Interlude.1
二人を中心に、様々な思惑が交差する辺境都市でのサイドストーリー。
主に第二章からの新登場キャラ商会回になります。
そのため今回、主役二人組は登場しません(笑)
これにて第一章はお終いとなります。長い間お付き合い頂きありがとうございます。
第二章からも、宜しくお願いします。
人生なんて、なんとつまらないモノなんだろう。
「はぁ……」
整備の行き届いていない荒れた道を走る馬車の荷台で揺られながら、レティシア・レレイ・アティシアは大きなため息を漏らす。
「期待はずれもいいところだったわ……」
ガタゴト揺れる馬車の動きに合わせ、彼女の長い銀髪もゆらゆらと揺れていた。まだまだ少女と呼ぶべき面影の顔に掛けられた大きめの銀縁眼鏡が、理知的な印象を際立たせている。
彼女がこの馬車に乗っているのは、『コンコルディア・ロクス』の北部、街から二週間程の距離にある『魔の黒き森』、その近くにある開拓団の集落から急を要する救難要請があったのがきっかけだった。
緊急と言われても、馬を走らせても十日以上はかかる距離。
そこで『鉄』ランク探索者としてギルドに所属し、テレポーテーションの魔法が使えるレティシアに白羽の矢が立ったのだ。
要領を得ない救難要請にレティシアは顔を顰めたものの、もしかすると想像を絶する何かが起きているのかもしれないと思い直し依頼を了承した。
結局のところその騒動はギガント化した動物の暴走という、珍しくはあっても謎とは程遠い事件であり、彼女の期待は大きく裏切られる結果となる。
しかも相手の数が極端に多く、事態を沈静化させるのに一ヶ月近い時間をかけることになった。
仕事が終わった頃にはレティシアの気力は尽き果てており、テレポーテーションを使う気にもなれず、時間がかかるのを承知で馬車に揺られていたのだ。
もっとも三日後には痛む腰を叩きながら、酷く後悔するハメになるのだが……。
「まったくもって時間の無駄だったわ」
盛大なため息が、もう一つ漏れる。
『賢者』は『勇者』と共に『魔王』と戦ったメンバーの一人。レティシアはその家系の血を引いている。
努力もした。鍛錬もした。賢者としてあるべき全てに注力してきた。
レティシアは紛れもなく天才であった。文字通り一を聞いて十を知る能力の持ち主であり、魔力を操る力も並外れている。
幼い頃から天才――神童と知られており、『王都』――この『王国』に唯一無二の存在である為、特に名前は無い――のアカデミーへと史上最年少で招聘される。
当初、彼女は希望に燃えていた。自分の才能が世界に認められた――それはまだ幼かった彼女を奮い立たせるのに充分な事実だった。
アカデミーも興奮した。賢者、それも歴代でもっとも有望と見做されている生徒を入学させることに成功したのだ。それは学術的にも政治的にも大きな意味を持つ。
そして彼女自身、彼らの期待を裏切らない生徒であった。
だが、やがて称賛は困惑に変わり、困惑は恐怖へと変わってゆく。わずか十五歳足らずの少女が、アカデミーに蓄積された全ての叡智を吸収する様子を目の当たりにしてしまったのだ。
もはや彼女を指導できる教官はいないし、新たな知恵を授けることのできる先人もいない。
――その強すぎる叡智は、一体何処へと向かうのか?
百年前であれば、それは何の問題にもならない。対魔王戦に心強い戦力が加わったと喜ぶ所だ。
だが、もう戦うべき相手である魔王は存在しないのだ。
では、その強すぎる力は誰に向けられる? それが自分達にでないと誰が断言できるのか。
周囲の変化を、少女も敏感に感じ取った。
称賛の視線はいつの間にか恐怖と猜疑のそれに変わり、それまで仲の良かった友人達が距離をおき始める。
そして彼女自身も気がついていた。
戦うべき相手もなく、ただただ自らを鍛え上げ、高みに辿り着いたとして――そこに何があるのか?
