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11:婚姻用の首飾り

 一段落すると、ルルドはあの巨大な骨にニマを連れ出した。

 大きな荷物を背負い危なげに飛ぶルルドに、ニマははらはらした思いで目的地に着くまで空を見上げ泳いでいた。

 二人並んで座ると、ルルドは荷物の中から土産を取りだした。

 

「この前雲海の市に行って来たんだ。これ、そのお土産」

 

 ルルドは取り出したチチャモラーダの小瓶をニマに手渡すと、再び荷物に腕を突っ込み探し始める。

 突如手渡された赤紫の液体に戸惑うニマを尻目に、ルルドは荷物をまさぐっていた腕を引き抜く。

 

「これは朝、うちの婆様が作ったカプセ。水の中に持って行ける菓子が思い付かなく、て……。なぁ、あの生き物。水面を走ってるように見えるんだけど」

「マーモットの事? 水面は固いから――あはは、何言ってるんだって顔してるね」

「実際何言ってるんだって思ってる」

 

 ふと視界の端に映った光景に、ルルドの視線は釘付けになる。

 先程ニマも怒りの形相で海面を歩いていたが、すぐ側を走り抜けて行く大きなねずみに、ルルドの思考は完全に止まった。

 穏やかな水面はどこまでも続き、時折顔を覗かせる生き物に海の営みを感じる。

 アルドが居れば、あのマーモットを射抜けただろうか。

 そんな事をぼんやりと考えていると、水面が揺れ、マーモットの真下から子どもが飛び出し、見事に素手で一匹捕まえた。

 子どもが起こした波飛沫に、他のマーモット達は散り散りに逃げていき、水面下で数個の影がマーモットを追い掛けていく。

 空では見られない、遊びも兼ねた変わった狩りの様子に、ルルドは感心しきりで口が開いたままだ。

 そこでふと、ルルドはちょっとした興味が湧いた。

 手にしていたカプセの一つをニマの口に押し込むと、悪戯っ子の様な笑みを浮かべ水面に浮かぶ。

 何をするのかと、ニマはカプセを囓りながら、水面を滑っていくルルドを目で追っていく。

 走り回るマーモットの真上まで来ると、タイミングを合わせ水面に手を突っ込む。

 寸での所で逃げたマーモットの代わりに、ルルドの腕には子どもが一人、しがみついていた。

 

「ははは! ニマ、大きいのが獲れた!」

 

 初めて体験する浮遊感に暴れる子どもを尻目に、ルルドは戦利品をニマの元へと運ぶ。

 突如動き出したかと思えば子どもを抱え戻ってくる。

 そんな突拍子も無いルルドの行動に、ニマは思い切りふき出し笑ってしまった。

 

「あはは! ちゃんと持ち上げなきゃ逃げられちゃうよ」

「それが思ったより重いんだよ」

 

 子どもの膝下はまだ海に浸かった状態。

 初めは完全に持ち上げてしまおうとルルドも思っていたが、慣れない海底遊牧民の重さに、本気で持ち上げるほどの事でも無いと、早々に諦めてしまった。

 子どもを引き摺りニマの元へ戻ると、子どもは慌てて水中へ潜って行く。

 殆どマーモットと同じ動きをする子どもに、二人は声を上げて笑った。

 

「貴重な体験だったけど、びっくりしてそれどころじゃ無かっただろうね」

 

 ニマは遠ざかっていく子どもの影を眺めながら、声を弾ませる。

 ルルドからしたら当たり前の事な為、先程の子どもの反応は新鮮だった。

 

「自分の意思で飛べる訳でも無いし、やっぱり低空でも怖いものかな。折角だし、ニマも少し飛んでみる?」

「えっ? 私は、良いよ。さっきの子より重い――」

 

 遠慮するニマを無視し、ルルドはニマを横抱きにすると、そのまま当たり前の様に少しだけ舞い上がる。

 短い悲鳴を上げルルドの首にしがみつくニマは、頬に当たる風と吹き抜ける音に、ぎゅっと目を瞑る。

 

「ほら、今日は天気が良いから綺麗だよ」

 

 ルルドが立ち止まると、先程までの音と風は少しだけ和らいだ。

 ニマは恐る恐る時間をかけ目を開けると、眼下に広がる海に言葉を失った。

 ニマが呼吸出来なくなる恐れがある為、それ程高く飛びはしていない。

 ルルドからしたら、水面に居るのと大差ない高さだ。

 しかし、それでもニマは初めて見る光を乱反射する海に、先程までの恐怖など無かったように見惚れていた。

 

「凄い……。海ってこんなに綺麗だったんだ。全身空だ」

 

