< 陸 >
ハッ、と荒く吐いた息が、視界を濁らせた。
生まれた直後に消えていく白い靄が、その輪郭を完全に失う前に突如として目の前に現れる符呪に、少女は足裏に力を込めて、後ろへと弾く。くるり、宙で回転しつつ体勢を整えながら地面に一度、二度、手をつき後退すると、彼女の影を追うようにボンッ! と黄色の札が何度が爆ぜた。
月は顔を上げたその先に、それ以上の術が編み上げられてないことを確かめると、ギュ、と布鞋の先に力を込め、一足飛びに闇の中に駆けていく。一瞬で眼前に姿を現したのは、穏やかな笑みを唇に刷く長髪の男。
やはり、彼の弟子がいうように身のこなしはそう軽くはない。瞬く間に目の前に現れた月に対し、僅かに片足を後ろへと引こうとしているが、その身体の動きはひどく硬い。
少女は石畳についた右のつま先を弾くように蹴ると、その突進力のままに身体を捻り、薙ぐように【字】の刻まれた左足を振るった。ビュ、と鋭く甲高い音が空を切る。
(いける……っ!)
自身の蹴りは、完全に彼の右頬を捉えていた。
――はずだった。
けれど。
「……ッ!!」
完全に入ったと思ったその間合いの密度が急に増し、ゴッ、という鈍い音と共に少女の蹴りが宙で止まった。つい一瞬前まで、確かになかったはずの符呪が、八卦を作り月と羅との間に結界を作っている。
「く……ッ!!」
少女は目に見えない障壁を蹴りつけたその反動を利用し、横へと飛び去る。すると、その動きを見越していたかのように、八卦の結界の後ろから新たな符呪が飛んできた。
空中でなんとか回避したくとも、蹴りの反動で流れる身体は急に制御するのは難しい。
(あ)
ヤバい……っ!
自身の周囲に追いつく符呪が、術式の発動を示したその、瞬間――。
爆発に巻き込まれることを覚悟し、思わず目を閉じた少女の鼓膜を突如、ゴゥッ! という暴力的なまでの風が叩く。竦ませていた身体への被害はいつまで経っても訪れず、そろりと瞼を持ち上げてみれば、そこには自身を護るかのように周囲に風の壁が出来上がっていた。
そのさらに向こう側でくるくると飛び散っているものは、黄色の呪符。
どうやら風によって、発動しかけた術ごと千々に裂けたらしい。
「……た、助かっ、た……」
ふぃい、と僅かに空を仰ぎながら、思わず安堵の声が漏れた。
見上げた空の高い位置には、既に金鏡の姿はなく、西の低い位置へと転がり落ちようとしている。
蹴りの威力が薄れた頃を見計らって、少女は身体を一瞬硬くする。身体の軸を制御しながらくるり、一度宙で回転すると、月はヒュルル、と落下かしていく身体を御しながら、布鞋の裏を石畳へと落とした。
(空の端っこが明るいように思えるのは……願望が見せる幻惑じゃないといいんだけど)
はっ、と疲労を多分に含ませた息をを吐き出し、乾いた笑いを吐き出すと、周囲に吹く風がシュル、という音と共に一瞬で凪いだ。ちら、と肩越しに振り返れば、そこには日頃よりも眉間の皺を深くした狼の姿。
「オラでこっぱち。アホかてめェは。油断してんじゃねェっつの」
「別に油断したわけじゃないっつーの!」
「なお悪ィわボケ」
どれだけ時間が経過しただろう。
金鏡が真上にある状態から、西の端へと落ちている現在に至るまでの間ずっと、彼とふたりで羅と対峙しているが、拮抗するどころかふとした拍子に一気に形勢を覆されるような状況が続いている。
狼の【刃】は、流石に風だけあって宙に空気が存在する限りいつ如何なるとき、どんな瞬間でも発動することが可能だ。しかし、術に相当する扱いのようで、その【気】の流れを読むことに長けているらしい羅には事前に防がれてしまうことが多い。
かといって月の【翔】は、術というよりも単純に肉体強化に値するもののようで彼がその流れを掴むことは難しいようだが、経験の差なのか蹴りよりも先に彼の防護壁の発動が早く、やはり攻め手に欠けてしまう現状があった。
「私が攪乱役で、アンタのその方天画戟でトドメってのは……駄目かな」
「知るか。まぁ、方天画戟は武具っていやぁ確かに違ェねぇが、俺の【刃】で作ったモンな以上、期待薄だろ」
