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桜歌  作者: 碧梨
4/8

序章 4「雨」




「その者を捕らえて、牢屋に連れて行け」


降りしきる雨の中。

青年と同じ服を着た男が何人かの兵を連れてきた。

その男は、先ほど仕事をサボった二人の兵に説教をしていたあの見廻り組である。

彼は白髪を持ち、青年よりかは年上のように見える。

指示に従うように、兵たちはその場で気を失っている大男を拘束する。



「周徠…その人たちは?」



ゆったりとした足取りでやって来る男を見て、彼は青年の名らしき言葉を放つ。

周徠と呼ばれた青年はゆっくりと振り返って、男を見る。



「話せば長くなる。…珀埜、少しだけこの二人と話をしたい。かまわないか?」



酷く落ち着いた声色で周徠は呟く。

珀埜と呼ばれた白髪の男は、目を細めて万華と黒を見る。


止むことを知らない雨に濡れているボロボロの姿の女。

そして…顔をずっと伏せて止めどなく涙を流している二人。

その後、珀埜はじっと真剣な顔で見て来る周徠の姿を見て、静かにため息をつく。



「分かった。だが、ある程度時間が過ぎたらすぐに戻って来い。」



珀埜の言葉に周徠は静かに頷く。

今は躯となってしまった母親をそっと抱きかかえ、二人に話しかける。


「…俺に付いてきてください」


万華は小さく頷き、ふらつく足取りで周徠の後を付いていくことにする。

黒も渋々といった様子でついていき、じっと静かに周徠の背中を見つめる



「…母さん…」



黒が呟く。

もはや動くことが無くなった母親を愛おし気に呼ぶ。

力なく歩く姿に万華は黒を安心させるようにそっと、肩に手を置く。

僅かではあるが、震えている。

それは何に対してなのかは姉である万華にはわかる。

己の弱さ、どうすることもできなかったことへの後悔。


空を見上げると薄暗い雲が多い尽くしている。

ただ雨音を聞きながら、二人は周徠についていく。


二人が着いた場所は、見慣れない大きな建物だった。

遊牧民として暮らしていた二人は、絢爛豪華に作られた建物にはまるで興味を示すことはない。


「どうぞ…。」


周徠が振り返り、中へと案内する。

濡れた体のまま入ることに少し戸惑いを感じながらも二人は言われた通りに奥へ進む。

すると、渡り廊下を通り…一つの部屋の扉を開けられる。



「ここで、少し待っていてください。」



案内された部屋は一般的に、普通の部屋だった。

おそらくここに誰かが住んでいたであろう生活感が残っている。

母親の躯は、静かにその場で寝かされる。黒はすぐさま母親の躯の傍に向かう。

周徠はすぐさま部屋から出ていき、二人だけ残された。



「母さん…母さん…」



何度も、何度も母親を呼び続ける黒。

その姿をただ見つめることしかできない万華。


どうして、こうなってしまったのか。

母親の殺された理由を考えれば考えるほど思考が巡らない。

誰を憎めばいい。誰を恨めばいいのか。


あの騒動の原因を作ったのは母親だといわれているが、たかが水が欲しかったという理由で殺されていいはずがない。

そもそも母親は相手の物を盗んだりするような人物ではない。

身体は弱くとも、いつも笑顔で穏やかだった。



冷たくなった母親の頬にそっと触れる。



「母さん…」



雨に濡れた顔から一滴の雫が落ちる。


すると静かに扉が開いた。

一瞬、音に驚き肩を固くする。



「体を拭くための手ぬぐいを持ってきました。使ってください」



入ってきたのは、周徠だった。

身体を包み込むことができる大きな手ぬぐいを何枚か持ってきてくれた。



「あ…ありがとうございます」



戸惑いを感じながらも万華は手ぬぐいを受け取る。

そして、黒にも渡そうとする。



「触わるな!」



周徠の手に握られていた手ぬぐいを黒の小さな手が払いのけた。


「黒!!」


「お前がもっと早く来ていれば母さんは死ぬことはなかった!」



涙滲んだ目で黒は周徠を睨みつける。

ただ単に恨み言を吠えているだけなのか、怒りの矛先は周徠に向いている。

それでも周徠は何一つ動揺することなく、落とされた手ぬぐいを拾い上げる。


「お前のせいだ!お前が…お前が!!」


「黒!やめなさい!!」



万華が抑え込むように黒の手を掴む。

止めるために握られた手はとても強い力で握られた。


だが黒の表情は何一つ変わることはなかった。



その様子を周徠は見つめて、深緑の瞳が一瞬細められる。


「…君の言いたいことはよく分かる。確かに俺が悪い。あと少し早く駆けつけていれば君たちの母親は一命を取り留めていたかもしれない」