 殆ど波の無い、どこまでも続く穏やかな海。

 空と海の境界は溶け合い定まらない。

 顔を上げ遠くを見やれば、先程逃げていった子ども達が二人を指差し、声を上げているようだった。

 

 ふと、子ども達の手前、骨の近くに一つぽかりと影が現れた。

 その影は徐々に大きくなっていく。

 空からだと影と水面の距離は分かりにくい。

 ルルドは、影は一体どこまで巨大になるのかと、身構えるように少しだけ高度を上げた。

 しばらくし色が分かるほどまで浮上してきた影は、大きな波飛沫を上げ、海面に顔を出した。

 そこには、巨大な蟹に乗った、一人の老婆が居た。

 

「あ、ルルド降ろして。うちの族長様よ」

 

 巨大な蟹に面を喰らっていると、腕の中でニマが声を上げる。

 その声で急いで蟹の近くまで降りると、族長は眩しそうに二人を見上げた。

 

「これ、ニマ。いつまで遊んでるんだい。姉さんの婚礼まで後半月しか無いよ。あのぶきっちょ娘、まだ支度が終わらないと騒いでおったよ」


 蟹に降り立ったニマの頭を小突きながら、族長は目尻を下げ柔らかい口調で諭すように話す。

 どうやら話の内容は内容だが、別に怒っている訳では無さそうだ。

 むしろ、ニマの姉の笑い話をしに来たようだった。

 小さく舌を出し笑うニマと、同じく上品に笑う族長に、ルルドはほっと胸を撫で下ろすと、恐る恐る蟹に触れるぎりぎりまで降りる。

 

「ご挨拶が遅れました。天上遊牧民、ゼブ族のルルドと申します」

 

 ぎょろりと動く蟹の目に怯えつつも、ルルドは出来るだけ姿勢を低くすると、深々と頭を下げた。

 ルルドの声に、族長はゆっくりと立ち上がろうと膝を立てる。

 酷く揺れる膝に、直ぐさまニマが族長の肩を抱き、ルルドも反射的に手を取った。

 すると、一瞬驚いたように目を開けた族長だったが、すぐにまた目尻を下げ笑い出すと、二人の力を借りながらゆっくりと立ち上がった。

 

「なんだい二人とも。海の上なら、二人より経験豊富だよ、まったく。……丁寧な挨拶をありがとう、ルルド殿。わしは第二大貝のノーラ。空の贈り物もニマの事も、本当になんとお礼を言ったら良いか」

「いえ、お礼など。助けて頂いたのはこちらです」

 

 不安定に揺れる蟹の上で、ルルドはノーラの手をしっかりととり支える。

 ルルドの言葉にしばし無言で頷いていたノーラだったが、ゆっくりと視線を下にズラすと、足先で蟹の頭をこつこつとつつく。

 すると、蟹は大きく海面を揺らすと、巨大な爪を天高く振り上げた。

 空にはえる赤黒い爪に、降り注ぐ水滴。

 ニマとルルドは揃って空を見上げ、ぽかんと口を開ける。

 

「爪の付け根が見えますかい? この子はね、ついこの間まで付け根の殻にヒビが入り、このままだと夏の野営地へ行けないと心配しておったのだが、ルルド殿から頂いた竜の脂で、ヒビの隙間を塞ぐ事が出来た。このまましばらくすれば、元通りになるはずさ。蟹は一族の宝。本当にありがとう」

 

 ノーラの言葉に、ルルドは再び顔を上げ蟹の爪を凝視する。

 言われるまで模様か何かかと思っていた物は、どうやらヒビだったらしい。

 痛ましい程に大きなヒビが爪を横断しているが、確かにヒビの間に脂も思われる白い物が付着している。

 濃厚で水にも溶け出さない竜の脂に、こんな使い方があったのかと、持って来たルルド自身、小さく感嘆の声を上げる。

 爪の高さまで飛び上がると、ルルドは真剣に爪を観察しては、一人感心しきり。

 しばらく爪の周りをぐるぐると飛び回っていると、もう片方の爪にゆっくりと摘ままれ、蟹の頭の上へと降ろされてしまった。

 

「虫でも掴むみたいな動作で……」

「うん、ちょっと虫っぽかったね……。ルルド、あまり話せなかったけど、今日はもう行くね。お姉ちゃんを手伝ってあげないと、婚期逃したら大変だから」

 

 蟹の頭に四つ足をつくルルドの頭上で、ニマは悪戯っ子のように笑う。

 色々他にもニマに渡そうと思っていた物があったが、事情が事情な為、ルルドも笑顔で送り出す。

 前回会った時よりも短い時間だったが、ニマは貴重な体験が出来たと、満面の笑みで手を振ると、海に帰っていった。

 

