筋肉トレーニング推進部(2)
Web小説家の朝は早い。
朝靄の立ち込める早朝。
キジバトのホーホーという鳴声が聞こえてくる薄暗い室内で
「55……56……」
朗太は『スターヒストリカルウォーズ』の先の展開を考えながら腕立てをしていた。
顎を伝う汗がポタリと床に落ちた。
決まったセット数をこなし終わったら今度は腹筋だ。
「27……28……」
これもまた物語の先に想いを巡らせながら腹筋を強化する。
そうしてその後背筋の筋トレを終え階下へ向かい
「やはり筋トレのあとの牛乳は旨いな」
牛乳を呷った。
旨い。旨すぎる。
心なし筋肉にいきわたっていくのを感じる。
時刻は朝五時半。
誰もいないくらいリビングで朗太はささやかな朝の幸せを満喫していた。
すると
「うわ~、朝からキモイ事言ってんなぁ……」
「お、早いな弥生。おはよう」
「おにぃが朝から煩いから起きちゃったのよ……。この騒音馬鹿兄貴。おはよう」
寝ぐせで酷い有様の弥生がえっちらおっちらやってきた。
そして朗太が注いでやった牛乳を同じく呷ると
「で、何今度は筋トレなの?」
げんなりとした調子で尋ねた。
「おう、今度は筋トレだ。実はこの前筋トレ部に入ったんだ」
「……筋トレ部? そんなんあるんだおにぃの高校……」
「おうあるんだぞこれが」
「ふ~ん。普通に引くわ……。程々にしなよおにぃ」
言うと二度寝でもするのか弥生は二階へ引き上げていく。
去り際「あぁ~、筋トレで良かった……」とか言っていたが何だと思ったのだろう。
確かに「ハァ……!」とか「フゥ……!」とか言っていたが一体弥生は自分が何をしていると思ったのだろう。
分からない。
朗太は眉を顰めた。
それと『程々にしておけ』。
これは一体どういう意味だろう。
と、朗太は不思議に思いながら高校に向かったのだが、
「おいアレ……」
「見て……」
明かに周囲の視線がおかしい。
校庭横の新緑の並木道を歩きながら朗太は眉を顰めた。
ここ最近も、きっと姫子とつるんでいるからだろう、
多くの生徒から好奇と忌避の視線を向けられていた。
しかし今日はなんというか『珍獣』を見るような……?
『好奇』という表現では物足りない。
何と言うか檻の中の獣を遠巻きに観るような今まで以上の視線を感じる。
実際
「あ、ホラあそこ……」
「珍獣だ」
という言葉まで聞こえてくる。
珍獣だと? ぶっ殺すぞテメー。
朗太は脳内で処刑者リストを作成しつつ原因を探った。
しかしいくら考えようにも原因が分からない。
そう言えば、姫子に黙って筋トレ部に入って数日が経った。
昨日、部長の頭蓋田が生徒会に10名になった旨の報告に行くと言っていたがそれが原因なのだろうか。
しかし、そんなことで生徒たちは不審がるだろうか。
そう朗太は顔をしかめ考えながら教室のドアを開けたのだが
「おい来たぞ!」
「おぉぉぉ! 待ってたぞ!」
朗太の登場ににわかに教室が騒がしくなった。
そしてその生徒の輪の中にいた姫子が皆を代表するように酷い剣幕でにじり寄ってきて、
「あ、アンタ……! 筋トレ部に入ったって噂になってるけど本当なの?!」
困惑しながらも尋ねてきた。
なんだそんなことか?
