文化祭抗争(10)
『機材が借りれない』
その報せが入ったのは10月の初頭のことだった。
10月にもなると校内は文化祭の話で持ち切りだ。
学ランとセーラー服に身を包む生徒たちは、休み時間にもなるとこれからの文化祭のことを楽し気に語り、放課後になれば文化祭の準備で大忙しだった。
2年C組の生徒たちも例にもれず放課後になると、台本片手に汗を垂らし自分の役を熱演し、一方で演者ではない生徒たちは舞台装置の製作に回り、必要な物資の制作に回っていた。
「なぁ凛銅、このシーンだけど、お前はどういう背景を考えている?」
「鬼ヶ島っだから岩場に砂浜? でもそれだと絵が面白くないよなー」
そうして話し合っていけば学園から借りる必要なものも分かり、それを借りる申請を女子がしにいった後の事だった。
ガラリと教室のドアが勢いよく開き、大きく胸を上下させる女子が入ってきて言ったのだ。
「私たちのクラス、機材借りれないんだって!」
と。
「なんだって?!」
四季島が息を飲む。
その一言に教室がざわついた。
「『機材貸し出し希望届』、か……」
数分後、文化祭の纏め役である梔子は顎に手をつき苦い顔をしていた。
クラスメイトも輪を作り沈痛な面持ちで黙っていた。
『機材貸し出し希望届』
青陽高校は『演劇の青陽』というだけあって毎年少しづつ予算で演劇用の資材を買い足していっている。そのため、多くの演劇用資材を有する。
それら学校が保有する演劇用機材を貸し出してもらう際、記入が必要な用紙だ。
当然希望届には締め切りがあり、通常演劇を行うクラスが全て提出した後、希望機材の分配を行うのだが……
「既に私たちが『機材貸し出し希望届』を提出していたというのね」
「う、うん……」
希望を出しに行った少女はコクリと頷いた。
それが今回C組に貸し出せない、その理由である。
2年C組は機材貸し出しの希望『無し』で書類を提出したことになっていたのだ。
演劇の台本が決まり裏方と話し合い、必要機材が割り出せた。
そのため少女が希望届を提出しに行くと、担当実行委員から既に2年C組からは希望『無』の書類が受理されていると言われたのだ。
それを受けて既に貸し出し機材の分配は行われてしまっていて、貸し出せない、というのだ。
「ど、どういうことなの……?」
事態についていけていない少女が輪の中で声を震わせた。
「知ったことでしょ。三年の誰かが私たちに成りすまして提出したのよ」
「そんなの……ッ」
祭が言うと男子が顔面を蒼白にし祭に挑みかかった。
「ありえるのかよ……ッ!」
「あり得る話よ」
壁に背を預ける姫子の冷静な指摘が入る。
周囲の視線が集まる中、姫子は話し始めた。
「梔子さん、機材貸し出しの責任者は誰?」
「確か、三年の納戸恵梨香さんだった気がしたけど……」
「納戸恵梨香さん、か……。余り印象のない人ね」
「割とおっとりとした人だよ。とても悪いことはしなそうな人なんだけど……。多分、教室に貸し出しでも反対票を出してくれた人だと思うけど」
「へ~。三年生とはいえ一枚岩じゃないんだな」
てっきり学祭制覇のために一致団結して動いていると思っていた。
朗太が意外そうに言うと祭は頷いた。
「そりゃそうだよ。やりすぎだって思う人はいるよ。まぁ問題なのはそれがメイン三年生層に歯向かえないってことだけど。納戸さんはその少数派だったと思う……」
「つまり納戸さんは利用されたってことだな」
言いながら朗太は思い出していた。
確かに自分たちが会議室に乗り込んでいった際、三年生の中に妙に酷く怯えている黒髪の少女がいた。
外見で人は測れないが、その少女は黒髪ゆるふわウェーブの優しそうな人だった。
あの少女が件の納戸なのなら、その温和な性格につけ入られたのだろう。
