徒花(4)
「はぁ……?」
朗太の提案に涙の跡のある瀬戸は、明らかに呆れたような顔をしていた。
「朗太……、お前何言ってんだよ」
「何言ってるじゃない。ちゃんと考えあってのことだ」
「だけどお前、勝てないだろ……。今見ただろ。自分でやっておいて悪いがあんなの、もうしたくないぞ……」
「そうか。モトならそう言うだろうな。でも気にしなくていい。なぜならこれは俺がやりたいんだ」
「どういうことだ?」
「見てろ」
小声で言うと朗太は竹刀を2階のギャラリーにいる生徒たちに向けた。
「おいそこのギャラリー!!! さっき散々言ってくれたよなぁ!! 部活を辞めて小説家を目指した俺が馬鹿だとか! 意味がないとか!! 何を知った風な口を聞いてくれてるんだ!! 夢を追うことの何が悪いんだ!! 俺が小説家を目指したのは間違えじゃない!! それを今から瀬戸に!!」
朗太は竹刀を瀬戸へ下ろした。
「一本勝負で勝って証明する!!」
突如朗太から敵意を向けられて観客はざわついていた。
「ハァ?!」
瀬戸も口を半開きにして呆けていた。
「お前、急に、何を……」
「そういうことだ。勝負してくれ」
朗太たちの会話は観衆のざわめきで周囲には聞こえない。
「だが、お前、勝てない、だろ……?」
「いや分からないさ」
「ハ?」
「正直勝てる、と思っている。さっきのお前には勝てなかったが、今のお前になら勝てる。俺はそう思っている」
「いやいや何でだよ、何も変わってないぞ俺は」
「いや何とかなる。それともなんだ瀬戸。お前」
朗太は瀬戸の面の傍で薄く笑みを作り囁いた。
「負けるのが怖いのか……?」
「……」
面の奥で瀬戸の眉がわずかにつり上がるのが見えた。
「良いだろう」
闘志が沸き起こってきたようだ。瀬戸はむくりと立ち上がった。
そこでふと、格技場の隅に緑野が立っていることに気が付いた。
「あの、えと……」と戸惑いながら佇んでいる。
きっと自分の彼氏である瀬戸が朗太を一方的に攻め立てるのが不安になり降りてきたのだろう。
瀬戸も緑野の存在に気が付いたらしい。
しかし瀬戸は自分の見苦しい姿を晒してしまってバツが悪そうにむっつりとした顔を崩さなかった。
「なんか言ってやったらどうだ……?」
緑野のことを不憫に思いアドバイスをする朗太。
しかし返事はなかった。
自分が言うのもなんだが、瀬戸はこのような頑固なところがあるから良くない。
この不完全さもまた魅力といえば魅力なのだが……。
仕方がない。
「緑野、彼氏を借りてて悪いな。だけど悪いが、もう少しだけ借りる。だから緑野は瀬戸をうんと応援してやってくれ」
朗太が言うと緑野は朗太と瀬戸を何度も見まわし決心するとコクリと頷いて階段を登って行った。
そして2階のギャラリーに混ざると手でメガホンを作り声を張り上げた。
「基龍~~~~~~~!!!!!!! 頑張って~~~~!!!!!」
そこから一気に瀬戸コールが始まった。
「基龍頑張れ~~~~~~!!!!!」
「そんな奴に負けんな~~~!!」
「叩きのめせ~~!!」
「やっつけろ~~~!!」
観衆は皆が瀬戸の味方だ。
挑発した朗太の味方に付くものなどいるわけもない。
瀬戸へは声援が飛び朗太には罵声が飛んだ。
「……良いのかこれで。これがお前がしたかったことなのか?」
「あぁ、これで構わない」
歓声のるつぼの中で瀬戸は困惑していた。
「手加減はしない」
「むしろされると困る」
「後悔しても知らん」
「勿論」
お互いに竹刀を構える。
それが合図だった。
観客のボルテージがさらに高まる。
大歓声の中試合は始まった。
もう静まり返った会場で行うのが通例の剣道の試合ではない。
ショーかなにかのようだった。
観客が喉をからし声援を送り、朗太と瀬戸はバチバチと竹刀を打ち付けつばぜり合いする。
そうしながら朗太はこうなった事の経緯を考えていた。
まずなぜこのような勝負を吹っ掛けたかといえば、それは人はその場その場で聞こえの良いものになびく生き物だからだ。
