< 肆 >
「益!! おい、益!! しっかりしろ!!」
「益さんっ!!」
「益の二哥!!」
さほど力を入れたわけではなかったはずだが、頭頂部に叩き込んだ桃木剣の一撃が相当効いたのか、益の巨体はぐらりと草むらの中に倒れ込み、起き上がる気配はなかった。
包囲網を崩すことのなかった他の者たちも頭領格の一大事に、一気に彼の傍へと駆けよってきている。狭い森の道が一気に大渋滞を起こしており、傍目に大男の集団と僵尸数体が入り乱れる様は、無秩序にもほどがある。
「殺ったんか」
「……殺ってない」
「わかんねェだろ。イイ音してたし、ありゃもう死んでんじゃねェか?」
くく、と肩を震わせているところを見る限り、彼も益が死んでいないことがわかっているのだろう。厚い胸板が上下しており、時折もにょもにょと唇を動かしているのか虎髭が小刻みに震えている。
しかし、彼らからしてみれば「搾取する側」であった盗賊たる自分たちが、「搾取される側」の存在である小柄な、しかも女らしい人物から歯向かわれることなど、想像してもいなかったのだろう。しばらく益へと声をかけていたが、やがて彼の状態がさほどひどいものではないと気づいたようで、その面へと怒りの感情を滲ませながら少女たちへと向けて来た。
「オイコラ豎子。いきなり俺の弟のドタマかち割るたァ、どういうつもりだ!? あァん!?」
「いや、いきなり人吊り上げて、それどころか色目的で服剥こうとしたアンタらにいわれたかないんだけどっ」
「色目的じゃあねぇ!」
「年頃の娘捕まえて、そのセリフ!? 説得力皆無なんだけどっ!?」
「男か女かを調べるにゃ一番手っ取り早いだろうが! それを……それをこんな……もし、弟が死んだらどうしてくれんだ、てめェ!!」
「はぁ!? 死んだらちゃんと僵尸にして、故郷に連れていって埋葬して弔ってあげるに決まってんでしょ!!」
「あァん!? なに勝手に弟、僵尸にしようとしてんじゃオラッ!!」
元より怒りの沸点には達していたように見えたが、どうやらさらにその上があったらしい。完全に雲の感情が煮立ち上がり、底がカンカンに熱されているようだ。
こめかみに太く青筋を浮かばせ、思ったよりも可愛らしいと思ったその丸い瞳を血走らせながら、手に持っていた矛の切っ先を少女たち目がけて振り下ろしてくる。
月は肩越しに一瞬、ちらり、僵尸たちを見遣り、片手に持っていた鐘を一度、振った。そして彼らに「下がれ」と命じると共に、自身の右足を大きく下げ、腰を落とすと、雲の矛を左手に持った桃木剣で受け止める。
ガッ、という音と同時に重い痺れが腕が腕に走る――その直前に、少女は剣の先端をス、と下げ、男からの力をそのまま往なす。そして、半身を引きながら、自身の足元へと矛の穂(刃部)を地面へと落とした。
視界の端で、後方へと下がった僵尸たちの補褂の裾が揺れ、胸元の朝珠が踊る姿を確認し、少女は再び鐘を鳴らし「止まれ」と命じる。
「おのれ……豎子……ッ!」
雲は呻くように呟くと、地面へと刺さった矛から少女へと、キッ、と視線を跳ね上げてきた。自分たちの従う頭領が、子供と見紛うような少女に軽く往なされたことに驚いたのか、周囲の盗賊たちが慌てたように「大哥!」と口にし、得物を一気に構え出した。
どうやら、完全に「敵」として認識されてしまったらしい。
「……おっかしいな……。私、本当に無関係なはずなんだけど……」
「てめェはまず、勝手に人を殺す前提で話進めんのをやめろつーの」
「まだ殺してないじゃない」
「アホ。仮定の時点でアウトだわ」
ちらりと睫毛の先を横へと流せば、相変わらず一角獣の鼻面を撫でながら性格の悪そうな顔で笑う少年の姿。ジリジリと距離を詰めてくる集団に囲まれているというのに、その表情には一切の焦りの感情は滲んでいなかった。
