メルカリとデリメリ ~オリンピックが終わったら~
(何となくゴロが良かっただけで、メルカリとは関係ありません。)
戦争と平和の天秤は、
「戦争」自体のデリメリ(デメリット/メリット)ではなく、
「均衡」のデリメリに過ぎなかったのかもしれません。
それは似て非なるものです。
米ソは「均衡」そのものに大きなメリットがあったが、
米中については必ずしもそうではないとすれば、
「戦争」自体のデメリットとはほとんど関係がなく、
その天秤は戦争に傾くものなのかもしれません。
ミンスキーモーメントとは、
債務膨張が収縮に転じる瞬間のことかと思いますが、
現在のような、膨大な債務漬け経済においては、
一旦どこかで滞りが生じると、
我も我もと一斉に巻き戻しに走る現象かと思います。
今はただ、
ミンスキーモーメントというババ抜きをしているだけ。
回っている間は良いが、カードが少なくなってくると
何となくババが見えてきてしまうため、
突如回らなくなってしまう瞬間が訪れるのでしょう。
数の力(数は力・数は富)は、
国民主権(民主主義)で頂点に達しました。
それが科学文明を可能にしましたし、
また、科学文明が数(人口)を可能にしました。
しかし、そのエンタングルメントは外れてしまいました。
それを再び結びつけるのは困難で、
新しく始めた方が効率的(省エネ)である、
というのがこの世界の現実、仕組みなのです。
(宇宙を、
「創造」が「組み換え」に限定された場・次元と定義すれば、
元に戻すくらいなら作り直した方が楽、省エネであるものと
思われます。
エントロピー⇒より低位のエネルギーにばらけて行く?
とも関係しますが、
エネルギーが新しく生まれることはなく、
組み替えられているだけなので、
その過程で失われていく部分が生じる、
つまり歩留まりがあるのはむしろ自然。
薪を割って燃やしていくような、
穴をふさぎ続けているだけのような感じもしますが、
原発では0.7%くらいでしたか?
核融合でもその10倍くらいだったような気がしますが、
失われた質量の残骸、それがダークマター、
ダークエネルギーの正体なのかもしれません。
地球の生命にしても、新たに発生することがないというか、
微生物から哺乳類まで、
太古に発生した生命の同じ子孫ですよね?
現在も日々新たに発生しているが、
たちまち淘汰されるので観測できないだけとか、
昆虫は宇宙から来たとかって話もあるのかもしれませんが・・・。)
なお、非エンタングルメント状態は、
無関係ということではなく、妨害し合う関係、
つまり互いに邪魔になってしまいます。
数の力の集大成である、国民主権は終わるのかもしれません。
数はもう、力でも富でもなくなるからです。
AI時代には、数はむしろ負の力、負の富となるのでしょう。
「オリンピックが終わったら」
「柔」という漫画のエピソードにあったように思います。
(オリンピック後に告白するつもりが、結局最終回まで出来ず。)
「柔」は、私の中では恋愛物のトップ3くらいに入るかもしれません。
ちょっと他が思い浮かばないということもありますが・・・。
好き合ってるのに素直になれず最終回まで行くみたいな、
海外では珍しい、日本独特のストーリー展開は好きです。
お互い素直になれば1ページで終わる話なんですけどね。
(1ページはないでしょうが・・・。)
オリンピック選手に限らず、
4年というのは大変重要な期間であるように思います。
戦争も天災も永続するわけではありませんが、
4年程度でひとまず日常が返ってくることが多いように思います。
(偏見というか思い込みでしょうが・・・。)
太平洋戦争も4年くらいだったかと思いますが、
戦後の狂乱物価や預金封鎖・財産税などの混乱期、
そして原爆を投下された広島・長崎でさえも、
4年後にはある程度の日常が戻っていたのかもしれません。
その他、
人生のピークなんかも、そのくらいが多い気がしますし、
大統領の任期(何十年みたいな長期政権もありますが、
最初の4年に成し遂げたこと以上のことはまずできず、
ただ腐敗するだけとか?
