魔女ベアトリスの出陣
ある日、いつものようにお茶会をするべく王城の庭に向かったルーシャだが、そこにやってきたサブリナは泣きはらした目をしていた。
「皆、聞いてくださいまし! アルヴィン殿下が……国境戦に向かわれるそうですの!」
「まあ!」
「なんですって!?」
「そんな……!」
他の取り巻きだけでなく、ルーシャもまた初耳の情報に思わず声を上げてしまった。
サブリナ曰く、最近隣国の軍隊がしばしば国境を越えようとしておりその競り合いが激化してきたので、国王が第二王子を戦地に派遣すると命じたそうだ。
競り合いで疲弊している騎士たちも、第二王子が来たら士気が上がる。アルヴィン自身が戦うというより、味方のモチベーションを上げるための動員だ。
「魔女たちも連れて行くとのことですが……ああ! もし殿下の御身に何かがあれば、わたくし……!」
「サブリナ様、しっかりなさってください!」
「サブリナ様が殿下のご無事を願ってらっしゃれば、きっと大丈夫です!」
「そうです! ご健闘をお祈りしておりますと、笑顔で送り出しましょう!」
他の取り巻きたちが一生懸命サブリナを励ますのでルーシャも声を掛けつつ――決意した。
(国境戦に、行こう)
今のラント王国には王宮仕えの魔女たちがいるが、正直なところ彼女らの実力は微妙だった。
国に仕える魔女はほぼ全員、平民出身だ。そして魔女の教育機関があるわけでもないので、その能力はまちまちであまり成長しているとも思えない。おそらくルーシャより優れた魔女は今の王宮にはいないのではないだろうか。
慕うアルヴィンのために――そしてサブリナのためにも、国境戦に協力する。
そうしてアルヴィンが無事に凱旋してから……魔力を捨てよう。
案の定両親は猛反対したが、娘が第二王子にほのかな憧れを抱いていることも知っており、彼らとて貴族として国のためになることはするべきだと分かっている。
だから説得まで何日もかかったが、ルーシャはなんとか国境戦に出向く許可を得たのだった。
(殿下たちの部隊は……こっちね)
アルヴィン一行が王都を出発して、約十日後。
ベアトリスになったルーシャは、国境付近の森に身を潜めていた。
馬に乗って移動する必要があるアルヴィンたちと違い、ルーシャは空を飛んで素早く移動できる。しかも一度訪れた場所なら魔法陣を使って瞬間移動できるので、活動を終えたらすぐに魔法陣で自室に戻って休めた。
そうしてしばらく国境付近の様子を見ていると、国境警備の騎士たちが「第二王子殿下ご一行がいらっしゃった」と話す声が聞こえてきた。
(……行こう!)
ルーシャはぐっと拳を固め、夕焼けの色に染まる空に向かって飛んだ。
国境には頑丈な砦が築かれているが、そこが隣国の軍隊からの襲撃を受けている。何年も前からラント王国の豊かな土地を狙っている隣国は、騎士だけでなく魔女も動員して国境侵略を狙っているようだ。
だが、ラント王国騎士団からすると脅威の対象である敵国の魔女も、ルーシャからするとひよっこ同然だ。
(……恐怖の魔女と聞くからどんなものかと思ったけれど……どうってことないわ!)
ルーシャが杖――魔力を高める意味などはない、ただの飾りだ――を振るうと目に見えない壁が現れ、飛んでこようとした魔女たちが吹っ飛ばされる。彼女らが放った炎はルーシャの魔力によってあっという間に消え、逆に敵軍の方で炎が立ち上って悲鳴が上がる。
(ラント王国を侵略しようとした罰だと思えばいいわ!)
