< 参 >
冷たい空気が支配する闇の中、ぞろぞろとその影を大きさを増やすならず者の集団は、先日、森で出会った時よりもその頭数が多い。恐らく彼らの根城とやらに、留守居役の者でもいたのだろう。
雲と益、兄弟だというふたりを先頭に、じわりじわり影の大きさを増しながら、彼らは乱暴な足音を石畳の路へと落としていく。
気が立っているのか、やけに呼吸が荒く感じる。
まるで、野生の獣のようだ。
「なんじゃい。盗賊、か?」
祖父は、近づいてくる集団をまっすぐ視界に捉えると、眉間に皺を寄せながら、ピンと眉尻を持ち上げ訊ねてくる。月は、ちらりと彼へと視線を一瞬流すと、是と頷いた。
「ほら。アイツ、森で拾ったときに変な連中に絡まれたっていったでしょ」
「ほーん。なんじゃ、そんで報復でもしに来たんか?」
「まぁ……あの様子見る限り、そんなとこなんじゃないの」
彼らの手には、先日も見かけた得物がそれぞれ握られている。その数も先日より増えていることからも、少なくとも迷惑をかけた詫びをしにきたわけでないことだけは確実だった。
月は、一歩、また一歩と近づてくる盗賊たちとの距離を計りながら、右足をす、と一歩後ろへと下げた。そして手に持っていた鐘を一度チリン、と鳴らすと、その音色の波紋に従うように、背後に控えていた僵尸たちが直立のまま後方へと足裏を蹴り上げ、表門まで後退していく。
チャリ、チャリ、と冷たい夜風に胸元の朝珠が歌う。
(村人が、この時分にこの通りを歩く可能性は低いから、そこは心配しなくていっかな)
月の廟である楊家は、その職業柄、村の外れに位置する場所にあった。ここより先は村の外部であり、村人の住まう家は存在しない。
(どっかの酒徒が出歩いていたにせよ、ここは通らないもんね)
どう好意的に考えても、このならず者御一行様に穏便にお帰り願うことは期待出来ないだろうし、そうなればあの森の一件と同じく、確実にここで一暴れあることは火を見るよりも明らかだ。村人が巻き込まれる可能性はほぼないにしろ、いつ僵尸の符呪が剥がれてしまうかわからない。
死体をこれ以上傷つけないという意味でも、一度、廟の正房(北側の棟)にある棺へと戻した方がいいだろうか。
「爷爷ちゃん」
月が睫毛の先を盗賊たちへと向けたまま虎へと声をかけると、既に察していたのか、「そうじゃの」という返事と共に衣擦れの音が背後で響いた。僵尸を操っていた少女の道術を上書きするように祖父の術が展開し、表門まで下がった僵尸隊の先頭は、そのまま老道士の指示に従い、門の中へと消えていった。
少女の術の効果範囲は、あくまでもいま現在自分の意識が拾える空間まで。いま現在でいうのならば、自身を中心に廟の前を走るこの石畳の路、前後一里(約四百メートル)ほどだろうか。
僵尸隊の道士として国中を歩き回っており、決して月の能力は低くはないが、虎の範囲は彼女よりもはるかに広く、かつ、空間把握能力が高い。
ザ、ザ、という地を跳ねる音が徐々に遠ざかり、恐らく彼らは祖父の指示通りに正房に入ったのだろう。少女は、周囲へと散らせていた意識をス、と手元へと戻すと、睫毛の先を再びならず者たちへとまっすぐ向けた。
彼らと一番距離を近くするのは、礼。その僅か手前に月がおり、後方に祖父母が並ぶ。幼い頃は礼も他の養子たちと一緒に、祖父に体術や道術を習っていたことがあったが、十を過ぎる頃には彼も酒屋の仕事を覚える必要があり、次第に足は遠のいていっていた。
(まぁ礼礼はそれ以前に、昔っから優しすぎてあんまりこういう荒事に向かない性格ではあったよね……)
近隣の子供の中には、まぁ結構な悪童も多く、当時背も低く、気質が優しかった彼はしょっちゅう泣かされ、それを無駄に気の強い月が庇っていたことが多かった。僵尸を完全に安全圏に連れていくまでは、下手に盗賊たちを刺激しない方がよいかと、礼を下がらせることはしていなかったが、そろそろ祖母に彼の身柄を預け隠れさせた方がよいかもしれない。
