第四の依頼(2)
◆◆◆
女子達に囲まれて遠州が肩を震わせている。
(感受性たけぇな…)
それが江木巣の言葉で涙を流す遠州を見た時の朗太の率直な感想だった。
◆◆◆
「なげぇッ! 疲れたッ」
「そう言うなよ朗太」
姫子から依頼を聞く数日前の六限目。
朗太は蒸し暑い体育館の隅に座り込んだ。
横にいた誠仁が朗太が買っておいたスポーツドリンクを差し出す。それを飲み干しながら朗太は体育館の中心を見やった。
突然だが、青陽高校の体育は二時限ぶっ通しで行われる。
ここ最近は長々とした基礎練習は行わず専ら試合がメインだ。
最初にレイアップシュートだのの基礎練習を終えるとすぐに体育館を二つに割った小さいコートで全チーム総当たりのミニゲームを行い、その後授業の終わりにかけて体育館一面フルで使用したE組班 VS F組班の、総当たり制クラス対抗戦を行う。
そして授業の中盤に行うE組F組班関係無しの総当たり制ミニゲームも女子の観客がいると言うことで盛り上がるのだが、この授業の最後に行うクラス対抗戦はそれとは比べ物にならないほど盛り上がる。
それがまさに今目の前で行われているのだ。
「いけいけー」
「うおおおい!」
朗太の前で、ゼッケンをつけた男子がコート上をところせましと駆け回り、それを見て女子達が黄色い声を上げていた。
合計8班中、4班が試合、2班が審判、残り2班がフリーという皆忙しい全チーム総当たりのミニゲームとは違い、クラスメイトの多くが観戦する。
それどころか2時間という長い授業。
授業の終盤に女子たちが男子たちのバスケを見に行くことが半ば公認されていることもあってこのクラス対抗戦は殊の外盛り上がるのだ。
ちなみに先ほどまで朗太は審判の中でもタイムキーパーをやらされており、先の発言は通常のミニゲームより若干長い試合時間に対する不満であった。
朗太が見ているうちに試合は終わり、E組から歓声が上がり、F組からため息が漏れた。
そして、
「さぁ、僕の出番かな?」
試合が終わるとここ最近、話題の人物が立ち上がった。
「キャー!江木巣君よー!」
「イケメーン!」
E組、バスケ部所属、江木巣フルヤである。
金髪のユルフワウェーブが特徴の男子で、ここ最近持ち前のバスケ能力で破竹の勢いで白星を荒稼ぎしている人物だ。
彼が自身の出番に立ち上がると体育館の二階が沸いた。
女子だけではない。
「フルヤの出番がようやくきたぜ?」
「この試合は勝ち確だな?」
E組男子たちも盛り上がる。
何せ彼はここ最近ミニゲームを含めても一位の勝率を誇るチームのエースであり得点王だからだ。
加えて整った顔立ちもあり女子のギャラリーから黄色い声があがるのも納得だ。
対しF組は
「まただよ…」
「イケメンはいいな」
苦い顔である。
「はぁ、またあいつか」
朗太の横で胡坐をかいた大地が頬杖をつき吐き捨てていた。
これまでチーム総当たりのミニゲームやクラス対抗戦で散々辛酸をなめさせられている相手だからである。
だが、今回こそ勝とう。
「がんばれー蝦夷池!」
「日坂も気合い入れろよー!」
「がんばってー、日坂ぁー!」
F組の生徒たちは彼らを出せる限りの応援で送り出した。
だがしかし
「23対9でE組1班の勝ちです!」
「「「「ありがとうございましたー!!」」」」
江木巣率いるE組1班の勝利に終わる。
「イエー! やったぜー!!」
「かっこいー! 江木巣くぅーん!!」
E組のギャラリーからパラパラと拍手が送られ、E組1班の生徒が揚々と去っていく。
そして
