下が失礼なことを言ったのも事実だし……あれがただの幻であることは俺も分かっていたからな」
(あ、そ、そうか! 全身ピンクも猫耳も視覚認知魔法だから、殿下には通用していなかったのね!)
あの場でもアルヴィンだけやけに冷静だとは思っていたが、彼には視覚に関する魔法が一切通用しないからだったようだ。
「……そ、それじゃあどうして、黙っていたんですか……?」
「……。……確かに、あなたの正体を見破っていることを早めに指摘することもできた。だがそうすれば、あなたはあの場から消えてしまっただろう」
それは確かに、そのとおりだ。
ルーシャは「ルーシャ」としてアルヴィンに認知されることを望んでいなかったので、自分の正体がばれていると分かっていたらなんだかんだ言い訳をしてさっさと逃げていただろう。
そうなれば……国境戦はもっと長引き、被害者も多く出ていたことだろう。