19 契約の起源(エピローグ)
なぜ契約を結ぶ必要があったのかは分からない。神の創造には材料が必要であり、時間には変化(波)というエネルギーが不可欠であった。人間担当の神は、動植物に対する菌類のようなもので、生命と物質との間を取り持つ対等な位置にあるのかもしれない。
高層ビルが長周期地震動に弱いように、どの種族にも特定の周期がセットされている。それが仮に平均寿命と同じ80年前後であるとすれば、1世紀を越えて全面核戦争を回避するのは難しく、人類の周期としてタイマーセットされていると覚悟しなくてはならない。核兵器の出現からそろそろ75年前後、伐採時期のような周期は近づいている。我々には、そもそも100年を超えて見通す力も、生きる必要もなかったのだ。
抑止力はまだ一度も平均寿命を超過したことがない。世界大戦は全編あわせて一つの叙事詩であり、今は休筆中に過ぎない。100年を超えてまともに維持されている理想などない。誰も崩壊を予見できなかったソ連でさえ70年前後、そして世界大戦から現在まで80年前後である。
バイオは種のドーピングだが、安全のために10%しか使われていないものを、強制的に90%まで使用すれば長期的には一層危険だ。バイオでも温暖化でも大幅な環境改変は可能であり、人類滅亡のリスクがある点も同じだが、核というバトンは、より鮮明な色を発しているのかもしれない。落としたバトンの色が分からなくなっていた人類は、それこそが紛れもなく自分の色であると認め、ついに核のバトンを拾うのだろうか?
歴史上重要なことは可逆か不可逆かということだけで、良いか悪いかは尾ひれに過ぎない。ミケランジェロのダビデの鼻のように、変えた振りだけでもして見せる必要がある。AIは、良い悪いにかかわらず不可逆であり、核もまた同様だ。世界を天国にする力はまだなくとも、既に世界を滅ぼすことはできる。人類は、AIを身代わりにして、宇宙へと逃げ出せるだろうか?(AI革命の第二宇宙速度)
AIでは本当の生産性にならないのでインフレ率が中々上がらない。生産性は人間間のやり取りの乗数だから、人間を介さない生産性などパイの拡大とは言えない。生産性が問題となるのは生産者でもある間だけだ。生産者でなくなれば種の退化が起こる。もう10年に一度の天才も現れない。種がそれを求めるホルモンを分泌しなくなるのだ。人間は、AIに感情という乱数的パラメータを付加するだけの存在になるのだろうか。
労働から資本に富が移転しているのは、これ以上作ることが出来ないと言うこと、もはや冬眠の準備にしかならないからだ。AI革命で豊かになるのではなく、極限まで効率化して行かなければ、もう生きられない、もう一つも無駄にはできない状況に追い詰められている。右でも左でもAIでも良いので、何とか地球を崩壊させずに廻さなくてはならない。(資本主義も有限性から生じている。無限ならそもそも効率など不要。)市場原理に反したプロジェクトで全く使われない無駄な建造物を作ることも、市場原理に基づくバブルでゴーストタウンを作ることも二度と許されない。繫栄が人災であるとすれば、地球が難民キャンプと化しており、AI革命はその配給方法の一つに過ぎない。
右左いずれも答えではない。公平が破綻することもあれば自由が行き詰まることもある。右に重心を置かないと落ちてしまう場合も、左に重心を移さなければひっくり返る場合もある。右も左もダメだったからと言って、その真ん中なら大丈夫とは限らない。サーフィンをしてバランスを取り続けるしかないが、永続的に維持できるものでもない。
北欧は競争する社会主義だ。資源や平地の多さ、先駆したヨーロッパという恵まれた状況もあるが、国を一つの企業としている。北欧のような制度が世界の2割以内の間はうまくいくが、各国が同じことをすれば結局その8割はうまくいかない。8割との比重で浮かび上がる2割に入らないと機能しない特権だ。効率的過ぎるものが脆弱でもあるのは、「今」にマッチし過ぎているからだ。その脆弱さは遷移時に現れるから、そのまま時代の堰を超えるのは難しい。競争とは本来歪なものだ。ルールに則って競争している種族などない。
理想の地下(処分場)が埋まり、自由の致死量に達してしまった。全ての法則や仕組みには欠陥があるが、元々オーダーメイドではなく見つけたものに過ぎない。文句があるのなら借りなければ良いだけだ。役者から脚本家へ(原作者ではないとしても)の革命である。本当はこれ以上の人口爆発など危険過ぎるが、それ以外に許された道もない。
