藍坂、部活辞めるってよ(4)
翌日の放課後、朗太は藍坂穂香と対峙していた。
放課後の人気のなくなった学習棟3階。
薄暗い廊下に吹奏楽部の演奏が響く。
水色と灰色の混じる廊下で朗太は黒髪の少女、藍坂穂香と向き合っていた。
風華に呼び出してもらったのだ。
『え、本当にやってくれるの!?』
風華に決行の旨を伝えると『ねぇ、凛銅君?? 私も見ていい??』と来たがったが『いや、きっと面白くないから……』と朗太はやんわり拒否していた。
結果、今この廊下には、物陰に潜む姫子と、廊下につったつ朗太しかいない。
そして視界の先の廊下の隅から――本当に大丈夫なの?――と心配そうに姫子が顔を覗かせるが、穂香が現れたのなら作戦は開始だ。
「ごめんな。呼びたてして。俺は――」
「凛銅朗太君でしょ? 知ってる」
「え?」
朗太は自己紹介をしようとしたのだが穂香が既に自分の名前を知っていて息を飲んだ。
「知っていたのか?」
「知っているわよ結構有名だもの。茜谷さんがつるみだしたって」
なるほどそういうことか、朗太は合点した。
確かにそれなら知っていてもおかしくはない。
そしてこれは『好都合』だ。これほどなぜ自分がここにいるか説明しやすいこともない。
「あぁそうか。でだ――」
だから朗太は話を端折り早速本題に入ろうとした。しかし――
「私は復部しないわよ」
またも穂香が出鼻を挫いた。
「いやまだ何も……」
機先を制され朗太が面食らっていると穂香は立て板に水を流すように話し始めた。
「言わなくても分かるわ、そんなこと。ここ最近私は部活を辞めた。で、部活の皆は私が部活を辞めて困っている。そこに生徒のお悩み相談をしている茜谷さんと最近関わり始めた凛銅君がやってきた。もうそんなの答えは一つでしょ?」
そこまで話すと穂香はしゃべりすぎたことを恥じるように黙りこんだ。
一方で出鼻を挫かれた朗太はと言うとその様子をじっくりと観察しながら考えていた。
先回りするような穂香の立ち振る舞いに呆気にとられたが、穂香が自分と姫子の関係を知っている。
そして自分が来た理由を知っていることは、やはりディスアドになるとは限らないのだ。
一瞬驚いてしまったが、まだ挽回できる。
「なら話が早い――」
一杯食わされたことを帳消しにするように朗太は落ち着き払い言いはなった。
「藍坂、部活に戻りなよ」
自分の要望ド直球を。
「あなたッ! 私が何て言ったか聞いていたの!?」
余りに自身の意思を蔑ろにした朗太の物言いに穂香が気色ばんだ。
だが朗太とて無策ではない。考えあってのことである。
「聞いていたさ。部活には戻りたくないんだろ? でも多くの部員が藍坂の部活に戻ってくるのを願っている」
「でもそれでも私は参加しないって言っているの!」
「らしいな。で、その理由は確か……」
僅かに言葉に詰まった。
しかし言うしかない。朗太は生唾を飲み込んだ。
「……練習試合で、酷い事を言われたからだっけか……」
すぐには返事は来なかった。
「………………そうよ」
たっぷり時間を置くと穂香は答えた。
穂香は辛そうに目を伏せて見えた。
今まさにその光景を思い出しているのだろうか。
朗太には分からない。
だが、もしそうだとしたら、――――さぞや辛いに違いない。
だから朗太は、放っておくことが出来なかった。
「……辛かったな」
「ッ!」
自然に転がりでた心の籠った言葉に穂香が目を見開いた。
「自分が好きなものに対してそんな酷い言葉をかけられるのはつらすぎるよな」
立て続けに朗太の口から相手に寄り添うようなセリフが転がり出る。
なぜなら朗太は小説の才能が無いことを何度も思い知らされているからだ。才能を否定されてきたからこそ、才能を否定された者に寄り添える。朗太はこれまでの苦い経験でもって、このような言葉を素で紡ぎだすことが出来るのである。
仮初めの言葉ではない、心からの言葉を。
そして心からの言葉は相手に響く。
突然の朗太の本音に穂香は唖然としていて、そこに朗太は狙いすましたように挿し込んだ。
「でも俺はそんな藍坂が『羨ましい』よ」
「え――」
予想外の言葉に穂香は呆気に取られていた。
だが真実だ。
仰天している隙に朗太は自分の秘中の想いを告げた。
「……実は俺、ネットで小説を書くのが趣味なんだ」
「え!?」
立て続けに吐き出される予想外の言葉の数々に穂香は驚きっぱなしだった。
だがそれも無理もない。
朗太の趣味を知る姫子でも、まさかこのタイミングで朗太がこれを打ち明けるとは思わなかったに違いない。
だがそれが唯一切れるカード、朗太だからこそ切れるカードだった。
当然姫子にとって予想外な以上、穂香にとってはそれ以上の予想外だ。穂香はもはや唖然としていた。
