緑野翠(3)
「緑野翠といいます。どうぞ宜しく」
教壇に立ったのは、黒髪に特徴的な緑色のカチューシャを付けた美少女だった。
美しい黒髪に、長い、影を落とす睫毛。
物憂げな、どこか気品を感じさせる美少女がそこにはいた。
突如現れた美少女に教室は驚きに包まれていた。
だが何が一番驚いたかって言われれば、髪のつややかさや肌の白さではない。
姫子級の美少女であるという紛れもない事実にである。
生徒達は湧いた。
「おいおい姫子級だぞ!?」
「『二天使』といい今年はどうなってんだ!?」
口々に茜谷姫子という美少女に加え、緑野という美少女を獲得したという奇跡を熱っぽく囁き合っていた。
ちなみに『二天使』とは今年入学した二人の美少女1年生たちのこと、らしい。
かつて朗太たちの高校は、姫子と風華という超のつく美少女を同時に二人獲得した。その二人を指し、この高校は彼女たちのことを『二姫』とひそかに呼んでいて、それに比肩する一年生の二人を『二天使』と呼んでいるらしいのだ(大地談)。馬鹿げた俗称である。
とにかくこのクラスはついに姫子にも劣らないのではないかという美少女を獲得したのだ。色めき立つのも当然である。
朝のホームルームを終えると緑野翠の周りには人だかりが出来ていた。
「凄い綺麗な髪ね? 何食べたらそんな風に綺麗になるの?」
「普通のものしか食べていませんわ」
「てゆうか肌白すぎない!?」
「そうでしょうか?」
「これから宜しくね。緑野さん?」
「えぇ宜しく」
教室の前方に出来た人集りから、矢継ぎ早に質問が飛ぶのが聞こえてくる。
「ねぇねぇどこから来たの?」
「九州の方にいましたの。父の仕事の関係で」
「父の仕事?」
「えぇ、緑野財閥ってご存知?」
「「緑野財閥!?!?」」
その名に観衆が悲鳴を上げた。誰かが息せき切って聞く。
「緑野ってあの緑野財閥の緑野なの!? 大財閥じゃん!?」
「えぇ、実はその次期当主の娘なんです」
「ええええええええええええ次期当主の娘ぇええ!????!?!」
事も無げに緑野が言うと人だかりの多くの生徒が度肝を抜かれていた。
緑野財閥。
何を隠そう日本有数の財閥である。
その次期当主と目される男のご令嬢が我がクラスに。
驚天動地の事実にクラスのほぼ全員が驚いていた。
(マジか……)
それは例に漏れず朗太もだ。
緑野財閥。数ある財閥の中でも特に同族経営に重きを置いた、金融から貿易・鉄鋼、その他あらゆる産業を行う財閥だったはずだ。
その緑野のご令嬢がまさか我がクラスにやって来るとは。
驚きも一入である。
緑野は証明するかのように父との写真を生徒に示していた。
「すげーな朗太!? マジでお嬢様だぞ!?」
前の席の大地が興奮冷めやらぬ様子で朗太を振り返った。
「そうだな」
朗太も思わず半笑いになっていた。
ただのお嬢様ではない。超が付くレベルのお嬢様であろう。
そして緑野財閥のご令嬢となれば、朗太をはじめ生徒達のテンションが上がるのは無理もなく、これまで以上の質問の雨、豪雨が翠に襲い掛かった。
「さすが! だからそんなに気品があるのね?」
「そうでしょうか?」
「やっぱり家には使用人とかいるの?」
「勿論、何十名も、何百名も」
「これまでどこに旅行したことあるの!?」
「世界各国、津々浦々」
「いつも何食ってるの!?」
「普通のお方ではとても食べられないものを」
「てゆうかなぜこんな辺鄙な高校に来たの!?」
普通のお方ではとても食べられないもの??