「いやー楽だったよ」
E組の友人たちに交じると江木巣はわざとらしい大声でそう言った。
また始まった。
F組の多くの生徒が内心思った。
そう、これが嫌なのだ。
この江木巣と言う少年、自身がバスケ部員だということに加え、この中で一番バスケが出来るとあって必ず若干調子づくのだ。
だからこそF組の中には彼に対し微妙な感情を抱く者も少なくないのだが、今日の彼は違った。
もしかすると普段よりもギャラリーが多いことが要因したのかもしれない。
普段よりも、さらに酷かったのだ。
E組の連中を混ざると
「いやー楽過ぎて逆に調子狂うって、ハハ」
と言ってみたり
「まじで全勝狙えるぞこれ。F組弱すぎ」
などと饒舌に煽り文句を語り始めたのだ。
それを聞いてF組生徒は胡乱な視線を彼に送り、内心でいつか目にもの見せてやると闘志を燃やしていたりする生徒も中にはいたのだが、それとは別に俄に体育館の二階、コートを見下ろす渡り廊下が騒がしくなり始めたのだ。
見ると朗太と同じクラスのおさげの少女、遠州が肩を震わせていて、遠州の肩を藤黄が抱いている。
そして後から聞いた話では、江木巣の言葉を真に受けて悲しくなってしまったらしい。
それを聞いて朗太は思ったのだ。
なんて感受性の豊かな少女なんだと。
自分に対して言われたわけでもないのに、自身が所属するクラスの、それも別に深い関わりもないだろう男子が苔にされたことに対し涙を流すなんて、なんて心の清らかな少女なのだろうと。
なぜなら朗太は姫子や風華や纏たちの件で散々ぱら悪口を言われ放題で感覚がマヒしているので、江木巣の煽り文句なんて何にも感じなくなっていたからである。
余裕も余裕であり
え、だから何すかね?
え、そんなことで傷つくとでも?
こちとら運動神経に一切のプライド置いてないんで?
いくらでもマウント取ってくださーい、と笑って言えるレベルだったのだが……
――まさかこんなことになるとは。
「ホラ朗太! 私からボール奪ってみなさい!?」
「くぅッ!!」
放課後。
朗太は思わぬ形で身に降りかかった災難に唇を噛んでいた。
学校から程近い公園で朗太の前で体育着をきた姫子がバスケットボールをついていた。
姫子の提案で1on1の最中なのである。
湿った大地の上で体操着姿の姫子が中腰で立つ。
亜麻色の髪が跳ね、ユニクロ製のTシャツ短パンから伸びる手足が生めかしい。
だがそんなことは関係ない。
今は試合だ。
「ぬぅ!!」
よこせ!
朗太は乱暴にボールに手を伸ばすがヒョイと姫子は身体を反転させ躱し、そのまま軽い動作でジャンプすると同時にボールを投擲した。
するとボールはこちらに黒い影を見せながら緩やかな弧を描き
「すげー姫子ちゃーん!!」
「やるなぁ茜谷」
「まぁこんなもんよ」
パスンと軽い音を立ててゴールして、大地達の歓声と同時に、姫子の自慢げな笑みを見せた。
「はぁ……はぁ……やるな姫子……」
「アンタがやらなすぎるだけよ」
そんな姫子を朗太は息を上げながら恨めし気に眺めた。
昨日、姫子に同じクラスの藤黄から遠州の仇を取るために江木巣班に勝って欲しいと言われた。
そしてその刻限は来週の火曜日、今日から六日後のことである。
言ったように既にF組の三班は江木巣率いるE組1班に敗北を喫してしまっており、残すF組班は朗太たちしかいないのだ。
江木巣と同じくバスケ部に所属する例のくじ引き事件の犯人だった津軽が問題が顕在化する前の第一戦目で江木巣と当たり惜敗してしまったのが痛かった。