「かといって、アンタのいうモヤシっての信じて体力切れ狙ったけど、それこそ期待薄っぽいんだけど……」
息切れし、荒い息を吐き出す月たちとは対照的に、羅は汗一筋たりとも流してはいないのではないだろうか。術を構築するには確かに肉体的な体力は必要ないが、それでも精神的に削られるものはかなり多い。
もう何時間も、瞬時にあれほどの術式を組み立て続けて尚、集中力が切れていないというのは道士として純粋に賞賛に値する人物である。
(人間性と倫理観は比例しないのが残念過ぎるんだけど……)
まぁ、弟子を見る限り、そこに期待するだけ無駄な時間なのかもしれない。
月が胸中で毒づくと、その声が聞えたわけでもあるまいに「んだコラ」と傍らの少年の険が深くなる。相変わらず人相は悪く、あの外見だけは穏やかな師傅とやらと並んだら、確実にこちらが悪人側だ。
けれど。
「おや……? もう終わりですか?」
石畳の上に足音を転がしながら、闇の中から羅が現れる。その面はやはりどこまでも穏やかで、その声音は春風のように暖かだった。
「ジョーダンでしょっ!」
「おや。冗談のつもりはなかったんですが……。大分、お疲れのようですし、こちらとしてもそろそろお開きにしたい気持ちがありましてね。こうして、夜も、明けそうなことですし」
羅の視線がちらりと空へと向けられる。
確かに東の空は白々とし始めており、藍色の空に橙や黄が滲み始めていた。祖父が村全体に「眠り」の術をかけていなければ、恐らく鶏の声が辺りに響いている頃だろう。
「はっ。いい加減、このクソくだらねェやり取り終いにしてェのはこっちも同じだよクソ師傅」
「むしろ、そろそろっていうか、いますぐ、お帰り願いたいくらいだしね」
「おや、それは奇遇です」
にっこり、という以外はどんな言葉も当てはまらないほどの笑顔を浮かべた羅の周囲に、再び符呪が展開されていく。
「私も、陽が昇る前にその前に、どうしても馮さんを連れて帰りたいのですよ」
「させないっていってんでしょッ!」
「ならば、奪うまでのことです」
流れるような動きで長く細い指が印を刻んでいく。形の良い唇が、なにやら詠唱を紡ぎ始めた。同時に張り巡らされるのは、巨大な攻撃の術式。
「な、なんか急にキレたけどっ!?」
いままでの彼の術は、月や狼の攻撃を起点とした反撃がほとんどだった。あちらから攻撃を仕掛けてくることは、勿論なかったわけではないが、常に防御を意識した戦い方だったと思う。
憎らしいほどに緩慢かつ優雅な動きで、常にどこかに余裕を持つ彼の態度が腹立たしくもあったが、けれど、ここへきて急に攻撃的な術を展開してくるとは、どういう心境の変化だろう。
「そりゃま、時間がねェっつってたかんなァ」
ヒュ、と自身の足元へ飛んできた符呪を既のところで跳び上がり、避ける。それを既に見越していたのだろう。空中にはすでにその他の符呪が展開しており、月たちの周囲を取り囲んでいた。
「急変しすぎじゃないっ!? さっきまでの余裕どこ行っちゃったわけっ!?」
――ボンッ!!
少女のその声に、ハッ、となにかに気づいたかのように狼の瞳が僅かに見開く。けれど、どうかしたのか、と言の葉が喉へと上がってくるその前に、先ほどまでの非ではない術が、発動した。
――が、それを、竜巻にも似た風の壁が表れ爆風を弾く。
「まぁ頃合いってやつか」
「なにがっ!? 死ぬ準備っ!? 流石にこんな騒ぎの中でアンタ僵尸にしてる暇はないんだけどっ!?」
「誰が死ぬ頃合いだっつった!!」
「え、じゃあなに??」
「……羅をぶっ潰す頃合いに決まっとんだろボケが」
にやり、と口角を凶悪な角度に持ち上げ、八重歯を見せる彼の人相は、お世辞にも「いい人」とは思えない悪人ヅラである。一見しただけなら、確実にアチラの師傅の方が真っ当に見えるし、内面を知っていてもまぁ彼の性格はお察しといった事実は覆らない。
けれど。
「……なんか、策あんの?」
「あるから、いっとんだろうが」
その太々しい顔が、いまは頼もしいという他はない。
「いいか? いまからこの風の防壁を解除する。一瞬で凪ぐから、その瞬間、てめェは全力で空に跳び上がれ。その後、羅に向けて盗賊どもにぶちかましたような蹴りを思いっきりかませ」