「婚礼の準備で忙しいところ、悪い事したかな。確か半月後、でしたか?」

 

 ニマを見送ったルルドは、ノーラを座らせると、自分も隣に腰掛けた。

 

「気にしないでおくれ。嫁ぎ先が遠く、初めて縁を結ぶ他種族なもので、少し手間取っているだけの事。タツノオトシゴ、分かりますかえ? それがあの子の姉の嫁ぎ先です」

 

 骨の上に置いたままの荷物が風に揺れるのを眺めていると、新たにすぐ理解出来ない言葉がルルドの頭の中を巡る。

 空と同じものなら、タツノオトシゴはルルドも知っている。

 確かに他種族と言えば他種族ではあるがと、ルルドは理解の及ばない海底遊牧民の婚姻や生活に、久し振りに目眩がした。

 すると、その様子に気付いたのか、ノーラは思い出したように声を上げて笑うと、目に浮かんだ涙を拭う。

 

「これは失礼したね。タツノオトシゴを模した装束を着た一族が居てね、言葉が足りなかったね。いやいや空の民とは初めて話すので、失礼失礼」

 

 息も絶え絶えにそう完結に説明すると、ノーラは呼吸を整えるように大きく深呼吸を繰り返す。

 それは納得したとルルドも笑うと、ノーラが落ち着くまで背を擦ってやる。

 二人から少し離れた場所では、まだ子ども達がこちらの様子を伺っている。

 どうやら物珍しいルルドに興味はあるものの、近付く勇気が無いのか警戒しているのか、遠巻きにこちらを見ては、ルルドと目が合うと逃げるように海に潜る。

 そういえばバター飴の残りがあったと、ルルドは懐を漁る。

 しっかりとした缶入りのバター飴は、まだまだたっぷりと残っていた。

 ルルドは二、三粒適当な布に包むと、一番近くにいる子どもに軽く手を振り、包みを投げる。

 子どもは包みの落下地点まですぐ移動すると、見事受け取り、他の子ども達の元へと急ぎ戻って行く。

 遠くで元気な声が上がるのを微笑ましく見ていると、隣でノーラがゆっくりと座り直した。

 

「ルルド殿、折り入って話があるのだが、聞いてくれるかい?」

 

 変わらず柔らかい口調だが、意を決したようなノーラの雰囲気に、ルルドは再び姿勢を正し座り直す。

 

 

「ここ数年で海は随分変わった。海流も温度も、住む魚の種類も数も。今はまだ蟹に影響は無いが、野営地は年々遠く、道程も険しくなってな。わしらの様な、あまり早く泳げるでも、狩りに抜きんでたでもない一族には、移動するにも大層骨が折れる。そこで、今回の婚姻じゃ」

 

 座り直したルルドだったが、ノーラの話に、戸惑いながら頷くしか無い。

 何か深い話や頼み事、最悪もう来るなと言われるのではと身構えていたが、ノーラの話は最近の海の話や一族の話など、世間話のようだった。

 

「タツノオトシゴの一族は泳ぎも早く、狩りも出来る。娘には悪いが、これは一族同士を繋ぐ、大切な婚姻になる。そこで、ルルド殿を巻き込んでしまって申し訳ないが、その婚姻に花を添えてやりたいんじゃ。空の、出来れば身に付ける物が良い。勿論それなりの礼はさせて貰う。頼まれてはくれんか」

 

 真摯に頭を下げるノーラに、ルルドは直ぐさま頷き、ノーラの頭を上げさせる。

 初めて会った他種族に、全てを打ち明け族長自ら頭を下げる。

 これがどれ程重要な事か、分からないルルドではない。

 どこか切羽詰まった様なノーラの声色に、ルルドは気を紛らわせる様に大袈裟に笑ってみせる。

 

「期限は半月、海に持ち込める物となると限られてくるが、そう言う事なら出来る範囲で協力させて貰いたい。荒波にも負けない、縁起が良く丈夫な首飾りを用意致します」

 

 はっきりと宣言したルルドに、ノーラは何度も頭を下げ感謝の言葉を繰り返す。

 遠く見知らぬ種族に嫁ぐ娘を思ってか、はたまた一族の為か、それ程海の状況が変わったのか。

 先程の説明だけではノーラの本当の心情を推し量ることは出来ないが、何にせよ、何度も頭を下げるノーラの期待に答えねねばならない。

 ルルドは自宅にあるめぼしい物に当たりをつけつつ、ノーラの背中をさすり続けた。

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