それぞれの日常編(3)
曰く
「入ってみたいでしょ??」
とのこと。
いや勿論入りたいけども。
「良いの?!」
朗太は食い気味に聞き返していた。
本当に入って良いんだろうか。
「良いよ! それに良いネタになるんじゃない? 『小説』の?」
「なります!!」
好きな女の子の部屋に入る体験が今後の創作の糧になるかどうかなんて火を見るより明らかだ。
これはもう入るしかない。
朗太は今後の自分の身に降りかかるであろう災難を一切合切無視しその誘いに飛びついた。
瞬間、風華がこれまでにないほど良いしたり顔をした気がした。
まるで時に姫子や纏が風華を糾弾しているように、風華の煮ても焼いても食えない一面が出たような。
一方で風華は手料理を披露し、自身の部屋へ招待する、当初の目算通り事が運び得意顔だった。
過去、朗太の好意は間違いなく自身に向いていた。
ならばこそ、ここで手料理と自身の部屋に入れば、嫌でも意識し直すに違いない。
風華の生き馬の目を抜くような策が展開していた。
だが誤算があるとすれば――
◆◆◆
自分は一体全体どうなってしまうんだ。
「こっちよ」
風華に連れられ風華の部屋に向かいながら朗太は自問していた。
風華に続いて朗太は暗い廊下を進む。
心臓はこれまでの人生で最も激しく鼓動を打っているように思われた。
それでいて顔はむしろ涼しいくらいで、視界には謎の発光体がチラついていた。
明かに風華の部屋に行けるとなり体調がおかしい。このまま死ぬんではなかろうか。
だがこの機会を逃したら一生後悔する。
朗太は壁に手をつきながら目的地へ向かった。
「ここよ?」
先を歩く風華が襖をあけて暗い廊下に陽光が差し込んでくる。
風華の家はさして広くはない。
風華の自室まで2メートルもない合間だ。
だがその僅か2メートルの隙間が果てしなく遠くに感じた。
だがそれも、縮まらない隙間ではない。
朗太は日差し照り付ける砂漠のような過酷さの空間を埋め、風華の部屋の前までたどり着いた。
朗太は思う。
一体どんな楽園が広がっているのだろう、と。
そしてそこは、朗太の想像を遥かに超える空間だった。
目の前に広がっているのは畳の敷かれた四畳半だった。
壁際に姉と共用なのだろう二段ベッドが置かれ、一段目の柱には『風華』と書かれた表札が下げられていた。一段目が風華の寝床なのだろう。ベッドの上には薄青色のタオルケットが転がっていた。
そこで日々風華が寝起きしていると思うと何とは言わないが『来る』ものがあった。
窓辺には桃色のカーテンが引かれ、その横には勉強机が一台あって、部屋の中央には同時に勉強するようなのだろうか、ちゃぶ台が置かれており、その上には漫画などが置かれている。
部屋の隅には洋服ダンスが置かれその上の段ボールの中には様々なものが雑多に詰め込まれていた。
遠くからトラックが走る音が聞こえてくる。
何もかもが『リアル』だった。
風華の部屋の景色はどれもかなり刺激的なものだった。
だが中でも視覚的に最も強烈だったものが壁際に掛けられた風華の制服だった。
それはなぜかこれでもかというほどの『リアル』を朗太に感じさせた。
だが朗太にそれ以上の衝撃を与えたものがある。
それは匂いだ。
そう、風華の部屋には風華の匂いに満ちていて
(これは――――ッ)
朗太は目を剥いた。
悶絶した。
「ちょっ……大丈夫凛銅君!?」
「だ、大丈夫だ……」
「大丈夫なわけないでしょ! 今にも気絶しそうになってるじゃない!?」
「だ、大丈夫だ。気にしないで」
「気にしないでって今にも死にそうだけど! く、今の凛銅君には私の部屋は刺激が強すぎたか?! まずった! おーい凛銅くーん!! しっかりして――!!」
そのまま壁に向かって倒れそうになり、風華に支えられつつもはたかれていた。
意識が朦朧として、今にも気絶しそうだった。
そんな時だ。
「風華ねぇ、何やってんの??」
「その人誰ー!?」