「そ、れは……いいけど、どうすんの? その後、アイツに突っ込んだって、もう私の速度完全に見切られてて、蹴りが入る前に防がれるのが関の山なんだけど」
「そりゃ、いままでわざとそれを、見せてきたかんな。何度も何度も」
何時間にも渡り、月の攻撃の瞬間の情報を与え続けた。羅の身体が、なにも考えずとも彼女の攻撃を読み、衝撃の瞬間を捉え、防御癖を張れるように、何度も何度も身体に刷り込ませてきた。
――そう、狼はいった。
「え。ちょっと待って。つまりそれって、私で実験してたようなもんじゃない!?」
「ようなもん、じゃねェ。しとったわ」
「しとったわ。じゃないッ! 開き直るなってーのッ!」
「ってェなッ! 人の脛、蹴んなっつーのッ!!」
思い返せば、彼は自身の【刃】は羅と相性が悪いだのなんだのといって、積極的に攻撃に転じることはなかった。勿論、月が攻撃の直後、どうしても無防備になってしまう瞬間には助けてくれていたので、不思議に思うこともなかったが、真実は別のところにあったらしい。
足を狙って何度か月がダンダンと踏み蹴りを繰り出すが、ヒョイヒョイと軽く狼が躱していく。そんな状況でもないことは頭の片隅でお互い理解していたが、それでもこの児戯の如き時間を少し楽しいと思ってしまう自分がいる。
けれど――。
狼の表情がス、と温度を下げ、頬が俄に引き締まった。す、と黒い瞳が少女から風の壁のその奥へ流れていく。
「いつまでその中で逢引しているつもりですか? 若い男女が狭い場所にずっといるのは関心しませんね」
「莫迦か、これのどこが逢引だボケが」
「そもそも夫婦なんでっ!! とやかくいわれる筋合いありまっせんっ!」
「おや。それは失礼」
くく、と笑う彼の声には、再び当初の余裕のようなものを感じられたが、けれどいまこの風を解除したならばえげつない符呪が展開しているのだろう。
「オイでこっぱち」
「でこっぱちっていうなっつってんでしょ、悪人ヅラ」
「わかってんな? 奴が完全にてめェをナメてる、いま、一回限りの好機だ」
少年の手の甲の【字】が、光を増した。
月が、ちら、と彼の面を見上げると、相変わらず凶悪な角度に持ち上がった唇が八重歯をちらりと見せていた。少女は、ふーと息を大きく吐き出すと、「わかっている」と呟いた。
「――行け……ッ!!」
狼の声と共に、周囲を取り巻く風が一瞬で凪ぐ。
轟轟と鼓膜を叩くその音が、ぴたりと止まった。
はっ、と見上げた空は、先ほど見たその時よりも藍の色を薄くしている。東の空が白々と朝が直に来ることを告げていた。
月が足に力を込めると、左足の甲がこれから昇ってくる太陽でも宿ったかのように熱を発する。少女は膝をぐ、と折り曲げ、一気に布鞋の裏を弾いた。
黄色の道袍を纏った細い身体が、闇の帳が上がる空へと跳ね上がる。視界の横に流れる景色は、あっという間に遠くに見える山や森ばかりとなった。
(って、あれ……こっから、どうするんだっけ??)
羅に自身の速度をわざと覚えさせていたことは、先ほど聞いた。
けれど。
(え、どうやってその速度を速くするか、聞いてないんだけど……!?)
思えば、話の途中で彼とそのまま喧嘩となり、そして羅の一声によって強制的に会話が終わってしまったために、どんな策だったのかなにも聞いていない。
(え、えぇぇえ、ちょ……これ、ほんとどう……、すんのっ!?)
上昇の速度を穏やかにしつつある痩躯が、ふわり、宙へと浮かぶ。
(とりあえず、こっから一発逆転狙えばいい、の??)
このまま浮かび続けているわけにもいかず、少女が宙を蹴り落下をしようとした、その、瞬間――。
「……ッ!?」
グン、と背を、見えない何かに蹴り飛ばされたかのような感覚に襲われた。バサ!! と、道袍の裾が音を立てるその様に、自身の後方から襲い掛かるのは巨大な風なのだと知る。
――……なんか、策あんの?
――あるから、いっとんだろうが。
先ほどの、狼の言の葉が脳裏に巡る。
(なるほどね……)
それならそうだと、先にいえっての!