朗太は胸筋を撫で降ろした。
つまりこれまでの好機の視線もそれが原因だったのだろう。
大したことでは無いのに大げさな奴らである。
「あぁホントだぞ頼まれてな」
「アンタ正気なの!?」
「正気だぞ? 見てくれ俺の上腕二頭筋を、ハァッ!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「おいどうした姫子。かっこよすぎて嬌声を上げて」
「おぞましくて悲鳴を上げたのよ! この馬鹿! あと嬌声とか言うなッ!」
姫子は声を荒らげた。
やれやれ、嬌声を上げておいて素直じゃない奴だな。
朗太は「てゆーかなんでよりにもよって筋トレ部なのよ!?」などとやんや騒がしい姫子を無視し自席に座った。
「ろ、朗太、お前マジなのか?」
すると目を皿のようにする大地がいて
「おう、マジだぞ? 最近体動かしてなかったからな。いい機会だ」
「ま、まぁ朗太がそれでいいなら良いけどな……」
大地はそう言うとぎこちない笑顔で笑った。
そうそう親友はこうでなくっちゃな。
朗太は結局は受け入れてくれる友人の存在に重圧から解放されたような気がした。
だがそれからも大変だった。
かわるがわる生徒たちが休み時間筋トレ部に入った朗太を見物しに来るのだ。
そしてこれだけ話題になれば風華の耳に入らないわけもなく
「聞いたわよ! 凛銅くん!」
昼休み、バァン!!と扉が開かれ天使が降臨した。
対しその登場に朗太が泡を食っていると
「で、本当なの!? 凛銅くん!? 筋肉ダルマ製造部に入ったって言うのは?!」
興味津々といった調子で目をキラキラさせながら風華がにじりよってきて、その距離が余りに近い。
もうすぐにでもキスでも出来そうなほど近くて
「で、どうなの!? 凛銅くん!?本当に一員になっちゃったの?! 筋肉キングダムの!?」
無邪気に尋ねてくる風華に朗太は赤面し押し黙るしかなかった。
だがそんな気もしらで風華が「で?で?」と尋ねるので
「う、うん……」
しばらくすると朗太は頷いた。
「身体動かす良い機会だったから……。それと正しくは筋肉トレーニング推進部……」
「フフフフフフフフ。凛銅くん本当に面白いね!」
聞くと風華は白い歯をのぞかせた。
そして次の瞬間にはブハハッと吹き出し目元の涙を吹きながら「いや~ほんとーに飽きないなぁ…」と一人ごちると朗太の肩をぽんぽんと叩き、「そっか~筋トレ部かぁ。面白い部活入ったねぇ~」と満足げに呟き
「大丈夫! 私は変に思ったりしないわ! だって体を鍛えることは良い事だもの! 今度腹筋見せてね? 凛銅君? 私と勝負よ?」
にへへと笑い戦いを申し込むように朗太へズビシとゆびさした。
「いや勝負て……」
思わず溜め息をついてしまった。
腹筋勝負てお互い見せ合うんかいと。
流石にそれは無理だろう。
「あ! 舐めてるでしょ凛銅君!? 私、意外と腹筋あるんだよ? だから今度勝負よ? 指きりしましょ?!」
明らかに朗太が連れない反応をしていると風華は小指をすっと差し出した。
そして
「え!? え!? え、なに!?」
「指切りよ!ほら、早く指だして。はい、それでいーの! はいこれで決定ね?!」
泡を食っている朗太と強引に指切りをした。
「じゃー楽しみにしてるから? 頑張ってね!」
目の前で風華がニッコリと笑う。
朗太が突然の出来事にフリーズした。
「あ、アンタ、何馬鹿なことやってるのよ……」
そこに呆れ顔の姫子が割って入る。
「何って指切りよ?」
「だからそれを何やってるって言ってんのよ……。てゆうかアンタ、コイツをその気にさせるんじゃないわよ……。コイツ、まじで変なところ気合い入れるところありそうだし、このままゴリゴリになったらどうすんのよ……?」
「あら、姫子は凛銅君の外見が好きになったの?」
「ち、違うけど……!」
「なーら良いじゃない。私、ある程度は筋肉ついている人の方が好きだし~。それに凛銅君の体系・体質じゃ、筋肉そこまでつけられないわよ。そう私の『運動眼』が言っているわ……!」
「何なのよそれ……」
姫子は腕を組みあきれ返っていた。
一方で
(しししし白染とゆゆゆゆ指切りをぉぉぉぉお?!!)