その場のノリが論理性を無視して採用されることが往々にある生き物だからだ。
例えば文化祭の部屋決めの時のこと、姫子は無理筋だというのに勢いとその場の雰囲気で、相手を論破し黙らしていた。
人はその場の雰囲気に準じるのだ。
それをこの場に利用したのだ。
一本取ることと、自分が追いかけた夢が間違っていないことの証明は何も関係がない。
しかし、朗太は生徒たちを煽ることで戦いを成立させることで、両者の関係をこじつけたのだ。
瀬戸がすでに行っていたことだが、この無理筋な方法を成立させる方法が、朗太がこの一年で学んだことだ。
……
本当にろくなことを学んでいないな……
朗太は自分の滅茶苦茶な方法に我ながら呆れていた。
そして朗太には実際に勝算があった。
なぜなら瀬戸は中学時代はこのような最後の一本で勝敗が決するシーンでは本来の力が発揮できない傾向があったのだ。
彼は今では高校の剣道部の主将をしている。中学時代の弱点がそのままだとは思わないが、傾向として存在はしていてもおかしくない。
なにより瀬戸は心優しい。
朗太を叱咤するために心を鬼にしていた瀬戸には正直勝ち目など全くなかった。
しかし既に瀬戸と朗太の間の問題は解消されている。
瀬戸は朗太に向ける闘志が無いのだ。
だから、付け入るスキはある。
そして何より捨て置けないのは、これは朗太の誇りの問題だからだ。
竹刀で牽制し合いながら朗太は小説を書き始めた日のことを思い出す。
中学時代、自身の進路で苦悩していたあの日、小説投稿サイトを見つけて朗太は光を見たのだ。
親は言っていた。
小説家に成るのは野球選手になるよりも難しい。
だが、そんな夢を追いかける人たちが、こんなにもいる。
その事実に、朗太は救われたのだ。
可視化された夢追い人の数に励まされ、あの日、朗太は生まれ変わったのだ。
いずれにせよ小説家になることは難しいことなのかもしれない。
だがだからといってなぜ目指してはいけないんだ? 誰が止めた? 誰が目指しちゃいけないと言った? それは自分の中に飼いならしているもう一人の自分なんじゃないのか? そんな奴は無視してしまえ。それに気がついて目指し始めたのだ。
確かに小説において、物書きという分野において結果は出ていないかもしれない。
しかしその間に出会った人々との絆を、姫子を、風華を、纏を、そのほか多くの人との出会いを否定させるわけにはいかない。
だからこのような勝負をふっかけたのだ。
それに、今回の騒動が起こってから大分時間が過ぎた。
――そろそろ来ても良いだろう。
歓声が飛び交う格技場で二人がつばぜり合いする。
そして二人の緊張が最高潮に達した瞬間だ。
2階のギャラリーに繋がるドアが勢いよく開かれ、そこから朗太がよく知った顔が3人現れ、
「朗太!」
「凛銅君!」
「先輩!」
ギャラリーの観客を掻き分け叫んだ。
「負けんなぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」
そう、これまで朗太は姫子に連れ立って色々な人を助けていた。
観衆の中にはかつて朗太が手助けした生徒が交じっていたのだ。
そして姫子は瀬戸の策略とはいえ放課後学校に残っていて、今日は風華も部活で、纏も部活だ。
良いだろう。
たまには、運にかけたって。
そして風華は言っていた。
好きな人からの応援は
(力になるってなああああああああああああああ!!!!)
「(なッ)」
瞬間だった。
朗太は瀬戸の攻撃の気配を察知し、それよりも早く、彼が行動を起こすよりも早く、鋭い掛け声とともに彼を一閃していた。
観衆は一瞬の決着に唖然としていた。
やられた瀬戸もキツネにつままれたように呆然としている。
ドアをけ破り駆け付けた三人も驚嘆しているようだった。
「これが俺の、俺たちの力だ」
朗太はギャラリーの生徒たちに向かい言う。
「なんか文句あるか」




