2 ずっと探し続けてきた3つ目の選択肢(丙)
世界恐慌後、10年程度で世界大戦というハードランディングに至った。リーマンショック後の10年では、量的緩和やマイナス金利などの非伝統的金融政策が試みられている。それらは世界戦争に匹敵する調整作用を持つだろうか?
資本主義後の景気の波に限らず、有史以来周期的に訪れる危機に対して、ハードランディングとソフトランディングの二つの対応方法しかなかった。時間の垢とも言える蓄積された矛盾を解消するためには、悲劇の門を通り抜けなければならず、ほとんどの場合、最終的には戦争と同義のハードランディングが選ばれた。ソフトランディングは、皆が少しずつ、合計ではより多く長く我慢することであり、調整の総量はハードランディングより利息分だけ不利になる。そのためソフトランディングが選ばれて来なかったのかもしれない。切捨てか全滅かの二択ならソフトランディングはホスピスに等しい。
今回はどちらでもない選択、非伝統的金融政策というミドルランディングが選ばれた。それは良く言えば中庸、良いとこ取り、悪く言えば中途半端、悪いとこ取りであり、選択とは言えない選択である。もしもこれが最終的に成功すれば、人類は初めて、ハードランディングでもソフトランディングでもない新たな打開策を手にしたことになる。ついに悲劇の門の迂回路を見つけたと言えよう。契約には甲乙の他に丙という第三者も登場することがあるが、第三の道は本当にあるのだろうか。
ハードランディングとソフトランディングのどちらがより安全であるか必ずしも定かでないとすれば、それはミドルランディングにおいても同様であろう。定期的に生贄を求めるヤマタノオロチを鎮めるためには、誰かが痛みを負う必要があり、順番を擦り付けあうように借金の付け替えをしているだけでは、彼の空腹を満たすことはできない。
ハードランディングに至らずとも、生産性を向上させ、出生率を高めて経済を発展させる方法は理論的にはある筈だ。問題は、この世界がそれを許すか否かではないだろうか。次のステージに行くための通行料を支払うまでの間は、どんな英雄や賢人の政策であろうとも不思議な程成就しないのだとすれば、ハードランディングか、それ以上の調整を伴うソフトランディングのいずれかが必要ということであり、後はそのどちらがまだ増しかという好みの問題でしかないのかもしれない。
通行料は無限に延滞できるものではないので、ソフトランディングという選択は、非能動的なハードランディングに過ぎないことが多い。自らハードランディングを決断することができないため、誰かが、例えば神が痺れを切らしてくれるのを待つ、ただそれだけのことだった。
誰が何をすれば回避できるかという問題ではなく、人類は時代の門番を欺けるほど進化(成長)したのか否かということだ。AIは、時代の門番に時間の通行料を支払わずに済ませる方法でも見つけるのだろうか?自然界の法則やルールは、人間の理想から創造されたものではなく、そこにあったものを発見したに過ぎない。核エネルギーでさえ、摂理を上書きする訳ではなく摂理を借用し利用しているだけだ。その借用が無償である保証はない。神の裏書などなかったのだ。誰が何をしようとも、通行料を支払うまで何度でも同じ場所に引き戻されるだろう。それは、神が持つリードの長さでもある。
この債務に時効はない。債務者が健在である限りという前提があるだけだ。ハードランディングでもソフトランディングでもべらぼうな対価ということになるが、未だ嘗てその二つ以外の代償(例えば人間の理想やら誠意やら)の受領は認められていない。第三の対価の素晴らしさをいくら力説したところで徒労となろう。ミドルランディングは、痛みの負担の仕方が不明確かつ不十分であり、従来の二つの対価に代替しうるものとはならない。精々心を落ち着かせて迎えるための準備期間でしかない。