全球停電 デジタルの死
その大統領が選ばれたのは、
希望ではなく、より大きな失望のため。
その失望はAI革命に対する予感?
歴史は似たようなことを繰り返すが、
再現性はなく数式化されない。
歴史には定数も変数も方程式もない。
だから、
国の借金比率が終戦直後を超えるような異常事態だとしても、
今回もまた同じような嵐に見舞われるとは限らないし、
逆に、
当時と違い今は世界一の債権国でもあるのだからからといって、
当時とは違うので今回は大丈夫、という根拠にもならない。
歴史のトリガーは完全に一致することはない。
産業革命時のように、
AI革命でも職種の爆発があるかどうかが問題だが、
生産も、創作も、接待をするのも、
もしかしたら戦争もAIがやるのだとしたら、
AI廻りの下働き、AIのサポート業務以外に何が残るのだろう。
人間は、遊びや趣味など好きなことをしていれば良くなるのだろうか。
もはや青い鳥も探しに行く必要がなく、
仕方がないので、今度はカラスでも探しに行くしかない。
第四次産業というものがピンとこない。
人間を基準にする限り、それは、
ネオ第一次~ネオ第三次産業に過ぎないのではないだろうか。
経済規模の拡大は、
これまでは人口増加と生産性の向上とに分解できた。
人口増加を伴わずとも、
生産性だけが向上していくのなら、
計算上は経済規模は拡大する。
一人一つずつAIを持てば、
人口が2倍になるのと同じようなもので、
GDP2倍もありえなくはないのかもしれない。
日本で、将来、インフレ税や財産税などのような、
戦後級の超混乱期が回避されるためには、
GDP2倍くらいの成長が必要なのではないだろうか。
しかし、人口は増えないのに、生産性だけが上昇して行く、
人口増のためでないなら、そもそも生産性向上は何のためだったのか。
そんな繫栄は、ベクトルを失って時間に振り落とされてしまいそうだ。
より大きな失望があるとすれば何だろうか。
それは、恐れていた筈のどんな戦争でさえ、
何だか増しなものに思わせるだろう。
一方の失望が薄まることでも、他方の失望は高まる。
核の恐怖にも耐用年数はある。
戦争は位置エネルギーを持ち、
その高さは繫栄の高みそのものだ。
繫栄の水位は、
民主主義でも平等でも排水できなかった。
アメリカに対する先制攻撃の可能性は依然として低いので、
先制攻撃をする国があるとすれば、アメリカになるだろうか。
それが、
「最後の覇権国家の役割」
とは思いたくないが。
神も躊躇しているかのようなゴルディロックスは、
ついに終わりを迎えようとしている。
ところで、
デジタルが死滅する可能性はあるのだろうか?