「なら、今すぐ俺と姉ちゃんの前であの男を連れてきてここで殺してくれよ!?」


「黒!!」



あまりの身勝手な黒の言葉に、万華は我慢ならず怒鳴ってしまう。

さらに強い力で、手を握りしめる。


「…母さんがここにいるのよ?そんなこと言わないで」


その言葉に黒は、母親を一度見てその場に座り込んでしまう。

悔し涙なのが、肩を震わせてひたすら大声で泣きだしてしまうのであった。

弟を包み込むようにそっと万華は手ぬぐいを背中にかける。

体温を分け与えるように、優しく抱く。

周徠は万華に手ぬぐいを背中にかける。


「ありがとうございます…」


「いえ…」


短い返事ではあったが、どこか温かみを感じる。

万華は黒が落ち着くまで、そのまま抱き寄せていた。





************





黒が落ち着くまでのわずかな時間、周徠は暖かいお茶を二人にふるまっていた。

雨で冷え切った体に少しでも体温が戻ればいいと思い、準備していたようだった。



疲れ切った顔をしながら、お茶を飲む黒。

その様子に安心したのか、黒の背中を擦る万華。

二人の様子を見守る周徠。



「今回のあなた方のお母様の騒動についてですが、俺たち見廻組が調査をします。本当にあなたのお母様が支給用の水を奪ったことであの男の逆鱗に触れたのか…」


「…見廻組…?」



聞きなれない言葉に万華は尋ねる。



「聞いたことはないですか?…俺たちは、この鄭国の都や王宮の警備を行う見廻組と呼ばれる組織に属している兵士です。武官とはまた違うのですが、詳しく話していると話が逸れてしまいますね…」


「あぁ…ごめんなさい」


「いえ、気にしないでください。とにかく、この方の躯は必ず埋葬させていただきます。俺が責任を持って…」


「そんな言葉…信じられるかよ…」



黒が口を開く。


「お前たちの皇帝が俺たちを奴隷にして、その奴隷のためにわざわざ墓なんて作るわけないだろ…!どうせ、どこかに棄ててしまうんだろ!?」



「黒…」



再び黒が言葉を開くと、恨み事ばかり。



「…暫く、部屋を出て。私とこの人で話をするわ…」



さっきとは全く逆に万華は静かに黒に話しかける。

しかし顔を見ると、わずかではあるが怒の表情である。

黒はその顔に気が付き、自分に対する後悔を覚え…



「い…嫌だ!」



思わず、ほしいものを買ってもらえない子どものように駄々をこねる。

万華は黒に落ち着いてほしいのか、少し笑いかけた。



「わがまま言わないで。…お願いよ」



その姿を見た黒は、何も言わずただ黙って部屋から出ていった。



そして、万華は深いため息をついて



「見苦しいところを見せてしまい本当にごめんなさい…」


「…いえ」



短い返事をする青年。

そしてしばらくの間だが重い空気と沈黙が流れる。



「不安を感じるかもしれませんが、俺が責任を持って還します。」




今の言葉を聞いた万華はふっと目が涙を流してしまった。

父親と母親を目の前で殺され、更には父親を殺した兵士たちがいる国へ無理やり連れて行かれ働かされる苦痛。

顔には出さなかったが彼女の心は確実に不安定になっていた。

どれほど前向きに考えても、この先にある日々には決して光はないと感じていた。


しかし、この周徠はどこか他の兵とは違い『優しさ』という心があった。

その優しさは万華にとっては嬉しくて仕方がないのだ。



「お願い……します……」





口を押さえてうれし涙をこらえる万華。

涙が母親の亡骸の頬にポツリと落ち、肌を濡らした。

もう泣くまいと決めたが、このときにはどうしようもなく嬉しい気持ちになって万華は周徠の部屋の中で静かに泣いた。

その様子を周徠はただ優しく見つめて、万華のことを見守り続けてくれる。



「…どうされますか?弟さんを連れてきましょうか?」


「いえ、大丈夫です。私が見つけます」



本当なら、このまま逃げ出したい気持ちになっていたが、黒と言う自分の弟がいる限り彼を一人にすることは出来ない。

ゆっくりとした足取りで、万華は周徠の部屋から出て黒を探す。


廊下にいるはずであろう黒の姿が見えない。



「黒…?」



あたりを見渡しても無人。

まだ降り続いている雨の音しか聞こえない。

まさかどこかへ行ってしまったのではないか。

一瞬の不安が万華の脳内を駆け巡り、廊下を走りだす。


道が曲がり角に差し掛かった時、視界が一瞬揺らぐ。



「…!?」


黒い服を着た者に急に口元を塞がれ、抑え込まれる。

目を見開き、万華は暴れるが意識が少しずつ遠くなっていってしまう。

何か妙な香りがする匂いを感じながら、静かに眠ったのだった。



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