ただし、最初の4年と逆方向にということであれば、
5年目以降に大きな変化をもたらすことは結構あります・・・。)、
その他具体的には思い浮かびませんが、
とにかく均すと4年以内になることは多いような気もします。
よって、たいていの危機は、4年しのげれば落ち着く
のではないかと思うのです。
戦後ではなく戦中だったかもしれませんが、
法律違反である闇市での調達を良しとせず、
餓死した法曹関係者がお二人ほどいらっしゃった
ように思います。
同じ人間かと思えるほどにすごい人だと思います。
しかし、そのお二人(お一人?)のことは別として、
本当に法を、正義を、完全に遵守してきたのなら、
とっくに死んでいたのではないか、
なぜ闇米にだけ特別こだわる必要が?
と思われる人もいるかもしれません。
誰しもが、
どこかで自分にウソをつかなければ、
生きていられるはずがない、
というのも分かるような気はします。
令和になって、不条理な事件が増えているという
意見があるようですね。
小学校スクールバスのバス停襲撃や、
京アニ放火テロなど、
団塊ジュニア世代くらいの人たちで、
やけになる人が増えてきているのでしょうか?
団塊ジュニア世代は、氷河期世代と重なります。
私も1970年「頃」生まれなので、
団塊ジュニア世代だと思いますが、
高卒のため氷河期世代にはならないようです。
1970年「頃」は、
オイルショック(73年だったようです)、つまり高度成長の終焉や、
ローマクラブにより「成長の限界」があらわされた「頃」でもある
ように思います。曲がり角というか、転換期に生まれたんだな~
と思ったことがあります。
ちなみにローマクラブは、なんと今なお健在で、
「成長の限界」で指摘したのは今世紀中旬頃の
危機?のことであって、その主張には何ら変更
がない、みたいな感じのようですね?
70年代までに主要な発明は出尽くしており、
70年代までのようなピークが、同一種族に
もう一度訪れることはない、みたいな意見も
あるようです。
元号ってすごいですよね。
平成元年は、ソ連崩壊、天安門事件、
日経平均株価史上最高値(バブル頂点)、
消費税導入、など時代の転換を感じさせることが
多かったように思いますが、
令和は、温「断」化による異常「気性」が増加する
ことになるのでしょうか?
あるいは、心の寒冷化なのかもしれません。
いわゆる一人で死ね論争などが起こりましたが、
もしも彼らに、この社会の倫理が地獄のそれに見えるのだとしたら、
きっと倫理の治外法権、正論の不平等条約を主張するでしょうから、
倫理観や正論、つまり「どうあるべきか」をいくら論じても、
ほぼ効果がない、決して届くことはないだろうと考えております。
倫理は、そのメリットが及ぶ範囲でだけ有効なのです。
よって、行政はもちろん、各人が防犯意識を高めること、
そして犠牲者にはできる限りのケアをすること、
結局、それ以外にできることなどないのかもしれません。
危機は必ず来るだろうと考えております。
リーマン後の世界は、
見せかけの回復、虚構の繫栄に見えるのです。
AIがGDPを2倍にしてくれて解決、
ということもありえますが、少なくともその前に、
大きな危機が来る可能性の方が高いように思えます。
ケインズは100年も前に、
生産性向上の行き着く先で、人は働かなくてもよくなる
みたいな予測をしていたのかもしれませんが、
そして実際、少なくとも経済的、暮らし的には確かに
向上してきているのだから、このまま生産性無限大、
労働参加率ゼロ、の豊かな世界もありえるのかも
しれませんが、
しかし、それは見合いの(リスク負担)余地がある間だけ
のことです。前提条件は必ず存在していたはずです。
人類がこの200年の発展で負担してきたリスクは、
人口爆発です。
それは、崖から転落しかねない程に、
とてもスリリングなリスクなのです。
(見方によってはレミングの集団自殺?のようにも見える。
それくらいの「目に見えるリスク」を有していたのです。)
天国のような世界にするためには、
天国を相殺するほどのリスクを負担しなければ釣り合いが取れません。
しかし、それほどのリスクは、もうこの星には残っていないのです。
(許容できる範囲には)
進化には、ミッシングリンクが必要なのだと考えます。
(ミッシングリンク⇒AからBへの進化の中間が見つからない問題。
文明の盛衰などにも、同じようなことが言えるように思います。)
進化の境目は、たいてい隘路になっています。
血管のこぶのような繫栄と繫栄との間は狭窄し、
同時並行的に次の繫栄が重なることはありません?