ほとんどの呪文を記憶し、魔道具の性能を引き出す技術を身に付け、魔力結晶から最効率で魔力を引き出す術を得た。
図書館の蔵書はその全てを暗記するほど読み込んだし、特別な許可を必要とする文献も漁り尽くした。
論文など数百単位で発表したし、新しい術式を幾つも編み出した。その功績を讃えられ国王から表彰されたこともある。報奨金だけで一生遊んで暮らせるぐらいの財産もできた。
ただ、やるべきこと、したいことだけが見つからない――存在しない。
「流石は『賢者』の家系に産まれた優秀な生徒だ」
教官達はレティシアを褒め称える。
「正直、もう我々では君に何かを教えることはできない」
そう教官達は言い、全員が早期卒業を勧めて来た。それが君の為だと。
(バカバカしい……)
レティシアがため息をもらす。教官達が心配したのはレティシアの将来や未来ではない。自分たちの地位だ。
学園長がその気になれば、レティシアはすぐにでも教官として雇用されるだろう。しかしポストの数は有限であり、新人が入るためには誰かが去らねばならないのだ。
給与も良く地位も高いアカデミーの教官職を、好き好んで手放したい物好きなんてそうそういないだろう。
もっとも、レティシアから見ればアカデミー教官などという退屈極まりない仕事など興味の欠片も持てないのだから、余計な心配というものだ。
どちらにせよ、もはやアカデミーで学ぶことなど何一つないのは確か。単位と卒業証書さえ貰えれば、後はもう用事はない。
(少しは退屈を紛らわせられるかと思って、探索者なんて始めてみたけど……)
王都に居た所で何があるわけでもなく、敢えて彼女は辺境領へと向かった。
知り尽くしている王都よりは刺激があるかもしれないし、祖先が激闘を繰り広げたという魔族領に近い場所なら、何か得るものがあるのではないかとの期待もあった。
王都に居た頃、探索者はダンジョンや未開の地に挑む勇敢な冒険者達だと聞いていた。もっとも、実際に目にしてみれば、一部の例外を除いて実に退屈な現実に生きている者が大半の世界であったが。
「つまらない」
レティシアは再び呟く。
目に映る世界から色が消え、すべてがモノトーンにしか見えなくなったのはいつ頃からだったろう。
(いっそ魔族領まで目指して見ようかしら?)
はぁ、と再びため息が漏れる。
世の中なんて、本当につまらない。レティシアは眼鏡を掛け直し、再び窓の外へと視線を向けた。
* * *
「大損よ、大損!」
襟足ぐらいの長さの緑髪を、なぜか左側のもみあげだけ長く伸ばし、魔道具のリングでまとめている。
軽量タイプの胸鎧と腰鎧を身にまとい両腰に剣を吊り下げた、一目で探索者とわかるスタイルだ。
その女性が大股でズンズンと歩き、その後ろを重鎧に大盾を持った男と、杖を持ちローブを身に着けた女性がついて来ている。典型的な探索者パーティーだ。
先頭を不機嫌そうに進む女性の名前はクロエ・K・K。フルネームは不詳。『コンコルディア・ロクス』でも随一の探索者であり、クラスは堂々の『金』。
魔力を帯びた二本の硬化銀製細剣を自在に操り、相手を翻弄し斬り裂く。その華麗な動きから、『ソード・ダンサー』の二つ名を持つ一流探索者だ。
そんな彼女が不機嫌さを隠そうともせずにいるのは、今回の探索結果が非常に不本意であったからだ。
潜ったとあるダンジョンの中で、彼女らは久々の宝箱を発見する。
宝箱は探索で得られる最大の報酬であると同時に、滅多に見つかることのない貴重品だ。そして、それ故にか、宝箱の中身は必ず高価な物である。
その例に漏れず、今回発見した宝箱の中に入っていたのは、『ホーリー・クレイドル』。神代の時代に作られたとも言われる超貴重なアーティファクト――だった。
数年ぶりの宝箱から見つかったその貴重な一品は、彼女の背負鞄の中で無残な姿を晒している。
「無事に入手していれば最低でも一億リーブラ、うまくすれば二億リーブラにはなったのに」
いまだ怒りが収まらないと全身で主張しつつ、クロエが言葉を続ける。
「無理矢理こじ開けるしかなかったから、結局仕掛けが働いて中身はオジャン。一応素材としての価値はあるからと、辛うじて十万リーブラにはなったけど……どれだけ損したと思う?」