少女の唇に宿るのは、それでも三日月の形。
月は身体の軸を御するように全身に力を入れると、いまだ熱を放つ左足で、宙へと空気の弾でも打ち出すように、力いっぱい蹴り弾いた。
刹那、キン、という甲高い音を背に置き去りにしながら、少女の身体が落下する。
永遠にも思えるような一瞬の間に、視界の横を駆けていく景色の中で、ギラリと光ったものは、朝の日の出。
その光に、一瞬顔を顰めた羅の面が、眼下に現れる。
「月ッ!! ブチかませ――ッッ!!」
その声と共に、少女の振りかぶった左足が、美しい男の顔を蹴り飛ばした。
**********
静けさとは無縁な夜がすっかり明け、東の空に上がった太陽がその光を地上に柔らかく落としている。
村全体を包んでいた虎の術が解かれ、眠りから覚めた人々は、楊家の前に走る路が割けていることに驚いたが、僵尸隊を家業にする家柄ゆえ、なにか一般人にはわからない類のものだろうと、とりたて大騒ぎになることはなかった。
それは長年、村の冠婚葬祭に始まり儀式の全てを取り仕切り、人々との関わりを大切にしてきたおかげであり、さらにその他に、事の次第を全て見ていた老舗酒屋の跡取り息子である礼が口添えをしたことが、大きかったらしい。
――なんか僕、迷惑だけかけちゃって、何の役にも立てなかったから……これくらい、当然だよ。
月が幼馴染の少年へと礼を告げると、ふわりと柔らかく笑いながら彼は首を振った。彼が悪いわけではないのだが、どうやら皆に護られながら、なにも出来なかった自身が悔しくてたまらなかったようだ。
(っていっても、私もなにかを為したといえる程のことはしてないんだけどなー)
あのとき、少女の渾身の蹴りは確かに羅の顎を捉え、彼の身体ごと吹き飛ばした。ただでさえ石畳を砕く【翔】の脚力に加え、狼の風が後押ししたことでその一瞬の破壊力は相当なものだったと思われるし、その手応えも十分感じた。
けれど、その後、男の身体は朝焼けの空の下、どこにも見当たらなかった。あれほどの一撃を顎に食らったのだから、当分は頭の中が揺れ、まともに起き上がるなんて芸当が出来るとも思えなかったが、その姿は夜の帳と共にきれいさっぱり村から消えていた。
蹴り飛ばした際、水路に落ちたような音は聞こえなかったが、もしかしたら咄嗟に術で顎への一撃を避け、水路へと身を隠し退散したのではないか、というのが祖父の判断である。
ともあれ、なんの因果かさえも不明だったあの謎の襲撃は無事退けることが出来、とりたて大きな被害というものもなかった為、一件落着したといっていいだろう。
(まぁ……簡単に一件落着っていうには、この大穴……ちょーっと笑えないけど……)
自身が開けたものとはいえ、どう考えても自分に非はない――はずだ。
ちらりと大穴を朝日いしきの下で覗いてみれば、排水用に地下水路が通っていたようで、見事に石畳のなれの果てが覆いかぶさっている。水が廟に噴き出していないところを見る限り、まだ排水の逆流には至っていないようだが、早急に対応する必要があるのは明白だった。
「おい、月」
そもそも直すにしても、誰がこの費用を出すのだろうかと思っているところへ、虎から声がかかる。少女が肩越しに振り返ると、羅が消えると同時に意識を失った盗賊たちが、やっと目を覚ましたようで、青白い顔をしながらそれでも上半身を起き上がらせている者もいた。
少女の予想通り、夜が明けるまでがあの術の制限だったのか、それとも羅が一時的に意識をなくしたことで術が解けたのか。二日酔いに苦しむような表情ではあるものの、その瞳には確かに昨夜なかった生気が宿っている。
「あ、爷爷ちゃん。ソイツら、起きたんだ?」
「おぉ。まだちーっとばっかし、ボーっとしとるがの」
「まぁ術酔いしてるのもあるんじゃない?」
「じゃろうな」
基本的に、道士でもない一般人には術への耐性というものがない。
だからこそ術をかけやすいともいえるが、同時に術が解けた後の跳ね返りも相当きつい。
「你早、私のこと覚えてる?」
月が彼らの近くまで歩を進めながら訊ねると、雲と呼ばれていた彼らの頭領は、その丸い瞳をしっかりと少女へと合わせてきた。
「あんとき、森で会った……豎子――改め、小姐ちゃんだな」
「……前半、いらなかったよね」
「へっ、嘘吐けねぇもんでよぉ。悪ィな」
「いやその言い訳もいらなかった」
何故だろう。
