藍坂、部活辞めるってよ(3)
結論から言えば朗太たちの懸念は杞憂だった。
「欠片もそんな素振りは見られなかったそうよ。もしそうだったら流石に気づくってさ」
「まぁそりゃそうか」
確かにそれは言えていることだ。
風華がそのように言うのならば、それはそういうことなのだろう。
あの推測は疑惑で済むのならそれがいい。
翌朝、姫子の報告を受けて朗太は胸を撫で下ろしていた。
そして――
「で、あの黒髪が藍坂穂香なのか?」
昼休み、朗太は姫子とつれだってA~Dクラスの教室が入る東棟にいた。
藍坂穂香を見に来たのだ。
「そ、あれが穂香よ。凛銅君」
「お、おう……」
案内役として風華もいて、風華が朗太の下に顔を出していた。
朗太たちはサスペンスものの刑事や探偵のように柱の陰に潜み柱から顔を出し廊下の先の穂香の様子を窺っているのだ。ひょこっと柱から顔を出す朗太の下に風華の顔があるというわけである。
つまり、相当に距離が近い。
ウオッ……睫毛ながッ……!?
と近すぎる風華の顔に朗太は気が気でなかった。
しかもここにいる美少女は何も風華だけではない。
「なるほど、あれが穂香ね」
風華に負けないようにするかのように朗太の至近に姫子の顔はあり、しかも風華以上に近いので
(ちけぇ……)
煩わしいことこの上ない。
朗太は近すぎる姫子に辟易していた。
だが朗太内での評価はどうあれ、やはり傍から見れば姫子も超のつく美少女だ。
上から姫子→朗太→風華の団子三兄弟風に廊下の向こうを覗く朗太が悪く言われないわけもなく、揃って男子たちは敵意の籠った視線を向けてくるし、偶然朗太たちの前を通った女子たちもクスクスと忍び笑いをして、通り過ぎた後
「(あんなのと絡んでたよ……)」
「(モテすぎると頭おかしくなんのね)」
抑えているのだが普通に聞こえる声量で笑いながら去って行く。
それを聞いた姫子は「アイツら……!」と呟き青筋を立てて件の女子に突撃していきそうになりそれを朗太は必死に止めていた。
「良いから、姫子。落ち着け」
「でもッ!」
「良いんだ。あとで処すから。俺は相手が女子でもちゃんと処す」
「いやだからそれもどうなの!?」
一方でそのような二人だけが通じる秘密の言葉を交わしている風に見える一見仲良さげな二人に風華はニヤニヤ笑っていた。
◆◆◆
「で、あれが藍坂なのか」
仕切り直し。
数分後、姫子を抑えつけ再び壁際に戻った朗太は昼休み、友人と談笑する藍坂穂香を眺めた。
「そ、割と思った通り??」
「ま、思った通りちゃ思った通りだな、外見は」
「いかにもって感じね」
そこにいるのは黒髪ロングのまさに日本美人という感じの少女だった。
彼女が敵の「才能ないから辞めた方がいい」という言葉で折れたというのだ。
そして彼女のような線の細い少女が敵の言葉で心が折れるというのは――外見だけでは判断できないとはいえ――想像する際のひっかかりにはならなかった。
「え? うそぉ!?」
「アハハ! ホントだって~!」
彼女は比較的賑やかなグループに所属するようだ。
彼女の友人たちが楽しそうに談笑するのがここまで聞こえてくる。
穂香は聞き手に回ることが多いようでそれら会話を穂香はニコニコしながら聞いていた。
それから、朗太たちは風華に穂香の人となりを聞いた。
「最初会った時からバスケの実力は抜群だったよ」
青空の下、屋上へ続く屋外階段で風華は言う。
「他より明らかに抜きんでていた。私も全然歯が立たなかったもの」
懐かしい。風華は持っていた飲むヨーグルト啜りながら天を仰いだ。
「それでいてお淑やかで協調性もあると来たからね。見たでしょ、今さっきお人形さんみたいに品よく笑うのを。あの笑顔で皆を引っ張るのよ。まだまだ、がんばろって」
風華はその時のことを思い出しているようだった。
「だから皆まだ穂香とバスケをしたかった……」
ゆるやかな風で風華の髪がたなびく。それを風華が手で抑えつける。
「バスケは小学校の頃からしていたそうよ。でも……そのせいで、耐えられなかった」
『まぁ努力してこの程度ならするだけ無駄なんじゃないの?』
という敵チームの辛辣な言葉に心が折れた。
「言っていたわ皆も。小学校からずっとやってるのにあんな言葉かけられちゃ心折れるって…」
「ま、そんな昔からやっているのなら好きだったんでしょうね。好きならなおさらか……」
「……」
確かに小学生の時からずっとやってたのなら好きだったのかもしれない。
朗太は黙って彼女たちの話を聞いていた。