「げ……、アンタたち帰ってたの??」
そこに二つの生命体が現れた。
それが――この時朗太は知る由もなかったが――風華の双子の妹の華鈴と華蓮である。
小学二年生の彼女たちがいつの間にか帰ってきていたのである。
「わ、私の友達よ!?」
半気絶状態の朗太の横で風華は慌てて答えていた。
「姫子ちゃん以外に風華ねぇの友達っているのー?」
「い、いるわよ失礼ね!」
「あ、分かった華鈴ちゃん! この人前に言ってたりんどーって人だよ!」
「りんどー!? あ、蘭華ねぇが言ってた風華ねぇが好きな人!?」
「でしょ!? そうでしょ!? この人がりんどーって人なんでしょー!?」
「あぁぁちょっとアンタたち、声がでかい!! 黙ってなさい!!」
風華は地雷しか踏まない妹たちを叱りつけた。
一方で風華の香りで意識を持っていかれかけた朗太。
朗太の意識は朦朧としており風華と妹たちの会話など霞がかった喧噪にしか聞こえていなかった。だが風華によく似た可愛い小型の生命体が現れたことは認知し、朗太は呟いた。
「し、白染のゆるキャラみたいなのが二人もいる……天使……? 俺は……死んだのか?」
「風華ねぇおかしなこといってるよこの人?」
「天使じゃないわよ私の妹のいまいましいチビ助たちよ!しっかりして凛銅君! 天使は私でしょ!?凛銅君はまだ生きてるわよ!?」
「それによく見たらあんまりかっこよくないね?」
「風華ねぇならもっといい男ゲットできる」
「この人のどこが良いの風華ねぇ」
「顔はいまいちかもしれないけど光るもん持ってんのよ!」
風華は妹たちを叱りつけた。
◆◆◆
それから数分後のことだ。
「初めまして白染華鈴です!」
「初めまして白染華蓮です!」
「は、初めまして、凛銅朗太です……」
朗太は白染家の居間で自己紹介していた。
目の前には風華と同じ雰囲気を感じる二人の美少女がいた。
「え、白染、この人たちって」
数分前意識を取り戻し今しがたようやく自己紹介を終えた朗太は驚愕と共に風華を見やった。
「白染の妹?」
「「そーです! 私たち妹なんですよー!!」」
息の合った返事を双子たちがくれる。
「そーよ。これが私の妹、華鈴と華蓮」
「すげー可愛いじゃん!!!!」
朗太は興奮しながら妹たちを覗き込んだ。
「じろじろみて気持ち悪いよ風華ねぇー」
「こ、こういう人なのよ……」
朗太の反応に風華も怖がっているようだった。
その後朗太は双子たちとおはじきをしていた。
「てゆうかアンタたちなんで早く帰ってきたのよ?お小遣い上げたでしょ?」
「暑かったから帰ってきちゃったー」
「クッ、こんな日に限って!」
「仕方ないでしょーこんな暑いんだから」
「全く仕方ないわね。アンタたち手洗いなさいよ」
風華は帰ってきた双子の妹たちに母親のように指示を出していた。
そして手を洗い終わると
「じゃ一緒におはじきやろうよ」
双子の片方が朗太の前でじゃらっとおはじきを出したのだ。
風華の妹となれば丁重にもてなさなければならない。
朗太は快く引き受け、おはじきを興じていた。
そうしながら双子たちと会話する。
「姫子の奴もここに来るんだろ? あいつともこういうことしてんの??」
「姫子ちゃん? 姫子ちゃんが来たときはねぇ、レディーとしての嗜みを教わってるよー」
「男の子に言い寄られた時の断り方とかねー」
「あ、あいつそんなこと教えてるのか……」
小学二年の女子たちに何マセたこと教えてるんだあいつは。
朗太は相手の年齢を考慮しない姫子の仕業に顔を歪めた。
「姫子ちゃんがねぇうちに来るときはずっと風華ねぇと喋ってるからそれに混ぜて貰うのー」
「そう、ずっと喋ってるから入れて貰うのー」
「なるほど」
姫子と風華の二人はきっと荒み切ったことを話すに違いない。
そこにこの純粋無垢な生命体が加わるのは彼女たちにとっても良いスパイスになるのかもしれない。
「それにしてもおねぇちゃん、急に料理上手くなったな?」