盗賊から盗品を盗むことで生計を立て、その報復さえも返り討ちにしていたという過去は、やはり伊達ではないらしい。
「さっきひとり、伸したから……残り、二十一人か……。何人任せていい?」
「あァ? さっきてめェ俺を仲間じゃねぇとかなんとかホザいてなかったか?」
「……いや、いったけどさ。でも、っていうか、そもそもこうなったのはアンタに責任があるんだけど!?」
「いやこいつらがいまキレてんのは、どう考えてもてめェがドタマに一発かましたからだろうがよ」
「あー、もー、うっさい! やんの!? やんないの!? どっち!?」
月の足元に刺さる矛が勢いよく抜かれそうになった、その、瞬間――隣に立つ少年の足が宙を切り裂き、その足裏でガッ、と矛の柄を踏みつけた。
「ま、こいつらが鬱陶しいってのは同意だな……なにより、でこっぱちに任せたせいで、時間食うのはめんどくせェ」
「だからでこっぱちって呼ぶなっつってんでしょ! 大体、めんどくさいとか、保護される迷子の分際でなに偉そうに……」
「あ? てめェだって夜中の内にこの森抜けてェとかいってたじゃねーか」
「そりゃま、そうだけど……。てか、アンタ丸腰だけど、大丈夫なの?」
パッと見、彼に武器らしい武器はない。どうやらかなり腕が立つだろうということは、彼の言動や体格からもわかるが、それにしても素手でこの人数を伸すのは相当に骨だろう。
月がちらりと瞳を彼へと向けると、少年のそれが少女の視線と絡み合う。そして、鼻先で弾いた笑いと共に、彼の唇の端が凶暴な角度に持ち上がった。
「はっ、問題ねェ。俺には、心がいるからな」
「心、て……その、一角獣? え、その子が戦うの?」
「……まぁ、中らずと雖も遠からずってとこだな」
少年は右腕を水平に伸ばすと、月へと縫い止めていた視線をス、と流し、一角獣を肩越しに振り返る。
そして――。
「心」
と、一角獣の名を紡いだ。
――その、刹那。
目の前に突然突風が現れ、視界を潰す。
「……ッ!?」
ゴゥ、という音が、鼓膜を叩き、その風の壁の向こうから少女と同じく混乱する盗賊たちの悲鳴にも似た声が響いた。
「ちょ……、急に、これ……なにっ!?」
風に煽られた髪を抑え、顔を思わず伏せながら月が叫んだ次の瞬間。一瞬で現れ吹き荒れた突風が、まるでなにかに飲み込まれたかのように瞬きの合間に消え去り凪いだ。
側頭部で輪を作っていた髪が、パラリと解ける。
「……え……?」
恐る恐る、顔を持ち上げてみれば、そこには先ほどまでの強風が嘘のように、シンと静まり返る森が広がるばかり。けれど、耳朶をずっと擽っていたホー、ホー、という梟の鳴き声が風と共に消え、周囲には月同様にただただ風に耐えていたらしい盗賊の集団がいるばかり。
少女がゆるゆると、睫毛の先を少年へと向ければ、そこには先ほどまで少年の傍を離れずにいた一角獣の姿はなく、彼の手には、身の丈よりも大きな左右両方に月牙と呼ばれる三日月上の横刃を設けた――所謂、方天画戟が握られている。
その色は、白。
柄も、刃も、その全てが白一色。
黒い道袍を身に纏う少年が携える得物は、消えた、一角獣と同じ――白色だった。
「……って、え……、まさか……」
「あー、ヤベ」
大きさから考えても、相当重量がありそうな方天画戟を肩に担ぎながら、自身へ視線を縫い止めたままの月へと少年の双眸がツ、と流れてくる。その表情は、唇から零れ落ちた呟きの通り、どこか気まずそうなそれ。
傍若無人が肩で風を切って歩いているような彼にそんな表情が出来たのか、と月は軽く睫毛を上下させた。
「え? なにか」
あった?
