子爵令嬢と魔女
ラント王国王城にある庭園から、お茶を楽しむ令嬢たちの華やかな笑い声が聞こえてくる。
「ご覧になって! 今日もいらっしゃるわ!」
金色の巻き毛を持つ美しい令嬢が、興奮気味に言った。彼女の視線の先にあるのは、ちょうど庭園を通りがかったらしい青年の姿。
「ああ……いつ見ても素敵だわ、アルヴィン殿下!」
「ええ、サブリナ様のおっしゃるとおりです」
「はぁ……いつか、わたくしの想いが殿下に届いてほしいわ……」
「絶対に大丈夫です!」
「サブリナ様ほど、アルヴィン殿下のお妃にふさわしい方はいらっしゃいません!」
「そうですよ! ……ああ、ほら、殿下がこっちをご覧になっています!」
「サブリナ様の美貌に見入ってらっしゃるようですよ!」
金髪令嬢サブリナの周りには、嬉々として声を上げる令嬢たちが。彼女らは公爵令嬢であり王子アルヴィンの最有力妃候補でもあるサブリナの、取り巻きである。
ラント王国には、二人の王子がいる。王太子である第一王子は隣国の姫君を妃に迎えているため、貴族たちが次に狙っているのは第二王子アルヴィンの妃の座だった。
(……本当に、素敵な方ね)
公爵令嬢のお茶の席にいる令嬢に混じるルーシャも、こっそりと王子の姿を眺めていた。
子爵令嬢であるルーシャは、我ながら地味な見た目をしている。ありきたりな茶色の髪に、暗いところではほぼ真っ黒に見える灰色の目。実家の子爵家の財力はほどほどなので、着ているドレスも周りの令嬢たちと比べれば地味である。
そんなぱっとしないルーシャだが、何を思ったかサブリナは彼女を取り巻きに任命した。公爵令嬢――しかも、未来の王弟妃の最有力候補――の取り巻きになりたがる令嬢はたくさんいたが不思議とサブリナはルーシャを気に入ってくれたようで、今では取り巻き四人衆の中の三番目の席を与えられていた。ルーシャが特別何かをしたわけはない。
ルーシャとて、サブリナのことはわりと好きだ。若干傲慢なところはあるが自分たち取り巻きには優しいし、目下の者を理不尽に虐げたりもしない。彼女の取り巻きでいると両親にとっても都合がいいようなので、親孝行もかねて喜んで公爵令嬢を取り巻いている。
……とはいえ、自分と彼女の想い人が一致しているというのは、なかなか辛いことだった。
(でも、子爵家の娘ごときでは王家に嫁げないし。サブリナ様を取り巻いていたら、殿下の近くにいられる機会も増えるし)
そう思いながら、ルーシャは紅茶を飲んだ。
……とはいえ。
叶わぬ恋だと分かっていても、片想いの君を遠くから眺めるだけでは物足りない。
「それじゃあ、行ってきます」
「ええ、気をつけてね」
「寝る時間には帰ってくるんだぞ」
「分かっているわ」
子爵邸にて。
リビングにいた両親に挨拶をしたルーシャは階段を上がり、自室に入る。部屋にいたメイドが「準備はできております」と言ったので礼を述べて退室させ、内側からしっかり鍵を掛ける。
(……よし!)
ベッドには、メイドが用意してくれていた衣装がある。ぱぱっとドレスを脱いだルーシャは、その衣装を身につけた。
漆黒の布地はさらりとしており、軽い素材でできている。袖のないロングワンピースのような形のそれは胸元が大きく開いており、今のルーシャだとあまり立派とは言えない胸元がぱっくり見えて少々情けない。
……だが、今のルーシャから変われば問題ない。
漆黒のドレスを着たルーシャは、部屋の隅に置いているクッションを取り除いた。その下のカーペットにあるのは、複雑な文様を描く魔法陣。
靴も脱いで裸足になったルーシャがその上に乗ると、体全体が淡く光り――数秒の後にそこに立っているのは、色気のある女性だった。
鏡に映るルーシャは波打つ紅薔薇のごとき色の髪を背中に垂らし、色っぽい目元をしている。胸と尻は大きいが腰は折れそうなほど細く、黒いドレスにふさわしい妖艶な魔女の姿をしていた。
「……私は、魔女・ベアトリス」
そう囁く声はルーシャのそれと同じなので、意識して少し低く艶っぽい声が出るようにする。
鏡の中の自分に言い聞かせるようにつぶやいたルーシャは、別のクッションを取り除く。カーペットには別の魔法陣があり、そこに足を踏み入れた――瞬間、ルーシャは子爵邸にある自室から暗い夜の森の中に転移していた。
「……よし、今日もやりますか」
(……アルヴィン殿下のために)