「あ、そうなんだよー。ここ最近急に上手になってねー?」
「うん、ネットで色々見て作ってたみたいー?」
「凄いな。それにこうして妹のお昼も作っておくとか出来たお姉ちゃんじゃないか」
「うん??」
朗太の言葉に双子の片方が首を傾げた。
「風華姉は普段はお昼なんて作ったりしないよー?」
「え、そうなん?」
「そうそう。普段料理してくれるのは大抵お母さん、そうでなかったら」
「蘭華姉だよねー」
「うん、風華姉は私たちと同じ食べるだけだったかもー」
「でも今日は違ったよね?」
「そうそう。なんか今日は『私がお昼作るから任せて!』って気合入ってたよねー」
「どういう風の吹き回しなんだろうねー?」
「ちょっとちょっと! アンタたち何言ってんのよ!?」
そこに『凛銅君が相手してくれてるなら私は洗濯物片付けてきちゃうわね』といって奥の部屋に引っ込んでいた風華が慌てて割って入った。
「アンタたちは黙っていればいいのよ全く!」
まるでその姿は自身の策略がばれるのを必死に防ごうとするかのようだった。
「というかなんで風華ねぇそんなおしゃれしてるのー?」
「風華姉、いつもはジャージじゃんー」
「そんな服普段来てないじゃんー」
「黙れ黙れ黙れ黙れー!!」
だが小学二年生に話していい話とそうでない話の頓着があるわけもなく、彼女たちの口に蓋は出来ない。
彼女たちは風華の言って欲しくない内容をずけずけと口にし、それを必死に風華は押さえつけようとし
「凛銅君!」
「は、はい!」
「今のは全てこの馬鹿な妹たちの戯言だから! 分かった!」
「は、はい……!」
朗太にくぎを刺していた。
そんな時だ。
玄関の引き戸がガララと開き
「おっすー帰ったぞお前たちー」
「蘭華まで!?」
「おいなんだ風華ってうおおおおおおおおおおおおおお!!??」
風華の姉らしい蘭華が帰ってきた。
茶髪ロングの背の高い超絶美人である。
170後半くらいはあるのではないだろうか。
姫子と同じように明るい髪色ですらっとした美人だが、その長身もあり姫子とはまた違った印象を与える人物であった。
「は、初めまして……」
「おいこいつが凛銅か風華!?」
「そうだけど」
「おうおうおうおうおう!! よぉ初めましてお前が凛銅朗太か! 私の妹が世話になってるよ! 私は風華の姉の蘭華だ! 宜しく!!」
「り、凛銅朗太です……! 宜しくお願いします……」
風華の姉ということで朗太がおっかなびっくり挨拶をしていると蘭華は豪快に笑いながら握手をしてきた。
「はっはっは、姉の私が言うのもなんだがコイツめちゃくちゃだろ?」
「は、はい。それはもう」
「ちょっと凛銅君どういう意味!?」
「おいおい、そんなのそのままの意味に決まってるだろ風華。お前はわりかしめちゃくちゃだろ?」
「余計なお世話よ! というかバイトは!? 『だりぃっす』は?!」
「あぁ、シフト勘違いしてたんだ。私午前中で終わりだった。残念だったなー私が帰ってきちゃって」
「もういいわよ!」
「ほーら見たか凛銅? コイツめちゃくちゃだろ??」
朗太が呆気に取られている間に風華と蘭華が言い合いをして驚いた。
そして朗太にしてみれば好いた風華だ。
フォローを入れざるを得ず
「で、でも、それがまた白染の魅力だとも思うから」
「そうか、なら良かった。とおっと風華、お前照れてるな?」
「て、照れてないわよ!!」
「おいおいそんなの見ればわかるぞ? 凛銅、こいつ相当照れてるぞ?」
「風華ねぇ顔真っ赤ー」
「あ、ほんとだ可愛いー」
「黙れ黙れ黙れ黙れ! 皆私の家から出ていけーー!!」
朗太のフォローに顔を赤くした風華が叫び、自身の周囲から姉妹を追い払おうとしていた。
それから数時間後のことだ。
「じゃ、ま、またね。凛銅君」
「は、はい……」
「また遊びましょう」
あの後散々姉や妹に引っ掻き回され恥ずかしさで赤黒い顔をしている風華とその日は別れたのだった。
こうして夏休みは続いていく。




