「The very very end door ~最後の最後の扉~」
前回のコラムで、
コロナ対応の資金投入について、時間を買う効果は少ないと申しましたが、
時間を買うどころか、とっくに棚は空っぽで、もう時間は売っていません。
つまり買うのではなく、時間を借りることしかできないのです。
もっとも、既にずっと借り続けていますが、
そのツケは雪だるま式に増えてしまいました・・・。
また、良いとこ取りのDNA編集は決してできず、
必ずどこかに負の効果を誘導することになる、
のように申しましたが、
もちろん、負の効果を被るのは、他者でもいいことになります。
誰かがその割を食うことになる、世界ってそういうものですよね?
(従って、局所的には、良いとこ取りはあり得るとは言えますね。)
<譲り合う行列>
死を前提とすれば、幸不幸は順番待ちの問題に過ぎませんが、
人類は今、かつて殺した未来人に成り代わっていると言えます。
フリーライド・フリーランチはありませんから、
誰かの順番を変えるか、誰かのポジションを奪うしかなかったのです。
人類は、地球上で唯一、未来の自分からさえも奪うことができました。
何かうまい方法があって、
コロナはもちろん、環境問題も何も克服できる筈である、
というのは間違いです。
それは、人間に都合の良い状態を、タダで得ようとするようなものです。
科学は結局、合理性の皮を被った錬金術だったのでしょうか?
いい塩梅で保ち続けることなどできません。
差異、格差・・・傷といってもいいですが、
違いがなければ、ツルツルで時間に引っかかりません。
どんだけトルクがあっても駆動しないのです。
命は根源的に、ウイルス同様、時簡に感染し続けなくては存在できないのです。
(感染を生物の条件ととらえれば、ウイルスは生物でしょう。)
今までの発展によって、フリーエネルギーが獲得されたことはありませんし、
これからもあり得ません。
「獲物」が必要なのです。
しかし、宇宙に行けず、未来も枯渇した今、
地下からシェールのように「獲物」が湧き出てくることでもない限りは、
地球にはもう、人が感染できる時間は残っていません。
人というビンゴゲームは、既にすべて開いてしまいました。
そのカードの枠内に収まる範囲には、
面積や時間からなる新たな番号は残っていないのです。
(面積⇒地球を一周してみても、
時間⇒届く範囲で未来人を探してみても、
もう何も見つからない。)
(「時空」ではなく、「時面」という概念もある?)
コロナのせいでということではなく、
別にコロナでなくても変わらなかったはずです。
よって、コロナを克服しようが、このまま最後までコロナだろうが、
それは問題ではありません。
ぎりぎりのところで環境を維持して、
多少ダウングレードするにしても、概ね「現状」程度の文明を謳歌し続ける・・・、
それは、時間を凍結しようとすることに等しい。
リーマン後も、ただ爆弾を大きくして行くことしかできませんでしたが、
そのような行為が、いつもタイマーの役割しか果たさなかったのは、
爆弾の大型化には限界がある、ということだからでしょう。
「人間単位時間」(ポテンシャル的平均寿命⇒100年くらい)で、
自重により起爆してしまうのではないでしょうか?