(場合によっては、もう巡補(警察)呼んできてもらった方がいいのかな、これ……)
こちらも手荒い歓迎をしてしまうことは確実なので、出来れば大事になる前に穏便にお帰り願いたいものだが、最悪村に迷惑がかかる前に手を打つことも視野に入れておくべきだろう。
「礼……」
少女が前方で視線をきょろきょろと彷徨わせている幼馴染の名を紡ごうとした、その刹那――。
奇声、としか認識できない声を上げて、ならず者の中から飛び出してきた影が、その手に持った大斧を礼目がけて振り下ろしてきた。咄嗟のことに、礼の身体は硬直し、辛うじて半歩ほど後ずさったものの石畳の隙間に踵を引っ掛けたらしく、そのまま均衡を崩した身体がどさり、尻もちをつく。
その直後、ガッ、という音と共に、少年の目の前に大斧の刃が落とされた。
「……ッ!」
悲鳴を飲み込んだ礼へと、襲い掛かった人物がゆらり、その面を持ち上げる。圧倒的な自身の優位に、さぞニヤけ面でも晒しているのだろうと思われたその表情は、全く感情のないそれだった。
「!?」
月は彼のその面に、一瞬はっ、と瞳を見開く。
けれど――。
温度のない表情のままに、手から得物を離した男が礼へと襲い掛かろうとする姿に、少女は一歩、彼らへと踏み込んだ。そして、それを軸に、男の横っ面を大きく蹴り上げると、鈍い音が足の甲で響く。
勢いのままに振り抜けば、決して小さいわけではない男の身体が吹き飛び、五間(約十メートル)ほど先でぼてりと地面へと落ちた。
「礼礼、ごめんね。大丈夫?」
「ユ、月月……っ、う、うん……。僕は、大丈夫……」
上擦った声ではあるものの、男の斧に傷ついた様子もないようだ。立ち上がろうとする礼へと手を差し出し、少女はキ、と視線を盗賊たちへと向ける。
森で出会ったときも、お世辞にも品がよいとはいえない輩ではあったが、まだ会話が成立していたはずだ。少なくとも彼らが激高したのは自業自得とはいえ月が手を出してからであり、盗賊と名乗ってはいるものの詐欺で小銭を稼ぐただの破落戸なのだろう、と。
(そう、思っていたんだけど……)
先ほどの礼への殺意を見る限り、その認識は改めた方がいいかもしれない。
「大事ないか?」
気づけば傍らに来ていたらしい祖父から声をかけられ、月は頷く。
「爷爷ちゃん。アイツら、なんか森で会ったときと違う気がする」
「違う……? どう違うんじゃ」
「あんな風に、話も聞かずに問答無用って感じの悪人じゃなかったっていうか……」
「ふぅむ。大凡、盗賊に対する感想とは思えんの」
「そうだけど! そうなんだけど!! でも、なんかもっと……頭悪そうだった!」
――んだと、このクソ豎子ッ! 誰がしつこい顔だコラァ!!
そう。例えば、この会話が聞えようものならば、あの森のときのように勝手にこちらの会話に入り込んで勘違いを重ね、口論になるような――そんなある種残念な悪党だったはずだ。
それが、いま月明りの下で刃物を持つ彼らの表情はみんな、温度がない。その瞳がなにを見つめているのかさえもわからないほどに、感情が見えない。
「ほむ……。確かに、常人とはいえんかものぅ」
ならず者たちへと視線を一通り送った虎が、ぽつりと零した。
彼の視線の先へと少女も瞳を這わせてみれば、先ほど月が蹴り飛ばした男が特に損傷を負った風でもなく、むくりと身体を起こしている。
「……嘘。確実に、顎、蹴り飛ばしてやったのに……」
月は身体が小さく、そして軽い。
自分よりも体格差のある人間を攻撃する際は、常に顎や眉間、こめかみや鳩尾など、急所を狙うように虎から躾けられている。
「まぁ、操られてそうじゃからの」
「操られ……って、まさか、死……」
「んでないわぃ、アホ娘が。死体がフーフーいうかい」
「あぁ……確かに、息してるね」
「なんでも殺すこと前提に話をするなっちゅーに。まったく、どこで育て方間違えたかのぅ……」