え、聞き間違えかな? と多くの生徒が疑問符を浮かべていると、緑野はザッと髪をかき上げた。
「お父様の方針ですの。多くの財閥親族が通う様な学園には通わせてくれなかったのですの。まぁ、どういうわけかはわかりませんが」
「ふーん、どういう訳かは分からないが、緑野さんをこの高校に送ってくれたお父さんには感謝だぜ」
教室の前方で繰り広げられる会話を聞いて大地はニヤッと笑みを零した。
それは何も大地だけではない。
多くの男子生徒も『普通のお方』とかいうおかしな言い回しよりも緑野が美人であることのウェイトの方が大きかったようだ。
朗太はじめごく少数の生徒が一抹の不安を感じる一方で彼らは姫子級の美少女の到来を手放しで喜んでいた。
そしてほどなくして顕在化したのは壮絶な緑野翠争奪戦であった。
顕在化した切っ掛けはそう、
「ねぇねぇ緑野さんって彼氏いるの!?」
「いいえ。生まれてこのかた、そのような御仁がいたことはありませんわ」
という男子との会話だった。
この言葉を皮切りに緑野に男子が声を掛け始めたのだ。
しかし――
「ねぇじゃぁ緑野さん、今度俺達とカラオケ行こうよ? カラオケ、行ったことある?」
「カラオケには行ったことは無いですが、あなたとは行きたくありませんわ」
とにっこり笑い緑野は拒否。
「ねぇ緑野さん、今日帰りに何か食ってなかい??」と他の男子が誘うも
「まぁ私に何を食べさせようと言うの? 犬の餌を食べませんわ?」と、やはりニッコリ笑い緑野は拒否。
さらにはチャレンジャーが
「お願いです! 僕と付き合ってください! 見た瞬間から好きでした!」と爆死覚悟で告白するも
「私はあなたを見た瞬間から、猿か何かだと思っていました。ごめんなさいね」とやはりニッコリ笑いながら拒否。
このように緑野に声をかけた男子たちは容赦のない言葉でぶった切られ始めたのだ。確かに出会った日のうちに告白は勇み足過ぎるかもしれないがあまりにも切れ味よく振り過ぎている。
予兆はあった。
何故なら恋人がいないと聞いて鼻の下を伸ばした男子に、実は一瞬、緑野は目をすがめていたのだ。まるで、下賤な輩を見るように。
そうでなくても普通のお方うんぬんの言葉があった。
もう隠すことはあるまい。
緑野は想像以上に毒舌だったのだ。
特に自分の美貌に寄ってくる男子には。
だがこの緑野、外見だけならば姫子や風華級の外見を有する。
加えて同学年の男子ともなると姫子や風華に振られた生徒も多くて、酷い言葉で振られることも承知で、緑野にアタックをし続けた。勿論、手酷く振られても大丈夫なメンタル強者だけ、だが。だがそれでも沢山いた。
「緑野さん、俺と今度飯行かない?」
「あなた面白いわね。漫才師でも目指してるの?才能あるわよ、なかなか笑えたわ」
「緑野さん。俺、アメフトで優勝して見せるよ。だからその時は――」
「わたくしとお付き合いですって? 頭殴られ過ぎて頭おかしくなったようです。良い医者を紹介しますよ?」
結果それによって出来上がったのは死体の山である。
死屍累々。そんな言葉がよく似合う。
緑野に声を掛けた男子たちは手酷い言葉とともに振られ続けた。
しかしそれでも多くの男子達が次々と声を掛けていく。
それが何よりお気に召さなかったのが女子生徒諸君である。
「何、アレ……」
「男子たち、馬鹿じゃないの??」
転校してまだ日も跨がぬ内に緑野の女子内での評判は愚かな男子たちと運命を共にするように墜落していった。
「あんな酷いこと言われてんのになんで告るわけ?」
「どうせ顔しか見てないんでしょ?」
「男は下半身で物を考えるから……」
「てゆうかなんなのあの女」
「たかが緑野ってだけで威張りすぎでしょ?」
「アイツ自体はまだ何でも無いでしょ?」
そしてこの緑野死すべしのムーブメントがどこよりも酷かったのは、何を隠そう、緑野が在籍する2年F組であった。
「……」
「チッ」
(やべーよやべーよ……)
朗太は居心地のよくないクラスで息を詰めていた。
やべーよ、女子ってこんな怖いんだっけ??