リーマンを克服し、さらなる可能性を開いてきたように見えても、
同量だけ爆弾が大きくなっていたのであり、相殺すれば1ミリも
進んでいませんでした。
具体的には、
例え気候変動が、今年からついに食糧生産にも如実に現れる、
ということがなかったとしても、
例えサバクトビバッタが発生していなかったとしても、
例えコロナが克服されたとしても、
そして、人類規模の深いトラウマにより、
買いだめが年単位で続くということがなかったとしても、
今回、無理に無理を重ねた中央銀行や財政は、
もはや一線を越えてしまっているため、
食料高騰の中長期的趨勢は止まりません。
一線とは、「蓄え」です。
かつて、稼げなくなった日本を失業者になぞらえ、
「蓄え」が底をついた時、ガラリと空気が変わり、
具体的には国債が1000兆円を超えるあたりから、
インフレが始まるだろうと申しましたが、
(全然外れましたが・・・。
実質的な有効金融資産を1000兆円くらいと推測し、
その辺りが「蓄え」を超えるラインと考えました。)
借金が蓄えを超えれば余裕を失い、
余裕を源泉とする信頼も戻りません。
今回越えた蓄えは、ビンゴゲームの枠の大きさというか、可能性でもあり、
既に未来を奪い尽くしている以上、そしてその焦土的未来に自分自身が
来てしまっている以上、もはや時間的猶予もありませんし、
要するに、各国で債務が購買力を上回ってしまったということです。
具体的と言いつつ、債務の評価も購買力の評価も難しいので、
(債務も、金利や物価変動を考慮すれば、評価額は変わりうるものです。)
その閾値ラインがいくらだったのかは分かりませんが、
壁のような未来からは、
返済力(その割引価値が購買力)を引っ張り出すことができないように思います。
(壁化した未来からこれ以上引っ張るのは、もはやコストの方が大きい。)
つまり未来の高騰、未来の切符が高くなりすぎているように思うのです。
中央銀行は、文明が続く限り、(進化しつつも)存続するとは限りませんが、
ついに、その信用は失われつつあります。
財政は制御不能の状態です。
今はコロナでその痛みに気づいていませんが・・・。
インフレまったなしです。
いつも申し上げております通り、
今回のインフレは、名義合わせになります。
もちろん、世界全体で見れば、資産を超える借金など存在しません。
しかし、だからといって永遠に誰も払わなくて良いわけではなく、
少なくとも一旦は、正常な状態まで、相殺されることになります。
(時間の蠕動運動は絶対。
というか、人類を時間に寄生する腸内細菌のようなものだと考えれば、
蠕動運動に付いていく他なく、途中で糞詰まりになるようなことは稀で、
あったとしても、一層致命的。)
私には相殺される財産がないので、名義合わせは怖くありませんが、
それは同時にインフレを意味するので(その意味では、均等に負担
させられるため、貧しいほど高負担。)、大変恐ろしいことです。
まるで生きた心地がしません。
とにかく、(1年以内くらいのインフレ開始以外の)出口はありません。
(もちろん自己責任ですのでご注意下さい。)
数年以内くらいに、他のすべてのドアが開かないことが確認されて、
ついに、最後の選択をする指導者が支持されることになるでしょう。
(他のすべての扉の施錠確認が終わるまでは、何度もぬか喜びさせられることに。)
戦後、たまたま首都直下地震がない間に摩天楼ができた、
と言うようなことを申しましたが、
繁栄とは、常に隙を突くことでしかありません。
どうか、まだ何かしらの隙が残っていますようにと祈るばかりです。
<文明のパルス・存在確認>
最後の扉は、いつも少しだけ開いています。
いっそ全閉であれば、
誰一人通れないのであれば、
何も悩む必要などなかったというのに、
なまじ少しばかり開いているものだから、
少数なら(誰かを残していけば)通り抜けられそうにも見えてしまうのです。
時間の神は、なんと質の悪い趣味をお持ちなのでしょう。
申し訳程度の救命ボートなんて、ない方が良かったのに?
人数分には全然足りないが、全くない訳ではないという始末・・・。
何となく、神と食虫植物が重なって見える思いです。
これは、地球を一周するまでの物語だったのです。
現文明は既に地球を一周し、
それを達成した後の後日談なんてもう十分、
悠々自適な達成後の余生なんてものには、
読者(神)のニーズはなかったのです。
それにしても、現文明のなんともろいことか。
人が1分おきに呼吸をして生きながらえていることと変わりません。
呼吸は、許認可に似ています。
わずか1分ももたずに、
生の許可を必死に取り続けることしかできない、儚い存在なのです。
どんなに束縛的な親よりも、微に入り細に入り管理し許認可を求める神・・・。
文明も、100年と見逃されることはなく、
常に存在のパルス波を出し続けていなくてはなりません。
許認可を取り消されないように、
うっかり踏み潰されてしまうことがないように・・・。
「なんだかやばそうだから、このままなあなあで持って行こう!」
という暗黙の合意は、
一種の放送事故のようなものだったのかもしれません。(パルス波の喪失)
パルス波は、負波の領域に入りました・・・。
核の連鎖反応は、
中性子がウランの原子核にぶつかると、
核分裂により2つくらいの中性子が飛び出して、
その内の1つがまた他のウランの原子核にぶつかる、
みたいな感じだったと思うのですが・・・、
コロナは1人が2~3人に感染させるのでしたか?
何だか、待ちきれなくなった「連鎖反応」という奴が、
先走って出てきたようにも感じます。