騎兵達の最後
前に書いた騎兵達へのレクイエムの小説バージョンです。( =ω=)ノ
私が彼を見たのは、戦争が終わってから役15年がたってからの世界で
その時私は中学生で
私達には「戦争」というモノが創造物上の出来事でしかなかった時だった
町の商店街、部活が終わり、いつものように町の商店街を歩いているときだった
ガツン・・・・ガツン・・・・・ガツン・・・・
凄い重圧感と無機物的な音・・・・・辺りが静かなのに気がついて振り返ってみると
そこには鉄の人形がいた・・・・・・・
夕日を背にして、何かを庇うように大切そうに何かを抱えながら、歩いていた・・・・
私はソレが何なのか直にはわからなかった。
ソレがわたしの横を通り過ぎ去ってゆくまで誰も何も喋る事が出来なかった。
−かつて大規模な戦争があった。
第三次世界大戦とも言えるような戦争で、ただ唯一違った事は
第二次よりも悲惨で残酷な戦場があるということだった・・・
殺された兵士は人の形をしておらず、戦車や戦闘機も跡形もなく消え去り
戦場ともいえない荒野が残るだけだった。
その内ある国が脳以外の部分を機械化させ、通常の人間よりもはるかに強い「機械化歩兵」
通称「機兵」を作った。
機兵は瞬く間に戦場を制圧し、三ヶ月も立たない内に戦争を終わらせた・・・・
戦争に勝ったその国は、制圧した場所を元の国に返上し謝礼まで分け与え
「今後このような悲劇を繰り返さぬよう・・・・」なんて言葉を盛名した。
機兵の多くは戦場で大破し、そのほとんどが残っていないとされた・・・・・・・
―確かに、そのほとんどは残っていない。
が、唯一大戦で生き残った機兵がいた。
その機兵は製造年月が初期に近い旧型なのにもかかわらず生き残った。
旧型は特攻に特化しており、仮に生き残ったとしても大戦が終わるまで生き残る事は不可能に近い
―パタン
学校の図書館にあった歴史の資料の本を閉じる。
生き残りがいたとは教科書には書いていなかった。
何故教科書に記載されていないのか?それはいくら調べても答えはなかった
その答えはアレに聞いたほうが早いのだろう。
しかし、アレがもう何処にいるのか何をしているのかわからない・・・・・
もう一つ聞きたいことがあった。
―13年前機兵に志願していった兄がどうなったのか、私はそれが知りたい。
その時、私はまだ幼すぎて自分の兄が家を出て行く姿を不思議そうに眺めていた。
兄が家を出て行く直前に私の頭をぐしゃぐしゃといつもより長く撫でてから、名残惜しそうに出て行った。
それが兄を見た最後だった。
探していた物を目の前で見逃してしまったことに肩を落しながら、家の前に立つ
そこで少し家の様子がおかしい事に気づく、もう夕方で日が落ちているのに玄関の明かりがついていない
買い物で遅くなっているのだろうかと、思いながらドアを開けると客間のふすまが閉まっていて
そこからかすかに光と声が漏れていた。
―すっ
かすかに開いている隙間から中の様子を伺うと
母が泣きながら何かを必死に見ていた。
その横にアレがいた。
私は驚いてふすまを開けた、しかしアレと母は何かに顔を向けていた。
それにしたがって私も顔をむける、そこにあった物を見てはいけなかったと後悔したときにはもう遅かった。
そこには、兄が戦場で見てきたことと私達へ向けたビデオレターのような映像だった。
何故、兄なのか直にわかったかというとビデオレターに兄が映っていたからであった。
ホログラムだとぱっとみ判らないほどの高性能のホログラムが私達へ向かって喋っているのだ。
そのビデオレターが終わったときに映像が切れた。
母は泣き疲れたように顔を上げず、一言
「剛はがんばりましたか?」
とアレに質問した。
アレは「彼は我が軍にとって重大な貢献をしました、彼のおかげで先の大戦に勝てたといっても過言ではありません