化石燃料という過去の利用に留まらず、未来まで独占しようとしている。結局、過去から奪うか未来から奪うかしかない。将来世代が存在しなければ全て使い切ってしまっても良いのだ。(奪われて過去となった者を犠牲者と呼ぶ)化石燃料は過去の日差し、クリーンエネルギーは主に現在の日差しであり、核を除けば太陽エネルギーの利用方法の違いにすぎない。1文明に1エネルギー源が対応し、化石燃料文明がピークオイルと運命を共にする必然性はないとしても、なぜ途中で石油から核にシフトしたのかは考えなくてはならない。そこにヒントが、原作者の嗜好が出ている筈だ。ただ尺がなくなってしまったために全部を混ぜ込んで来ただけとは思いたくない。核は未来の日差しを奪うだろうか。
至る所で中庸が試されている。右でも左でもなく真ん中に集約していく革命でもあるのだ。右と左と真ん中、3つの抗生剤を合わせれば、耐性菌と化した歴史に抗えるだろうか?ハードランディングでもソフトランディングでもなくミドルランディング(非伝統的金融政策等)、命と機械の中間(生命とAIの協同)、資本主義や民主主義にも次がある訳ではないので、やはりそれぞれの中間(非営利民間やブロックポピュリズム等)、いずれも選択的フリーズだ。きっとどこにも行く必要などなく、今ここに青い鳥は居るのだろう。しかし、青い鳥を見つけること以上に、探しに出掛けることそれ自体が求められている筈だ。役割なしに居続けられるほど人間が優遇されているとは思えない。右も左も選べないから中庸で、それが可能なら一番良いだろうが、それは隠れたソフトランディング指向に過ぎない。ソフトランディングは、本来利息分だけハードランディングよりも多くを支払わされる。ハードランディングは嫌だが利息も払いたくないので、利息を誤魔化すために編み出した方法だろう。だが、猶予期間中もそれは積み上がっていると見なくてはならない。立て替えてくれる者などないのだ。
選択とは阿弥陀くじに横線を入れるようなものだ。ハンドルと同じ左右だけ、一次元的な自由しかない。前後はダメでも停止、ここに居続けようと言うのは良い着眼だが決して許されない。選択は任意ではなく強制なのだ。これまでにない新たな「所有に関する組み合わせ」を選ばなくてはならない。同じ組み合わせは二度と繰り返せないのだ。AI帝国かAI社会主義か分からないが、最後のパズルが選択されるだろう。しかしAI中庸主義だけは決してありえない。市場の失敗も政府(公共)の失敗も、そもそも既定であって、その意味では何も間違ってはいない。その中間なら失敗しない(又は失敗を埋められる)という訳でもない。公共など利己の厚着(拡張利己)でしかないのだ。選択肢を作る側ではなく選択する側である限り、消去法を伴わない選択などありえない。人類は全て漏れなく選んできた訳ではなく、何かを捨てて他の何かを選び取ってきた。体毛を失ったのは理性で厚着をするためだが、進化で全て脱ぎ捨てることもできず、動物の上に重ね着をして来たに過ぎない。全ての選択肢(可能性)が試される訳ではないのは、阿弥陀くじのように、一つ越えるたびに多くの可能性がマスキングされるからだ。老化は可能性のマスキングであり、歴史も老化する。
人とチンパンジーの遺伝子の差は1%程度とも言うが、人間とは、その1%の枠(の中の組み合わせ)を試す神のビンゴゲームと言える。ビンゴゲームに中々当たりが出なければ、アンモナイトのように遺伝子が擦り切れるまで組み合わせが試されることもある。蓄積する遺伝子エラーは、枠内ではもう出来ることがなくなるという予兆である。人間というビンゴゲームに当たりが出たのかどうかは分からないが、神はまた新たなビンゴゲームを始めようとしている。AIの登場は、人という枠ではもう創造することができなくなること、そろそろ枯渇してしまうのだということを示唆している。創造とは言っても、神から創造権を借りた(合法か違法かはともかく)二次創作に過ぎないが。AI革命が、二次創作としての創造までも完全に放棄することを意味するのなら、賄賂の額にさえ気を付ければ、錬金術の諦めと同様に新たな大航海時代(宇宙へ)もあり得る。パイとは太陽エネルギーに他ならず、二つ目のパイは宇宙にしかない。
今、歴史は蛹状態にある。古きものは全て蛹の殻となるのだ。地球を一回りしたフロンティアという壁のなかで、この星も蛹化している。殻の中で歴史もその意味も溶解する。悲劇の門だけが蛹の殻を破る。その中身はどこに消えるのだろうか?むしろ空っぽになるのは脱ぎ捨てて行く未来の方かもしれない。私は、オいて行かれた蛹の殻のように、いつまでもいつまでも生きている振りをし続けるのだ。