人体を操る術といえば、所謂僵尸を動かすための「跳屍送尸術」が有名ではあるが、それを応用し生きている者を操る術なども僅かながら存在する。勿論、操られている側の意識がない状態であったり、死者ではないものの「魂」が「魄」を離れている――所謂、幽体離脱をしている条件下でのみのものではあるのだが。
「こう見た感じじゃと、『魂』を抜かれとる感じではないのぅ……あの表情見る限り、催眠かなんかで意識を奪った上で操っとるんじゃないか」
「でもなんで?? アイツら森で痛い目みた報復に来たんじゃないの?」
「まぁそりゃあっちの都合だからの。儂ぁ知らんわ」
虎はそういうと、胸の前でパシッ、と拳を手のひらへと叩き込み、そのままゴォキ、と指を鳴らした。
「まぁなんにせよ、盗賊は盗賊。仕置きが必要じゃ」
「だね」
月はス、と右足を後ろへ下げ構えると、ぐ、っと体重を後ろへと一瞬かける。そして次の瞬間弾かれるように地を蹴った。
同時飛び出したはずの祖父の身体が、少女のそれよりも速く宙を走る。一瞬で流れる景色の中、未だ驚きの隠せない幼馴染の少年が映り、月は僅かに彼へと唇の端を持ち上げ頷いた。
少女の意図に気づいた少年は、前方へと意識を向けながら環の元へと足先を向ける。
けれど――。
「……えっ!?」
ならず者の集団の内、既に五人ほど祖父に殴り倒されていたが、それ以外の面々が後退しようとする礼へと一斉に飛びかかった。
「礼礼ッ!!」
月は、ぐ、と奥歯を噛み締めると、流れる自身の痩躯を無理やり留め、石畳へと足裏をつく。そして、尚も前方へと進もうとする身体の向きを強引に変え、ダンッ! と石畳を蹴り、旅支度の少年へと襲い掛かる集団を追った。
環の元へはまだ遠く、けれど月の元へ戻るには、大きな影となった集団が邪魔をする。そんな場所で、礼は「ぅわあッ!」と怯えたような声を上げ、楊家の壁へとその背を貼り付かせた。
広い通りで一対一が叶わず、多勢に無勢の場合には確かに有効な手段ではあるが、武芸の心得のない人間があそこまで大人数に囲まれていては、そもそもの意味がない。
「リ……、礼礼ッッ!!」
男たちが、先ほどの輩同様に手に持つそれぞれの得物を振りかぶる。金鏡の光に照らされた刃が、鋭く光を放った。
「や、やめて――――ッッ!!」
少女が叫びながら、ならず者たちの背へと飛びかかろうとしたその、直後――。
――ザァアアァァア……ッッ!!
突如、巨大な風が周囲を襲った。
「……ッ」
もはや衝撃といっても差支えのない大きな風の力に、月は一瞬、瞳を伏せる。けれど。
(知ってる)
この風を。
この、巨大な力を。
(知ってる)
だから。
月が、道袍の袖で風を払い除け、巨大な風の起こったその場所へと視線をやれば、礼が背を預ける壁のさらに上――瓦屋根に立つ大きな影があった。
出会った時に着ていた黒の道袍ではなく、恐らく祖父か覇のものを借りたのだろう。暗い色の長衫を纏い、金鏡を背後に、暗闇に溶けそうな黒い短髪を風に遊ばせているが、その面は相も変わらず不機嫌そうである。
「あ? なんじゃこりゃ。おい、でこっぱち。なにやってんだお前」
状況がよく掴めていないらしい彼の低い声が、石畳の路へと落とされた。
「アンタ、遅い!!」
「あァ!? なんか騒いどると思って出てみたら……いきなりてめェにんなこといわれる筋合いねーぞ!!」
「あーもう! 説明は後! いいから手伝って!!」
「手伝う?」
確実に、彼の風で吹っ飛んだはずのならず者たちだが、再びむくりと身体を起こす。やはり先ほど同様、吹き飛ばしたり、打撃を与えたりという方法では効果がないらしい。
ふ、と祖父へと視線を流せば、彼の周りもまた一度伸されたはずの面々が立ち上がり再び襲い掛かっているようだ。
「んじゃま、とりあえず黙らせっか」
タン、と瓦屋根を蹴って飛び降りた少年――狼の手には、あの日森で見た柄も、刃もその全てが白い方天画戟が握られていた。