20 耐久ババ抜き
神とのババ抜き(ジジ抜き)において、
人類はまだババを引いていないのだろうか?
それは、
ピークオイルでも、核でもなく、
共産主義でも資本主義でもなく、
エイズでもなければ、砂漠化でも深層海流のフェードアウトでもないのかもしれない。
もちろん、ノストラダムスやマヤの予言などではなかった。
温暖化にいたっては、寒冷化を防いだと言われてしまうと、反論が難しくなりそうだ。
そのままでは寒冷化してしまって、もっと悪いことになっていた筈であり、
それと比べれば、多少水面が上昇しようが、まだ増しだったのだ、と・・・。
もしも異次元緩和をしなければ、もっと経済は痛めつけられていただろう、
と言うことにも似ているが、
やり直してみることができない以上、どれも断言することはできないのかもしれない。
それでも、いつかババを引いてしまう日が来るのだろうか?
もうカードが配られなくなることを「老い」と言うのだと思う。
手持ちのカードで勝負するしかなくなるのだ。
人類という種(若しくは現文明)自体が老いているのだとすれば、
残る手札は、それほど多くないのかもしれない。
神とのババ抜きにおいて、
もしも捨てるカードがなくなってしまっているのなら、
「まった」はいつまで有効だろうか?
選択には、必ず消去方法的な側面があるが、
何も捨てられないことの方が、
何かを切り捨てる悲しさ以上に恐ろしいことなのかもしれない。
結局、どの危機も実現せず、のらりくらりと適温に過ぎて行くのであれば、
神の徳政令と言えるだろう。
それは、古今東西、革命の数倍以上の頻度で行われてきたことかもしれないが、
多くの場合、より一層債務者を困窮させることになったのではないだろうか。
もちろん、すべてのケースで、より悪化するという訳ではない。
すでに破綻している債権であれば、徳政令は有効、ないし弊害が少ない。
それを喜んで良いとすればだが・・・。
ババを引くことなく、人類が上がりを得るためには、
宇宙というカードを引き当てる以外にはない。