彼は部隊を過半数なくし、これ以上の進軍は不可能と感じ仲間をその場に残し、単機にて敵基地を襲撃、
基地内部にある重要施設を破壊、かつ新型武装の書類の奪取、敵作戦の情報を見方に送信、敵基地爆破など数々の
功績をし、両腕両足を破壊され敵の捕虜にされる直前、大勢の敵部隊と供に自爆し我々を救ってくれました。」
そう答え腕に抱えていた物を私達の前に差し出し
「これが彼です。」
そこにあったのは資料であった旧型の改造型の頭と一枚のディスク
この頭が兄の頭なのかと、愕然としてみているとアレが兄の頭を押すとバシュンという音ともに前があがる
そこには兄の頭があった。
まるで眠っているような表情で、まるでまだ生きているようだった。
「兄はこんな顔をしていたんだ。」と兄の頭をみながら、ただただ、そう思った。
母は兄の頭とディスクは置いていって欲しいと頼んだ。
アレはディスクの使い方と兄の頭はまだ生きていて、こうすれば会話が出来るが出来る期間は限られている
その期限が過ぎると兄は本当に死ぬ。と言って敬礼をした後、家を出て行った。
私はアレに聞かなければならない事を聞くのを忘れて玄関でボーっと突っ立っていた。
後日、軍の方から質問があればお受けします。という連絡があり家に来た貰った。
そこで私の家族は様々な質問をして、最後に彼は何故あのような事をしているのか?と言うと軍の人は
「アレはアレが勝手にやり始めた事で私達の方からは何もお答えできません。」
と困ったように答えた。
それからというモノ、ニュースをチェックするたんびにアレのニュースが流れていた。
だがいつまでやっていても不思議と飽きは来なかった。
あれから10年が経つ。
アレが残した兄の頭は期限をすぎたのか何も言わなくなり、お墓で眠っている。
さすがにニュースもアレを放送するところは少なくなった。
が、アレをモデルにした平和を象徴する像が一つ平和記念館に増えた。
彼が見てきたことや彼の仲間達の記録、敵の記録それぞれどのような気持ちで戦っていたか、様々なことが
展示され、見学しに行った人たちは皆悲しそうな顔で帰っていった。
あの大戦が終わった後暴言はなくなった。
「死ね」という言葉がどのようなときに使われるのか、むやみに使っていいものなのかそういう事を人々は理解した
私は平和な空を見上て思う、この空は彼や兄たちが築き上げたものでもう壊してはならない。
彼が何故あのような事をしていたのか、今はわかる。
そして、何故兄があのような姿になってまで戦争に行ったのかも理解できる。
だが、少し疑問が残った彼は戦死者を全て家族の元へ返したらどうするのだろう?と
その疑問は直に解けた。
それは、彼が記念館へやってきたからであった。
記念館へやってきた彼は、自分の身体を展示して欲しい、しかし、頭とディスクは破壊してくれ。と
そう記念館の役員の私にそう言った。
「家族の元へは帰らないの?」とそう私は愚かにも聞いてしまった。
彼は
「私には家族と呼べる人は、私を家族と言ってくれません。」と寂しそうにつぶやいた。
その瞬間私はなんてことを聞いてしまったんだ。と後悔し涙をながしてしまった。
そんな私を彼は優しく涙をすくい、「貴方は泣かなくてもいい。」と不器用にも慰めてくれた。
―彼は最後に思い出のある場所で死にたいと言った。
私と記念館の職員皆と彼に息子を返してもらった家族総出で彼の見送りをそこでした。
その時に彼の家族と名乗る人が彼の名前を呼んだ。
しかし、彼は多少反応しただけで振り向きはしなかった。
だが、ただ最後に「私のディスクを彼に渡してください・・・お願いします・・・・・」そう呟きディスクを取り出し
私の足元に置いた。
そして、空を見た後自分の頭部を外し地面に置き、拳を振り上げ。
―その一生の幕を閉じた。
彼の身体は彼の要望どおり記念館に展示され、敬意を持って保管された。