津軽以外にF組にバスケ部はおらず、すでに三連敗中。
勝ち星を競うクラス対抗戦もE組優勢でF組に勝機は薄いが、どうにか、どうにか次の授業で、バスケが採用される最後の授業で江木巣班を負かしたい。
だからF組4班、最大の弱点でありお荷物であるところの朗太をどうにかして勝ちを掴もうという話で、だからこそ朗太は昨日姫子に呼び出されたのだ。
だがどうせチーム戦なのだ。
朗太は同じチームの大地・誠仁。
加えて同じく同一班でクラスでも比較的仲の良い友人、黒髪ベリーショートの兄貴肌、高砂日十時と茶髪ロン毛の弟?肌?、桑原春馬を呼んだのだ。
「残念だったな朗太」
「いやもともと勝負は見えてた」
「まぁな。でも全く、茜谷と放課後を一緒に過ごせるなんて朗太と一緒の班でラッキーだぜ?」
「ホントホント。ろーちゃんと一緒で良かったよぉ~」
桑原は朗太を『ろーちゃん』と呼ぶ数少ない人間である。
朗太が公園の隅の段差に腰を下ろすと高砂がコーラを差し出した。
高砂と桑原は日の落ち始めた公園で髪を振り乱し駆ける姫子を羨望の眼差しで眺めていた。
両者とも運動部に所属しているのだが、朗太が姫子からの依頼を話したところ二つ返事で部活をずる休みし参加したのだ。
そして件の姫子はというと
「ホッ、ホッ、ホッ。バスケするのなんて久々だけど意外と余裕ね?」
朗太からすると信じがたい。
誠仁と試合する前の準備動作なのだろうか。
ボールを体の上を縦横無尽に転がしていた。
素直に凄いと思う。
腿に下の辺りを通過していたボールがいつのまにか尻から背中へまるで生きているかのように転がりあがり、姫子の脇下に来たかと思ったら、そのまま胸の上を通過し、首の後ろ、肩を通し手に収まる。
そしてボールを一突きしボールを両手に持ち変えると後方へ飛ぶとともにシュート。
ボールは鮮やか弧を描きリングに吸い込まれた。
「なかなかやるようだな。茜谷。だが俺はそう簡単にはいかないぞ?」
「あら本当かしら?」
姫子がボールを回収していると屈伸などの準備体操を終え眼鏡を輝かせる誠仁が声をかけ試合が開始された。
誠仁がドリブルをしながらリングを狙い始め、それを姫子が果敢に守る。
よく動くよホント。
朗太はこれで5人目だというのに全く運動量の落ちない姫子に感嘆した。
姫子は朗太たちを公園に集めると言ったのだ。
「朗太から聞いていると思うけど、遠州の仇を取るために何としても来週の火曜日にやる体育であなた達には江木巣班に勝ってもらいます!」
そして
「まず全員のレベルをまず見ます! だから最初に私と1on1で勝負しましょう!」
こうして朗太たちは姫子と順番に運動部に所属する高砂や桑原を含めて1on1で勝負を始めたのだ。
結果はこれまで朗太含めて男子の四敗中。
誠仁の勝敗により男子が全敗かどうかが決まるのだが――
「どうやら、私の勝ちね……」
「そのようだな……流石だ茜谷」
「アンタもね宗谷……」
結果は姫子の全勝であった。
「てゆうかマジで運動神経やばいな茜谷」
「し、信じらんないよ……ろーちゃん……」
「俺も信じられん」
男子と5人連続で試合をして勝ち切る姫子の化け物体力と運動神経に朗太たちはコーラを飲みながら恐れ入っていた。
というか本当に上手い。
先ほどどうしてそんなに上手なのか聞いたが
「だって去年の体育でやったじゃない?」
なんて腹の立つことを言われた。
だけど
「もう一回、もう一回勝負しようぜ?」
「良いわよ舞鶴」
授業でやっただけでスピンムーブ?やスクープシュート?なんてできるようになるの?