苦笑いを浮かべる買取担当の表情を思い返し、クロエの歯がギリッという音を立てる。
「………」
他の二人は何も答えない。答えられる筈がなかった。
「あの程度の罠。エリザさえいれば、簡単に解除して安全に開けれた筈なのに!」
『アンロック』を始めとする解錠用の魔道具は、決して万能ではない。単なる錠前なら間違いなく開くことが出来るが、複数の仕掛けや厳重な罠で守られた宝箱を開けることはできない。
「あいつがレンジャーとして優れている点については認める。異論はない」
男が答える。そんな芸当が可能な探索者は、少なくともこの街には一人しかいない。
「だけど、『エターナル・カッパー』は稼ぎ仕事では殆ど足手まといにしかならないわ」
男に続けて女も言葉を続けた。
「二年に一度ぐらいしか見つからない宝箱一つのために、アレを連れ歩くのはデメリットでしかないわ」
探索者が求めるのはあるかどうかもわからない宝箱では無いし、またレベルさえあればそれほど致命的な効果がある訳でもないトラップに必要以上に備えても仕方ない。
重要なのは、より価値のある強い魔物を倒す手段と能力であり、それ以外は些事にすぎない。
「罠も索敵も、自前でなんとかならないワケじゃないし、使えない仲間を抱え込む余裕もないわよ」
「ふーん……んで、その結果が今回の大損なワケだけど?」
クロエは心底馬鹿にするような視線を二人に向ける。人の能力に限界があるのは仕方がない。それを補う為にそれぞれ能力を持った者同士でパーティーを組むのだから。
「必要な能力を持った人物に心当たりがあるのに、つまらない理由で拒むんじゃ、パーティーの意味は無いと思うのだけど?」
元々ギルドの紹介で結成したパーティーであり、それほどこだわりがあるわけじゃない。今まではなんとか我慢してきたものの、堪忍袋の緒はついに限界を迎えていた。
「そうは言うけどな」
クロエの言葉に男が反論する。
「俺達の収入の大半は魔物を討伐して得られる資源だぞ? その最も重要な役割を果たせないやつに分ける報酬なんてあるもんか」
探索者の収入源が魔物そのものである以上、これは探索者にとっての常識であった。
「今回は、単なる不運に過ぎねぇだろ!」
レベルを上げて物理で押し通す――それが探索者達の基本。宝箱の発見なんて想定外の出来事だし、それで損が出た所で運が悪かったというだけのことだ。
それが常識である以上、男の言葉に反論できる者はそう多くない。
「あ。そう」
しかしクロエはその常識を鼻で笑って一蹴する。
「つまり、どうあってもあなた達はエリザと組むのを良しとしないわけね」
「……当たり前だろ。保険にしたって効率が悪すぎる」
やや気圧されながら、それでも男が答えた。
「そう……じゃぁ、仕方ないわね」
その返事に、男はやや拍子抜けする。
「わかってくれて、助かるよ」
明らかにホッとした表情を浮かべる男。その横で、女の方も安堵のため息をついた。
「えぇ」
そんな二人の様子を見ながら、クロエがにっこりと微笑む。
「もうあなた達とはやって行けない、ってことがよくわかったわ」
そして口にされる決定的な言葉。
「……? なんだって?」
「私はなんとしてもエリザを仲間にしたい。あなた達はそれに同意できない」
言われた意味がわからずポカンとした表情を浮かべる二人に、クロエは当然だとばかりに言葉を続ける。
「だったら、もうこのパーティーは解散するしかないでしょ」
「な!? ちょ、ちょっとまてよ」
慌てた男がクロエを引き止めるべく口を開く。
「いくらなんでもそれは無いだろ?!」
「んじゃ、エリザを仲間にする?」
しかしクロエの方は妥協する気など全くなかった。今まで散々我慢してきたのだから、これ以上付き合う意味も必要もない。
「そ、それは……」
「はい、決まり。それじゃ、元気でね」
口ごもる男にそう言い残すと、クロエはくるりと二人に背中を向けて歩き始めた。
「あ、今回の報酬。迷惑料代わりに二人で分けてね!」
「へ? お、おい! ちょっと待てよ!」
「え? なに? 本気なの?!」
スタスタと去るクロエの後ろで、二人がなにやら騒いでいる。
まぁ、今までパーティーを組んでいた仲間、
『二重魔術師……』……。
『城塞の……』……。
えーっと。
(……? 名前、何だった?)