朗太はクラスで身を縮こまらせ緑野に群がる男子たちを遠巻きに見ていた。
今も男子生徒が緑野に声をかけている。
今話しかけている彼は午前中の内に傷をおったはずなのに、それでも話しかけにいくとは相当のチャレンジャーである。
と、そんな時だ。
「よ」
感心している朗太の下に姫子がやってきた。
緑野降臨により先日よりも朗太達に対する意識は低い。今なら外野を気にせず会話ができると踏んでやってきたのかもしれない。
「朗太、アンタはあんまり気にしないのね?」
わざわざ何をしに来たんだと思っていると、姫子は緑野を顎しゃくった。
「そりゃぁな」
朗太は即答した。
「この状態で緑野に話しかけてみろよ? 針の筵だろ??」
「それはそうだけど」
「それにな」
「?」
「俺もマシめな顔だが、緑野は100%無理だ」
「ハッ、またキモいこと言って」
朗太は極めて現実的なことを言ったつもりだったが姫子に鼻で笑われた。むかつく。だが気を取り直す。
「それに……何も俺も緑野に興味がないわけではない。緑野財閥、その詳細については詳しく知りたいと思ってる」
「そんなことだと思ったわ」
「にしても姫子たちの時とは違って女子たちの殺気立ち方がヤバいな」
「そりゃね、あんだけ告白されて振りまくってれば悪目立ちするでしょ」
「……」
「何よ」
「いや姫子も去年すげー振り方してるって聞いた気がしたからさ」
「あ~~、あの時ね」
かつて姫子は多くの男子に告白され、そして振っていた過去を持つ。それと何が違うんだと朗太が問うと姫子は頬を掻き言った。
「でも風華や私の振り方には愛があったわ」
「あったか?!」
思わず朗太は叫んだ。
あの当時も切り捨てごめんの侍のようにばったばったと姫子と風華は斬り倒していたイメージがある。
だが現実は違うようで「そうよ」と、軽く言い姫子は去っていった。
それからも教室の空気は悪かった。
生徒達の不満が気体になって部屋に垂れ込めているようだった。
淀んだような教室の空気を指し大地は言う。
「まぁ、茜谷さんたちの振り方には愛があったからな」
「あったか?!」
何なんだこの天丼は。朗太は同じものを見ているとは思えない大地の見解に食いつくが、そんな朗太の反応も大地はどこ吹く風のようだった。
「それに、衝撃度でいえばやっぱ茜谷、白染さん達の方が上だよ。二姫の二人は本当にどうかしている。それは他の奴らでも一致している」
「そ、そうか? あんまし変わらないと思うけど」
今も生徒に話しかけられていると緑野と、群青などと話している姫子を見比べる。
そりゃここに風華を入れれば魅力でいえば圧倒的に風華の勝利になるのだが、なんとなく、それは朗太の好みのような気がする。彼女たちにおいて、いわゆるどちらが美人かという俗っぽい尺度において差はないように見受けられた。しかしそれは朗太の主観であり、他からすると違うようだ。
「あるんだよな~、それが、不満の有無に繋がっているんだよ。ま、俺からしたら大して差がないけど」
情報通の大地は他の生徒たちからの意見を総括すると、肉食獣が獲物に狙いを定めるように緑野を見て言った。
「ま、それはそれだ。何にせよへっへ、去年は『二姫』、今年は『二天使』。だと思ったら、ここにまた一人の女神を遣わすとは。この機を逃すほど俺は甘くはないぜ」
そう言い残し大地は緑野に突撃していく。
「なぁなぁ緑野さん! 今度俺が校内を案内してあげるよ」
「校内なんて自分で見て回れますわ。結構です、金髪劣等類人猿」
(何しているんだアイツは……)
だが一瞬で撃沈し、切り捨てられた大地に朗太は呆れていた。
このような光景は一週間近く続いた。
そしてそれほど続けば当然──
――孤立しているな
窓辺の席で、たった一人で佇む緑野。
緑野は日当たりのいい窓辺の席で外の景色をただのんびりと眺めていた。
今も男子が声を掛けているが、それらを環境音のようにほぼ無視し、緑野は窓の外を向いていた。
確かに今のように男子には未だに話しかけられている。
だがその数も減ったし、親しい女生徒はほぼいない。
緑野は急速にクラスから孤立していったのだ。
その窓の外を眺めて肘を立てる緑野の背中は、どこか寂し気に見えた。
同じ美人でも周囲に友人のいる姫子とは対照的である。
それを感じてか、緑野の視線が教室の反対側にいる姫子に一瞬向くのが見えた。
もしかすると彼女も、生徒のお悩み相談をする、自分とは違い人望のある姫子の噂を耳にしたのかもしれない。
結論から言えば、この予感は当たっていた。
翌日のことだ。
「ろ、朗太。新しい依頼よ」
放課後、姫子に呼び出され、誰もいない自教室に訪れると姫子の後ろには緑色のカチューシャを付けた少女、緑野がいて、緑野は恥ずかしそうに顔を赤くしながら言ったのだ。
「わ、わたくし、友達が、欲しいんですけど」
「お前どの口が言ってんの?」
その言葉は自然と口から出た。