進化の境目は、証拠隠滅をはかったかのように
いつも一掃され、ミッシングリンクを残すのです。
進化とは、一掃することそのものと言っても良いでしょう。
良いとこ取りはできない、ということなのかもしれません。
(猿人と原人とか?結構長く併存していた例などもあるようです。
すみません。)
MMTは、選択肢がつぶされてきたことで浮上しました。
日本のように、いくら財政赤字を積み増しても問題ない、
という主張?ですが、さすがに日銀や財務省、その他
ほとんどの学者さんは否定的ですよね?
ハイパーインフレになると財務相なども発言されたよう
に思います。
MMTは、単に現状を述べているに過ぎないのではないでしょうか?
確かに、日本はこれほど債務を増大させても踏みとどまっています。
ただそのことを言っているだけでは?
(国内でファイナンスされていることとか、MMTにもたぶん前提条件
があるかと思いますが、つまりそれって日本の現状のことですよね?)
しかし、ではどこまでは大丈夫なのか、どこからは大丈夫でないのか、
それを明らかにすることができないのなら、
特に意味のない理論であるようにも感じます。
(すみません。もちろん具体的には読んだこともないですし、
何も知りません・・・。)
MMTは、もう選択肢がなくなりつつある、
ということを物語っているように思います。
もう下げることも上げることもできなくなりつつある金利に象徴されるように、
選挙は消去法でしか選べなくなり、
負債は増えるばかり、高齢化は進むばかりで、
とにかく先送りしかできなくなる。
しかも世界中が日本化して、確実に日本の後を追っています。
これが山頂の狭さなのか、谷底の狭さなのかは見分けがつきませんし、
どちらであるかは問題ではありません。
いずれにせよ、全員は通れない、ということなのではないでしょうか・・・。
さて、まだ危機が出尽くしていないのだとすれば、
やはり2020年は危ないようにも思えてきます。
太陽活動の約11年周期が、2019年で終わり、
2020年からは新周期になると考えらているようですが、
今回の周期は(温暖化か寒冷化か分かりませんが)、
マウンダ-極小期クラスの異常な観測データになって
いるとも言います。
(黒点活動と気候との関連性は証明されていないよう
ですが、とにかく気候は一番重要ですからね。
古代文明や洪水など多くの伝説や神話が収束する
約1万2千年前にも、大きな気候変動があったことは
確かなようですし、7万年前のトバ火山破局噴火で、
世界人口は1万人にまで減少したとも言います。
一時絶滅危惧種になりかけていた?)
世界戦争には発展しないことを願っていますが、
それを防ぐには、それ以上の危機、
例えばパンデミックなどが必要なのであって、
いずれにせよ大変な事態になることは
避けられないのかもしれません。
リーマン以上になることはほぼ間違いなく、
全面核戦争は防げたとしても、
世界のどこかで核が使用される
(2020年から数年以内に)
ことになるのかもしれないと思っています。
危機が来れば、
おおむね4年程度持ちこたえる必要が生じる
かもしれません。
経済に対するシェルターはないので、
本当の意味での対策など「ない」が正解だと
思いますが、
次回、危機が起こった場合の対策について
考えてみたいと思います。