今までパーティーを組んでた二人の名前が出てこず、クロエはわずかに顔を顰めた。
(別れたメンバーなんてどうでもいい)
記憶の容量には限界がある。もう必要ない記憶など、クロエにとっては昨日の朝食メニューよりもどうでも良いことだった。
(無理に言葉遣いを作る必要も、コレで無くなった)
本来のクロエは無愛想が服を着て歩いているとも言える性格であったが、パーティーを組むにあたりできるだけ愛想よく振る舞うようにしていた。
窮屈な演技なんてさっさとやめて、エリザの元へと急ごう。
(やはり、エリザこそ私には必要)
呆然とする元仲間を尻目に、足取りも軽くクロエは街へと向かった。
* * *
『コンコルディア・ロクス』のみならず『王国』貴族の後継者は、血縁によっては決まらない。
いや、血縁者であるのは前提条件だが、生まれた順番や性別は一切考慮されない。考慮されるのはある能力だけだ。
その重視される能力とは──商才である。
自分で商売を立ち上げるも良い、どこかの商店のパトロンになるも良い。ともかく自身の才覚を生かしてどれだけの財貨を稼いだかが判断基準となる。
王国は商業中心主義で成り立っている国であり、領民を儲けさせ領土を繁栄させるのが貴族の義務である。
経済政策を怠ったり、重税を課して領民を疲弊させたりすれば、名誉も爵位も奪われることになる。
そして今この街は、次世代の領主を決めるべく三人の候補者による後継者選定レースの真っ最中であった。
「随分とまぁ、立て続けで急な訪問だけど」
辺境領第三伯爵令嬢であるレディ・エミリア・メディアは、口元を豪華な扇で隠しつつ、来訪者であるクーリッツに冷たい視線を投げかけていた。
彼女はこの街におけるツヴァイヘルド商会のスポンサーであり、支部長であるクーリッツの来訪そのものは珍しいものではない。ただ、数日前にも会ったばかりという頻度が問題なだけだ。
「これでも多忙である私の時間を割くだけの価値がある、そう考えてよろしいのでしょうね?」
上下関係をはっきりとさせるため、チクリと嫌味を言っておく。実際には伯爵令嬢である彼女に急を要する用事など殆どなく、ぶっちゃけ暇を持て余しているのだが、それを相手に悟らせては鼎が軽く見えるだろう。
(……もっとも、こちらがそう考えていることすら、織り込み済みなんでしょうけどね)
ツヴァイヘルド商会は、新興の成り上がり商人である──すくなくともこの都市では。
だが、この商会が王都の反対側にある中規模都市『コメルキウス・コンユンクティオ』で創立され、王都を通り過ぎてわざわざ辺境に店を構えたことを、彼女は重視していた。
『商人たちの楽園』と揶揄されることの多いあの都市に、エミリアは特別な意味を見出している──そしてその商会の尖兵たるクーリッツを軽く見てはいない。
「エミリア様の寛大なお心に、いたく感謝いたします。本日は、ぜひともお目にかけたい逸品がございまして」
どうやらスポンサーに商売の成果を見せたいらしい。あるいはご機嫌取りなのかも知れないが。
「へぇ……それはなんとも興味深い話ね」
できるだけ勿体ぶるように頭を左右に降る。その動きにあわせて彼女の金髪の両側についた縦ロールが、まるでバネのようにピョンピョンと揺れる。
「それは先日お前が持ってきた、領館で社交パーティーが開ける程の領収書に、見合う価値があるのでしょうね?」
エミリアは商会に対するスポンサーだ。であればクーリッツの出費に対して援助を与える義務がある。
それは理解しているが、それにしても前回の領収書に記された金額は度が過ぎていた。もっとも、調べさせた所けっして過大な請求ではないという事実だけが残されたのだが……。
「相変わらずエミリア様もご冗談がお上手で」
畏まりながらクーリッツが答える。
「一番上の兄上は王都でのブランド展開に成功し、二番目の兄上は大規模農園の運営で成果を上げつつある」
クーリッツの返事にエミリアはフンと鼻を鳴らす。
「他の二人と同じような事で張り合っても無駄だから、魔族との交易に力を入れているお前の商会に投資している。失敗は許さないとまでは言わないけど、相応の結果を見せて貰えないと今後について考え直すことになるかも知れない」
「心得ております……ですが」