「利用されたって?」
朗太が一人納得していると輪の中の男の一人が尋ねた。
「納戸さんは三年生の中でも穏健派だった。そして偶然にも彼女が機材係だった。だから三年の学祭制覇を狙っている連中は、実際に二年C組の生徒を装って希望届を納戸に出したんだ」
青陽高校には、合計で1000名近い生徒がいる。
偽装は簡単なように思われた。何より
「あいつらは一年あたりも従えているからな。一年に指示すれば同学年間での顔バレも防げる。きっと、そうしたんだろうな。まぁもし、そうした場合、」
今後の罪悪感も、恐怖感も全てその一年生に背負わせたことになる。
朗太がそう言うとこの場にいる全員が朗太の想像に慄然としていた。
もしこの話が大事になれば、犯人探しだって、始まる可能性がある。
それが可能かどうかは別としてだ。
そうした時、その協力者にさせられた少年は、少女は、いったいどれだけの恐怖を感じるのだろうか。
その恐怖を三年の学祭制覇を目指す連中は強いた可能性があるというのだ。
「そこまでするのかよ……!?」
輪の中の男子が悔しそうに歯噛みした。
「そこまでするんだろ。というかもうしただろ。教室没収が何よりの証拠だ。で、この何よりの問題は――」
朗太は強調するために言葉を区切った。
「これもまた、あいつらがやったっていう証拠がないことだ」
それが何よりの問題だった。
その事実は、この場にいた誰しもが理解していたことだ。
その場にいた誰もが黙り込んだ。
誰かがC組を偽って用紙を出した。
そんなことをするのはきっと三年の連中に違いないだろうが、それが三年生による偽装かは朗太たちには証明できない。
納戸を連れまわし犯人探しをする、というのも可能だが、現実的ではないだろう。納戸には仕事があるし、時間が足りない。
何より見つけたところで、言った言わない論争に発展するだろう。
きっと泥沼の言い合いになるに違いない。
となると自分たちが主張できるのは、この用紙を提出したのは自分達ではないということだけであり
「自分達が出したんじゃないと言えば何とかなるかもしれんが、どうする?」
朗太が問いかけると、返事をするものは誰もいなかった。
既に分配は行われている。
それを再分配しようとなるとそれは大きな労力がかかるだろう。
そこでもまた言った言わない問題になるに違いない。
加えて、実はまだ、機材を借りること自体は可能だ。
となると
「……現状で何が出来るかを考えることが建設的、か」
朗太が言うと生徒たちは誰も言い返さなかった。
誰もが悔しさを感じながらもそう思っていたのだ。
そして朗太たちは――機材が借りること自体は可能――納戸のもとを訪ねたのだった。
「梔子さん、その納戸さんに会える?」
「うん……」
姫子に祭に四季島。それに道中途中から加わった朗太は三年の納戸の所属する3年D組へ向かった。
その教室に行くとせっせと小物を作る黒髪の少女がいた。
朗太の思った通りの人物だった。
納戸だ。眼鏡をかけたおっとり美人である。
「えええぇぇ!? そうだったの!?」
彼女を呼び出し人気のない廊下の隅で事情を打ち明けると、彼女は目を丸くした。
「ごめん、全然気が付かなかった……」
話を聞くと彼女は2年C組の用紙を確かに持っているらしい。
背の低い男子に渡されたのだそうだ。
「おかしいとは思ったんだよね。貸し出し希望は無いし、すぐどっかに行っちゃうし、そのあとすぐに他のクラスの男の子たちが希望用紙出してきて分配始めようって言い出すし」
納戸は申し訳なさそうに顔を歪めた。
「ごめーん、全然気が付かなかった……。いや違和感はあったんだけど、忙しさにかまけちゃった……。どうしよう、でももう貸し出しちゃったし。皆に事情を話して再度話し合ってもらうよう頼んでみよっか」
