序章 8「皇帝」
自分の背より何十倍と大きな扉が開かれる。
不愉快なほどけたたましい音を聞きながら広がる光景は、万華が今まで見たことがない光景が広がっている。
黒い服を着た宦官たちが目を細めたまま、こちらを凝視している。
酷く不気味で今まで味わったことのない空気に同様を隠し切れない。
彼らは顔を見えないように、薄い布で顔を隠している。
「お前が、今回の騒動を起こした妃候補者だな?」
「…はい」
「陛下の御前である。その場に跪いて首を垂れよ」
緊張の空気の中で薄い布で顔を隠している男たちは、静かに命令をしてくる。
万華も喉に何かが詰まるような感覚を感じながら、その場に膝を付いて頭を深く下げる。
何世代も続いた鄭国の皇帝が、ここで様々な話をしたであろう王宮。
数人、いや数百人ものの人を収容できるほどの広さを誇る。
どこまでも広がる景色を見てみたいが、自身がいるその先にはこの国の王が君臨しているのだ。
恐らく顔を見ることすら叶わない。
見てしまえば自分の首が、どうなるかもわからない。
「名はなんと申す?」
遥か離れた距離から、声が届く。
誇り高く、どこかしら、普通の人とは違う雰囲気を感じ取る。
「万華…です」
「ほぅ。お前は万華…か。面白い名前をしているな?」
ふと、布で覆い隠された場所から若い男の声が響く。
「どれ、一度顔を見てみたい。布を退けよ」
楽し気に男は、命令をする。
しかし、黒い服を来た男が思わず声を漏らす。
「へ、陛下!なりませぬぞ!まだ、面を合わせることは…!」
「(この声…!?)」
聞き覚えのある声に気がつき、万華は布を被っている男たちの一人を見つめる。
(あの人が…ここにいたなんて…)
一人慌てふためきながら、必死に反対するその男は万華を妃候補にしたてあげた人物「余禍」である。
(もしかして…この黒い布を被っている人たちが大師集なの…?)
余禍が居ることに気がついた万華は目の前にいる男たちをただじっと見つめる。
男たちの顔は見えないが、よく見れば装飾品など着飾っており、明らかに貴族出身者であることが分かる。
「余禍よ、皇帝たる余に異を唱えるつもりか…?」
「あ、い、いえ……そ、そんなことは…!!」
「ならば早く、布を退けよ!!」
命令どおりに布が退けられ、万華はじっとその様子を見つめる。
布が退けられ、そこには黄金色の髪で、赤い目を持った男が現れた。
「初めての面識となるな、余がこの国の皇帝…申光だ」
「申…光…」
今まで見たことの無いほど美しいその容姿に万華は硬直してしまう。
彼女にとっては最も恨むべき対象。
家族を殺した張本人と言っても間違いない。
しかし、憎しみよりも何故か複雑な心境になった。
「よい、表を上げよ」
どこか気さくに、それでいて怪しげに命令を下す。
逆らえば死ぬ。そう思い、そっと顔を上げる。
そこに広がっているのは、金獅子とも言われるような美しい神と血のように赤い目を持つ人物がいた。
漆黒の衣、そして皇帝である象徴の冠を身に着けている。
その姿に万華は言葉も出ない。
「なんだ?余があまりに美しいから見惚れてしまったのか?」
鼻で笑いながら、申光と名乗った皇帝は…ゆっくりとした足取りで万華に近づく。
その様子はまるで誇り高い獅子が、可愛らしい兎に狙いをつけているようである。
(この人が…私のすべてを奪った人…)
恨むべき対象の人間がすぐそこにいるにも関わらず、万華は指一本すら動かすことが出来ない。
「ほぅ…しなやかで美しい紫色のその髪。それに見合うその顔立ち」
笑みを浮かべながら、申光は万華の周りを歩き、まるで嘗め回すように万華を見ている。
くるりくるりと体を嘗め回すようにじっと視線を送られる。
声を出したいが…出すことがかなわない。
「こんなに良い女が、今回の騒ぎの実行犯になろうとはな」
先ほどまでの余裕などは一切無くなり、いきなり目つきが鋭くなる。
それによって場の空気はより、厳しくなった。
「お前、何処の国からやってきた?この国の人間ではないだろう?」
申光の質問に万華は思わず、余禍であろう人物を見つめる。
その様子を見るあたり、彼は酷く動揺をしている。
(ここで、私が遊牧民出身だと言えば…どうなってしまうの…?)