そう続くはずだった言の葉は、少年の指がす、と少女の背後を指し示したことで語尾を紡ぐことなく口内で淡く溶けた。月は軽く眉間を寄せながら、彼が示した方へと肩越しに振り返る。
そこにいたのは、複数体の僵尸の姿。
先ほどの風で飛ばされたようだが、どうやら自分たちで起き上がっていたらしく、地べたに這いつくばっている個体はいなかった。
(数、は)
目視で確認したところ、自身が導引している数のまま変化はない。
けれど――。
「さっきの風で額の符呪、剥がれたみてェだな」
彼らの足元に落ちるのは、通行料としての冥界の紙銭を模したものではなく、神通力を込め命を記した対僵尸用の符呪。そのままツ、と視線を持ち上げていけば、補褂から伸びた朝靴がある。さらに上へと進めると、死に化粧を施した面。日頃閉じているはずの瞳は、いまはカッ、と見開かれていた。
「って、えぇぇえええ!!」
前へと腕を衝き出した僵尸たちは黒い紅の刷かれた唇を真横に大きく開きながら、靴裏で一気に跳ね上がり、その爪先を月たちのみならず周囲の盗賊へと向け始める。
「って、ちょ……、待っ……!!」
とりあえず自身へと向かってきた一体の僵尸の攻撃を右へと避けながら、月は左手に持つ桃木剣を思い切り振りかぶった。今度こそ、遠慮なしで、遠心力をそのまま利用するように僵尸の胴体へと刀身を叩きつける。
少女の足元の地面へと、雲履の先が、ぐ、と食い込んだ。
「はい、一旦おやすみ!!」
月は吹き飛んだ僵尸の元へと一足飛びに距離を詰め、地面に散らばる符呪を足裏で掬い取る。そして、そのまま再び起き上がろうとする死者の額へと貼り付けた。
ふ、と周囲を見回せば、盗賊たちへと襲い掛かろうとしている僵尸もあれば、数の優位から逆に僵尸を複数で取り囲み相対している者たちもいる。
(ってか、アイツらが僵尸に襲われて死ぬのがダメなのはもちろんとして……)
僵尸もまた、故郷で待つ者がいる以上、故郷で眠りたいと願っている「魄」がある以上、無事送り届けなければならないものだ。
だから。
「でこっぱち!」
背後から、乱暴に声がかけられる。
月がちら、とそちらへと視線を走らせれば、白い方天画戟を片腕で軽々と振り回し、周囲に群がる盗賊、僵尸全てを薙ぎ払う少年の姿。
「僵尸はてめェが抑えろ。俺ァ、盗賊をやる」
少女は足で地面に太極図を描くと、その近くにある符呪を再び足裏で掬い取り、たったいま彼によって倒された僵尸へとそれを飛ばした。起き上がろうとしていた死体が、そのまま地面へと縫い止められる。
「……でこっぱちって呼ぶなっつってんでしょ!」
弾けるような憎まれ口を返事として、黄色と黒、ふたつの道袍が冷たい空気を孕みながら衣擦れの音を立てて宙を舞った。
**********
ザ、と冷たい風が空を駆ける。
木々がその身を震わせるように、葉を揺らしていた。
金鏡の光が降り注ぐ暗く深い森で、響くものは梟の声と、風音に攫われていきそうなほどの小さな呻き声。
少女が、は、と息を吐きながら周囲を見回せば、草むらに転がり木の枝に引っかかっている盗賊たちの姿。
夜目に確認した限りだが、その全ての影が苦しげながらも呻き声を上げたり、ときおり身体の向きを変えたりしていることからも、どうやらまだ死人は出ていないらしい。
(死人が出ても、おかしくないような暴れっぷりだったけどね)
――僵尸はてめェが抑えろ。俺ァ、盗賊をやる。
彼からそう告げられ、乱戦となったのは随分前のことのように思えるが、ふ、と見上げた月の位置を確認する限りそうは経っていないようだ。
(私の方は、まぁ僵尸の数も少なかったからともかくとして。あれだけの盗賊を、こんなにあっさり伸すなんて……報復にきてた盗賊を返り討ちにしてたってのはほんと間違いないなー、これ)
凶悪な面構えに、粗野で短気な性格。
喧嘩っ早く、基本的になにより口が悪い。
自分でいい出したことではあるが、こんな人間を自身の廟へと連れ帰ってもいいものか、と一瞬悩む。
「おいコラでこっぱち」
