姫子END
「ハァ……ハァ……」
その日、朗太は廊下を駆けていた。
「何で逃げるんだ!!!」
逃げる姫子を追いかけているのだ。
姫子はその伸びやかな手足を生かして長いストライドで朗太から逃れていく。
用があると声をかけるや否や逃げ出したのだ。問いかけるとがなりたてるように返事が来た。
「アンタ、振り倒しているって話じゃない!! どうせ頭おかしいアンタのことよ! 私も振って全部終わりにする気でしょ!!」
そんなわけあるかい!!
朗太は一筋縄で行かない少女に呆れつつも顔を歪めた。
そう、確かにここに至る前に朗太は風華を、纏を振った。
風華は、「ハハ、やっぱそうだよね」と辛そうな顔をして目を伏せ、纏は目に涙を一杯にし、そのあと、こらえきれずポロポロと涙をこぼした。
酷いことをしたと思う。
糾弾されて仕方がないと思う。
だけど朗太はこの道を選んだのだ。
これが良いと思ったのだ。
高校二年生の間、傍にはずっと姫子がいた。
出来るのなら、この一年だけじゃなく、この先ずっと姫子に横にいて欲しかったのだ。
「そんなわけないだろ!! 姫子! よく聞け!!」
朗太は意を決して大きく息を吸った。
「お前が好きだ!! 付き合ってくれ!!」
腹の底から叫んだ。
朗太の声は校舎中に響くんじゃないかと言うほど、少なくとも同じ階には確実に響き渡る声量で叫んだ。
そのうえなにもない場所でズベタッと転んだ。したたかに顔面をリノリウムの床に打ち付ける。
な、なんて情けないんだ。
一世一代の告白でずっころぶって。
顔を赤くしつつ視線をあげると
「ほ、ホントに……」
廊下の先で姫子が頬を赤く染め佇んでいた。
ホントにって……俺顔面から転んだんだけど……? 心配してくれないの??
「ホントに私で良いの??」
こくこくと頷いた。
「ホントに、纏ほどアンタのこと知らないし」
「今から知ればいいだろ」
「風華ほどアンタのタイプでもないようだし」
「顔のタイプなんて関係ない」
まどろっこしい姫子に朗太は声を張り上げた。
「俺は姫子の性格も顔もそのほか諸々全部好きなんだ! 一番目も二番目もない! 君が好きだ!! 一生君の横にいたい!!」
朗太の言葉に姫子が顔を真っ赤にする。
そして「わ、私も……」とたどたどしく頷き、こうして朗太と姫子は付き合いだしたのだ。
ガラリとスライド式のドアを開けると木漏れ日の中の一人の少女が椅子に腰かけていた。
息を飲むほど美人だ。
スマホとにらめっこする姫子に自然とそんな感想がわいた。
よく自分はこれまでこの少女にガサツな対応が出来たものだと思う。
当の美少女は朗太の登場が遅かったのがご不満なようで、ドアの音に顔をあげると目をつり上げた。
「遅いわよ」
「スマン、モトと話してた」
「全く、待ったんだからね」
フン! と顔を反らす。これも可愛い。
しかもまだ付け加えることがあるらしく姫子はダ、ダ、ダ、と壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返した。
ダ?
意味のわからぬ言葉に怪訝な顔をする朗太。だが真っ赤な姫子の顔と流れからして言語化しようとしている言葉を察した。
「ダーリン?」
瞬間、湯気でもでそうなほど顔が真っ赤に蒸気する。
どうやら図星だったようだ。
「えぇ……気持ち悪すぎるぞ姫子……」
「あ、アンタ、どういうこと?! 瞳が、瞳が言ってみろって言うから~~」
ダーリンが朗太に欠片も響かない単語だったことに姫子は憤慨していた。だがそんなのは当然だろう。時代錯誤も甚だしい。昭和か。群青の恋愛観が心配になる。もしくは姫子がからかわれたのか……。まぁだがそれもどうでもいい。
「そうか。そんなことのために呼びつけたのか……」
「そ、それだけじゃないわよ。全く。一緒に勉強するわよ朗太!」
「そうだな」
朗太が嘆息を漏らしていると姫子は自分の失敗を取りかえすかのようにノートをとりだした。
そう、朗太たちは来年にむけて受験勉強を本格的に始めたのだ。
「妃恵さんにも言われているしな。やるか」
しばらくすると教室に教科書をめくる音が聞こえ始めた。
「彼ら、大丈夫かしら」
勉強していると姫子が窓の外を見ていきなり呟く。視線の先を追うと中庭で蒼桃につれられ津軽がヨタヨタと歩いていくのが見えた。
彼らは今まさに活動中、のようだ。
「大丈夫じゃなかったら姫子が手伝ってやれば良いじゃん」
「それもそうね」
姫子は微笑んだ。
そしてその翌日、蒼桃が泣きついてくることを彼らは知らない。
時は、4月10日。
朗太と姫子が放課後の教室で対峙してから丁度一年が経っていた。
fin




