17:変わり行く
翌日、ヘラルドは朝から集落中の人を呼び集めると、今までの事を詫び、これからについて話していった。
尻込みするアリンを呼び、全ての非は自分にあると頭を下げたヘラルドの姿に、集まった人達は何が起きているのかと我が目を疑った。
長時間起こしておけないと言う婆様の意見を聞き、アルドは婆様の家に残ったが、何故かヘラルドは途中でルルドを集まりの輪から外した。
まだ照れてるんだよと、何人かが面白そうにルルドに耳打ちをし、ヘラルドに睨まれている。
昨夜散々話をし、ルルドはダッド捜索には出ず、他の人間と雇った他民族で捜索に出る事になっている。
今後どうしていくか理解しているルルドは、笑いを堪えながら皆に会釈をすると、アルドの様子を見に婆様の家へと向かう。
天幕を潜れば、アルドは婆様の目を盗み起き出すと、囲炉裏端に座り込み贈り物の仕上げをしていた。
「兄さん、有り難いけど無理は」
「体力が落ちただけで、もう元通りだよ。ただなぁ、足を引き摺ってるのもあるけど、如何せん婆様が心配性でなぁ」
アルドはほとほと困ったように眉を上げため息をつくと、元気だと肩を回す。
本人が言うのならと、ルルドはそれ以上食い付くことはしなかったが、もし倒れでもしたらこんこんと説教してやろうと心に決め、アルドの向かいに腰掛けた。
アルドにより仕上げをされた贈り物は、このまま売っていてもおかしくないほど、見事な仕上がりをしていた。
昨晩のうちに塗っておいた脂をはしっかりと馴染み、程よく重厚感のある飴色に光っていた。
「んー……やっぱり父さんのが上手い」
「はぁ?」
まじまじと眺めしっかりと箱にしまったルルドは、少し顔を上げると挑発するように口角を上げる。
案の定食い付いたアルドは、ルルドが持っていたもう一つの箱を奪うと、舐め回すように自分の作った物と比べ始める。
「これはナイフの性能の違いだろ」
「残念だけど、俺のナイフだよ」
蛇ののたくった様なタツノオトシゴを彫ったナイフと同じ物と聞かされ、アルドは短く舌打ちをする。
アルドは余った角を引っ張り出すと、歯軋りをしながら猛然と彫り始めてしまった。
「今からこれ届けてこようと思うんだけど、前行った時の荷物、話し合いが終わった後、出来る範囲で良いから父さんに届けておいて欲しいんだけど」
ルルドの言葉に適当に返事をすると、アルドはさっさと行ってこいと、虫を払うように手を振る。
酷い扱いだと笑いながら、ルルドはアルドの右足を包む羊毛織物をしっかりと結び直し、近所にでも行くかのような身軽さでその場を後にした。
ルルドはふと、遠乗りがてらたまには馬で行こうと、歩き出した足を止め向きを変える。
すると、我慢しきれなくなったのか、アルドが角を手に天幕を飛び出し、ヘラルドの元へと転がって行く後ろ姿が見えた。
自分で焚き付けておきながら、いくら何でも早過ぎないかと笑うルルドの遥か足元で、転がって来たアルドに集まっていた人達が声を上げ慌てて手を差し伸べているのが見える。
皆の手を借りヘラルドの元へ辿り着いたアルドは、何やらヘラルドに角とナイフを押し付け声を上げているようだ。
満更でも無い、むしろ挑発するような笑顔で角を受け取ったヘラルドを見る限り、一先ず喧嘩にはならないだろうと、一人肩の力を抜く。
馬の囲いを覗けば、仔羊が二匹飛び出して来た。
腹に思わぬ衝撃を受けよろけたルルドの襟を馬が咥え、褒めてと言わんばかりに歯を剥き鼻息を荒くする。
元気にルルドに体を擦り付け体当たりをする仔羊は、満足したのかべぇべぇと暢気な声を上げ、子豚の囲い目掛け滑り降りていった。
嵐に遭ったような気分だと、ルルドは馬の首筋を手荒く撫で回すと、手綱をとり外へと連れ出した。
久し振りの遠乗りとあってか、馬は些か急かすように鼻息荒く前へ前へと走りたがる。
真っ直ぐ海へ降りようと思っていたが、ルルドは仕方が無いと大きく集落の周りを旋回してから、海へと降りていった。
数日穏やかな天気が続き、雲を抜けるとどこまでも広い空と海が続く。
足元には溢れ落ちそうな緑が見えるが、その何倍もの大きさも青に、ルルドは毎回感嘆の声が漏れる。
徐々に高度を下げていけば、環礁の上に人影が見えた。
ぽつりぽつりと何人かが空を見上げると、もう慣れたものと一人海へと潜って行く。
「お、なんだ兄ちゃん、今日は馬を売りに来たのか」
「まさか! どうやって世話するつもりだよ!」