朗太は俄には信じられなかった。
結局大地の再戦も姫子の勝利に終わった。
そして計6試合というとんでも試合数をこなし息を上げながら姫子は言ったのだ。
「まず高砂と宗谷は合格ッ。この調子で頑張ればいいわ。桑原と舞鶴は及第点。みっちり練習する必要があるけど、なんとかなるかも」
朗太の周囲の四人から安堵の声が漏れる。
一方で言及の無かった朗太が不審な顔をしていると、そんな朗太ににっこりと笑い姫子は言った。
「で、あんたは落第ね、朗太」
……。
まぁ、でしょうね。
それから小一時間、姫子とワンツーレッスンを受けている。
「まずはドリブルの仕方から復習しましょうか?」
「それくらいできるわ」
「朗太はその基礎すらなっちゃいないからみっちりやるつってんのよ。アンタのドリブルはなよなよしてんのよ。あれじゃダメよ」
「……」
レッスン開始時の会話である。
曰く、自分はパスからドリブルまで基本がまるでなっていない、らしい。
姫子の計算では勝ち目はあるらしい。
なぜなら相手チームは確かに江木巣を擁していて強いが、逆に言うと強いのは江木巣だけなのだ。
他は別段飛びぬけた運動神経を保有するものはいない。
だからこそ一週間、みっちりドリブルからパス、シュート、ディフェンス、その他もろもろを急仕込みで抑えて臨み、江木巣を二人がかりで抑え込めば勝ち目があるはず『だった』らしい。
しかしあまりにも
「アンタが戦力外過ぎるわね……」
マンツーマンレッスン中、姫子は浅い息をつきながら呟いた。
すんません。
おかげで朗太はありがたいことに姫子の個別レッスンを受けられるようになったのだ。
正直、屈辱でしかない。
「ホラホラ、どうしたの? ちゃんと張り付きなさい?!」
現在、ダムダムとボールをつく姫子の大きく実った胸が目の前で揺れている。
いっそのこと腹いせに揉んでやろうかとすら思う。
だがしかし、ここは我慢だ俺。
朗太は自分に問いかける。
いくら何でもバスケが上手に出来ない腹いせに女子のおっぱいを揉むのは人として最悪ではないかと。
至極真っ当な指摘を自身に送る。
「ハハッ! 大地やるなぁー!」
「へへっ、どんなもんよー!」
「おい! それはせこいだろー!」
「ひとときぃぃぃぃ!」
近くでは残りの四人が楽しそうにミニゲームをしていた。
混ざりたい、朗太は思った。
そして夕焼けが暗闇に変わりつつある頃合いのことだ。
「ぜんっぜんダメね……!」
「は、はい……」
一向に改善しない朗太の壊滅的運動神経に姫子は息を上げていた。
男子五名と1on1をして軽く息を上げるだけだった姫子をここまで疲弊させた自分の絶望的運動神経が自分でも信じられない。
姫子が懇切丁寧にドリブルの仕方やらパスの仕方、ディフェンス時の体の使い方など超基礎的な内容を指導してもこのボディーは受け付けなかったのである。
だが内心に「ほら見たことか」と自分の無能を棚に上げて現状を冷静に俯瞰している自分がいるにはいて――
そんなあっけらかんとした朗太の一面を見抜いた姫子はそれが気に入らなかったようだ。
あまりの朗太の運動神経の悪さに業を煮やした姫子はゼーゼーと息を切らせながら言った。
「仕方がないから最終兵器を出すわ」
と。
「何だよ最終兵器って」
つっけんどんに尋ねると苦い顔をしたまま姫子はポストコを起動し耳に当てた。
「知ってんでしょ私が誰と友達なのかくらい」
――つまりそれは姫子の友人を呼ぶという意味で、姫子の友人、親友でバスケ上手な人物といえばすなわち――
「ハッ」
ようやく姫子のしようとしていることに気が付き朗太は目を剥いた。
そして――
「おいやめ――――」
制止しようとしたが遅すぎた。
「あ、もしもし風華ー? 実はちょっとアンタに頼みたいことあんだけどー」
それから数分後、
「呼ばれてきました風華ですッ!」
暗闇の街灯の付き始めた公園にバスケ部のユニフォームを着た風華が現れる。
そしてすさまじい勢いで現れた天使に息を飲む朗太に笑顔を爆発させて告げた。
「一緒にバスケの練習をしようか、凛銅君!」
そう、姫子の親友は風華であり、風華は女バスのエースなのだ。
つまり朗太は自分の想いの人に運動音痴のバスケを教わる羽目になり
「ぁぁぁぁぁぁぁ……」
朗太は言葉にならない叫びを漏らした。