魔女はそう言うと、不気味な魔物の鳴き声のする方へと飛んでいった。
この世界の女児は、一定の確率で魔力を持って生まれる。彼女らは「魔女」と呼ばれ、遥か昔は怪しげな術を使う魔女が捕らえられ処刑されたり、かたや魅惑の魔法を使う彼女らを妾にして魔女の女児を産ませようという者がいたりもした。
だがここ百年ほどで魔女への見解が変わっていき、今では魔女たちは自分の力をうまく使い、国のために貢献することが多くなっていた。
特に平民生まれの女性の場合、魔女だったらその力で国に仕え多額の報酬を得ることができる。また神秘的な魔女を好む高位貴族などに見初められて愛人や妾になることを、自ら望む魔女も多い。
一方、貴族生まれの魔女は魔力を「捨てる」ことが多かった。大昔のような偏見はなくなったがそれでもなお、「魔女を正妻にするのにはいささか不安がある」と考える者が多い。平民だと名誉への足がかりになる魔力だが貴族の娘だとむしろ、結婚の妨げになりがちだった。
よって魔女が生まれた貴族は、幼少期のうちに魔力を捨てさせる。そのためには教会に相談する必要があるが、たいていは一日もかからずに魔力を捨てることができる。教会は秘密厳守を貫くので、他人にばれる前に娘の魔力を捨ててもらう貴族が多かった。
ルーシャは、魔女として生まれた。
魔女の素質は遺伝とは全く関係なく生まれて間もない娘が魔法を使ったため、両親や兄はさぞ驚いたそうだ。だが彼らはすぐに魔力を捨てる決断はせず、ルーシャが六歳になってから、「ルーシャは、魔力を捨てたいか?」と尋ねてきた。
ルーシャは幼いながらに一生懸命考えて、「捨てない」と答えた。
魔力はわりと簡単に捨てられるが、一度捨てたら二度と取り戻せない。きれいな花火を出したり虹を出したりする魔力を捨てたら、二度とこの力で遊んだり「きれいだね」「ルーシャ様はすごいですね」と皆に言ってもらえることもない。だから、家族や使用人たちだけの内緒にしたままでいてほしい、とお願いした。
両親は娘の気持ちを尊重し、ひとまずのところ魔女として生きることを許してくれた。
そうしてルーシャは十五歳で社交界デビューをしたのだが、十六歳からは魔女として密かに働くことにした。
……そのきっかけになったのは、初めて参加した夜会で第二王子・アルヴィンと出会ったことだった。
金色の髪に澄んだ青色の目を持つ三つ年上のアルヴィンの姿に、ルーシャは一目で恋に落ちた。しかも彼は見目麗しいだけでなくとても優しく、人見知りしがちなルーシャが会場の外でまごまごしているときに、「大丈夫かい?」「緊張しているのなら、一緒に会場に行こうか」と声を掛けてくれた。
彼は第二王子で立派な兄王子がおり、国王になる確率は低いため少年の頃から騎士団で心身を鍛えている。そんな彼は四年前の夜会で出会ったときから、ルーシャの憧れだった。
彼と結ばれることはなくても、彼のために何かをしたい。そう、たとえルーシャがやったと分からなくていいから、あの王子の力になりたい。
そう思ったルーシャは一年掛けて両親を説得し、魔女・ベアトリスとして活動を始めることにした。
ルーシャは高い魔力を持っていたので、視覚認知魔法を使い自分の見た目を色っぽい大人のお姉さん――自分の理想を詰め込んだ見た目だ――に変える。自室にたくさんの魔法陣を描いて、それを使い国のあちこちに飛んで魔物や侵略者と戦う。
ルーシャは魔物を倒すのには慣れたが、敵とはいっても人間の血を見るのは嫌だった。だから防護魔法で地方の村を守ったり、負傷している騎士を密かに癒やしたり、国境を越えようとする敵国軍に足の裏が猛烈に痒くなる呪いを施して追い返したりという形で貢献した。
ルーシャの魔力は高いので、高笑いをしながら黒衣を翻して空を飛ぶ美しい魔女が地味な子爵令嬢だと見抜く者はいない。そうしてルーシャは昼間は公爵令嬢の取り巻き、夜は正体不明のお色気魔女――設定年齢二十八歳――として活動していた。
(……とはいえ、そろそろ潮時ね)
活動を始めて、三年。娘の決意を認めてくれた両親も、そろそろ本格的に結婚を考えてほしいと思っている。結婚するには魔力を捨てる必要があるから……ルーシャがベアトリスでいられるのも、あと少しだ。
だが、もう少しだけ。
悔いのないようにしてから魔力を捨てたい、とルーシャは思っていた。