駆け寄って来た馴染みの男の冗談に、ルルドはたまらずふき出してしまう。
談笑しているといつも通りニマが海面から顔をだし、これまた慣れた様子で手を振ると、いつも通り巨大な骨へと移動する。
「ねね、ちょっと乗ってみても良い?」
「勿論良いけど、一人で大丈夫か?」
骨の上に降り立ち、大人しく風を食み始めた馬に、意外にもニマは興味があったらしく、目を輝かせ手を伸ばす。
ゆっくりと彷徨い近付いてくる手に、不審な物を見るように顔を上げた馬だったが、ルルドを一瞥すると害は無いと判断したのか、再び顔を下げ風を食み始める。
何度か首筋を撫で、背中を叩き、もう一度乗って良いか確認すると、ニマは馬の背によじ登る。
馬に乗るのにそれ程苦労するのかと、今更ながらに気付いたルルドは、ニマの手を引き馬の背に乗せてやった。
馬は慣れない重さと濡れたニマの体に、落ち着き無く首を左右に振っていたが、ルルドが手綱を引くと、すぐ落ち着きを取り戻し大人しく歩き出した。
ゆっくりと歩く程の速さだが、ニマにはそれで十分だったようで、忙しなくあちらこちらに視線を向けては声を上げ、子ども達に手を振っている。
「凄い、凄い凄い! 怖い!」
「え、降りる?」
「もうちょっとだけ! 凄い! 怖い!」
凄いと怖いの二言しか発しなくなってしまったが、それだけでも十分感動は伝わる。
海面から飛び出し馬の足に触れようとする子どもを、馬は茶化すように踊るような軽快な足取りで交わし、すまして歩く。
自分の馬ながら、なかなか根性が座っていると、ルルドは呆れ馬の顔を見上げた。
ニマが満足するまでたっぷりと海面の散歩を楽しむと、二人は再び骨の上に戻った。
たっぷり歩いて満足したのか、座り込みあくびをする馬を背もたれにするルルドは、楽しかったと息巻くニマに箱を手渡す。
「これ、遅くなったけどニマのお姉さんに。俺も手伝ったんだけど、殆ど兄さんと父さんが楽しそうに作っちゃって」
箱を開け中身を見せると、ニマは零れんばかりに目を見張り息を飲む。
ニマもルルドへ依頼をしたと聞かされていたので、お礼を持って来ていたのだが、どうやらニマ達が思っていた以上の出来映えだったらしい。
ルルドは丁寧に箱から取り出すと、一つ一つ模様の説明をしていった。
「こっちの飾りは蟹とタツノオトシゴが良縁で結ばれ、常に良い風が吹きますようにと、この矢は災いを避け、福を引き当てますように。こっちは避雷石がはめ込んであるから、遊牧先でちょっとやそっとの嵐になっても気にならなくなるはず、そして――」
意味のある模様から、可愛らしい飾りまで、細かく考え抜かれた贈り物に、ニマの目に涙が浮かぶ。
一度話を区切ったルルドは、懐からもう一つ箱を取り出すと、蓋を開け中身を取り出す。
「そしてこっちはニマ用。殆どお姉さんの物と変わらないけど、タツノオトシゴと一緒に羊を彫った。これからも空の民と交流深めていって欲しいと」
ルルドは照れくさそうに簡単に説明すると、真っ赤に湯だった顔を背け、ニマの首に掛けてやる。
丁度良い長さに収まった首飾りは、ニマの胸の上で呼吸に合わせ、氷がからりと落ちるような、軽い音を立て揺れる。
自分の胸元に視線を落とし、もう一度ルルドの顔を見上げると、そこには耳まで真っ赤にしたルルドが居た。
つられるようにニマも顔を真っ赤に染め上げると、熱い熱いと誤魔化すように、海に飛び込んでしまった。
海面に浮かんでいるが、顔を水面につけたまま一向に動かないニマに、頭では分かっているが見ているこちらの呼吸が苦しくなってくる。
ルルドは婚姻用の首飾りを再び箱にしまうと、ニマの肩を叩き顔を上げさせる。
「形はたまたま婚姻用と一緒になったけど、そんな深い理由は無いから、その、普段のお礼、そう! お礼だからさ!」
「そ、そうよね! 空と海じゃどうにもならないしね! もし二人とも陸で生きて行けたら……ち、違う、そうじゃ無くって! きゃー何でも無い!」
再びパニックになったニマが頭まで水に潜ってしまい、ルルドもやってしまったと天を仰ぐ。
しばらく悶絶し合った二人は、お互いの顔を見ては再び悶絶し、落ち着くまで相当時間がかかってしまった。
「今支度の最終段階に入ってるから、先にちょっと届けて来ても良い?」
「勿論。ここで待ってるよ。空と海で、上手く連絡が取り合えれば良いんだけど……こっちこそ忙しい時にごめんな」
無理を言ったのはこっちだとニマは笑うと、すぐ戻ると言い残し潜って行った。