それから数日間、朗太と姫子は藍坂穂香を観察し続けた。
時には近くから。
時には遠くから。
2週間ほど前に部活を辞めたという藍坂穂香を観察し続ける。
そうしているうちに朗太たちは何回かバスケ部員が穂香と接触するのを目撃した。
そして朗太は初めてその光景を目の当たりにした瞬間のことを忘れることが出来ない。
今でも目を閉じれば思い出す。
今も穂香を遠目で窺っている。
朗太はわずかに目を伏せ当時のことを思い出した。
あれは観察を始めた日の放課後のことだった。
「え~ほんとに~??」
「ホントだよ~、嘘じゃないよ~」
などと友人たちと談笑しながら下校する穂香に「あ、あの、穂香!」と同じ女バスに所属する少女が声をかけたのだ。
そしてその少女を視界の端にとらえた途端、談笑し緩んでいた穂香の瞳がスッと細くなり光を失ったのだ。
それはとても冷徹な瞳に見えた。
だがすぐに穂香の表情は元に戻り、「何?」僅かに声質を固くし穂香は問う。
「あ、あのッ」
対する少女も穂香の近寄る者を拒絶するかのような変化に気が付いたようだ。
コクリと固唾を飲み、焦りつつ言っていた。
「み、皆待ってるよッ! また一緒にバスケやろうよ」
だが穂香の返事はない。寒々とした表情で友人の言葉を聞いていた。
「皆、穂香のことが大好きだよ。穂香がいないと寂しいよ」
「……ッ」
だがその温かい言葉の追撃を受けるとわずかにその表情が崩れる。
鉄面皮にひびが入り人間らしい表情が顔を覗かせる。
しかし、このままではいけないと言うのように、キュッと唇を結び直すと
「ごめんなさい。わたし、もうバスケはしないの……。もう出来ないの……」
これまで何度も吐いてきたであろう言葉を紡ぎ出す。
そしてそれが決着だった。
二人の会話は二人の中で終わっていた。
穂香は廊下に突っ立つ友人を置いてその場を立ち去る。
だがその背に再度声が掛けられた。少女は諦めなかったのだ。
「相手に言われたことなんて気にすることないよ穂香! 私たち待っているからね!」
「……っ」
その時穂香は、唇をかみ今までのどの時よりも辛そうな顔を、まるで今にも泣き出しそうな顔をしていた。
その顔を目の当たりにした朗太たちは息を飲んだ、というわけだ。
「ねぇ、穂香考え直さない?」
「また一緒にバスケやろうよ!!」
それからも穂香へのアタックは続いた。
しかしどれも空振りだ。
「ごめんなさい……」
穂香はそう言って立ち去り、後には悲しみに打ちひしがれた女子生徒が残る。
だが断った穂香も穂香で、とても辛そうな表情をしている。
そんな光景を何度も朗太たちは見せられた。
その上ややこしいことにあんなにも強情に断っているにも関わらず、穂香はまだバスケに未練があるように見えた。
なぜならある日彼女をつけていると、放課後、体育館二階の物陰に潜み女バスが練習するのを遠目で眺めていたからだ。静かにその場を去る際、穂香は大きなため息を一つ吐いていた。
その光景を朗太と姫子は黙って眺めていたというわけだ。
そしてそれら光景を目の当たりにし、数日経った、今日だ。
「なんか策は思い付いた?」
今日も今日とて観察を終え、穂香が学校の敷地を去ったあと、誰もいない放課後の自教室で姫子は問うた。
穂香の観察を始めて既に五日で、それなりの彼女の人となりも、彼女の周囲の環境も掴めてきたころだった。
そして朗太もまた一つの策を思い付きつつあった。
「いけると、思うけど……」
だから朗太は姫子の言葉に不安で声を小さくしながらも頷いていた。
実は穂香を復部させる可能性のある方策を、一応は思いついていたのだ。
それに『最悪のケース』だった場合、インターハイ予選前に動く必要があると朗太は感じていた。
「なるほど、自信のほどは微妙なとこね」
「あぁ」
朗太の声音一つで姫子は状況を察したようだった。
「可能性はある、と思うが……。どうする?」
「ま、じゃぁ『それ』でやるだけやってみましょうか」
「え、良いのか?」
「だってしょうがないじゃない。私、何も思いつかなかったし」
あっさり朗太の案にのってくる姫子に驚いていると姫子は肩を竦めた。
「バスケに未練がありそうなのにあんな頑なに拒否されちゃやりようないわよ」
こうして朗太の策は採用されたのだった。
「分かった……。やってみる……」
朗太は緊張で声を震わせながら答えた。
勝算はある。
朗太は思う。
心に届くのはいつだって、――『本心』しかない。
朗太の本心で、彼女の心を開くのだ。