「だからでこっぱちって呼ぶなっつってんでしょ! その耳、飾りなら、もいでやってもいいんだけど!?」
「あァ? てめェの名前なんざ知ってるわけねェんだから、でこっぱち以外の呼び方なんてあるかよ。つか、とっととズラからねーでいいんかよ。早く森抜けなきゃいけねーっつってなかったか?」
「……いったけど!!」
月は手に持った鐘をチリン、チリン、と鳴らすと、後方に整列する僵尸たちへ一度視線を送る。全て、額に符呪を貼り付けている彼らは、先ほどの凶悪さが嘘のように道士の意のままになる可愛い死体に戻っていた。
「行くわよ。行けばいいんでしょ!」
ついてきなさい。
そう告げると、肩下げへ手を突っ込み、乱暴に引き抜きながら少女は紙銭を宙へと放る。
「僵尸さまの、お通りだー! 生きてる者は、道を開けろー!」
年頃の少女のようにも、幼い少年のようにも聞こえる、高い声が深い森に響き渡った。チリン、チリン、鐘の涼やかな音が鳴り、背後でザ、ザ、と定期的な足音が弾んでいる。
少年はそんな僵尸たちの隊列が進むのをしばらく見遣っていたようだが、やがて飽きたのか少女の傍まで駆け寄ると、彼女の歩みに自身の足音を合わせ始めた。
冷たい冬空の下で、黄色と黒の道袍が風を孕みその裾を揺らす。
ホー、ホー、という梟の鳴き声の合間を縫うように、跳躍する足音が地面を鳴らした。
「おい、でこっぱち」
少女の横を歩いていた少年から、低く声がかけられた。
「……、なに?」
「……お前、名前は? 仕方ねぇから覚えといてやる」
「いやなんでそんな上から目線なの、アンタ……」
はぁ、とため息混じりに頬に触れる空気よりも冷めた視線を向けてやれば、「あんだよ?」と相変わらず人相の悪い面が少女を見下ろしている。いつの間にか、先ほどまで宙を斬るように振り回されていた方天画戟がその手から消えており、かといって再びあの一角獣が傍にいるわけでもない。
その代わり、彼の首には白い布が巻かれており、先ほどまでそのようなものは身に着けていなかったことを考えると、まぁそういうことなのだろう。
「ねぇ。アンタって何者なの?」
「あ?」
「北方の育ちで、泥棒してたってことは知ってる。あと道士としては致命的なくらいの方向音痴で迷子だってことも」
「俺ァ迷子じゃねぇっつってんだろ」
鼻先に皺を寄せながら唸る彼は、まるで野生動物のようだ。
「で、名前。いう気はねぇんかよ」
「……自分の正体隠しておいて、人にだけ名前訊くってどうかと思うわ」
月は軽く彼を睨めつけたあと、ピン、と人差し指を空へ示した。
「?」
「月。空の、金鏡と同じ、月」
「月……」
口の中で転がすように、ぼそりと少女の名を呟いたあと、「へぇ」と感情の見えない声を返してきた。
「ま、知ったとこで呼ぶかどうかはわっかんねぇけどな」
「はぁ!? じゃあ、それって名前、訊く意味あった!? ってか、アンタせめて名前くらい名乗ったら!? これからアンタは私に世話になるんだから、せめて性格と人相が悪くても、礼儀くらい心得なさいよね!!」
「あァ!? 誰の性格と人相が悪いだコラ」
「え、自覚ないの!?」
「あー、もううっせェな!!」
シンと静まり返り、ホー、ホー、と梟の声が響く深い森で。
ほかに音といえば、僵尸の足音とそれを先導するための鐘の音。
その他の音など、きっと今夜まで知らなかったはずの森で、男女の喧噪が響き渡る。
「……狼」
「は? なに?」
「だから、名前だろ」
「……アンタの? 名前?」
「てめェがいえっつったんだろうが!」
「……あぁ、そう、だね……いった。いいました」
狼。
奇しくも、先ほど野生の動物のようだと思った自身の勘は的外れというわけでもなかったらしい。
「ふぅん。狼ね。……狼って名前なのに、方向音痴って可哀想」
「あァ!? 喧嘩売っとんのかてめェ!」
「置いてけぼりにされたいなら、どうぞご自由に~」
大きな影がひとつと小さな影がひとつ。
その後に続く硬直した集団が深い森を抜け出したのは、天に輝く三ツ星が西の空に深まる頃だった。