覚えていてくれた方が会話は滑らかにいくので歓迎すべきことだというのに、全く嬉しいと思えない。
「くくっ、よかったなァ。今度ァ女って認識されたみてェだぜ」
声を震わせながら背後から現れた大きな影に、月の眉間は皺を刻む。噛みついてやりたいところだが、思えば彼は最初から月を女と認識していたので、ここで吠えるのは八つ当たりのような気がして、少女はんべっ、と舌を出すに留めた。
「で、いまてめェらがいる経緯に関しちゃ、覚えてんのか?」
「……まぁな」
雲がちらりと隣でいまだ寝ころんだままの益へと視線を向けると、彼の顎が一度小さく引かれ、大哥と慕う雲の言の葉を肯定する。
その後、彼が語ったところによると、どうやら突然彼らの根城にやってきた羅が月たちの足取りを掴んでいると話を持ち掛けてきたらしい。ちょうど、やられ損に鬱憤が溜まっていた彼らは、その誘いに簡単に乗り――気づけば「魂」の一部を取られ、生きた僵尸と変えられていたとのことだ。
「まぁ操られてるっつっても、意識っつーのは途切れねぇでずっとあった。つっても、身体の中じゃなくってよ、なんか、俺自身を外から見てる感じだったけどな」
「ふーん……アイツが持ってた雲母瓶の中なのかな……?」
「羅がいうところの、意識を司る部分の『魂』とやらを引っぺがしたっちゅーことだし、そうなんじゃろうのぅ」
意識が戻った盗賊たちの解呪がきちんとなされているかを確認していた虎も月と同じ意見のようだ。
「で、こいつらどうすんだ。巡捕(警察)にでもつき出すか? あぁ、俺らに鬱憤ため込んでたとかホザいとったから、やりたりねェっつーなら……」
「バ……ッ! や、やるわけがねェ!」
「おうさ! あんときゃ色々むしゃくしゃしてたけどよ、結局こうして助かったのは、てめ……アンタらのおかげ、っつーのも理解してんだ!」
どう考えても言いがかりとしか思えなかった恨みは、少女の知らない内に勝手に昇華されていたらしい。
「……うーん……とはいえ、どうしようか……」
昨日の襲撃を公にするつもりがない以上、日頃、晧莱近隣を縄張りにしている彼らを巡捕に突然つき出すには、理由が曖昧過ぎる。
「ってか、コイツらのこともそうだけど、とっととこの水路、直した方がいいんじゃないの? 完全に埋まっちゃってるけど、これ、うちの排水路じゃないの、爷爷ちゃん」
「んぁ? まぁ十中八九、うちのじゃろ」
「えぇ……っ、じゃあ陸さん、早めに呼んだ方がよくない?」
「陸んとこの親父なら、もう村におらんぞ」
「えっ、そうなの!?」
この村・皙慶は小さな村ではあるが、貧しい土地を均しながら少しずつ作っていった集落だけあって、村内の技術職はそれなりに優れている者が多い。礼の杜家にしてもこの近隣ではかなり評判のいい酒屋であるし、代々土木業を営む陸家もあちこちで呼ばれ、建築物から水路造りまで、その仕事は多岐に渡る。
「またどっかの工事に呼ばれたの?」
「さぁの。詳しいことは知らんが、都でお呼びがかかっただかなんだかで……もうありゃあ、一月前にもなるか。ちょうど、お前と入れ違いで出ていったはずじゃ」
「えぇ……じゃあ、この水路どうすんの??」
逆流はいまのところ防げているものの、今後の生活用水が流せないのは不便この上ない。
「……俺らが、やる」
どうしたものかと頭を悩ませている月たちへ、眼下の雲から声がかけられた。少女が睫毛を上下させ、彼へと視線を落とすと、そこには先ほどよりも幾分顔色が回復した盗賊たちの姿があった。
「やるって……え……?」
「お前らが、これ直すっちゅーんか?」
「あぁ。俺ぁこう見えても生まれは土木やってた家でな……十年前、親父の後妻に家乗っ取られるまで、従弟の益と親父とで、こういう仕事やってたんだ」
生粋の盗賊にしてはどうにも小物染みた言動が多いとは思っていたが、どうやら元は商家の出らしく、土木業を主軸にしていたらしい。この場に集う面々の大半は、その頃から彼の家で雇われていた職人で、皆その後妻とやらに追い出されたということだ。
測量から施工まで、この面子でしっかりやれるらしい。
「……人は見かけによらねェな……」
思い起こせば、羅にしても悪い意味でそうだった。
ぽつりと呟いた狼の声に、月は素直に是と頷く。
そして、少女が睫毛を持ち上げそちらを見遣れば、「なんだよ?」と視線を落とす少年の姿。
月は唇に、三日月を浮かべ笑った。
「残念ながら、アンタは見た目通りだけどね」