エミリアの言葉にクーリッツは恭しく頭を下げた。
「これを見て頂ければ、少しはご心配を和らげることもできるかと」
そう言いつつ、豪華な装飾の施された指輪でも入っていそうなサイズの小箱を差し出す。
「なんだ、私との婚姻でも希望するのか? お前の妹と嫁小姑争いするのは、随分と骨が折れそうだな」
冗談めかしつつエミリアは受け取った箱を開く。
その中にあったのは指輪ではなく、一つのクリスタルであった。
「これはオリジン・コア、それもかなり強化されたケイブ・オーガのモノです」
問われるよりも先にクーリッツが説明を始める。
「それを当商会お抱えの職人が、マジック・フォーカスとして加工したものです。ざっくりと申し上げて、三千万リーブラ程の価値があります」
「ほぉ?」
エミリアの目がすっと細くなる。
「それは、大層な代物だな……そして、それをここで出すということは」
これが単に高価な貢物では無いということはすぐに察せられる。その程度のことも出来ずして、後継者争いに参加できる筈もない。
「ええ。元となるオリジン・コアを持ち帰ったのは、以前お話した例の二人です」
「なるほど」
扇を閉じて、自分の手のひらに打ち付ける。小気味よい音が部屋に響く。
「つまり、その二人は前途有望ということだな」
ようやくクーリッツの目的が見えたエミリアが、合点がいったと頷く。
「ふん……探索者プレートに、辺境伯の紋章を付けるように言ってきたのは、それが理由か」
「そのとおりです。恩……と感じるかどうかは微妙ですが、殿下の紐付きであると示すのは、損にはならないかと」
「まぁ、確かに直接的にリーブラは必要なかったが……」
エミリアがやったことと言えば父親である辺境伯に口添えをしたことだけ。それには一リーブラの費用もかかってはいない。
「父上と文官共を説得する手間は、リーブラに例えるのも面倒な程だったのだかな」
とは言え、目に見えぬコスト──主にエミリアの精神力──はかかっており、いっそ金で解決できたほうが遥かに楽だっただろう。
「そこは、エミリア様の手腕の見せ所だったということで」
「見え透いた世辞を申すな……まぁ、良い」
しれっとおべっかを使うクーリッツにエミリアは嫌そうな表情を浮かべたものの、気を取り直して言葉を続けた。
「そのコアは見せ金として購入しよう……一筆書いておくので、経理担当に渡すと良い」
「どうもありがとうございます」
クーリックは恭しく一礼してから部屋を退出する。彼女の言葉が面会の終了を意味していることぐらい察せなければ支店とはいえ商会の代表者など務まらない。
「ふふふ……どうやら私にも風が向いてきたってことかも知れないわね」
クーリッツが退出した後、エミリアが小さく笑う。
(はてさて、どうしたものかしら)
正直な所、エミリアは後継者レースでは出遅れていた。末っ子であるために取り掛かったタイミングが遅く、一般的に儲かりそうな分野は既に兄達に手を付けられている。
そこで逆転狙いに、魔族との交易に注力している新興商会のスポンサーを始めたのだ。
目論見自体は決して間違いではなかった。魔族との交易は成功すれば利益が高く、儲けも多い。
だが、魔族領とこの街の間を往復するには片道三ヶ月近い時間が必要で、効率は良くない。
「探索者……ねぇ……」
ダンジョンや怪物から得られる資源が金になるのは周知の事実であり、二人の兄も当然手を打っている。
この街にいる有力な探索者パーティーは多かれ少なかれ兄達のお手つきだ。それを考えれば、まだ手つかずの探索者というのは悪くない。
問題は実力だが……大型魔物のオリジン・コアを持ち帰る腕前があるなら問題は無さそうだし。
しかもそのうち一人は、それなりの身分を持つと思われる魔族だというのも悪くない。
相手を大いに儲けさせ、その上前をハネることで最大利益を得る。それがエミリアの理念である。
その意味でもこの二人を手元に置くのは悪くない。
「一度会ってみる価値はあるか」
タイミングが合えば、一度顔を合わせてみるのも面白いだろう。
エミリアはそう結論付け、使用人に便箋とペンを持ってくるように指示する。
父親である領主と、変わり者で有名な探索者ギルドのマスター。根回しするべき相手はどちらも多忙であり、彼女が使える時間も有限であった。
