序章 6「桜の下で」
かなり久しぶりの更新になります。
ぼちぼちと本編を進めることができたらいいなーと思いながら、こっそりとこれからも活動をしていきますのでよろしくお願いいたします。
第八章
「桜の下で」
桜の花が咲き乱れる美しい後宮庭園。
風に揺られて花弁は舞い散っていく。
穏やかで優しい風が吹いている。
けれど、その風を搔き乱すように人々の悲痛な叫びが響き渡る。
美しい羽衣に身を包み、長い髪を風に遊ばせながら万華は走っていた。
手に握りしめているのは…刃物。
零蘭という妃候補に贈り物として贈られたものは、この後宮にはそぐわないもの。
持ち込み事態が固く禁止をされているにも関わらず、それを万華に渡してきた。
理由など簡単なことだ。
自分が気に入らないものを排除ししようとしている。それだけのこと。
本来であれば、零蘭に罪を課せられることではあるが彼女は万華とは違い貴族だ。
高貴な生まれであるのならば必ず後ろ盾は存在している。
どれだけ万華が声を荒げて主張をしても周囲には味方など存在していないのだから。
身分制こそが正義。
生まれながらにして高貴な生まれであればどんなことがあっても罪は許される。
それがこの都に住まう者の掟だ。
とにかく万華はただ、走り続けた。
行先などない。
その姿を見かけた他の妃候補たちが手に握りしめている刀を見ては悲痛な叫びが響き渡っていた。
どうすることもできない。どうしてこうなってしまったのだろうか。
全ては父親の首が飛ばされたあの日から壊れた。
目の前で父親や仲間達は命を絶たれてしまい、自由を奪われ、奴隷として働かされる日々。
その数日は地獄の業火が如く照らす太陽の下で、ずっと重いものを働かされる。
彼女を襲う悲劇の螺旋階段は終わってはくれない。
母親は殺され、挙句の果てには自分の身柄を拘束されてからは皇帝の妃としての役割を押し付けられた。
生きていても、仕方ないのだ。こんなことが続くのなら…終わらせてしまいたい。
(いっそ…もう、これで終わらせることができるのなら)
そう思った万華は立ち止まり目の前にある美しい桜を見つめていた。
舞い散っていく花びらが、彼女を手招きするように包み込んでくる。
かつての遊牧民として暮らしていた穏やかで優しい風が呼んでいるかのようだった。
刀を手にした万華はそのまま足を進めていったのだった。
その様子を一人の少女が見つめていた。
歳はまだ幼い。長く黒い髪を不器用に束ねている。
身に包んでいる服装からすると恐らく、女官であろうか。
震える足を懸命に動かし、その場から走り出した。
慌ただしい後宮の中で彼女は飛び出し、見廻り組たちがいる兵舎へ向かう。
何度も何度も裾で足を躓かせながらも、懸命に走る。
そして、一人の男性とぶつかり、その場で倒れてしまう。
「きゃあ!」
「大丈夫かい!?」
必死だったこともあり、勢いよく倒れる女官。
そんな彼女を心配し、栗色の長髪の髪を一つ束ねた男が駆けつける。
「ああ…ごめんなさい!!そちらこそお怪我はありませんか!?」
息を切らしながら、女官はその場で必死の形相で謝る。
その様子に少し困惑しながら、男は女官が怪我をしていないか確認をする。
「俺は大丈夫だよ…。それにしてもどうしたんだい…?女官である君がこんなところに来るなんて…」
「その…!後宮で…妃候補の方が…刀を持って後宮の庭園へ向かっていて…だから、見廻り組の方にお伝えしないといけないと思って…それで…!」
必死な形相で男に説明をする女官。
彼女の様子からしても、危険性が高いことは伝わってくる。
真実か虚構かなどはわからない。
「…わかった。すぐに向かおう。」
「ああ…ありがとうございます!」
「すぐに他の見廻り組にも伝えてくるから、君は後宮に戻るんだ。教えてくれてありがとう」
幸い女官の怪我はない。
安心させるように男は彼女の手を引いて、立たせるとすぐさま他の見廻り組たちがいる兵舎に向かった。
周徠は、部屋の扉を勢いよく開けた。
「珀埜!」
相方の名前を呼ぶ。
目の前にいる相方は、屈強な男と一緒に椅子に座っていた。
「おう、どうした?周徠」
屈強な男は顎から左頬にかけて大きな刀傷がある。
ざんばら髪もと特徴的で、年齢は40代といったところだろうか。
「その様子だと何かあったのか?」
周徠の様子を見て、珀埜はじっと見つめる。
「ついさっき、女官の子がここに来てくれた。後宮で、妃候補が刀を所持して、庭園に向かっていたらしいんだ」
その言葉に屈強な男は眉を潜める。
「妃候補が、刀を持っている?…そいつぁ、また面倒なことになってるな?」
「…とにかく、俺が今から庭園に行ってくる。だから、他の人たちに後宮の警備をまかせたい」
帯に着けている刀を一瞥しながら、周徠は説明をする。
端的な説明ではあるが、事態は急を要する。
「わかった。お前が庭園の方に向かうということだな?」
「それじゃあ、俺は他の奴らに声をかけてきてやる。」
屈強な男はその場から立ち上がり、部屋を後にした。
珀埜は周徠を見て、軽くため息をつく。
「…なんだよ?」
「いや、あまり情に流されすぎないようにだけ気をつけろよ?」
「…わかっているさ」
その一言を残して、周徠も早々に部屋を後にしてすぐさま後宮庭園に向かうことにした。
煌びやかで美しい後宮の庭園のある桜道で、周徠は走る。
本当に今回の騒ぎを起こした妃候補がいるかどうかはわからない。
けれども他の妃候補たちにも話を聞いてみると、確かに女官の言う通り刀を持って走っていたことを見たという証言がある。
皇帝の花園と言われるこの後宮では、危険物を持ち込むことは重い罪を課せられることになる。
それを知った上で何故刀など所持していたのだろうか?