「答えよ」
短く、強い口調で申光は言う。
そんな彼の様子に万華は思わず、冷や汗をかいてしまう。
「…遊牧民出身です…」
万華は素直に答えた。
周りは一気に騒がしくなる。
「なんと…!?遊牧民出身じゃと!?」
「何故、奴隷になるものが妃候補などに選ばれているのだ!?」
「一体誰がこんな女を妃候補にした!?」
宦官たちはざわつきながら、万華のことを指差す。
たくさんの言葉が重なり合わさってもはや聞き取ることすらできない。
しかし恐らく彼女を批判することをいっていることは間違いないだろう。
あまりにも恐ろしい光景に肩を震わせ、万華はただその場に立ちつくことしかできない。
「そもそも、奴隷ほどの価値しかない人間を陛下に差し出そうととするなど…鄭国代々の皇帝一族の血が穢れてしまうではないか!」
大師集の男たちも声を出すが、一人だけ黙り込んでしまっている男が居る。
彼も顔を俯かせて、冷や汗をこれでもかというほど流している。
よく見れば、敷かれている赤い絨毯に汗がぽたりと落ちていた。
「こんな女など、すぐに死刑にしてしまえ!!
また、それを選んだ宦官も殺してしまったほうが良い!!」
「この中にいるはずだ!早く出て来い!!」
宦官たちが騒ぐ中で、余禍と万華はただ黙っているだけ。
だが、一人だけその黙っている二人を見ているものがいた。
「静まれ!!」
腕を振り上げて、申光が叫ぶ。
その声を聴いて、宦官たちは静かになり…また、その場に跪く。
「確かに今ここにいる中の誰かが、この女を妃候補にしたのは間違いない…」
そっと、申光は余禍の背後を歩きながら呟く。
視線は氷のように冷たくはあるが、口元は異常なほどに歪んでいる。
まるで楽しんでいるかのようだ。
「だが、しかし…皇帝一族の血が穢れるという考えは如何なものとは思うがな…?」
静まり返っている玉座の間で、申光の声が響く。
そんな彼の様子をただ静かに見つめる宦官たち。
「…面白いではないか。余はこの女が気に入ったぞ…?」
「!?」
余禍が大きく目を見開き、申光を見つめる。
申光はそんな彼のことを知ってか知らずか、再び万華の元に戻る。
「どれ、顔をよく見せてみろ…」
万華の顎を掴み、口元を歪める。
固唾を呑みながら、為すがままにされる。
「やはり、この美貌を捨てるのは実に惜しい。
この美貌を持ってさえいれば、この国はさらに安定するだろう?
優秀な遺伝子を持つ人間こそ、この国に相応しいのだから」
不気味な笑みを浮かべながら、宦官たちを見る申光の姿にもはや誰も逆らうことなど出来ない。
彼らはただその場に跪いている。
「で、では陛下…今回の騒動の件は如何になさるおつもりですか?」
大師集の一人…まだ、声の若い人物が跪きながら言う。
ほんの少しだが声が震えている。
申光はその若者を見下しながら、目を伏せる。
「ふむ…そうだな。今ここでこの女にすべての真実を語らせることはたやすい。
だが、ひょっとすれば偽りの告白をする可能性も無きにしも非ず。
まぁ…粗方の目途はたってはおるがな…」
万華の顎を愛おしく撫でながら、目と目が合う。
皇帝としての権威。国をまとめるものとしての誇りがそこにあるのかいちいち行動一つ一つに目を離すことが出来ない。
本当ならすぐにでも手を放してほしいところだが、声が出ない。
「は?」
「いや、なんでもない。誰でもいい。
今回の件のことについては、見廻り組に調査させよ。
詳細が分かり次第、余に報告せよ」
「御意。ならば、この女は如何いたしますか?」
「特別に無罪放免としよう」
その言葉に万華は目を丸くし、他の宦官たちはどうも釈然としないのか…また騒ぎ始める。
彼らのことなど、まるで気にも止めていないのか申光はそのまま言葉を続ける。
「今宵はこれで終いだ!」
そう言い残し、申光は万華からようやく手を放す。
それなりに力強く掴まれていたのか思わずバランスを崩してその場に倒れこんでしまう。
(…無罪…放免…?許された…?)
信じられない結末を言い渡され、そのままその場に固まってしまう。
見下すように申光は、万華を見つめて小さく呟いた。
「感謝せよ。次にこのようなことがあれば、命はないと思うがいい」
捨て台詞のように申光はそのまま玉座に向かい歩いていく。
大師集たちの言葉など一切耳を貸さずに、ゆっくりと座る。
「いつまで、そこにいるつもりだ?さっさと去れ」
「は…はい…」
ため息交じりに命令され、万華はそのまま静かに王宮を去っていくのであった…。
第9章へ続く