* * *
「お姉さ──いえ、魔王様が出奔?!」
アイカとエリザが出会うより三ヶ月程前。魔族領の中心である『九頭龍』城。その会議室で一人の女性が大声を上げていた。
全身に薄青色の衣装を身にまとった、どこかアイカによく似た容姿の持ち主だが、その胸は慎ましい。
怒りのあまりプルプル震えている手には一枚の紙――『余は憎き魔物共を撫で斬りにしてくる故、魔王を辞める。後は任せた』と短く書き込まれている――を持っていた。
「衛士は一体なにをしていたの!」
女性が腹立たしげに机に拳を打ち付ける。ドンというその音に、報告者はビクっと身体を震わせた。
「おいおい。朝っぱらからなんの騒ぎだ?」
だるそうな表情で頭を掻きながら、一人の青年が会議室に入ってくる。身長は高く体付きも鍛えられたいかにもな二枚目だ。
「廊下まで大声が響いていたぞ……こちとら二日酔いの真っ最中なんだ。少しは勘弁してくれ」
「そんなことを言っている場合ですか!」
部屋に入ってきた青年に女性が言葉をぶつける。
「魔王様が、こんなふざけた手紙一枚残して出奔したのですよ! すぐにでも幹部会議を……!」
「まずは落ち着けよ、オシア宰相殿」
手渡された手紙に目を押しつつ、未だ興奮やまぬ女性へ年が『まぁまぁ』と声を掛ける。
言葉も態度も軽い青年だが、これでも魔族領で随一の名家であるミスマル家の長男だ。
「衛士にあたっても仕方ないだろう。アイカを止められる強者が、衛士なんかに留まっているワケないだろうが」
魔王とは魔族領において最強の存在である。
少なくとも足軽や下級侍が中心である衛士に、それを止める実力などある筈もないし、仮に止められるならとっくに衛士から出世しているだろう。
もっとも、どんな実力者であっても、アイカに太刀打ち出来る者などいないが。
『歴代最強』――アイカが持つその称号は決して伊達ではない。
「それはそうだけど……トヨカ、ちょっと他人事すぎやしない?」
オシアと呼ばれた女性が、男の言葉に眉を顰める。
「その態度……貴方、少し魔王様の婚約者としての自覚が足りないのでは?」
「あぁ、それはそうかも知れんな」
オシアにトヨカと呼ばれた男――アイカの婚約者――は、口の端を歪めて笑った。
「俺は別にアイツの事を嫌ってはいないが、あいつがどう思ってるかまでは知らん。そもそも政治的な要求による関係だ。自覚と言われても、さて……困るとしか言えんぞ」
魔王の婚姻関係に自由恋愛が許されるわけもなく、魔王の家系であるクージョー家と有力武家であるミスマル家の繋がりを強めるために結ばれたものだ。そこに当事者達の意思は存在しない。
「だとしてもです」
オシアは強くトヨカに詰め寄る。
「なぁに、アイカはいい女だ」
魔王を名前で呼べる数少ない男は、心底面白そうに言葉を続ける。
「で、可愛い女は旅させろって言うだろ。きっと一皮も二皮も剥けて帰ってくるだろうさ」
「絶対に言いませんし、それまで待っているワケにもゆきません……まったく、相変わらずお姉さまには甘いのですから」
「ふん。アイカをカゴの中に留まらせることなんて、どだい無理な話だ」
無意識に魔王呼びからお姉さま呼びに変わったオシアに生暖かい視線を向けるトヨカ。
「ま、気長に待ってるといいさ……アイツは絶対もっと良い女になって戻ってくるからな」
「はぁ……素敵に育った姉さまというのは私に取っても魅力的なお話ですけれど」
脳内で、立派に成長したアイカの姿を思い浮かべ、身体を自分の両腕で抱えてのたうち回るオシア。心なしか頬まで赤く染まっている。
「でもでも。万が一にもアイカお姉さまが、人族の領域で問題など起こしたりしたら……」
(普段は切れ者なんだが、アイカが関わると途端に壊れるよなぁ……シスコンもいい加減卒業すりゃいいんだが、ま。無理だろうな)
期待と心配が入り乱れ、なんとも器用な動きで身体をくねらせる彼女を、トヨカはなんとも言えぬ視線を向けつつ口を開いた。
「まぁ、人族の領域にちょっと前から俺の妹が向かっている。なにかあれば連絡ぐらいあるだろうし、アイツならアイカが暴走しても……まぁ、なんとか出来るだろうさ」
「……貴方の妹まで出奔しているなんて、始めて聞いたのだけど?」
