3 命のマイルストーン
時間の治水管理者は、今世紀中旬前後に巨大な時間の堰、時代の門を建設している。シンギュラリティやホーキング博士の予測したパラダイムシフト、高齢化のピーク、温暖化のポイントオブノーリターン、果てはムーアの法則に至るまで、様々な事象のピークや限界が、まるで示し合わせたかのようにその堰へと集まる。来ると言われ続けてきたピークオイルだけは今回も間に合いそうにないが。
人類はまたしても時代の門を開錠しなければならない。これまではイノベーションという鍵で多くの門を解錠することが出来た。イノベーションは自由だけから生じるものではなく、統制や窮屈さから生じるもの、危機やショック、悲劇から生じるものもある。これほど多くの事象が収束して行く巨大な門のセキュリティーシステムとなれば、それら全種の鍵が必要となるかもしれない。
巨大な時代の堰が目前に迫ることと、核により全面的・総力的戦争が出来なくなっているということが、たまたま同時期に生じている訳ではない。核と少子高齢化がペアを組んで到来するのは自然なことだ。
全面戦争という選択肢がなくなっているのは、核によりそれができない、全面戦争がペイしなくなったと言うに過ぎない。愛の力でも歴史の教訓によるものでもない。テクノロジーの進歩に比して人間性の進歩は置いてけぼりだ。核がなければリーマンショック後も世界戦争への道を歩んでいたに違いないし、現に迷いながらもその道を進んでいるのかもしれない。
人間の判断は天秤に過ぎない。片方の皿になおさら我慢のならない一層嫌悪すべきものが載せられていると判断すれば、たやすく戦争を選んでしまう。第二次大戦時に戦争(をする指導者)を選んだ(或いは支持した)世界中の民意は、必ずしも騙されたり勘違いをしたりしたのではなく、天秤のもう片方に、さらに許容し難い何かを見出したのだ。だからこそ人類は何度繰り返しても学ぶことがなかった。戦争は悪い、戦争などしたくない、それは繰り返し学ぶまでもなかったが、天秤は比較でしかないので、戦争以上に恐ろしいものが置かれていると感じるとただ素直に傾く。戦争はそれを忘れてしまうからではなく、それ以上に認められない何かを発見することによって始まる。そしていつか、核よりは増しだと信じていた何かまでも見失ってしまうのだろう。この天秤は、狂うことはあっても検査は死ぬ時までない。天秤が乱れても勝手に調整することは天の計量法に触れる。
我々は平和など知らず、ただ均衡を知るのみ。戦争も平和も決して永続はしなかったが、平和は震源域における空白地帯のような、次の戦争の模索、戦争の理由探しに過ぎなかった。天秤のもう片方に、核というより絶望的な恐怖がある状態、それ以上の効果を理性に期待することはできない。寿命と平和には何らかの相関があるのだろう。平均寿命が約80年だとすれば、戦争も一揆も粛清も天災も疫病も飢饉もない、そんな平和な期間も概ね80年程度になるのだ。
アメリカの覇権も終わりを迎えようとしている。これも少子高齢化や核と同じくアンタッチャブルな行き詰まりを示している。誰もアメリカが保有する核を上回るパワーを持ちえないという意味で、歴史的キャップ状態になっているのだ。核と高齢化は、「キャップされた世紀」を象徴し、歴史の新陳代謝を止めている。
核を持つ覇権国家が、それを全て放棄して後人にその席を譲るということは考え難く、自らが没落していく世界に対する気遣いにも多くを期待することはできない。覇権を失った国がトップに居座り続けることで、次の覇権(つまり次の平和)も生まれてくることができない。優勝旗の返還がなければ、神が楽しみにしている次のレースも開催されない。
資本主義にも、それを裏付けとしていた民主主義にも死期が近づいているが、問題はその次がないということだ。昨日と違うからこそ歴史を記述する意味があり、昨日と何も変わらぬまま歴史を積み重ねていけるのかどうか大いに疑問である。時代が次々にリサイクルされ覇権が移り変わってきたという歴史は、いつの日かその必要がなくなる輝かしい未来までの、単なる一過程に過ぎなかったのだろうか?
トランプ大統領がアメリカの覇権を終わらせる訳ではない。ただ、「その道はトランプさんの家の前を通る」というだけだ。覇権とはターザンのロープである。次が無いということは、最後のロープに掴まっていることを意味する。その向こうには目的地が待ち、無事にそこへ降り立てるだろうか?或いは階層のジャングルから抜け出して、新たなる荒野へと進出して行くのだろうか?