想いの人との指切りに意識を取り戻した朗太は自分の身に起きたことに驚愕し赤面していた。
そしてその衝撃により朗太にかかっていた筋肉チャームは『解除』。
朗太は元の状態に戻ったのだが――
◆◆◆
やはり筋肉はある程度あるに越したことはないという結論に落ち着いた。
素面でも筋肉を求める程度には筋肉適性があったのである。
そしてその日の放課後のことだ。
「だから何度も聞くけどアンタ本気なの?!」
朗太は渡り棟1階にある筋トレ部の部室へ向かう道すがら姫子に問い詰められていた。
昼の柔らかい陽光が廊下に差し込む。
「だから本気だって言ってるだろ? 何度言わせるんだ? 俺は筋トレ部に入るんだよ」
朗太は繰り返しになる答えをまた繰り返した。
先ほどまでは筋トレ部へ入って間もなかったことや、彼らの圧倒パフォーマンスを受けてから日が浅かったこともあり筋肉への憧れが強かったが、今だって筋肉の魅力は理解している。
いずれにせよ今のひょろひょろの肉体よりはある程度筋肉のある肉体の方が健康的であろう。
だから朗太は同じ答えを繰り返すのだが、姫子は朗太が筋トレ部に入ることに不満があるようだ。
「ねぇ考え直さない??」
と朗太に縋りつくように尋ねていた。
「いや考え直さない」
朗太は姫子の願いを思いっきり突っぱねた。
すると姫子はその場に押し留まると
「じゃ、じゃぁ! アンタ、私との活動はどうすんのよ!?」
胸に手を置きそう言った。
この周囲に誰もいないという状況は姫子から外聞を取り去るらしい。
姫子の表情は今にも張り裂けそうだった。
つまり、姫子が一番かけたかったのはこの問らしい。
姫子はずっとこの問いを唇の上に浮かべては引っ込めていたのだ。
そして痛切な姫子の叫びを聞いた朗太はというと
「いや続けるよ?」
即答していた。
「え?」
姫子は拍子抜けしたような顔をした。
「で、でもどうするのよ!? 部活入っちゃったら私との活動の時間はないでしょ?」
「あぁ、だから俺は融通してもらったんだ。姫子との活動がある場合は行かなくて良いって。どころか籍を置くだけで良くて、後は自宅で自主トレでも良いらしい」
「……ッ!」
瞬間、姫子の瞳が見開かれた。
そもそも彼らの目的はただの部員集めだからな、朗太は付け加えた。
そう、それが入部にあたって朗太がつけた条件だった。
自分の趣味・活動を優先する権利である。
彼らは即了承してくれた。
なぜなら言ったように彼らの第一目標は部員を10名に乗せること。
これまでは筋トレ部に入るというだけで忌避されて、籍だけを募ることも困難だった。
だから彼らは朗太の提案を即了承した。
どころか幽霊部員で良いとも言ってくれた。
だから朗太はお言葉に甘えて入部したのだ。
第一優先はもちろん小説や姫子との活動。
それらが滞るなら、例え魅入られてもどこかで引き返しただろう。
だからこそ朗太が俄然幽霊部員として、主に自宅での筋トレに励もうと思っており、現在部室から筋トレの参考書を借りている状態である。
「だからまぁ、ちゃんと姫子のことも考えてるよ」
事も無げに朗太が言うと
「な、なら良いけど……。て、てゆうか考えてくれてんのね……」
姫子は唇をすぼめながら顔を赤らめ髪を梳いていた。
まぁ何にせよ安心したのなら良かった。
「と、言うわけでいつでも呼んでくれていいぞ姫子! いつでも筋トレを中断して向かおう。見てくれ俺の胸筋を!!」
朗太は剣を収めた姫子に微笑むと、グワッとワイシャツの上部を開いた。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!! だからそれはやめろ!」
そして姫子が世にも恐ろしい光景に叫び、二人が廊下で騒ぎ合っている時だ、
「何やってんですか、先輩…」
廊下に一人の少女がいた。
『ちょこん』という形容詞の似合う小柄な少女だ。
肩のあたりで切りそろえられた明るめの地毛に、人形のように完璧な縮尺の小さい体躯。
指先まで職人の意向が感じ取れるようなどこまでも精緻な少女だった。
そしてこのきめ細かい肌をした美少女と朗太は面識があった。
それは――
『纏さんのけんで――』
かつて妹の弥生の話でも出ていた人物。
「金糸雀、纏――?」
朗太の『中学時代の』後輩である。
朗太は昔なじみの顔の登場に小さく息を飲んだ。