地上では、アルヴィンたちが呆然としてルーシャを見上げている。彼らが連れてきた魔女たちは戦慣れしていないようで、仲間で固まって震えているだけだ。
(……まあ、仕方ないわよね。ここまで戦争が激化したことは、なかったのだし)
そうしていると、アルヴィンの側近が手に持ったたいまつを振って合図を出してきた。
(あれは……会話を希望する合図ね)
あまり気は乗らないが、無視するとこの後の活動がやりづらくなるだろう。そう思ってルーシャがふわりと地上に舞い降りると、騎士たちの中からアルヴィンが進み出てきた。
――とくん、と心臓が鳴る。
「あなたは……魔女か? だが見たところ、我が国の正規所属ではないようだが……」
「ええ。あたくしは、ベアトリス。フリーの魔女よ。あんたたちが望むなら、この戦いに協力してやってもいいけど?」
声が震えそうになるが己を叱咤し、ルーシャとは全く違う尊大ではすっぱな物言いで王子に応える。
あんまりな態度だからか王子の側近がざっと近づいてきたが、持っていた杖を構えて笑った。
「おやめなさい。あんたたちみたいなお尻の青いボウヤが束になって掛かってきたって、あたくしには勝てないよ。それに……あたくしがこの戦いに協力してあげた方が、あんたたちも助かるんじゃないの? そっちにいる魔女ちゃんたちは震えちゃっているし?」
「貴様……!」
「下がれ。……すまない、魔女殿。あなたのおっしゃるとおりだ」
アルヴィンは冷静に部下を制すると、ルーシャの前で頭を垂れた。
「申し出に感謝する、魔女殿。私はラント王国第二王子、アルヴィン。……あなたのおっしゃるように王宮仕えの魔女たちは年若く、戦慣れしていない者が多い。あなたのように魔法に長けた方がいらっしゃると、大変助かる。どうか、力を貸してくださらないか」
「殿下! このような得体の知れない魔女に――」
「ほーら!」
ルーシャが杖を一振りすると、反対の声を上げた騎士の周りをきらきらとした粒子が舞い――ぽん、と大きな音の後に、その騎士は全身ピンク色になっていた。
そう、皮膚も髪も鎧も全て、どぎついピンク色だ。
「うっ……! うわあああ!」
「お、おまえ、なんだそれ!?」
「魔女だ! 魔女がやりやがった!」
「あはははは! 最高じゃない! あんた、全身ピンクですっごくかわいいよ!」
ルーシャは大笑いしてやる。もちろんこれも視覚認知魔法で、実際にピンクになったわけではなくて「そういうふうに見えている」だけだ。
だが魔力を持たない騎士やルーシャより魔力の低い魔女たちではそんなこと分からないので、皆で大騒ぎしていた。
「せっかくこのあたくしが協力を申し出てやってんのに『得体の知れない』なんて言う悪い子に、お仕置きをしたんだよ。……で? 他にピンクになりたい子は、いる? なんなら緑でも紫でも、お好みの色にしてやるよ?」
そう言ってルーシャがくるりと杖を回すと、騎士たちは水を打ったように静かになった。先ほどの騒ぎの中でも動揺しなかったのはアルヴィン一人で、彼は全身ピンクになりしくしく泣いている騎士を見てから、ルーシャへと視線を移す。
――そのまなざしは、「魔女!」と罵倒してくる者たちとは全然違い、誠意に満ちていた。
「……私の部下が、失礼なことを言った。すまない」
「いーえ、王子様のせいじゃなくってよ」
「そうか。……あいつに掛けた魔法、解いてくれるか?」
「んー……そうね。ピンクのボウヤがごめんなさいもうしません、って言えば許したげる」
「貴様――あぎゃっ!?」
「あらあら、ピンクになっただけじゃなくて、猫耳まで生えちゃったわねぇ?」
全身ピンク騎士の頭には今、かわいらしいピンク色の猫耳が生えていた。本人はそれに触れて悲鳴を上げているが、あれも魔力で「生えているような気がする」状態にしているので、実際には生えていない。
だが騎士はアルヴィンに静かに見つめられてぐうっと唸り、そしてルーシャに向かって頭を下げた。
「っ……! も、申し訳ない、魔女殿!」
「ええ、素直な子は好きよ」
そう言ってルーシャが杖を振ると、彼の色は元に戻り猫耳もなくなった。
ルーシャはふわりと空中に浮かび上がり、あたりを見回してにっこりと笑った。
「それじゃ……どうぞよろしくね、王子様」
「……ああ、了解した」
アルヴィンはそう言って手を差し出したため、ルーシャはドキッとした。
だが幻で作られたベアトリスの顔は動揺を欠片も見せず、大人の余裕をもって笑顔で首を横に振る。
「悪いけど、そういうのは遠慮するわ。ま、あんたを裏切ることはないから、安心なさいな」
「……分かった」
アルヴィンは素直に応じた。
(……アルヴィン殿下と握手をするなんて……とんでもないもの)
ルーシャの心はそう思うが、今の自分は奔放な魔女・ベアトリスだ。
魔女は、悲しい顔なんてしない。