自分(愚痴ポエッセー)1
幸せはバランスしないが、不幸はバランスする。
どんなに恵まれていても不幸は付いてくるし、
どんなに悲惨でも幸せを見出してしまう、
少なくとも見出そうとしてしまうから。
生きる負担(仕事)は、重力のように、皆概ね等しい。
人生は産道のように苦しいのだから、
それが天国への出口とならなければ割に合わない。
死の位置エネルギーはどこへ保存されるのか。
相応しい生き方ができる人は少ないが、
相応しい死に方をできる人はさらに限られる。
何と厳しい世界。
誰しもが、まるで時間のローラー作戦に駆り出された
犬共のように並んで歩いている。
すべての可能性をしらみつぶしに捜索しているが、
本当に、そのどれかに、探しものなんてあるのですか?
「死んだ方が増しだ」
「ラジャー」
それがAIの優しさ。
しかし、
それが誤りであると断言することができない。
それが無への解放ならば、人生は刑期。
天国か地獄、あるいはより良い転生の問題ならば、人生は公判。
今の世界は、ヤマタノオロチを肥やしているだけだ。
だが、彼は決して食事に来ているのではない。
むしろ食事のために毎日来てくれた方が増しだったろう。
何税かは知らないが、
彼はいつも、決まって悲劇を取り立てに来ているというのに、
これ以上太らせて何になるのだろう。