そしてこのショックを受けているようなタイミングで全てを伝える方が良い。朗太は恥ずかしい自分の気持ちを押し殺し話を進めた。
「まぁ驚くよな。殆ど誰にも言ってない趣味だ。でだ。そんな俺はお前が羨ましい。何でか分かるか?」
分からない、と穂香は首を振る。その顔は殆ど恐怖に包まれていた。
「――才能が無いからだよ」
穂香は小さく息を飲んだ。
「俺には才能がない。だから俺は藍坂、バスケの才能があったお前が羨ましい」
校庭から生徒の喚声が聞こえてくる。
「バスケ、小学生の時からやってたんだろ? そんなバスケ好きなお前がバスケの才能がしっかりあったことが羨ましい。仮にも学園で一番上手かったんだ。才能は十二分にあったんだろう。才能があり、チームで抜けた実力があったからこそ批判非難のターゲットになったんだ。俺なんか非難すらされないからな。だから才能のない俺は批判されたお前が羨ましいわけだ。おかしな話だけどな」
朗太は大きく息を吸った。
遠くで吹奏楽部の演奏がまた始まるのが聞こえた。
「よく言うだろ? 天は二物を与えないって。皆に与えられる才能はそんなに多くないんだよ。だからその限りある才能が好きなものと合致することは奇跡なんだ。そしてそんな奇跡のような幸運に巡り合ったお前が、才能のない俺は羨ましい。だからさ藍坂、相手の下らない批判に耳を貸してなんかいないで……」
自然と労わるような口調になった。
「……またお前が好きなバスケを始めてみたらどうだ」
最初は上手く話せるか不安だったが、その懸念は杞憂だった。
今ほどの言葉には、朗太が想定した以上に感情が乗った。
なぜなら言った通りその言葉は朗太の掛値のない本音だったからだ。
これが朗太にある唯一の手だった。
これまで何度も才能がないことに打ちのめされてきた朗太だからこそ、同じような境遇の穂香によりも近くで寄り添える。本音で会話できる。穂香の、より深い場所に関われる。そして本音は心に響く。いつしかそれは人を導くことが出来る。
それが朗太が用意した朗太だからこそ出来る解法のロジックだ。
そしてこの朗太の、朗太だからこそ出来る解法。
粗製乱造された励ましの言葉ではなく間違いなく朗太だからこそ言うことの出来た、穂香のためだけに紡がれた言葉を受けた穂香はというと
「……ッ」
酷く胸を衝かれたように大きく目を見開き、胸に手を当て息を詰めると、しばらくして悔しそうに、僅かに目を光らせながら呟いた。
「……ごめんなさい……。無理……」
「そうか……」
朗太は絶望した。
結局無理だった。
そしてこの策が失敗したのならもう残された手はない。
一度策を練り直さないとならない。
どうすれば良いのだろう?
朗太は絶望の中で考える。
しかし同時に、部活を続けるかどうかなんて当人次第で、辞めたいのならば勝手に辞めれば良いという思いも湧いてきた。
と、そのときだ。
一つの手を失うともう一つの手も見つかるもので――
後から見れば、これは朗太の渾身の告白が穂香に呟かせた言葉だった。
穂香の言葉はまだ終わっていなかったのだ。
「こんなこと言わせて……、なおさら無理……」
穂香の目尻に涙の粒が輝いた。
「私にもう、バスケをする『権利』はない」
「ッ――」
その瞬間、一つの光源が朗太の脳裏に瞬いた。
(まさか――)
そこで気が付いた。
というより、朗太の懸念していた――『最悪のケース』である。
ずっと前から気が付いていた事象で、気がついた上であえて目を背けていた事象で、それが目の前にぬっと姿を現した。
それを目の当たりにしてドクドクと血管に血液が力強く流れ、脳が一気に活性化しだすのを感じる。
――実はこの依頼を受けた際からずっと気になっていたことがある。
だがそれは、一度風華に棄却され今に至る。
とはいえ完全には頭から追い払えなくて、最悪のケースとしてそれは頭の片隅にあり続けた。
それが――『私にもう、バスケをする『権利』はない』――この一言で一気に姿を現した。
そして自分の渾身の励ましを振られた今、その可能性の芽が出てきたとくれば、その可能性を捨てておくわけにはいかない
「そうか」
「一つ聞いて良いか」
だから朗太は息を詰めながら尋ねたのだ。
一発で判別可能になるであろう一言を。
「そんなに嫌いか? ――――白染のこと」
変化は決定的だった。
穂香は大きく目を見開いてた。
◆◆◆
「アンタ!」
穂香が去って行くと物陰に隠れていた姫子が小走りでやってきた。
朗太のセリフを聞いていてその顔は蒼白だった。
「なんであんなこと!?」
しかし焦ったり怒ったりと忙しい姫子を朗太は手で制した。
「大丈夫、訳あってやったんだ。そんなことより姫子、明日、白染を呼んでくれ」
「どうして?!」
「俺たちの予想通りだったからだ。全部、逆だった」
朗太は言う。
「藍坂を部活に戻せる」