様々な疑念が浮かんでくる。
しかし、原因追及は後だ。珀埜が調べてくれることになるだろう。
「…。」
刀を所持しているということもあり、警戒を解くことはできない。
それに反するように後宮の庭園では春の訪れを感じる穏やかな風が吹いている。
舞い散ってくる桜の花びらが、周徠の視界を少し奪う。
「!」
瞬間ではあったが、薄桃色の羽衣と紅色の服を身に纏った女の姿が見えた。
一瞬ではあったが、彼の目の前を通り過ぎた彼女の顔は酷く悲しい目をしていた。
光の無い目で、じっと周徠を見つめていた。
まるで助けを求めているかのように。
何故、そう感じたのか。それは分からない。
周徠は彼女を知っている。
かつて、奴隷として働かされ母親を失ったあの娘だ。
一瞬のことではあったが間違いない。
彼女がどうしてここにいるのか。
ふと、彼女は周徠から離れるように、桜道を進んでいく。
「…待って…!」
手を伸ばして彼女を引き留めようとする周徠。
しかしその瞬間にさらに突風が吹き荒れる。
まるでこれから行く周徠の足を止めようとしているほどに強く感じる。
その風に混じって、さらに多くの桜の花びらが舞い散る。
桃色の美しい光景ではある。だがしかし、それは周徠をこれ以上奥に行かせようとはしない。
それでも彼は諦めずに、強い足取りで一歩一歩確実に桜道を歩き続ける。
一刻も早く彼女に近づけるように。
紫色の髪を持つ美しい女が、両手に小刀を添えて首に突きつけていた。
残酷な描写にも関わらずに、桜はそんな彼女をより美しく見せるが如く花びらを散らす。
薄紅色の花びらは彼女の髪や服を彩り、それは彼女がこれから自らの命を絶とうとしているようにはとても見えない。
ゆっくりとゆっくりと刃の先が彼女の首元へ近づいていく。
その光景を赦さないように周徠は叫んだ。
「やめるんだ!!」
風は一気に吹き荒れ桜の木を大きく揺らした。
木々が擦れる音が、空に向かって響き渡る。
その桜の下では、紅く美しい雫が地面を汚す。
「やめてくれ…」
酷く優しい声色で呟く周徠の声。
その手は、小刀の刃を握っており血が滴っている。
その姿を見て、彼女… 万華 は目を見開いた。
「あ…」
彼の姿を視界に入れて、万華は力なく己の中にあるすべての力を抜いてしまう。
同時に小刀は地面に落ち、それと同時に前のめりに彼女は倒れかける。
周徠は優しく抱き寄せる。
「落ち着いて…大丈夫だ…」
彼女の身体を支えるように周徠は切れていない右手で優しく彼女の頭を撫でる。
万華は目を見開いたまま、まだ光の無い目で止めどなく涙を流し始める。
「私…死にたかったの…」
ポツリポツリと、まるで言葉を知らない人形のような口調で話し始める。
周徠はただ静かにその言葉に耳を傾ける。
落ち着かさえるように背中を優しくなでた。
「私達は何も悪いことをしていないのに…どうして?どうしてこんなことになってしまったの…?」
彼女の言葉を聞いて、胸が締め付けられそうな気持ちになる。
「どうして、どうして…?」
「…君には、たった一人の弟がいるだろう…?」
ふと周徠は、呟いた。
その瞬間に万華は、本当に大切なことに気が付いたのか顔を上げて自分が握っていた小刀を見つめた。
今まで自分を母のように慕ってくれていた大切な弟の存在。
周徠の一言で、万華は自分が今どういう行動をとってしまったのか…それに対する後悔が襲い掛かる。
「あぁ…黒…黒…私は、こんな姉でごめんなさい…ほんとうに…ごめんなさ…い」
そう呟いて…万華は自分の顔を手で覆い隠す。
愛する弟のことを忘れて、自分だけ命を絶とうとしたその行為。
弟をこの世に置いて自分だけ逃げようとした自分の無責任な行動。
「ごめんなさい…!ごめんなさい…!」
周徠の服を掴んで万華は、何度も何度も謝り続けた。
優しく万華を抱きしめる。
彼女の肩はとても小さい。
桜の花びらが舞い散る木の下で二人は、寄り添った。
第七章へ続く