トヨカの言葉に、オシアの動きがピタリと止まる。そして突き刺すような視線を向けた。
「そりゃ、言ってないからな」
しれっと答えたトヨカに、オシアの右ストレートが炸裂する。
「へっくち!」
人族の領域へと向かう馬車の中で、アカリ・キリナ・ミスマルは派手にくしゃみをもらす。
薄い黒色の長髪を持ったなかなかの美少女で、くしゃみする姿もどこか可愛らしい。名前からわかる通り、ミスマル家の長女でトヨカの妹にあたる少女だ。
「う~ん……どっかでアカリの噂でもしてるのかなぁ?」
荷台の中を見回すが、荷物箱があるだけで、誰の姿もない。
それも当たり前だ。これは交易の為の馬車であり、客馬車ではないのだから。
「ん? 風邪でも引いたのか?」
御者席から、手綱を握った男が顔を覗かせる。
「一応、護衛として商隊馬車に乗せてやってるだんから、健康管理には気をつけてくれよ?」
「あぁ、うん。大丈夫」
アカリは男に軽く手を振った。一応仕事ということで雇われている身。雇用者にいらぬ不安をもたせるのは宜しくない。
なにしろ人族領までの馬車運賃は極めて高い。そこでアカリは商隊の護衛をすることで商隊の馬車に便乗できているのだ。
「とはいえ、心配はしてないがな」
アカリの態度に、男は軽く肩をすくめる。
「ミスマル家ご息女の腕前を心配するなんざ、明日お天道様が落ちてくるのを心配するぐらい無意味ってモンだ」
まだまだ若い彼女だが、魔族領内では優秀な小太刀二刀流の使い手として知られており、武家としての信用もあって採用は簡単にまとまったのである。
実際に商隊が出発してから何度となく魔物の襲撃を受けているが、全て余裕で撃退している。
もっとも殆ど家出同然で人族領に向かっているのを『武者修行』と称し、半ば騙すような形になっている。そのことが万が一にもバレでもしたら、実に面倒なことになるだろう。
「ま、もう道のりも半ばは過ぎている。残りも油断なく頼むぞ」
そう言うと、男はまた顔を引っ込めた。出発してから二ヶ月弱。ここまでくれば魔物狩りをしている人族の探索者もおり、脅威はぐっと減ってくる。
ここからは、魔物よりもむしろ山賊や盗賊の類を気にするべきだ。魔族人族を問わず、ならず者というのは必ずいるのだから。
そんなことはさておき、未来に思いを馳せつつアカリはゴロリと横になる。
「さぁて、人族の街についたらなにしようかなぁ……まずは、腕試しかな?」
武家の娘としては行儀の悪い格好のまま、思考を巡らせる。
「『りーぶら』? とか言う人族用のお金も、当座の分はこの仕事で手に入るし、食べ歩きも悪くないかも」
家を出る時に多少の金子を持ち出してはいるが、よく考えてみればそのまま人族領で使えるはずがないし、両替ができるとも限らない。
「ま。それはそれとして、稼ぐ方法も考えないとなぁ」
勢いと興味の赴くまま、気がつけば家を飛び出していたけど、人族領においては自分は単に腕の立つ小娘に過ぎない。
「未来の話は可能性の話、ってお兄様が良く言ってたっけ」
ミスマル家における、それは家訓であった。常に精進の身であれ。『現在』は『未来』を『保証』する『証文』ではない。精進の先にこそより良き未来がある。そしてそれを実践する為に彼女は家を飛び出した。
「さぁて。アカリの未来の為に、人族領でガンバルゾー!」
エイエイオー、と腕を振り上げるアカリ。
「あー、でもお腹すいたなぁ……ご飯まだかなぁ……」
呑気にそんなことを考えながら、馬車の動きに合わせて荷台の中でゴロゴロと転がる。
自身の思うその未来とやらが、想像を上回る波乱万丈になるということを、彼女はまだ知る由もない。
辺境の都市『コンコルディア・ロクス』。
エリザとアイカを中心とした様々な出会いと物語が、今始まろうとしていた。
※次回投稿は7/17の予定です。
※事情により、7/18投稿となる予定です。
第二章の準備期間もあり、二週間後の更新予定となります。
お読み頂きありがとうございます。
ブックマークや評価を頂き誠に感謝致します。
もしこのお話を気に入って頂けましたら、評価を入れて貰えると幸いです。
また感想・コメント等ありましたら遠慮なくどうぞ。大変励みになります。