「いえ良いんです納戸さん。でも一つお願いがありまして」
「うん、聞かせて祭ちゃん」
「まだ物品は余っていますよね? それを貸してもらえませんか?」
「良いよ! 何でも借りて行って!」
祭がそう言うとミスの挽回が出来たのが嬉しかったのだろうか納戸は顔を綻ばせぐっと両手を前で握った。
青陽は仮にも『演劇の青陽』と呼ばれている。
三年生の圧力で下級学年が演劇を取りやめた以上、物品は十分にあるはずなのだ。
納戸の先導で朗太たちが納戸に連れられ物品庫へ向かい出すと、廊下の彼方から長身の男がこちらをニヤニヤと見ているのを見つけた。
久慈川修哉である。こちらの事情はすべて把握している様子である。
「あいつッ!」
「見るな……、行くぞ姫子」
突っかかって行こうとする姫子を朗太は諫めた。
「すげぇな……」
その後物品庫に行くと、薄暗い空間に、多くの機材が段ボールに詰めておかれていた。
ライト、暗幕、音響、様々な装置がある。
その中でもともと必要だったもの、もしくは在庫数に限りがあり既に無くなってしまった人気機材、その代わりになりえる物を探していく。
だが代わりがないものもあり
「十色変色ライトは諦めるしかないわね。そもそも数が少ないから抽選だろうとは思っていたけど」
「それと音響の面でも妥協せざるを得ないな」
演劇の練習が終わり生徒たちが帰った放課後、夕焼の差し込む教室で朗太たち4人は考え込んでいた。
「でも音響も安いラジカセ借りれたし、変色ライトも色付きセロファンとかで何とかなるだろ。その他もろもろも作ればなんとかなる」
工夫を凝らし、無い機材の代わりを検討する。
だがそれでも代替しきれない機材はあり
「いくつか台本も変更しないといけないわね」
今回の機材の貸し出し妨害の一件で朗太たちの作った台本は微妙な修正が迫られる事態となっていた。
とはいえ、完璧だと思っていた台本の修正だ。
なかなか心の折れる物があったのだが
「分かった……」
朗太は頷いたのだった。
◆◆◆
とは言ったものの、一度出来上がった完成原稿を修正するのはなかなかエネルギーのいる作業である。
その日の夜、朗太は自室で唸っていた。
朗太の書き散らした紙がすでに二十枚目を数える。
そんな時だ、朗太のスマホが震えた。
見ると椋鳥歩からである。
朗太が即座に電話に出た。すると歩の優しい声音が聞こえ来た。
『あ、出てくれた! こんばんわ朗太』
「おう。一体どうした歩?」
『いや、朗太が台本の修正をしているって聞いてね、順調?』
どうやらクラスメイトから話を聞きつけて心配してくれたようだ。
「いーや、ぜんっぜんだな。正直やる気が出ない」
『ハハハ、だよね……』
朗太の泣き言に歩は困ったような声音でそう言った。
同じ創作者として朗太の辛さが自分のことのように分かるらしい。
それを朗太も鋭敏に感じ取って、さらに歩に泣き言を言おうとした時だ
『でね、だから僕も相談があるんだ』
歩は声を震わせながら切り出した。
『僕も台本制作に関わらせてくれない?』
「え?」
想像もしていなかった提案に朗太は言葉を失った。
歩の協力は得られないと思っていた。なぜなら――
「歩、人に批判されるのが怖いんじゃなかったのか?」
『うん、そうだよ。でもね』
朗太が唖然としていると歩は言葉を区切り強調した。
『――朗太が困ってるんでしょ?』
その言葉は朗太の胸を胸を打った。
『なら協力するに決まっているじゃない……!』
「ありがとう」
しばらくして出たのはそんなありきたりな言葉だった。
『ま、僕としても良い挑戦になるよ』
朗太が礼を言うと恥ずかしそうに頭を掻くのが浮かぶような声音で歩はそう言った。
こうして朗太は姫子のほかに、歩という協力者も手に入れたのである。




