13:苦悩と後悔
ルルドは半日程で目を覚ましたが、全身を襲う倦怠感と痛みに、すぐに体を起こす事が出来なかった。
アルドとルルドの二人は、それぞれの自宅では無く婆様の家に運び込まれた。
少し離れた所で眠るアルドの側を、婆様は離れようとしない。
天幕内を温める為に囲炉裏には火が灯ってはいるが、婆様は着の身着のままで、アルドの手を握り膝を折り座り込んでいる。
ルルドは確かめるように何度か手足を動かし、試しに脇に置かれていた帽子を握ってみる。
手は震え感覚はおかしいが、力が入らないと言う事はない。
思いの外しっかりと握れる事を確認したルルドは、寝床を這い出すと、腹這いのままアルドと婆様の所へ向かう。
ほふく前進とも言えない、どうにも不格好に手足を動かし、どうにか二人の元に辿り着くと、婆様はゆっくりとルルドに視線を向けた。
「婆様、ここじゃ寒いだろう。そっちの敷物の上に座ろうよ。暖かいお茶が飲みたい」
床に這ったまま、わざとらしく甘えた声を出してみたものの、酷い喉の痛みに思いの外枯れた声が出た。
自分でも意外そうに何度か声を出してみるルルドの頭を一撫でした婆様は、何も言わず床に手をつき腰を上げるも、少し震えたと思った矢先再びその場に腰を降ろしてしまった。
「ほら、板の間に座りっきりだったから、冷えて膝が痛いんだろ? ちょっと待ってて」
痛みを逃がすように短く息を吐く婆様の膝をさすると、ルルドは腕に力をいれ体を起こす。
そして軟膏を取ろうと戸棚に手を伸ばすと、そっと婆様が遮るように手を添える。
「これは罰なんですよ。アルド様がこんな事になったのは、ババのせいなんです。償える事じゃ無い。もうこんな膝、壊れてしまえば良いんです」
「何言ってるんだよ。まだ目を覚まさないけど、兄さんは無事だったんだ。婆様のせいじゃない。婆様の膝が壊れたからって、兄さんが今すぐ起きるわけじゃない。これは俺達親子の……」
執拗に自分を責める婆様に言い聞かせるも、ルルドの言葉は途中で消えた。
ほんの僅か、二人の間には沈黙が流れたが、すぐルルドはそのまま腕を伸ばし軟膏を取り出すと、婆様を抱え囲炉裏端へと移動する。
「婆様のせいじゃない、絶対に。きっと兄さんも俺と同じ事を言うよ。変に責任を感じないでくれ。これは昔から積もり積もった親子の、変に意地を張って我を通した俺達のせいなんだ。……婆様、俺が行く前、あそこで何があったのか教えて欲しい」
ルルドはゆっくりと時間をかけ婆様の膝を伸ばしてやりながら、声を落とす。
優しく自身の膝を撫でるルルドに、婆様はしばし視線を落としたまま言葉を発しなかったが、再度ルルドが頼み込むと、ゆっくりと思い出すように口を開き始めた。
「何て事は無い。ヘラルドが帰って来ただけさ。一人命からがら戻って来たと思ったら、ダッドを探す為捜索隊を編成し、更に狩猟一族に依頼を出すと。その為に、食料と旅の準備を集落を上げてすると言い出しただけ。そして、鶏と豚を見て怒り出しただけだよ」
婆様の話を聞きながら、ルルドは記憶の片隅に残るヘラルドの姿を思い出した。
きっちりと結い上げていた髪は、酷く解れざんばらに。日焼けした顔は、至る所から不規則にぼろぼろと皮が剥け始め、一週間で落ち窪んだ目は、死体と見間違う程濁りきっていたが、不思議と力だけはこもっていた。
服も着ていたはずの上衣は見当たらず、その代わりに黒い何かを腰に巻き付けていた。
婆様曰く、それは馬のたてがみだったらしい。
途中で捨てたのか何か分からないが、ヘラルドはたてがみを巻き付け、風追いが出来ないなりにどうにか執念で戻って来たようだ。
そんな目に遭い戻って尚、ダッドの捜索を諦めていないのかと、ルルドはその執念に尊敬の念すら覚える。
「伝統あるゼブ族は羊以外許さないと、ナイフを持ちだして豚を追い掛け出したヘラルドを、アルド様が止めて下さった。それで……」
俯いてしまった婆様の膝をさすり、気を紛らわそうと湯呑みを二つ差し出してみる。
婆様はそっと湯呑みを受け取ると、囲炉裏に薪をくべ湯を沸かし始めた。
話を聞いてみた結果、内容的にはルルドの想像通りだった。
一週間も経ってからヘラルドが戻って来た事以外、誰しもが予想出来たであろう事。
しかし、そのヘラルドがアルドを貯水雲海へ蹴落とすとまでは、誰も予期していなかった。
ルルドは頭を掻きむしると、そのまま俯いた。
薪の爆ぜる音と、揺れる暖かさ。
しばし無言で俯いていると、ルルドの前に、そっとお茶が差し出された。
反射的に顔を上げると、婆様は泣き腫らした顔でどうにか笑みを作り、お茶を勧める。
ルルドもつられるように微笑み返すと、ようく息を吹きかけ少しだけお茶をすする。
ズッズッと、熱いお茶を短く吸う音が数度響くと。同じ数だけ温かなため息が漏れる。
お茶が口に入り、食道を通り胃に届くと、しだいに温まる体に、肩の力が抜けていく。
「周りを巻き込む父さん達の兄弟喧嘩を憎んでいたのに、結局俺達も、周りを巻き込む親子喧嘩を繰り返してたんだな」
肩の力が抜けると、不思議と物事が客観的に見えてきた。
ルルドはぽつりと一言だけそう溢すと、再び婆様に微笑みかけ、お茶を口に運ぶ。
「ヘラルドは男衆に取り押さえられ、今は自宅におる。ヘラルドの家の前には、交代で二人ずつ見張りがつくそうだよ。頭は固いがあやつもバカでは無い。頭が冷えたら、自分のした事が身に染みるだろうね」
どうやらお茶を飲んだ事により、婆様も少し落ち着いて来たらしい。
熱くなり持てなくなったのか、袖を伸ばし服の上から湯呑みを抱え込んだルルドを微笑ましく眺めながら、婆様は穏やかな口調で話を続ける。
「族長としてのヘラルドの言い分も、一族の男としてのアルド様の言い分もどっちも分かるが故、みな今までどうにも出来なかったんだろうね。結局自分らは定住の身。歴代の族長と風追いに頼りきって来た、わしらの生き方にも問題があったんだよ」
穏やかにそう言葉を締めくくると、婆様は湯呑みを抱え、再びアルドの元へ向かう。
ゼブ族の生き方、考え方に問題があった。
ルルドはその言葉と、以前聞いた変わり行く世界の流れの話を、何度も反芻するように頭に刻み込んだ。